99才、なかなかイケてるじゃん!!
「カタリベ」の日々樹(ひびき)さんにお誘いいただいたので、母のことをまとめてみました。
現在99才の母(大正14年生まれ)は 小6で自分の父親をなくし 貧しくて女学校へも通えなかった。頼みの長男である兄は、戦死。
17才で代用教員(戦時中で男が足りなかった)になったが 家族の生活もかかってるので なんとか正式の教員になりたいと一生懸命に勉強し、さらに近くの虚空蔵さまと大日如来に毎朝6時に百日参りをして教員免許試験合格を祈った。そのかいあってか一発合格。
それから小学校教員として長年働いてきた。
私が自立した後は ”仕事を辞めた後 何も趣味がないのは困る”と思って、茶道を習い始めた。
仕事を辞めてからは 父と旅行に行ったりお茶や俳句を楽しんで
やっと来た青春を楽しんだ。
父を介護し見送り ひとりになってからも、子供に迷惑かけたくないと
田舎でがんばった。
母は自分で話すより人の話を聴く人で 口も堅いので 友達が多く、田舎の家は、元気な高齢者のためのディサービスの場と化し、しゅっちゅう人が来てた。
教員時代の職場の同僚や事務員さんなどのグループがいくつか(学校を代わるとまた新しい友達グループができる)、お茶の仲間、近所、親戚などが
定期的に集まってた。
「大変じゃないの?」と聞くと、お菓子はみんなが持って来てくれるしお茶だけ用意すればいいのでラクなんだそう。(何と、トイレットペーパーまで差し入れてくれる人もいた)
みんなでラーメンの出前を取ったりして 楽しいおしゃべり会は続いた。
そして90才近くになった母は、これ以上 田舎でひとりで暮らすのは無理になってくるだろうと判断し、やっとうちに同居することになった。
同居して、母のいろんな面を知ることになる。
まず、働いてたときは忙しかったせいか そんなにきちんとした人とは思わなかったが、実は几帳面、丁寧にやる人だった。
洗濯物は、ピシッと畳む。庭の草むしりもていねい。
料理も、調味料は計量スプーンできっちり計る。(私とは大違い)
煮物はすべて 料理酒 みりん めんつゆを 計量スプーン三杯入れて作り、味をみて砂糖や醤油を足す。
餃子は、餃子の皮の袋に書いてあるとおり、ニラやキャベツの重さまで計って作る。
料理好きなので、栗の渋皮煮、梅の砂糖煮、金柑煮 など手間がかかるものも丁寧に作る。栗の渋皮煮など3回もゆでこぼし、梅の砂糖煮などは絶対に煮立たせないで1時間煮る(煮立たせないのも大変なのよ)。
栗の渋皮煮は、友達が「いろんな渋皮煮を食べたけど、こんなおいしいものは初めて!」と言ってくれたし、教わった人は私も含めて「あんなにおいしく出来なかった」と言う。
料理好きは知ってたし、母の作ったおいしいものはたくさん食べてたが
いっしょに暮らすまではこんなに丁寧に作ってるとは思わなかった!
私は18才で実家を出たので、その後退職した母の丁寧な仕事ぶりは知らないのだ。
以外だったのは、アナログ時代の人なのに デジタル人間(?)ふうだったこと。
デジタル温度計を手元に置き、着替えや生活の参考にする。
年なので自分の肌感覚は信じられないらしい。
趣味も、数独やジグソーパズルだ。どうも理数系が好きらしい。
以前は縫物も好きでこっちにくるとき自分のミシンまで持ってきたが、今はものを作る気力はないらしい。手縫いの繕いものとかは今でもやってくれる。(めんどうなのがキライな私にとって大変助かる)

高齢者の趣味にいいとネットで知って、ジグソーパズル(あまり細かいものはダメ)を買ってあげたらハマってる。12個のジグソーパズルを毎日代わりばんこに作ってはこわしてる。

こっちに越してきたとき 母は「お金の管理は任せる」とか「もう服はいらない」とか言ってたが、私は「お金は自分で管理して」と言って、暗証番号も教わらなかった。
母は生活費を渡す他は、私たち夫婦、孫夫婦、ひ孫に、お小遣いを渡すのが楽しみになった。各自好きに使えるように、全員に個人名で渡す。
母のこの楽しみはもちろん全員の大喜びになった。
近所の高齢者のお茶のみ会に誘われると、身だしなみに気を使い、わたしの買って来た新しい服も着るようになった。
普段着も、今は軽くて着やすいものがあるので、いっぱいあった自分の服は徐々に処分し、私の買って来たものを着るようになった。その処分もいさぎいい!
昔の小学校教員は忙しく休みの日にも日直があったし、いつも疲れてたので、私は心配かけないようにと甘えられなかった。学校行事も来てもらった記憶はないし、あまりめんどう見てもらった気がしないので 長年不満だったが、一緒に暮らして「こんなに何でもよく出来る人だったら、家にいたらうるさくてかなわんだろうな。働いていてくれてたから、わたしも伸び伸びとやれたのかも。経済的にも東京で大学に行けたし」と認識を新たにするようになった。
それに、いつもおいしいもの作ってくれたし、人形の服なども縫ってくれたし(今でも覚えてるくらいかわいらしかった)一生懸命生きる姿を見せてくれたことで、十分愛情かけて育ててくれたんだと、同居してやっとわかった(ちっとも気づけない娘ですみません)。
母が人生の最後に同居してくれたことは、本当にありがたいことだ。
母の最大の長所は、柔軟性だ。
まず、うちの家事のやり方を覚え 合わせてくれた。
そして、暮らし方も。
真面目な母は、健康に気を付け(私たちに迷惑のかからぬよう)、塩分の取り過ぎとか食生活にも気を付けていたのだが、うちの夫は、母に
「お義母さん、塩分なんて好きなだけとっていいんですよ。塩は大事なんだから」と言い
「何でも好きなものを食べたらいいよ。好きに暮らすのがいいんだから」と母の枠を取っ払ってくれた。
母は「ここのうちは、こういう自由な雰囲気なんだ」とわかるや、サッサと自分も趣旨替えして、”こうあらねばならない”という枠をはずした。
長年、こうあらねばならぬという真面目な価値観に支配されていたのに、
90才でこの変わり身の速さには恐れ入った。
また、冗談好きな夫がしょっちゅう母をからかうので、
何でもかんでも真面目にとっていた母も「これはからかわれてるのだろうか?」と考えるようになり、冗談の切り返しまで覚えた。
夫が風呂上りにパンツ一丁で
「お義母さん、ブラジャーもつけてなくてすみませんねえ」などとからかうと 母も「ブラジャーも買ってあげなくてすみませんねえ」などと切り返すようになった。(爆笑)
母は物忘れが多くなり判断力が鈍ったりして できることが減ってきたが
「この家はオアシス」
「この家は最高」
「こんないい終活を送れるとは思ってもいなかった」
と言って日々の生活を送ってる。
写真は、長いうわっぱりを着てる母がローリンス・ストーンズのキース・リチャーズに似てると、夫にエレキギターを持たせられたところ。

で、そのもととなったキースの映像
「この記事はカタリ記事コンテストに応募しています」
