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ユーゴスラビア紛争の記憶と大阪・関西万博のセルビアパビリオン


◆はじめに

今日は、大阪・関西万博で人気を集めた旧ユーゴスラビア諸国のパビリオンにまつわる話をさせていただきます。

◆小学生時代に連日報道された旧ユーゴの紛争

詳細は上記リンクの通りですが、ユーゴスラビア連邦人民共和国(旧ユーゴ)を構成していた各共和国では、1989年の東欧革命以降民族主義勢力が台頭しました。そのなかで自治権の拡大連邦制の権限縮小を求める動きが起き、まず1991年にスロベニアとクロアチアが独立を宣言しました。
これに対し、連邦からの離脱に反対していたセルビアを中心とする旧ユーゴ軍が両国に侵攻したことがきっかけとなり始まったのが、一連のユーゴスラビア紛争です。
なかでも、最も悲惨を極めたのがボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でした。

1992年春以降、首都サラエボをはじめとするボスニア・ヘルツェゴビナの惨状は連日日本のメディアでも報じられ、子ども心にも大変なことが起きていることを感じていたものです。
さらに言うと、サラエボは1984年に冬季オリンピックを開催した都市です。平和の祭典を開催したばかりの国で悲惨な内戦が起きたということで、当時の大人たちが受けた衝撃はなおさら大きかったのではと思います。
テレビなどのメディアが民族間の対立を煽るために利用され、その結果として民族浄化の名のもとに起きた虐殺事件の全貌が明らかになったのは、もう少し後のことでした。
個人的な話になりますが、ボスニア紛争終結翌年の1996年夏、家族旅行でイタリアのヴェネツィアを訪れる機会がありました。
ヴェネツィアはアドリア海の最奥部に位置する港町です。
サンマルコ広場の鐘楼からアドリア海を眺めながら、その先にあるバルカン半島で悲惨な内戦が繰り広げられたという現実に思いを巡らせ、戦争や平和についてしばし考えたものでした。

ヴェネツィアの風景

◆1999年のコソボ紛争

こちらも詳細はリンクの通りですが、ボスニア紛争の終結後も、旧ユーゴのコソボやマケドニアといった地域では紛争が続きました。
このうち、セルビア共和国の南部に位置し、人口の大半をアルバニア人が占めているコソボ・メトヒヤ自治州(以下コソボ)では、かねてあったセルビア人とアルバニア人の間の対立が、スロボダン=ミロシェビッチのセルビア共和国大統領就任以降いっそう激しさを増していました。
ミロシェビッチ大統領1989年以降コソボの自治権を剥奪し、非常事態宣言を出したうえで、セルビア人によるセルビア人のための政権を樹立しました。そして、アルバニア人に対して、アルバニア語教育を禁止、アルバニア語のメディアを取り潰すなどの文化的弾圧を加えました。
対するアルバニア人の多くは当初平和的独立を志向し、納税や選挙のボイコット、住民投票といった活動を続けましたが、セルビア共和国大統領を辞したミロシェビッチが大統領に就いたユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴ)や国際社会は冷たくあしらうばかりでした。その結果として、アルバニア人の戦闘組織であるコソボ解放軍が台頭、独立運動は次第に武力闘争の性格を帯びるようになりました。コソボ解放軍と新ユーゴ軍の武力闘争は1998年2月以降さらに激しさを増し、民族対立は紛争へと拡大しました。
民族浄化と称してアルバニア人への弾圧や虐殺を続けるセルビア共和国や新ユーゴに対し、NATOは軍事攻撃の実施を決定。コソボの自治権奪還と平和維持を目的に、1999年3月~6月に新ユーゴに対する大規模な空爆に踏み切りました。
激しい空爆と地上戦の末、両軍合わせて6000名以上の死者を出し、1999年6月にコソボ紛争は終結。コソボはNATOによる治安維持部隊の駐留と国連による暫定統治を経て、2008年に独立を果たしました。ミロシェビッチをはじめとする戦争犯罪人は、旧ユーゴスラビア戦争犯罪法廷において人道に対する罪で訴追されています。
一方、紛争後の新ユーゴは、セルビア・モンテネグロ両共和国のみからなる小国となり、2003年にはセルビア・モンテネグロ国家連合に改組・改称されました。さらに3年後の2006年には、両共和国が相次いで独立を果たしたことでこの国家連合は解消され、ここにユーゴスラビア国家は1918年以来88年の歴史に幕を下ろしています。
紛争で犠牲になったのは、現地住民だけではありませんでした。1999年5月7日にはベオグラードの在ユーゴスラビア中国大使館が誤爆され、中国人の記者3名が死亡、20名以上の重軽傷者を出す惨事が起きています。
また、旧ユーゴ(セルビア)の側でも、祖国が戦火に晒されることになり、多くの人々が心を痛めていました。
当時、Jリーグ名古屋グランパスエイトに在籍していたユーゴスラビア出身のドラガン=ストイコビッチ選手が、ユニフォームの下のアンダーシャツに「NATO STOPS STRIKES」と書いてプレーしていたことは、今も脳裏に焼き付いています。

ドラガン=ストイコビッチ選手(大阪・関西万博のセルビアパビリオンにて)

◆セルビアパビリオンとベオグラード万博

セルビアパビリオン

大阪・関西万博セルビアパビリオンは西ゲート近くの大屋根リング沿いにあり、「浮遊する森」のコンセプトに合わせた外壁の緑化が目を引く建物でした。同パビリオンは、2年後の2027年「Play for Humanity – Sport and Music for All」をテーマに開催される予定のベオグラード国際博覧会(認定博覧会)のPRという役割を担っており、展示内容「Society of Play」(遊びの社会)というテーマに沿い、遊びやゲームを通じて伝統、創造性、持続可能性を融合させたコンテンツを提供していました。

セルビアパビリオンエントランスのキャプション

館内ではビー玉を用いたピンボールや、子どもの頃の遊びの思い出を録音するブースなど、遊び心をふんだんに生かした体験型の展示が目立っていました。

ビー玉のピンボール

ベオグラード国際博覧会のマスコットをアレンジして、自分オリジナルのキャラクターを作れるコーナーもあり、ピンク髪の女の子を作成してみました。
フジ系で放映されていた「ちはやふる-めぐり-」の月浦凪(原菜乃華さん)をモチーフにしたキャラクターです。

私の作ったピンク髪の女の子

自ら考案したキャラクターが、壁面に映し出されました。

こちらがベオグラード国際博覧会のキャラクター
男の子・女の子の各1体で、いずれも2025年9月時点で名前は未定とのことでした。

このキャラクターには様々なバリエーションがあるようで、1階レストランの前にはカラフルに塗り分けられたものが鎮座していました。

ベオグラードの聖サヴァ大聖堂のVR体験には、長い列が出来ていました。

出口には、ベオグラード国際博覧会のテーマが紹介されており、その横でお土産に、セルビア国旗の色をしたビー玉が1人1個配布されていました。

セルビアパビリオンで配布されていたビー玉

また、1階のレストランでは名物のミートパイ(ピタ・サ・メソム)チーズパイ(ピタ・サ・シロム)ワインといったメニューを味わうことができました。

ピタ・サ・シロム

この「ピタ・サ・シロム」「ピタ・サ・メソム」「チェヴァビサンド」は人気の高いメニューで、万博閉幕後も12月23日(火)までの間、レストランの運営を担当した大阪梅田のイタリアンバル「オステリア ガウダンデ」で「アフター万博フェア」として提供が続けられていました。

ピタ・サ・メソム

◆その他旧ユーゴ諸国のパビリオン

大阪・関西万博ではセルビア以外の旧ユーゴ諸国のうち5ヶ国も、コモンズではありましたがパビリオンを出展していました。
コソボ・北マケドニア→コモンズA
クロアチア・スロベニア・モンテネグロ→コモンズC

特に、クロアチアの映像による展示は人気が高く、コモンズCに入るたび長蛇の列ができていたように思います。北マケドニア丹下健三氏の建築を、スロベニアはお家芸のスキージャンプを、モンテネグロ古代遺産自然遺産を前面に押し出していました。
苦難の末独立を果たしたばかりのコソボも、自国の柔道選手の活躍などを盛んにPRしていました。
惜しむらくは、旧ユーゴ諸国のうちただ1国、ボスニア・ヘルツェゴビナについては大阪・関西万博への出展を見送る結果となりました。旧ユーゴ諸国の内戦で最大の激戦地となった同国にパビリオンを出展していただき、過去の苦難を乗り越えた未来社会の創造について世界に発信して欲しかったのですが、これはまたの機会に期待することにします。

北マケドニア(コモンズA)
コソボ(コモンズA)
コソボパビリオンで配布されていたポスター
映像展示が中心だったモンテネグロ(コモンズC)
スロベニア(コモンズC)

◆おわりに~「戦後26年」が意味するもの~

10月13日に閉幕した大阪・関西万博で旧ユーゴ諸国の全パビリオンを回った私ですが、次のような事実に気づきました。

・1999年6月10日(旧ユーゴ軍のコソボ撤退)~2025年4月13日(大阪・関西万博開幕)までの日数=9433日(25年10ヶ月)
・1945年8月15日(玉音放送)~1970年3月15日(大阪万博開幕)までの日数=8977日(24年7ヶ月)

分かりやすく言い換えると、セルビア・モンテネグロ・コソボの3ヶ国がコソボ紛争の終結後、遠く離れた大阪の地で揃ってパビリオンを出展するまでに要した年月と、太平洋戦争に敗れた日本が見事に復興を遂げ、万国博覧会を開催するまでに要した年月の長さはそう変わらないということです。

多民族国家ユーゴスラビアの崩壊と、それに続く民族浄化と内戦の悲劇に見舞われたセルビア。悲しいニュースが後を絶たない時期が続いたこともありましたが、コソボ紛争の終結から26年、モンテネグロとの国家連合解消から19年を経て復興と再生が進み、気が付けば大阪・関西万博に2027年のベオグラード万博のPRを兼ねて遊び心に富んだパビリオンを出展するまでに立ち直ったと知り、内戦の時代を知る者としては万感の思いでした。

最後になりましたが、2027年のベオグラード万博が見事に成功すること、そして旧ユーゴスラビアから独立した諸国の復興が一日も早く進むことを願って結びとさせていただきます。






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