【山歩き】山には、どうして終わりがないのだろう|燕岳(2026/08/No.174)
あれほど登りはつらかったのに、
山は、どうして「もう十分」と思わせてくれないのだろう。
1|「ここが山頂でもいい」と思った合戦小屋
山を登りに来ておいてこんなことを言うのも変だけれど、私は登りがつらい。
しかも今回は、初っ端から急登。
そして、ずっと急登(笑)
「合戦小屋まであと10分」
「合戦小屋まであと5分」
そんな看板を励みに歩いて、ようやく合戦小屋に着いたときには、気持ち的には「もう、ここが山頂でもいいんじゃない?」と思っていた。
休憩を終えて、また歩き出す。
途中で誰かが、「あ、燕山荘が見えるよ。もうちょっとだ!」と言った。
私も「え、どこ?」と探してみた。
そして思った。
「ぜんぜん、もうちょっとじゃない!」
とはいえ、見えたということは射程距離には入ったのだろう。
ここまで来たら頑張るしかない。
そうして、ようやく燕山荘までたどり着いた。
目の前に広がった景色を見た瞬間、思った。
「この景色を見ちゃったら、また来たくなっちゃう」
さっきまで、あんなに登りがつらかったのに。
2|登りたくないのに、下りたくない
考えてみると、ずいぶん矛盾している。
登っている途中はつらい。
ようやく着いたら、今度は帰りたくない。
そして帰ったら、たぶんまた別の山へ行きたくなる。
念願だった燕岳に登れば、ひとまず満足するのだと思っていた。
ところが実際には、「これで満足」という感じではなかった。
むしろ、「次はどこへ行こう」という気持ちが、もう出てきている。
これはキリがないな、と思った。
山そのものが好きだからなのか。
それとも、今までできなかったことが、少しずつできるようになる感覚が好きなのか。
3|ひとつ登ると、その少し先が見える
山には、いろいろな登り方がある。
低い山もあれば、高い山もある。
日帰りもあれば、泊まりながら歩く山もある。
そのときの年齢や体力、経験に合わせて、自分なりの挑戦を選ぶことができる。
たぶん、そこが面白い。
最初から遠すぎる場所なら、私は挑戦しようとも思わないかもしれない。
でも、「ここまで来られたなら、次はあそこにも行けるかもしれない」と思えるくらいの場所が、いつも少し先にある。
そしてそこまで行くと、また次が見える。
山にキリがないのは、山の数が多いからだけではないのかもしれない。
登るたびに、自分の中の「ここまで」が少しずつ変わる。
だから終わらないのだと思う。
4|絶景の中で、気になっていたこと
燕山荘で一休みしてから、燕岳の山頂へ向かった。
その前に、私はしっかり水分を取っていた。
少し、取りすぎた。
歩き出して間もなく、トイレに行きたくなった。
もちろん、さすがに途中では行けない。
目の前には、ずっと見たかった燕岳。
「やっとここまで来た」という気持ちと、「トイレ行きたいな」という気持ちの間を行ったり来たりしながら歩いた。
絶景の中にいるのに、頭の片隅にはずっとトイレがある。
そして無事に燕山荘へ戻ってきて、思った。
次からは、休憩中の水分の取りすぎには気をつけよう。
念願だった燕岳なのに、絶景と一緒にトイレのことまでしっかり記憶に残っている。
北アルプスをひとつ登ったら満足すると思っていた。
どうやら山は、そんなに簡単には終わらせてくれないらしい。
