「考える」の反対は「考えない」ではなく…
スギ花粉も落ち着き、三寒四温の気候の変化も穏やかになってきた今日この頃。
職場から歩いて帰ってみる。
深く考えずに足が向くまま、普段通らない道を歩いてみる。
お寺の裏にある竹やぶからはカラカラと竹同士が当たる音がする。
頭上から鳩の鳴き声が降ってくる。
小川に反射する光が眩しくて、視線を逸らすと人の庭先にフリージアが咲いている。
あ、あちらには水仙…。
踵から地面につき、心なし歩幅を広げる。
足指まで体重が乗り、ふくらはぎ裏の筋肉が収縮するのが分かる。
股関節前の筋肉がわずかに伸びる。
自然と呼吸がしやすくなり、深くなる。
体中に血流が流れている感覚も分かる気がしてくる。
ふと甘い匂いがする。どの花の香りだろうか。
視線を動かすと空に白い飛行機が飛んでいるのに気づく…。
私は長く「私は考えるのが得意だ」と思ってきた。
未来を予測し、計画を立て、効率を考え、手順を整えて、その通りに動く。
上手くいかなければ原因を考え、対策を施し、またその通りに動く。
人からも「しっかりしている」「頼りになる」「sioに任せれば安心」と言われ、そう言われる自分が誇らしい。
でもそんな中メンタルに不調をきたすと、未来が不安で、計画的・効率的にいかないことに嘆き、思う通りに動けない。上手くいかないことばかりが目につき、そればかりに囚われ、気持ちが沈んでいった。
人は心配して「考えすぎてる」「頑張りすぎてる」「もっとポジティブに」と言うし、私もそうだと心から思い、変わりたいと感じる。
どうにか考えすぎるのを止めようとする、頑張らないように頭でセーブをかける、頭の中でポジティブなことを沢山考える。
そうして約2年、良くなったり悪くなったり、でもやっぱり肝心なところは変われないでいた。
そんな時にある本を読んで、やっと納得ができた。
その本は「考えすぎる人は思考の神経回路を使うことが習慣になっている。不安や悲観は思考が作り出す。思考をやめたければ感覚を大切にしましょう。今自分が何を見て、聞いて、臭って、味わって、触って、何を感じるのか。それに意識を向けるという神経回路を使いましょう」というようなことを教えてくれた。
そうだったんだぁ、「考える」の反対は「考えない」じゃないんだ、「感じる」なんだぁ。
ストンと腑に落ちた。
そうかぁ、「考えすぎちゃダメだ」なんて考えてる私、無理があると思っていた。
考える代わりに感じていれば、考える余白が無くなって考えなくなるのか。
私の中でやっと疑問が解消されて、メンタルの不調と戦うための武器を得られたような感覚だった。
そういうわけでせっせと自分の中を「感覚」で満たすことをやってみている。
そうしていると最近は、せっかくなら自分の中を「良い感覚」で満たしてあげたいと思うようになった。
気持ちが良いもの、好きなもの、心地よいもの、美味しいもの…
自然とそういうものに手が出て足が向く。
あぁ、自分に優しくするってこういうことか。
自分の機嫌は自分で取るってこういうことか。
自分に許可を出すってこういうことか。
ありのままを生きるってこういうことか。
聞きかじってきた「自分を幸せにする方法」みたいなものがつぎつぎ腑に落ちてくる。
今まで正直どこか釈然としないというか「分かってるよそんなこと」「出来るものならとっくにしてるよ」という思いを持っていた。
本質を理解できていなかっただけだったかな。
「思考に頼りすぎず、感覚も大切にする」
人生を楽しむために忘れないようにしていきます。
