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映画『渇愛』と摂食障害のリアル

(※ネタバレとまでは言えない内容にとどめたつもりではありますが、抽象化されたかたちでストーリーの大枠を暗示するような記述が一部含まれていますので、まっさらな気持ちで映画をご覧になりたい方は、鑑賞後にお読みいただければと思います。)



はじめに

12年の歳月をかけて、今年5月ようやく劇場公開になったという映画、『渇愛』。元小学校教師の監督・岩松あきらが、摂食障害になったという教え子から聞いた実話がベースとのこと。4月の完成披露上映会には遠野なぎこさんも応援ゲストとしてかけつけていた。
そのような映画とあれば観ないわけにいくまい、と思っていたものの、なかなか近場で上映がなく。先日、ようやく阿佐ヶ谷で鑑賞。

岩松は、本作の制作意図について、こう述べていた。

この映画を通じて、摂食障害について多くの人に理解してもらうことも目的の一つでした。モデルとなった女性へのインタビューを重ね、彼女の気持ちを忠実に描くことに努めました。脚本家とは、家族や社会との向き合い方、人生の厳しさの中でどう生きるかを深く話し合い、単純な ハッピーエンドではないストーリーを考えました。

https://www.instagram.com/p/DFxIkheJLaS

しかし、その監督の言葉から想像されるようなもの――普通の意味で”センチメンタル”だったりするような――よりも、はるか斜め上を行く映画だった。
少なくとも、「摂食障害について学ぶためにちょうどよい文科省推薦映画」といったノリではないので、正直、当事者やそのご家族に安易に勧められるような映画ではなかった。(もちろん、このことは本作の「映画」としての価値を下げるようなことではないが。)

では、「全然、リアルではない」のかというと、そうではない。
「おそらく実話に基づく部分であろうな…」と皆が思う部分はリアリティをもって描かれているからこそ、なおさらに、明らかにフィクションであろう部分のインパクトも強く、最初に観たときには面食らった、というのが率直な感想ではある。
それでも、鑑賞後にあらためて振り返ってみると、この、いかにもフィクション的な部分もまた、ある意味――「心的現実」としての、とでも言うべきか――、摂食障害の<リアル>を呈示しているかもしれない、とも思えてくる。
岩松がインタビューで「僕としてはわりかし計算して、奇をてらうんじゃなくて、取材をもとに描写を組んで、物語を組み立てて、きちっとテーマを持ってやっているつもりなんですけど」と述べていたが、それもうなづけるところではある。

それならば、『渇愛』は、どのような意味で<リアル>と言えるのか? 
この点について、摂食障害に至る過程、治療、その転機、という三つの相に即しつつ考えてみたい。


1. 摂食障害に至るまでの過程の<リアル>


本作のあらすじについて、ホームページにはこう書かれている――

大学生の早紀は、はたからは家族関係も問題なく平穏な生活を送っていたが、心の奥に孤独を抱えていた。ある日、彼女はキャンパスで玲奈の存在を知り、一気に魅了される。玲奈のように痩せて美しくなり、誰からも愛されたいという思いが芽生えるが、早紀と玲奈の関係は悪化。傷ついた早紀は、そのストレスから食べ吐きを繰り返し、摂食障害に陥ってしまう。治療のため山奥の施設に入所し、入所者との共同生活を送るが、その先には予想もしない出来事が待っていた…

映画『渇愛』HPより

本編を観ると、主人公・早紀の摂食障害が始まったのは高校生頃のように暗示されており、発症のきっかけに関しては、このあらすじの記載とはやや異なるように思うが、そこは重要な問題ではないだろう。「発症のきっかけ」に見える出来事は、実際には最後の一押しのようなものにすぎず、発症前から折り重なってきた過程のほうが、治療上は、より重要であることが大半なのだから。
そして、本作の前半では、まさにそのような過程がリアルかつリリカルに描かれている。早紀、自閉症のある双子の姉、大学教授の父、従順なる母、という家族のあいだでの機微。微温的な閉塞感。

映画『渇愛』HPより

このパートについては、岩松監督自身のインタビュー(↓)での解説が簡にして要を得たものなのだが、せっかくなら、映画を観てからお読みいただくのがよいかもしれない。岩松は「これが(作品のなかで)1番リアルじゃないかって僕は思っています」と述べているが、全くその通りであると思う。


2. 摂食障害治療の<リアル>


摂食障害の病状も、大学での人間関係も、いよいよ行き詰まり、精神的に破綻したところでついに、主人公の早紀は、とある治療施設へと入ることになる。
それは山奥にあり、容易には家に戻ることもできぬ場所。スチール写真からもうかがえるように、”出家”にも似た生活。

三河映画Blogより https://bit.ly/4nKk9ce

「オーナー」と「先生」の二人で営まれているが、”治療”の中心は「先生」と呼ばれる女性である。
常に不気味なまでに穏やかな笑みをたたえた「先生」は「母」なる存在として入所者と対峙し、入所者を外から管理するだけでなく、内面に新たなる「家族」像を植え込むことによって、「回復」へ導こうとする。
(ここに至り、「モデルになっているのは、ひょっとして現存するあの施設…?」などと思わないでもないが、この件はここまでとしておこう…)
といっても、この施設の「先生」は、「父を支える母」のポジションに甘んじることはない。「先生」は、「父」の力も備えた両性具有的で、万能なる<母>――精神分析的に言うならばファリック・マザー――であり、オーナーの男性ですら、「先生」の前では従属する者、”挿入”を許されぬような去勢された存在に成り下がる。そして、この「先生」を軸とした、包み込むような<母なるもの>としての施設は、やすらぎと同時に閉塞をもたらす両義的な場となるだろう。

「先生」 映画『渇愛』HPより

「実話に基づくと言うが、こんなカルトまがいの”治療”など、あり得るのか・許されるのか?」――と思うかもしれない。
もちろん、このままのかたちで実在することはありえないだろう。しかし、その根底にある「発想」「思想」についても全面的に否定しうるのか、と考えると、途端に心許ないものとなる。

映画に描かれている施設の基本的な方針を要約すれば、次のようになる――
<これまでの生活を否定し、ひたすら“食べて・排泄する”ことに向き合うこと。自らの家族を否定し、新たな<家族>に身を委ねること。新たな<家族愛>のもとでこそ、生まれ変わることができる。それが回復の道である>

まず、「ひたすら“食べて・排泄する”ことに向き合う」という点に関して言えば、重症の摂食障害患者の入院治療においては、実際に、ある程度は行われていることではある。
今日の医療においても、減量や過食嘔吐に至った背景等々、食に限らず心理面全般の理解を深め、サポートを行っていくことが治療の中心にはある。とはいえ、著しい低体重、激しい過食嘔吐の最中、といった場合には、しぶしぶでも「ふつうに食べること」に真正面から向き合い、自らが解決してゆくべき問題を直視する、といったワークが不可欠となる。そのような入院治療は、当人にとってみれば、この施設での生活と大差ないように感じるところもあるのではなかろうか。

では、「<家族愛>のもとで生まれ変わる」という発想についてはどうか。「摂食障害になった原因は家族関係」といった古典的な発想をもとにした家族療法はさすがに廃れた。しかし、家族に対し心理教育などを行い、家族が一丸となって患者を支援できるよう、家族をエンパワーメントするアプローチは、今日、主流派ですらある。
また、医療者側のアプローチにしても、それと類似したところがある。たしかに、治療者が新たなる「家族」として君臨するようなことはしない。心理的な背景にある多様な価値観を積極的に肯定しつつも、体重回復・維持がいかに「あなたの夢を実現するため」にプラスになるのかということを繰り返し優しく説き、現実問題として体重回復・維持は不可欠であるという基本姿勢を示すのが、医療的なアプローチである。
ただし、このような、「医学的な事実」自体は揺るがず、回復せねば医療の外部へ出ることはできない、といった状況は「パターナリスティック」のそしりを免れないであろうし、「あなたのためなのよ…」との説得は「マターナリスティック」とも言える。
こういった意味では、今日的な医学的治療も、この<母なるもの>としての施設のありようと地続きなところもある、とは言えまいか。   

だからこそ、次の点も忘れてはならない――この「問題を家族関係へと還元した上で、<新たなる家族>によって乗り越える」というアプローチは自己矛盾に陥らざるをえず、必ず、どこかで破綻する、ということを。
「新たなる家族」が、つかの間の繭の時期をもたらすことがあるとしても、そこに真の<出口>はない。そこには<開かれてゆくモメント>が決定的に欠けている。
そのような点も含めて、この映画で繰り広げられている”治療”は、現実の摂食障害治療のカリカチュアとして示唆的ではある。


3. カタストロフと心的現実の<リアル>


主人公・早紀には、カタストロフが二度訪れる。一度目は、日常生活での、摂食障害の発症から進展の過程において。二度目は、虚構的な生活空間での治療過程において。それらはいずれも、彼女自身の精神的な破綻であると同時に、<家族>なるものの破綻でもある。
内に抱える<苦悩>から解放されるために、自らを抹消するか、さもなくば、家族を抹消するか――殺るか殺られるかの瀬戸際。
(ネタバレ回避にて詳述はできないが。)

さすがに実際の摂食障害患者において、そこまで殺伐たる光景が繰り広げられることはない。とはいえ、これがすべて荒唐無稽な話かと言われると、そうとは言い切れない面もある。

摂食障害の病理は、しばしば、高揚と絶望との両極を揺れ動くものである。
やせていることでの優越感、食べ吐きで自らの身体をコントロールする万能感と安心感、過活動。しかし、その裏面には、たえず抱えてきた孤立感、孤独感、無力感といったものが張り付いている。
自らをも欺き、深層にある<苦悩>から目をそらすための、摂食障害という防御壁。そして、その決壊。

優等生で何の問題もなく育ってきた子が、発症後には、こと「食べる・食べない」といった話になると感情的になり、さらには親にあらゆる不満をぶつけ、激しい親子げんかになってしまう……といった展開はよくあることだが、これも、そんな摂食障害の深層にある病理の一端がアグレッションとして溢れ出したものといえる。
この深層にある<苦悩>は、本人ですら容易に言語化しうるものではないが、かといって、そこに<触れる>ことなしに、治療の前進もない。
だからこそ、家族にとってはまさに「闘い」の時かもしれないが、アグレッションとしてではあれ、深層が顔をのぞかせた瞬間は、治療の端緒をつかむチャンスでもある。

本作におけるカタストロフの<再-演>もまた、そんな両極を揺れる摂食障害のパトスが、外部へとそのまま<投-影>されたものとして捉えることもできるのではないか。リアルな心的現実の陰画とでも言おうか。(これもまた詳述できないが。)
そして、カタストロフにおいて深層が噴出するとき、転機もまた訪れるだろう――それが「回復」につながるか否かは、そのときの運次第だとしても。


おわりに ~ 遠野なぎこさんのこと


『渇愛』の本格的な上映に先駆けて今年の4月に行われた完成披露上映会には、遠野なぎこさんも応援ゲストとして登壇した。そして、それが彼女が公の場に姿を見せた最後の機会となってしまった。その模様がこの動画である。

「私は15歳から30年間、摂食障害と戦っています。もちろん公表もしています…」――このように冒頭から語り始める遠野さんは、摂食障害とはどのような病気か、と聞かれ、こう答えている…

ダイエットは自分の意志でできるもの。摂食障害はいつの間にか沼にはまってしまうもので、一度はまったら抜け出せないですね。抜け出せる方もいらっしゃいますけど、私も治療を受けて、ずっと治療を受けて、まだ苦しんでて…。自分の意志で拒食になったり、過食嘔吐になったり、吐かない過食になったり、なんてことは絶対できないんです。
それがダイエットとの大きな違いであり、もしかしたら私は最期の時を迎えるまで摂食障害かもしれませんけど…。

同じ摂食障害の方々って世の中、世界中にたくさんいるんですけど、みんな名乗り出ることができないですね。恥ずかしいとか、甘えだとか、ぜいたく病だとか言われて、家族の理解も少なくて。
だから本当に死ぬまで私は戦いたいと思ってますし、そういう姿を見ていただきたいし、そのためにこういう『渇愛』のような映画が世界中に広まってほしい、見ていただきたいです。

若い子にも特に見ていただきたいなと思います。痩せてることは美しさではないので。別に美しくなりくて摂食障害になってるわけではないんです。我々はどうにもならないんです。若い子がちょっと誤ったダイエットのしかたをして摂食障害の罠にはまってしまうっていうのを、一人でも減らしていければと思うので、本当に大事な作品になっていると思います。

まるで自らの未来を予見していたかのような言葉だが、それぐらい、覚悟を決めて、日々を生きていたということであろうか。
「死ぬまで私は戦いたいと思ってますし、そういう姿を見ていただきたい」――その言葉通り、6月末に投稿が途絶えるまで、SNS上では、自らの食事のみならず、受けている治療、支援なども含め、リアルな姿を発信し続けていた。
摂食障害にまつわる誤解を解き、理解、そして、支援を求めていくことへの強い意志。それは、他の同じ病いを抱える人々にも、遠野さん自身にとっても、支えになっていたであろうか。

遠野さんは、映画の制作そのものに関わっていたわけではないが、岩松監督のXによれば、

『渇愛』を観終えた夜、彼女は僕の携帯に直接電話をくれました
「この映画のために、私何でもします」そう言ってくれました
その言葉通り、応援コピーを、寄稿文も寄せてくれました
そして舞台挨拶にも立ち、ご自身の経験を涙ながらに語ってくれました
その誠実さ、その覚悟、その優しさ。すべてが忘れられません

https://x.com/iwamatsu_ak/status/1945727753359352110

そんな遠野さんがこの映画に託そうとした思いとともに、この映画を鑑賞いただければと願う。


参考:
主演・石川野乃花さんのnote

岩松あきら監督のnote



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