パンケーキは僕を流れ弾から救ってくれる
とんかつ屋はやたら豚と人間のハーフみたいな名前の店名が多いな、と考えていると妻が朝食のパンケーキを焼いてくれた。
ふわふわで表面にはうっすら焼き色。シロップを垂らしてブルーベリーを添えるだけで、小学生のときたまに土日の朝にだけ連れて行ってくれたファミリーレストランのモーニングメニューみたいな出来だった。このとなりにオニオングラタンスープがあれば完成だ。僕は脂っぽいとんかつの妄想を豚箱に捨てて、目の前のパンケーキに手を伸ばす。ナイフで適当な大きさに切ってフォークで刺して食べる、それだけのこと。しかし僕はフォークに刺していざ食べようとした瞬間に、手が止まった。とある気づきが頭を巡り、全身の動きが止まる。
顔、傾いてないか?
僕はパンケーキを前に、少しだけ顔をかしげていた。真正面ではなく、そのときはわずかに右に。その角度は十五度くらいだろうか。
考えるとそれは僕だけじゃない気がしてきた。頭の中のイメージや、テレビや映画で見た記憶があるパンケーキを食べる人は皆、顔をちょっとだけ横に傾ける気がする。いや、違う。パンケーキだけじゃない。ハンバーグやおそらくお好み焼きもそうだ。とんかつは違う。僕は気づいてしまった。
平たい食べ物を食べるとき、人は顔を横に傾けてしまうのだ。
ごはんやそばを食べてもこうはならない。平たい食べ物のときに限定して顔が動く。それはガチャガチャのハンドルを「ガッ」まで回す角度。「チャ」が入るほど回し切ってはいけないし、間違ってカプセルを出すまで回し切ると、人の首が引きちぎれるからもっての他だ。
別に平さに悩んで顔を傾げている訳ではない。「ほんとはパンケーキ、もっとまるーてふわふわしたやつかと思っとったとよ。こんなぺしゃんこって、そげな話、聞いとらんばい」と思わず博多弁になりそうなほどに悔しい覚えはない。
平衡感覚が揺らぐような薬をパンケーキに盛られたのか。妻が、何のために。それは熱々のパンケーキを僕の横顔と触れさせるため。いわゆる復讐。大袈裟に頭がぐらぐらと揺すぶられるような感覚に陥る。首が曲がったままテーブルに横寝するような体勢になり、その間にあるパンケーキに触れた瞬間、僕の側面はぺしゃんこな火傷を負う。
なんて遠回りな報復だろう。熱したフライパンで顔面をフルスイングした方が達成感も致命傷も増すのに。そんな怖い想像はさて置いて、僕は妻に恨まれないように過ごすことを心に誓う。
平たいもの限定で発動するこの斜めの角度。これはもしかして、縄文時代から人類に刻まれた、ある種の生存プログラムではないか。そんな仮説が浮かんだ。
縄文時代。食料採取のために森へ赴く。槍で突いて動物を狩ることもできるが、返り血で服が汚れるのが嫌な綺麗好きな縄文人。するとそこに木の実がなる木を見つける。珍しい平たいその木の実を手に取ろうとして、ふと顔を横に傾けてた彼が、次の瞬間、飛び出してきた野獣の右ストレートパンチをギリギリで避けた。その角度が命を救った。
あるいは戦国時代。「殿、これは敵の城からくすねてきた"はんばーぐ"なるものにございます」と言われたとき、真正面からさっきまで喋っていた家臣の眉間を矢が突き刺さり、突然倒れる。先を見ると"はんばーぐ"を取られたことに顔をケチャップの如く赤くしてかんかんに怒った敵国の忍者が、隠れる気なんかさらさらなく仕返しにきたのだった。忍者はその先の殿めがけて再び矢を放つものの、たまたま顔を横に向けた殿に刺さることはなく生き延びた。みたいな。歴史はまっすぐな者をたびたび裏切る。斜に構えるくらいがちょうどいい。
現代の僕は、縄文の森にも戦国の城にもいない。ただの朝のリビングで、平たいパンケーキを前にしているだけだ。けれど、もしも。この日常にまぎれて、何かしらの陰謀やミスによって隣のアパートの屋上から、僕の眉間めがけて弾丸が飛んできたとしたら?真正面を向いていたら、アウトだ。でも、顔をちょっと傾けていたら。その弾丸は僕の右耳の横をすり抜け、後ろの壁に銃痕を残すだけだ。僕は無傷でパンケーキを完食することができる。ありがとう、斜め。ありがとう、パンケーキ。僕の命は、君たちによって守られている。
思えば、「斜め」というのは、いつだって優しい角度だった。
心理学的にも、顔を傾けるのは「共感」や「安心感」のサインらしい。そして真正面に立つのは、時に攻撃や対立を意味する。斜めに構えるのは、「敵じゃないよ」「ちゃんと話を聞いてるよ」「山椒は痺れさせるだけじゃなくてミントみたいな爽快感で口の中を包むよ」みたいな無言の優しいメッセージになる。敬礼もそうだ。軍人が敬意を示すとき、手を斜めに額にあてるのは、目をふさがず、相手の顔をしっかり見るためだという。まっすぐじゃないことで伝わる敬意。まっすぐじゃないことで守られる命。どうやらこの世界には、斜めであることに、思っている以上の意味があるらしい。
平たいもの、というのは平らな世界、平和であることの隠喩かもしれない。平らなものを傾けるとその上に乗せたものは転がる。むしろ動きがない平坦なままだとそのまま滅びる。ピースフルに生きたければ斜めに構えよ、ということを僕たちは大昔のご先祖様の頃から脈々と受け継いできたのだ。
そのとき、僕の頭の中でようやく結びついた。
パンケーキもハンバーグもその上にはシロップやケチャップが乗っかっている。それをフォークで刺して持ち上げるとどうしてもずるずると流れていく。その流れに寄り添うように自然と僕たちの顔も傾いていくのだ。これこそ真実。無意識の動作の中に人が生きる真理を見出すことができた。
だから僕は今日も、パンケーキの前で顔を傾けることにする。妻はどうだ。そろそろ妻の分のパンケーキが焼き上がる。台所からは香ばしい匂い。自分が結論づけた本質をこの目に焼き付けたい。椅子に腰かけてシロップを注ぐ妻。それすら地獄に投げ込まれた命綱に見える。フォークに刺して持ち上げた。いよいよだ。
すると妻はちょっとだけアゴを前に突き出しながら、パンケーキを咀嚼した。
これはなんだ。癖か。妻は新手の信仰宗教による回し者だったのか。
いずれにせよ、僕は旧石器時代あたりからもう一度プログラムを読み込む必要があるみたいだった。
