スーツケースから始まるサトラレの感謝の物語。
これは、私が大学時代にこじらせ、50代に至った今も完治していない架空の病と、感謝のお話。
|自分の中の魔物に気づく。
あれは大学1年のとき。
サークル仲間たちとの1か月のヨーロッパ旅行を終え、帰国の途に就く段。
場所は最後の訪問国、イタリアの空港。
私と友人はチェックインの前にトイレに行くことにした。
そして、自分たちのスーツケースの見張りを一人の先輩に託した。
用を済ませ、トイレから皆が待つ場所に戻る。
戻る途中で、自分のスーツケースに先輩が腰かけているのが見えた。
レンタルの、かなり大きなサムソナイトのスーツケース。
格安で借りられたそれは、うちに届いた時から複数の傷があり、この1か月でさらにその数を増やした。
そんなボロボロで頑丈なレンタルのスーツケースに、人が腰かけたってなんの問題もないのだが、私はその様子を見て本能的に「嫌だ」と感じた。
長旅を共にしたそれに、知らぬ間に強い愛着が湧いていたのかもしれない。
皆の元に着き、先輩にお礼を伝えようとした瞬間、その先輩が言った。
「なんだよ。せっかく見張りしてたのに。」
意味が分からなかった。
聞き間違いだと思ってお礼を言った。
「あ、はい。見張りありがとうございます。」
いいのいいの、お安い御用、なんて反応が返って来るかと思ったら、
「腰かけんな、って言ったよね?」
いつもにこやかな先輩が、目を釣り上げている。
私は慌てて訂正した。
「え?言ってませんよ。」
先輩は言う。
「いや、言ったって。」
私は断じて言っていない。あくまで思っただけだ。
私は高校まで地方で育ったので、当時は無意識でしゃべると方言が出てしまっていた。
それが恥ずかしかった私は、思ったことをそのまま口に出すなんてことは絶対にしなかった。もともと口下手だったのもあって、口に出すときは必ずその言葉を「何層ものふるい」にかける前処理をしていた。
事の成り行きを見守っていた友人が、困惑の表情を浮かべながら私に向かって口を開いた。
「確かにそう言ってたよ。」
|パニックになる。
友人の証言に頭を殴られたような衝撃を受けた。
改めて自分の行動を振り返る。
トイレからの道のりを何回脳内でプレイバックしても、「腰かけんな」なんて口に出した映像や音声が出てこない。
しかし、目の前の先輩はおかんむりで、友人は私と先輩の間に入って何とかとりなそうとしてくれている。
先輩には謝りつつも、心の声が無意識に口からついて出たことに、驚きと戸惑いを隠せなかった。
幸いにもその先輩は器の大きな人だったので、パニックになっている私を許してくれた。
|そしてこじらせる。
この事件以来、自分が思ったことを無意識に口に出してしまう、恐ろしい特性があることに怯えるようになった。
誰かと一緒にいて、相手に悟られたくないような感情を抱いたときに、無意識に言葉を吐いてしまわないかと自分の口に意識を集中するようになった。
そして、自分が変な発言をしていないか、周りにいる人たちの表情をこれまで以上に気にするようになった。
気の置けない人には、「私、今なんか言わなかった?」と直接確認するという、相手にとっては極めて不審な行動をとるようにもなってしまった。
しかし、そんな質問にも相手からイエスの回答が返って来ることはなく、また、急に目の前の相手が怒り出すことは二度と起こらなかった。
そうやって徐々に、自分が言動をコントロールできていることを確信できるようになっていった。
|そして再びこじらせる。
数年が経ち、そんな出来事も記憶の彼方に消え、私は社会人になっていた。
ある日、テレビを見ていたら「サトラレ」という映画のCMが流れた。
自分が考えていることがテレパシーのように周りの人に伝わってしまう、という人が主人公の話だった。
「コレハワタシノコトデハ?」
過去の記憶が一瞬でよみがえった。
「とうとう国家機密が漏れて映画化されるに至ってしまったのか?
いや、むしろ、サトラレの存在があくまでフィクションであると、サトラレの意識を操作するために国が作らせたのではないか?」
ものの数秒で私の思考はそこまで回った。
しかし、映画の設定が現実の私と決定的に違った。
『サトラレは、例外なく国益に関わるほどの天才である』
だが、私の思考は次の段階に進む。
「自覚していないだけで、私は国益に関わるような力を持っているのでは…?」
映画の説明には次の続きがある。
『…が、本人に告知すれば全ての思考を周囲に知られる苦痛から精神崩壊を招いてしまうため、日本ではサトラレ対策委員会なる組織が保護している。』
その日以来、道を歩けば誰かにつけられていやしないか、部屋にいれば盗聴器やカメラが仕掛けられていないか、周囲を警戒しまくった。
また、家族や友人には、自分が変なことを口走っていないかと尋ねる不信行動を再発させた。
否定されると、「ははーん、サトラレ対策委員会の差し金か」と思っていた。
しかし、肝心の「国益に関わるような力」が何かは分からずじまいであった。
今振り返ると、、、中二病が過ぎた。
|非日常→日常へ。
そんな、私を中心に回っていた世界も、結婚して子供をもうけ、人生の主人公の座を子供に奪われるような日常に変わり、「サトラレ」のマイブームは静かに去っていった。
しかし、あのイタリアの空港での出来事は、いまだにインパクトをもって私の記憶の中に存在している。
今思うと、あの異国での長旅が終わろうとしていたとき、自分が感じていた以上に心が解放されて、理性のタガが外れていたのかもしれない。
まだ10代だった私は、自分の体と心のコントロールが未熟だったと考えてもおかしくはない。
|物語は続く。
ここまでの話なら、若気の至り、で済む話。
だが、正直に告白すると、私はまだ「自分の思考が外に漏れる」ということを完全に否定できていない。
世の中には、まだ科学で解明できないことがたくさんあるのは事実だ。
それに、なんとなくそれを完全に否定してしまっては、この世の面白味が半減して、世界が狭苦しくなるように感じるのだ。
そしてもし、本当に「自分の思考が外に漏れる」のであれば、間違いなく周りの人に迷惑をかけている。
それでも周りの人が平然と振舞ってくれているのであれば、世の中はなんて私にやさしいのだろう。
いくら対策委員会に金を積まれ、脅されていたとしても、四六時中一緒にいる家族にとっては、そんなことで済まされる問題ではないはずだ。
残る理由はもう、愛でしかない。
だから今日も私は、私の心が出す雑音を聞き流してくれている周囲62m圏内の人々、そしてサトラレ対策委員会の方々に感謝している。
◇
これはつまり、自分が人に迷惑をかけているかもしれないと考えることで、人に感謝できるという、ハッピーエンドのお話。
~fin.~
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