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「今の大人は…」も「今の若者は…」も、私はずっと苦手だった

誰かを断じる言葉は、結局、自分に返ってくる

私には、中学生の頃から気をつけていたことがあります。

ある人に話したら、
「えっ?そんな頃からそんなこと考えてたの?」
と驚かれたこともありました。

10代の頃、ときどき見かけました。

「今の大人に物申す」
「大人たちは間違っている」
「社会のエゴが…」

そんなふうに、世の中や大人たちを批判する若者を。

もちろん、社会への問題提起そのものが悪いとは思いません。
むしろ、若い感性だからこそ見える矛盾や、不公平さはあるでしょう。

でも私は、なぜかそれを聞くたびに強い違和感がありました。

10代で、本当に世の中のことがわかるのだろうか。
自分もあと10年もすれば、批判される側になるではないか。
その時、自分は何かを変えられる人間になれているのだろうか。
そして、それに対して答えを返せるのか?

そんなことを考えていました。

今思えば、それは一種の逃げだったのかもしれません。

自分はまだ何も知らない。
世の中について偉そうに語れるほど学んでいない。

だからこそ、誰かを断罪する言葉を口にしたくなかった。

そして何より、
その言葉がいつかブーメランのように自分へ返ってくる気がしていたのです。


その後、私は大人になり、教育に関わる仕事をするようになりました。

すると今度は、「今の大人に物申す」と語る若者たちを、見る側になりました。

私は口には出しませんでしたが、心の中で思うことがありました。

「その言葉は、きっといつか君のところへ返ってくるよ」

考えを持つことは大切です。
意見を述べることも必要です。

でも、誰かを悪者に設定して語ること。
「あちら側」が悪いと決めて語ること。

それは案外、自分自身の未来を縛る言葉になるのかもしれない。


一方で、大人になると今度は逆の言葉を耳にします。

「今の若者は…」

この言葉も、私はずっと苦手でした。

もちろん、
「私たちの頃とは価値観が違う」
「学び方が変わった」
という観察なら問題ありません。

でも、

「今の若者は根性がない」
「今の若者は情けない」

そんなふうに語られる場面を見ると、どこか居心地の悪さを覚えます。

なぜなら、この言葉はきっと何百年も繰り返されてきたからです。

古代ギリシャの時代にも、
「最近の若者は礼儀を知らない」
という趣旨の記録があったと言われます。

つまり人類は、ずっと昔から「今の若者は…」と言い続けてきたのでしょう。

そして、かつて若者だった人が歳を重ね、
また次の世代に同じことを言う。

その繰り返し。


けれど今は、AIやインターネットによって社会の変化があまりにも速い時代です。

昨日の常識が、数年後には古くなる。

若者の感覚が未来を先取りしていることもある。

そう考えると、
「今の若者は…」
なんて言っている場合ではないのかもしれません。

むしろ、
自分が知らない世界を生きている人たちから学ぶ姿勢の方が大切なのではないか。


結局、私がずっと考えてきたことは、とても単純なのかもしれません。

誰かを見下す言葉。
誰かを一括りにして断じる言葉。

それは時間をかけて、
不思議なくらい自分のもとへ返ってくる。

だから私は、
若者を断じる大人にもなりたくないし、
大人を断じる若者にもなりたくない。

できるなら、
「わかったつもり」を少し疑いながら、
変わり続ける時代や人を見ていたい。

…なんだか結論になっていませんね。

でも最近、そんなことをふと考えていました。

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