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古代日本の幻想

三国史記(新羅本記)によると、倭国って凄いのね。新羅の国を攻めるは攻めるは。どれくらいの規模なのかは当時の軍制とかが正確にわからないと言えないのだが、西暦14年 倭船100隻で攻め込んで、向こうの精兵6部隊に撃退されている。一隻あたり漕ぎ手や運び役なんかの雑役を含めて50人くらいだろうか?総勢5千人の部隊だね。それも1回だけじゃない。
記録に残っているだけでも、208年から405年までの、約二百年間に十回も大規模な軍事遠征を行なっている。それ以前も何回もある。
帆船の歴史を調べたことがあるのだが、まだ帆の数も少ないし、1本マストだろうし、舵はないし。現在の感覚からすると無謀なこと、この上ない。
嵐が来たら、アウト。船の前から風が吹いても逆戻りだよ。
天気をかなり正確に読めたのか?
それにしてもこの遠征、捕虜を捕まえたこともあるらしいのだが、そもそも何のためなのだろう。あまり利益がないような気がする。
新羅に対する嫌がらせなのか?

利得を越えた戰という意味では、天智天皇の百済救済の戰、あの有名な白村江の戦いも日本側に利益があまりないように思える。なのに、天皇も皇后も妊娠中の夫人たちまで連れて、九州まで遠征している。
百済は滅びかけで、ズタボロ。しかも唐と新羅の連合軍が相手。たとえ勝っても未来があるとは思えない。中国の軍隊は、始皇帝の時代の前からずっと戦闘を続けているから、戦闘に関しては先進国。今のアメリカみたいなものだ。日本なんか、内乱がいくらあっても、大陸の殺し合いとはレベルが違う。武器も戦術も兵の戦闘能力も彼らに叶うわけがない。もし、同等の戰ができたとしたら、大和朝廷の人たちは大陸から来た人たちだ。大陸の内乱で追い出された人々だったのなら、その技術も能力も想像できるだろうし、経験不足の兵たちを補うこともできると思えるだろう。(東漢氏とかかな)
そうでなければ、あの大唐国と戦うなんて、常識のある人間なら考えない。一部の人間に過ぎないが、隋にも唐にも高官は派遣されているし、ある程度の情報も入っていたはずだ。
こんな状況で、何万もの兵や士官を送るなんて、無謀にすぎる。海が荒れるだけで、全滅の危険性すらあるのにだ。
私は、百済と当時の天智政権は、血縁関係があったと思う。親戚を守るために、命をかけたのだ。

証拠はいくつかある。

天武天皇の系統が絶えて、天智系に戻ったのは、桓武天皇の父、光仁天皇からだが、桓武の母は「和氏新笠」(のちに高野新笠)で百済系だと明記されている。百済は、高句麗を建国したチュモン(朱蒙)の次男、温祚王が建国したという伝説がある。高句麗の王族は高氏を名乗った。
越国は昔、高志国と表記した。今でも福井県には高志高校がある。
高氏の国、それが今の越前、越中、越後からなる越国(こしのくに)だ。
おそらく高句麗国から、移民たちが海を渡ったのではないか。
当時の半島は、絶えず中国からの圧迫に苦しんでいた。特に農民は大変だったと思う。東の海の向こうに平和な理想郷があるという伝説は、人々の心をつかんだことだろう。半島から船で渡ると、自然と越国あたりに漂着する。

百済国は、新羅とは違った言葉を話していたという記録を韓国人の本で読んだことがある。明らかに違う部族なのだ。
ちなみに今の韓国語は、統一新羅の言葉が基本となっている。
新羅は、高句麗と百済を滅ぼして半島を統一した、いわば高氏の敵だ。
越国の高句麗の移民たちは、ことあるごとに新羅を攻めて故国を守ろうとしたのではないだろうか。

ちなみに、拙著「天武・持統の時代」で書いたように、私は天武は新羅の皇子だったと思っている。天武・持統系が皇統の中では、異色なのだ。

弥生時代からの半島や中国からの戦乱から逃げてきた移民たちと、古墳時代のさらに大量の中国・半島からの移民と、昔からいた半島から逃げてきた王族たちが作った大和政権。 それが僕の想像する古代日本だ。

ちなみに高句麗の祖チュモン(朱蒙)は、三本足の烏が王朝のシンボルだった。
三本足の鳥は、八咫烏だよね。


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