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Name the World

ラジオ番組「まなびほぐすラジオ」を始めて半年になる。この番組では、私と学生たちが長岡研究室のゼミ活動を紹介しているのだが、私はよく「経営学部なのに、経営学部っぽくない」という言葉を使っている。

ラジオ番組の収録後、学生が「長岡研究室のゼミ活動って説明するのが難しいんですよね」と話していた。その言葉を聞きながら、私は「だからいいんだ」と思った。むしろ、その説明しにくさの中に、このゼミの大切な価値が隠れているような気がした。

長岡研究室のゼミ活動は、外から見ると少し説明しにくいかもしれない。カフェゼミを開いたり、ラジオ番組をつくったり、街に出て活動したり、さまざまな人と対話したりする。学生たちも、「何をやっているゼミなの?」と聞かれて、うまく答えられないことがある。

しかし、私自身はその説明しにくさを、ゼミ活動を始めた頃から大切にしてきた。既存の言葉にきれいに収まらない活動だからこそ、そこに学びの可能性がある。パウロ・フレイレのいう「Name the World」という考え方に共感してきたのも、そのためだ。

対話とは、世界を命名するための、世界によって媒介される人間と人間との出会いである。

 パウロ・フレイレ(1979)『被抑圧者の教育学』亜紀書房

パウロ・フレイレは、対話とは「世界を命名するための、世界によって媒介される人間と人間との出会い」だと述べている。英語で言えば、Name the World。まだ名前のついていない世界に、自分たちの言葉で名前を与えていくこと。それが対話であり、学びであり、新しい社会をつくる営みなのだ。

私たちは、すぐに既存の言葉で物事を説明したくなる。「就活に役立つの?」「経営学と関係あるの?」「それはボランティア?イベント運営?」。もちろん、そうした言葉で説明できる部分もある。でも、古いラベルを貼った瞬間に、そこにあった新しさや曖昧さは、見えにくくなってしまう。

長岡研究室が大事にしているのは、その曖昧さを急いで片づけないことだ。街に出る。人に会う。対話する。カフェゼミをつくる。ラジオを収録する。越境活動に飛び込む。どれも、最初から意味がはっきりしているわけではない。むしろ、「これって何なんだろう?」と考え続けるところから学びが始まる。

だから、長岡研究室のゼミ活動は、正解を探す学びではない。まだ名前のない経験に出会い、それを仲間と語り合いながら、自分たちなりの言葉を少しずつ紡ぎ出していく学びだ。うまく説明できないこと。すぐには成果が見えないこと。寄り道に見えること。そういうものの中に、まだ誰も名前をつけていない未来の社会の姿が隠れている。

Name the Worldとは、世界に向かって大きな名前を宣言することではない。むしろ、目の前の小さな違和感や好奇心を見逃さず、「これは何だろう」と問い続けることだと思う。そして、その問いを一人で抱え込まず、仲間と一緒に言葉にしていくこと。

長岡研究室は、これからも古いラベルに頼りすぎず、まだ名前のない世界を歩いていきたい。直感と好奇心を手がかりに、失敗や遠回りも楽しみながら、自分たちの言葉で世界を命名していく。そこに、長岡研究室が探究している「創造的なコラボレーション」の姿があるのだと思う。