斯くて少女は、新たな一歩を踏み出す 一章

一章 ~異郷と格差~


1-1:異郷の母子

「くだらん」
 父は見放した。
「もういいわ」
 母は諦めた。
「何が妹だ。出涸らしがっ!」
 兄は唾棄した。
「やっと消えるのね」
 姉は安堵した。
「例外というのはどこにでもある」
「生まれてきた瞬間、終わっていたんだ」
「最初から血迷っていたのさ。こうなるのも無理はない」
 教師や同級生らは、同情と侮蔑を投げながら、アレクシアを断頭台に抑えつけた。
「我が友に、そしてこの世の全てに、生まれてきたことを冥府で詫びろっ!」
 そして濡れ衣を着せた張本人は、正義の義憤を張り付けた・・・・・顔で叫びながら、鎖の留め具を躊躇無く外した。
 解き放たれた断頭の刃が、耳障りな音を立てて、哀れな贄に食らいつき、

「………………………………あ」

 木目の平面が突然視界を埋めたものだから、それが天井だと気づくのに随分と時間がかかった。
(生きてる……?)
 首に触れてみれば、切れていない。そもそも、手が動かせるということは、首と胴はまだ離れていないということ。
 夢を見ていた事をようやく自覚して、しかし横倒しになっているのは夢でないと気付いて、アレクシアは体を起こす。
 アレクシアが横たえられていたのは寝台ではなく、床の上に敷かれた分厚いクッションの上。被せられたブランケットは、分厚くも重さを感じさせず、起き上がれば簡単にめくれた。
 そして、この部屋──床は草を編み込んだような板がいくつも敷き詰められ、扉は格子状に組まれた木枠に真白い紙が張られている。
 どれもこれも、神聖帝国では・・・・・・見たことが無い。
「……どこ、ここ?」
 ようやく考えがそこに行きつき、アレクシアは慌てて立ち上がり、
「い……っ」
 全身に痛みが走る。体を確かめると、今まで着ていたボロボロの囚人服ではなかった。
 肩から足まですっぽりと覆うゆったりした形はガウンと似ているが、材質は違う。手足と言わず、全身に包帯や絆創膏が付けられており、どうやら誰かの手当てを受けたことは確からしい。
 つまり──今の自分は、見ず知らずの何者かの手の内にあるということ。
 アレクシアの緊張感が一気に膨れ上がる。
 そんな時に、扉がいきなり左右に開いたものだから、
「びゃあぁっ?」
 悲鳴──というか奇声を上げて壁際まで飛びのき、ブランケットを頭まで被って身を隠す。
「××××××××……」
 よく聞き取れないが、声をかけられたことは分かった。恐る恐るブランケットの中から顔を出すと、部屋の入口に立つ少年と視線が合う。
「××××、××××」
「え、えっと……」
 奇妙な生き物を見ているような、何とも言えない目を向ける少年。やはり、言葉は分からないが、アレクシアの行動に呆れているらしいことは、とりあえずは伝わってきた。
「××……俺の言ってるコト、分かるケ?」
 少年が発したのは、耳慣れた帝国語。端々の発音はやや怪しいが、気にしなければ充分聞き取れるので、アレクシアは頷いてみせた。
「ヨロシイ。次、これは何本?」
 と、少年は指を立てて見せた。
「三本……て、そんなことよりもっ!」
 アレクシアはブランケットを体に巻いたまま跳ね起き、
「貴方は誰っ? ここはどこなのっ? 私をどうするつもりっ?」
「一つ目と三つ目は、コッチの質問ナンダケド」
 少年は、面倒そうに溜息を吐き出し、
「まあイイ……俺はソーマ・タカギリで、ここは俺が住んでる家。歩けるなら、ついてコ」
 と、少年は立てた三本指で招くと、アレクシアの返事も待たずに歩きだした。
 どうするか迷うが、こうしていても始まらないので、アレクシアは身を包んでいたブランケットを置いて、ソーマと名乗る少年に続いた。

*****

 木の板を張った廊下を横切り、ガラス張りの仕切り戸を開け、用意されたサンダルらしき履き物を引っ掛けて庭に出ると、
「っ!」
 途端に、アレクシアは総毛立った。
 そして、気が狂いそうになった。
「オイ?」
 卒倒しかけたところで、ソーマの声に我に返った。
「まだ、寝ぼけテル?」
 腕を引かれて、ようやく自分が膝をついていたことを自覚する。
「……だ、大丈夫」
 本当はあまり大丈夫ではないのだが、とりあえずそう言っておいた。
「ナラ、良いケド」
 訝りながらも、ソーマはアレクシアから離れ、庭の端に設けられている池の縁に立った。
「お前、ココから出てキタ。底にあるのハ、法術式じゃないノカ?」
 ソーマの横に立って池を覗き込むと、確かに水底に法術式が描かれている。それも、アレクシアには見覚えのある術式だった。
「お前、これだけ持っテタ」
 ソーマが差し出したのは、これもまた見覚えのあるグラス──牢獄にて、師が毒酒と持ってきた法具だった。
 刻まれている術式は、水底と同じ──ではなく、よく見れば微妙に差異がある。構文を読み解くと、どうやら対になっているようだ。
「論より証拠ダ。使ってミロ」
 ソーマに促されたアレクシアは、試しに術式を起動してみる。光が爆発するが、さすがに二度目では意識を飛ばされることはなかった。
 代わりに、
「わぷっ?」
 水を被る感触に、アレクシアは咳込む。光が晴れると、池の中で尻餅をついていた。
「転移術式とか言う、法術ラシいな。片道だけとはいえ、便利なモンダ」
 言いながら、ソーマはアレクシアを池から引っ張り上げる。
「まあ、往復でも片道でも、俺達には・・・・使えナイから関係ないケド」
「……使えない?」
 ソーマの言い回しに、アレクシアは引っ掛かりを覚えた。
 法具に不備が無いことは、たった今証明されている。つまり、問題があるのは使った者ソーマ達の方だということ。
「アタリ前だろう……俺達には、そもそも〝法力〟ガ無い」
 アレクシアの手を握るソーマの手が、不意に強められる。
 強弱や大小の個人差はあるものの、神の寵愛の証たる法力を全く持たない人類などあり得ない──神聖帝国民・・・・・ならば。
 つまり、
「じゃあ、貴方達は……というか、ここは」
陽出乃国ヒデノクニ……神聖帝国では、〝ケオセスタ〟とか呼んでタカ?」
 その名前こそが、二つ目の質問の本当の答え・・・・・となった。

1-2:異郷の日常

 混沌の東地ケオセスタ──〝魔族〟とされる亜人や魔獣が蔓延り、跋扈し、それらが放つ瘴気によって魔に染められた野蛮な人類が闊歩する、その名の通りの混沌の地。
 自分が今、そこに立っていることが嘘や冗談でないことは、はっきりと理解できる。
 理屈ではなく、直感──あるいは、本能で。
 落ちこぼれとは言え、アレクシアも法術を扱う。
 故に──不可視の力や気配に対する感覚は鋭敏である。
 その鋭敏な感覚が、人類の領域においてあってはならないはずの魔族の気配を捉えていた。
 それも、一つや二つどころか十や二十では済まない──そもそも、数えるのが無意味なほどに。
 あまりにも濃密すぎて、魔力だど気付けないほどに。
 まるで、そこにいるのが当たり前とばかりに。
「……私をどうするつもり?」
 緊張感が目を覚ましたときとは比較にならないほどに膨れ上がり、握られたソーマの手を思わず払いのけながら、三つめの質問を繰り返す。
「サッキも言ったケド、ソレハこっちの質問だ。神聖帝国のヤツが、陽出の民家にイキナリ現れて何をするツモリだ?」
 ソーマは、警戒するような素振りを見せながら、アレクシアを上から下までたっぷりと眺め、
「……と、思ったケド、その様子ダト本当に何も知らないデやって来たミタイだな」
 と、どこかつまらなそうに鼻を鳴らした。
「だから言ったじゃないのよ。心配することなんて何も無いって」
 ソーマのそれよりも、より流暢な発音の帝国語が割り込む。横目でそちらを見れば、年かさの女がやってきた。
「キョーカ・タカギリよ。ソーマの母親で、ここの家主で……まあ、細かい話は後にしましょう。まず貴方……え~っと……そういえば、まだ貴方の名前を聞いてなかったわね?」
「……アレクシア」
 一瞬迷うが、家名の方は伏せる。今や絶縁されて他人になってしまったとはいえ、〝敵地〟の只中で、正確な身分を明かすわけにはいかない。
「よろしく、アレクシアちゃん。まずは貴方の着替えと包帯の交換、朝ごはんはその後よ」
 着替え、包帯──アレクシアは、今の自分の状態に気付いた。
 薄手な上に水を吸ったせいで、着物はぴったりと体に張り付いた上に、薄らと透けていた。しかも、半ばはだけた状態で。
 それはもう、扇情的な姿だった。
「~~~~っ!」
 アレクシアは慌てて体を隠す──特に、ソーマの視線から。
「ま、まさか……」
 顔を真っ赤にして、アレクシアはソーマを睨む。そんなアレクシアに、キョーカは苦笑し、
「ああ、安心して。くたばってた貴方の着替えと手当ては私で、ソーマは貴方を運ぶ以外は指一本も触れてないから……それにしても」
 キョーカは、不意に悪戯っぽい笑み浮かべてアレクシアの体を見据え、
「なかなかどうしてご立派なモノお持ちだわね~。特にこの辺が~」
 手を胸の辺りで抱えるような形にして見せる。何というか、この上なく厭らしい顔で。
 一方、
「あ~そ~カイ。なら、今夜のオカズ(・・・)はソレで決マリだな。さ~メシだメシ~」
 ソーマは、艶めかしい姿のアレクシアに一瞥くれただけで、すぐに興味を失ったように踵を返し、家の中に入っていった。
「……」
 〝出来損ない〟と常日頃蔑まれてきたから、無視されることには慣れている。が、この時だけは、どういうわけだか釈然としなかった。それはもう、物凄く。
「ああいう子なのよ……」
 アレクシアの肩に、キョーカは慰めるように手を置いた。

*****

「目が覚めたなら、次は精を付ける。口に合わなくても、しっかり食べときなさい。お残しは許しませんよ~」
 などと言いつつ、キョーカが自信満々に出したのは、湯気の立つ鍋。とろみの強いスープに見えたが、よく見ると楕円状の柔らかい粒が入っていた。神聖帝国では馴染みが薄いが、米と呼ばれる穀物だ。
 底の深い小鉢に掬って出されたそれを受け取ったものの、口にするかどうかアレクシアが迷っていると、
「毒も薬モ入ってナイ」
 ソーマが、ズルズルと行儀悪く啜って見せた。同じ鍋から入れたものだから、とりあえずは大丈夫らしい。
 注意深くスプーンで掬って口に含むと、絡んだスープと一緒にするりと喉を通っていく。神聖帝国の料理の味付けとは全く違うが、嫌いではない──のだが、どうにも味が薄い気がする。
「味の濃い神聖帝国の料理で育った人には、薄味すぎたかしら?」
 アレクシアの表情で察したのか、キョーカがからかうように言った。
「でも、確かに薄めに味付けしてるわ。丸五日も寝てた上に弱った体じゃ、強い食べ物はむしろ毒よ」
「……五日? 私、そんなに眠っていたの?」
 体の節々がやけに痛むと思っていたが、怪我のせいだけではなかったようだ。長い事眠った気はしていたが、まさかそこまでだったとは。
「体も心も弱っている時に、あんな強力な法具を使ったんだもの。しかも、貴方の法力を源泉にしてね。むしろ、よく死ななかったわね?」
「……法力量には(・・)自信があるから」
 正確には──法力量だけ(・・)なら、だが。
「何でそんな人が、そんなボロボロで、片道切符の転移法具でこんなところに飛ばされてくるのかしらね? 神聖帝国の基準は、法力の強さこそが第一だって聞いてるけど?」
「それは……」
 今となっては、隠す必要などない。けれど、いざ口にしようとして、腹の内に吐き気のような怖気を覚えて、出かかった言葉は掠れた。
「過ぎた話ハ、後にシヨウ」
 相変わらずズルズルと行儀の悪い音を立てながら、ソーマは割り込んだ。
「それより、コレからどうスルンだ? コイツにしても、俺タチにしても、コノママってわけにはいかナイだろ?」
 敵意や警戒こそ無いが、さりとて信用はしていない──ソーマの目は、そう言っていた。
 当然である。事情や経緯はどうあれ、いきなり現れた敵対国の娘など厄介でしかない。
「……そうね」
 アレクシアは、まだ中身の残っている小鉢を置き、
「この上なきご厚意、深く感謝いたします」
 席を立って、粛々と会釈をした。神聖帝国の礼儀作法がここで通用するか否かは、この際考えないようにする。
「お世話になっておいて何のお礼も出来ませんが、私はこれで失礼いたしいます」
「そんなに焦って失礼することも無いわよ」
 いつの間にか立ち上がったキョーカが、アレクシアの肩を押さえて強引に席に座らせた。
「どのみち、しばらくの間はここに居て貰うつもりだしね」
「でも、これ以上迷惑をかけるのは」
「なら、今ここを出て、その後どうなると思う?」
 アレクシアの言葉を遮って、キョーカは言った。
「言っておくけど、貴方が魔力を感じ取れるように、法力を感じ取れる奴がゴロゴロしてるようなところよ。不用意に出ていけば、捕まるまで一時間とかからないでしょうね」
「それは……」
「まあ、法力がどうとか以前に」
 キョーカは、アレクシアを上から下までじっくりと眺め、
「そんな着のみ着のままじゃね~」
 着の身着のまま──アレクシアは改めて自分の姿を確かめる。
 見るからに部屋着か寝間着と思しき服──〝ユカタ〟とかいうらしい──だけならまだしも、全身包帯を巻いた姿は、傍目には怪しいことこの上ない。
「退屈な入院生活に飽キテ脱走しテキタ不良患者ッテ感じダな」
 ソーマが、何とも分かり易い感想を言ってきた。いずれにせよ、見るからに不審人物である。
「心配しなくても、ここにいるだけなら迷惑ってことは無いわよ。見ての通り、ウチの家は無駄に広いからね。なんだったら」
 キョーカは、思わせぶりに悪戯っぽく微笑み、
「ソーマのお嫁になってくれてもいいわよ」
「え、えっと」
 思わぬ言葉に、アレクシアは返す言葉を詰まらせる。助けを求めるようにソーマに目を向ければ、
「……最悪、それもアリといえばアリじゃナイか?」
 と、思案顔で頷きながら、淡々と語っていく。
「コイツが神聖帝国から来たってことは、あまり知られるのはマズいから、偽装はヒツヨウ。デモ、〝嫁〟だとサスガニ怪しまれるカラ、迷子を拾って置いておく~ミタイナのが妥当で……何ダヨ?」
 ソーマは話を切ると、怪訝そうにキョーカに訊ねた。キョーカの目は、ソーマの話を聞く間に、何とも言えないそれに変わっていた。
「本当に……どうしてこうなってしまったのかしらね」
 キョーカの吐き出した深々とした嘆息は、失望と幻滅に満ちていた。
「良い年頃なのに……こっちも立派なモノを持ってるのに……本当に、どこで育て方を間違えたのか……」
 頭を抱えてブツブツと嘆くキョーカの視線は、何故かソーマの下半身に向けられていた。
「……俺の性(・)能は、後回しダ」
 訝りながらもソーマは話を戻すと、アレクシアに目を受ける。
「とにかくダ……××××、×××××××××」
 何事かを喋るソーマだが、アレクシアには理解できず、首をかしげるのみ。そんなアレクシアに、ソーマは肩を竦め、
「まずはお喋りからダナ。それとこっちの一般常識とか……この際、赤ん坊からやり直すつもりでヤレヨ。せいぜい頑張リナ」
「他人事みたいに言わないの。アンタもガッツリ頑張るのよ」
「……あ?」
「春休みが終わるまで丁度二週間。しっかり面倒見てあげなさい」
「はぁ?」
「ほら、二人とも早く食べちゃいなさい。今日は楽しいお出かけなんだから~」
 有無を言わさぬ勢いで、キョーカは話を締め括った。

1-3:異郷の乗り物

「それじゃ、片づけはよろしく」
「はぁ~っ?」
「私達はとっても忙しいの。ほら行くわよ、アレクシアちゃん」
 と、キョーカはソーマの不満など無視して後始末を押し付けると、有無を言わさずアレクシアの手を掴んで自分の部屋に引っ張り込んだ。
「言ったでしょ。今日は楽しいお出かけだって。というわけで」
 キョーカは、やけに大きなクローゼットを勢いよく開け放つ。そこには、ずらりと並ぶ服の数々。
「まずはこれとこれに、あとこれも良いかしらね~」
 もはや目についた端から次々に引っ張り出し、かと思って見ている間に、アレクシアのユカタを手早くにひん剥き、
「×××××~、××××××××××~」
 陽出の言葉でぶつくさと言いながら、着せ替えていくキョーカ。言っていることは分からないが、表情を見る限り、それも微妙らしい。
 その姿は、年頃の娘をめかしこんでいく母親そのもの。事実、アレクシアの母がそうであった──姉に対してのみで、アレクシアの事など見向きもしなかったが。
「……まあ~とりあえずだし~こんなものかしらね~」
 ちょっとしたお化粧も交えつつ、たっぷり小一時間後──キョーカは、納得も満足も出来ない、妥協に妥協を重ねたと言わんばかりの嘆息を吐き出した。
 姿見で自分の姿を確かめてみるが、神聖帝国で出回っている服とは、材質からしてまるで違うため、モノの良し悪しについては何とも言えない。
「ここは、第三者の意見も聞いてみようかしら」
 と、キョーカはアレクシアを部屋から引っ張り出すと、玄関で待っていたソーマの前でくるりとアレクシアを回して見せる。
「若者の意見としてはどうかしら?」
「……良くイエバ無難。悪く言えば物足りナイ」
「そりゃ私のお古だもの。こんなんで物足りないのは当然よ」
 ソーマの評価は微妙ながら、キョーカは気分を悪くした様子はなく、むしろ肯定するような深々と頷き、
「今日のお出掛けはそのため……アレクシアちゃんをふさわしい姿にするためよっ!」
 と、キョーカは何やら妙な決意に溢れた顔で、拳を握りしめる。
「あ、あの……私は、すぐ出ていくし、これ以上は」
 キョーカの好意と決意に水を差すかとも思い、アレクシアは躊躇いを見せつつも、固辞するが、
「アレクシアちゃんくらいの女の子が、こんな間に合わせのおめかしで満足するなんて、あってはならないのよっ!」
 キョーカには、てんで届いていなかった。
「諦メロ」
 ソーマはその言葉の通り、全てを悟って諦めたかのような嘆息を吐き出した。
「タダでさえ、最近暇を持て余しテた。大人しく付き合うヤッテクレ」

*****

 履物まで用意されていた。もちろん、庭先を歩き回るようなサンダルではなく、しっかりした代物だ。これもまた見たこともないが、履いてみればとても軽く、しかも動きやすい。聞けば、動きやすさを重視した運動用とのこと。
「……それではお客様、あちらにお乗り物を用意してございま~す」
 表に出たアレクシアにキョーカが示したのは、横長で硬質かつ丸みを帯びた箱とでも称する奇妙な代物だった。
 腹側の四隅から伸びる支柱がその箱を支え、周囲には窓が張られ、左右には窓と一体化する形で乗り口と思われる扉が設けられている。
 一見すると馬車や竜車のようだが、どうやって動かすのだろうか。そもそも、取っ手らしい取っ手も無いのに、どうやって乗り込むのだろうか──などと思いながら近づくと、扉は滑るように開いた。こちらからは触れもせずに、である。
「これは自動浮揚機と言ってね、陽出の代表的な乗り物で……まあ、百聞は一見に如かずよ。ほら、乗った乗った」
 キョーカに急かされて、後ろ側の座席に乗り込む。腰かけてみればとても柔らかい。帝国貴族の馬車でも、こんな上等な椅子は備えられていない。だというのに、ソーマとキョーカは、当然のように前側の左右の席に腰を下ろした。
 すると右側の席──キョーカの前に、奇妙な突起がせり上がる。形から見ると、船の舵輪のようにも見えるから、あれで操るのだろうか。
「それでは、発進~」
 キョーカがそれを握り締めると、自動浮揚機とか言う箱は静かに浮かび上がり、支柱の突起が引っ込むと、滑るように動きだした。
(す、凄い……)
 門を出てから数分足らずで、アレクシアはそれを直感で理解した。
 音は小さく、揺れは無いに等しい。しかも、馬も竜も無しに、しかしそれらに引けを取らない速さ──と思っていれば、民家の並びを抜け、より大きな通りに入れば、更に加速した。帝国の貴族が速さ自慢する駿馬や駿竜などとは、比べものならない速さにまで。
 詳しい仕組みが分からなくても、その凄さを理解できる──それほどまでに、高度な乗り物であった。
 そしてそんな代物が、自分たちの周りにいくつも走っている。更に大きな通りに出れば、建物が丸ごと動いているかのような巨大なモノまで。
「あの……今日って、大きなお祭りでもあるの?」
「? イヤ、無かったと思うガ、どウシた?」
「だって、こんな凄い乗り物が、こんなにたくさん走ってるなんて」
「浮揚機の専用道路ヲ、浮揚機がたクサん走っテ何がオカシイ?」
「ソーマ」
 どこかかみ合わない要領を得ない問答を繰り返す二人を見かねたのか、キョーカが苦笑交じりに割り込んだ。もちろん、その間にも浮揚機の操作を怠ることは無い。
「×××××、×××××」
「××……××××××××」
 陽出の言葉での短いやり取りをして、ソーマは納得したように頷くと、何やら思案し、
「マズ、お前ガ今驚いて見ているアレコレは、陽出ココじゃアタリ前で普通・・・・・・・なンダよ」
「当たり前って」
 高度な乗り物がいくつも走る光景が、当たり前──絶句するアレクシアに、ソーマは話を続ける。
「確かに浮揚機は、ポンと買える乗り物ジャナイし、ウチは大人と子供が二、三人クライ食べて寝るにはコマラナイ程度に裕福ダ。デモ、お前達の国で言う〝平民〟の域は超えてない。そもそも、庶民だの貴族だの……そんな〝身分〟なんて考えガ、陽出に無イ」
「えっと……」
 ソーマの言葉が拙いというのもあるのだろうが、アレクシアの理解は追いつかない。そもそも、〝身分が無い〟というのが、アレクシアには今一つピンと来なかった。
「まあ、口で言って何もかも分かるなら、苦労はしないわね。こういう場合は、見て聞いて触ってみるのが一番よ」
「おい、ちょっと待ぁっ!」
「~~~~~っ?」
 浮揚機が急加速した──それを認識するよりも先に、アレクシアは背もたれに押し付けられた。

1-4:〝魔力酔い〟という名の洗礼

 衝撃じみた酷い揺れでアレクシア達を掻き回した末に、ようやくキョーカが浮揚機を止めたのは、リッタイチュウシャジョウとか言うらしい多層の建物だった。どうやら、神聖帝国で言う共用停車場のようなものらしいが、共用の便所まで設けられているのは、何とも奇妙だ。
 奇妙ではあるが──今は、とてもありがたかった。
「~~~~~っ、う、げほっ」
 便器に顔を突っ込み、口の中でどうにかせき止めていた腹の中身・・・・を盛大にぶち撒けた。走ってる最中は衝撃に打ちのめされてそれどころではなかったが、停車して気を抜いた瞬間、腹の奥からこみあげてきたのだった。
「……そりゃ、病みアガリで無茶すればこうナルヨな~」
 と、ソーマは同情的な視線を向けつつ、便所からふらふらと出てきたアレクシアに、手拭いを渡す。
 ちなみに、アレクシアをこんな風にした元凶キョーカは、停車場を使う手続きをしているとのこと。
「シバラクすれば治るけど、それまでは気ヲツケ……て、言ってるソバからっ! オイ、××、××××××っ!」
 ソーマが何やら喚いているが、分からない。きっと、言葉が拙いか陽出語で喋っているのだろう。それにしても、真っ直ぐ歩けない。幻術にでも掛かったのだろうか。
「っ?」
 横合いから現れた大きな何かぶつかり、アレクシアは尻餅をついた。
 霞んだ眼をこすってそれを見上げ、
「──っ」
 出かかった悲鳴は、〝詰まった〟と言うべきだろう。
 そこにいたのは巨人──身の丈は、アレクシアの軽く五倍以上はある、文字通りの巨人。
 肌は染めたかのように赤く、頭には二つの角がそびえ、口の端からは鋭い牙が伸び、巨体からは魔力があふれ出て──アレクシアは尻餅をついたまま、立つのも忘れて凍り付いた。
「×××、××××××~」
 赤い巨人は、何かを呟きながら、その巨大な手をアレクシアに伸ばしてきた。
「~~~~っ!」
 今度は悲鳴が口から飛び出し、尻餅をついたまま、全力で後じさり、
「××っ?」
 今度は背中がぶつかった。背を反らせる勢いで見上げると、ソーマが眉をひそめて見下ろしていた。
「何やっテンだお前……×××、××××、××」
 アレクシアにぼやきを吐きつけると、ソーマは赤い巨人に陽出語で何かを言いながら頭を下げ、
「ホラ、お前モっ」
 と、ソーマは頭を下げたまま、尻餅をつくアレクシアの頭を掴んで強引に下げさせた。
「××××××。×××」
 巨人は、口の端を釣り上げながら何かを言うと、重たい足音を響かせながら立ち去った。
「コウキゾク──ソッチで言エバ、オーガに近い種族ダ」
「オーガっ?」
 アレクシアは、仰天して立ち去った巨人に向ける。
「何だ? いきなりツカマッテ、頭からボリボリ食われるトデモ思ったケ?」
「それは……」
 オーガとは、凶暴で知性が低く常に飢えた魔族であり、特に生きた人類が好物であり、捕まった瞬間、そのまま腹に収められる──そう、教えられてきた。
「ソレジャ、今のコウキゾクは、どうダッタ?」
「……」
 教えられた内容とは似ても似つかないほど、穏やかだった。逆に、教えられた内容と同じなのは、巨体と強面くらいか。
「ソウだ。陽出のオーガは、とても賢くて紳士的ダ……まあ、人類に比べレバ、短気で荒っポイ奴が多いから、チョットしたコトでケンカにはなるカモ?」
 ちょっとしたこと──いきなりぶつかって、自分の非を認めないばかりか相手を非難するばかりという、ケンカにおいてよくある原因。
「デモ、それは人類モ同じダ」
「……」
 人類も魔族も同じ──アレクシアの中で、何かがひび割れる音が響いた。

*****

 オーガ──もとい、コウキゾクだけではなかった。
 亜人や獣人、魔獣が闊歩し、大小の鳥や翼竜、更には妖精や霊体までが飛び回っている。まさに見上げるような巨体から、手のひらに乗るような小さな者まで。
 身を隠すことなく。
 我が物顔でもなく。
 行きかう人々は、何の疑問もなく、むしろ当たり前のように気にも留めずない。
 そんな中でアレクシアは、
「……ぅ~」
 目を回していた。
「〝魔力酔い〟ってヤツね。法術師──というか神聖帝国人なら、こうなるのは当たり前よ」
 法術を扱う神聖帝国人は、法力という形無い、しかし確かに存在する力を感じ取ることができる。必然的に、魔力に対しても鋭敏になるため、その影響も強く受けることになる。感覚を鍛えられた法術の専門家たる法術師ならば、尚更。
 魔族が当たり前のように行き交う──当然ながら、漂う魔力は濃密極まりなく、そんな場所にいきなり放り込まれたものだから、アレクシアは強く当てられてしまった。
「オイ、シッカリしろ」
「だ、大丈夫……」
 事実、頭は揺れているが倒れるほどではないし、ソーマの手を借りるまでもない。
「普通なら、立つこともままならないんだろうけどね」
 振り返ったキョーカは、アレクシアを観察し、
「確かに、思ったより大丈夫そうね。アレクシアちゃんの場合は、しばらく眠っていたから、少しずつでも慣れたんじゃないかしらね」
「怪我の功名っテカ? 運のイイ」
 あまり喜べる事ではないのだが、魔力酔いのせいで言い返す気力など無かった。
 キョーカは、そんなアレクシアの腕を引き、
「安心しなさい。あと少し……ほら、そこのお店だから」
 と、すぐ目の前の店を指さした。
「ここなら、小一時間くらいで良くなるわよ……色々と」
 色々って何だ──その質問も、魔力酔いのせいで口から出ることは無かった。

1-5:おめかし開始

「×××××~」
 キョーカの挨拶と思しき一声で入ると、まず目についたのは所狭しと並ぶ様々な服。どうやらここは、服飾品を扱う店らしい。
「××××××××~」
 その声は、店の奥ではなく頭上からだった。
「っ!」
 濃密になった魔力の気配に、アレクシアは思わず飛びのいた。
「あ、アラクネ……っ」
 上半身は、紛れもない人類の女。けれど下半身は──八本の足も禍々しい、蜘蛛の体。
 幾何状に張り巡らされた巣にぶら下がる亜人が、八つの瞳でアレクシアを見下ろしていた。
「××××? ×××××××××……」
 何とも言えない表情で。
「……いきなりそういう反応されると、さすがに傷つくと言ってるわよ」
「あ、うん……ごめんなさい」
「それを言う相手は、私じゃなくてそちら……ちなみに、こっちではアラクネじゃなくて、ツチグモっていう種族よ。で、彼女の名前はアミね」
「ごめんなさい、アミ」
 陽出語の謝罪をアレクシアが知ってるはずもなく、キョーカが陽出語に訳して伝えた。
 アミと呼ばれたツチグモの女は、尾部から伸ばした糸でスルスルと床に降り立つと、笑みを浮かべてアレクシアに手を振って見せる。
「気にしないで、だそうよ……アミチャン、×××××、×××××」
 キョーカとアミは何やら話を始め、すぐに結論が出たのかアレクシアに向き直り、
「さて、それじゃ本題に入りましょうか~」
 何故だろう、やけに目が光って見える。それに、どうして手を何度も開閉するのだろうか。その危うい気配に思わず後ずさるが、体に巻き付いた糸に止められた。その出所を辿れば、八つの瞳をやたらに光らせるアミの姿。
 ソーマを見れば、
「せいぜいガンバレよ。俺は、他の買い出しに回ってクル」
 と、薄情にもさっさと店を出ていった。残ったのは、蜘蛛糸でがらん締めの少女と、
「××××、×××××~」
「アミもいい仕事が出来そうだと喜んでるわよ~。さあ、お着替えしましょ~脱ぎ脱ぎしましょ~おめかしし~ま~しょ~」
 などとほざく、怪しい目つきの人類とツチグモのみ。アレクシアに逃げ場は無く、あっという間に裏へと引きずり込まれた。

*****

 アミはアレクシアを文字通り丸裸にし、全身を余すところなく測り、途中名残惜しそうに言いながらも、奥へと引っ込んだ。
 キョーカ曰く、
「久々に良い仕事が出来るって大喜びよ」
 実際、商売をそっちのけで〝休業中〟の看板を店先に出したらしいから、嘘ではないのだろう。
 そして残ったキョーカは、店に並ぶ服を次々に持って来て、あーでもないこーでもないとアレクシアを着せ替えていく。中には、そもそも服なのか布の切れ端なのか判別しかねるものまであった。
 キョーカ曰く、
「勝負下着ってヤツよ。これを着れば、あら不思議、人類の男共はコロリと魅了されて理性という服をかなぐり捨て、盛りのついたオスと化して群がり──」
 上着はおろか下着に至るまであれこれ選ぼうとするのはどうかと思うが、残念なことに、アレクシアに拒否権は無い。
 なので、
(……これは厳重封印ね)
 〝勝負下着〟の今後の扱いを、心の中で強く決めていると、出入口の呼び鈴が音を鳴らした。〝休業中〟の看板が見えない読めないということは無いはずなのだが。
 などと思っている間に、アミの返事も待たず、玄関口に設けられた小さな戸口が開き、
「×××~」
 そこから入ってきたのは、正に小さな来訪者──アミに比べればまだ人類に近い姿の、しかし人類の肩に座れそうな程に小さな亜人であった。
「ケイセイゾク……神聖帝国では、フェアリーとかピクシーとかって呼ばれてたかしら。ちなみに、その子はアゲハで、ここの隣でお店をやってるわ」
 アゲハという名のケイセイゾクは、蝶のような翼を揺らしながら飛んでくると、
「××××、××××××××っ」
 腰に手を上げて眉尻を吊り上げた顔で、キョーカに何かを喚く。
 言ってることは分からないが、この様子では、悪態だか文句だかを言っているようだ。
「×××~。××××××、×××~」
 キョーカは、手を合わせて何やら言い訳らしきことを言っている。
 そんなキョーカにひとしきり文句を言って少しは気が晴れたのか、アゲハは大きく息を吐き出すと、アレクシアに目を向け、
「×××……×××、×××××……」
 何やらブツブツと言いながら、アレクシアの周囲を飛び回り、
「×××っ!」
 不機嫌から一転して、何やら上機嫌に手を叩いた。その心情を示すかのように、アゲハから魔力の光が滲み出す。
「×××××~」
 すると、アミが逆さづりで下りてきて同意するように頷いて見せた。手書きのスケッチも交えて、アゲハと何やら話し合い始める。詳しくは分からないが、アレクシアの事であるのは間違いなさそうだ。
「実は、アゲハのお店にもお願いしたのよ。この後に行くはずだったんだけど、ちょっと遊び過ぎちゃったわね」
 と、キョーカは誤魔化すような苦笑を浮かべる。要するに、アレクシアの着せ替えが楽しくて、約束の時間を忘れていたらしい。おかげで、痺れを切らしたアゲハがこっちにやってきたようだ。
「というわけで、ちょっと惜しいけど、次に行くわよ。と言っても、隣だけど」
 キョーカとアゲハに押されて隣の店に入ると、アゲハとは別のケイセイゾク達が三体ばかり出迎え、アレクシアの手を引いて鏡の前に座らせた。これらの設備や並べられた道具を見たところ、どうやら化粧や整髪を行う美容所のようだ。
「×××××、×××××っ!」
「「「「「×××××、×××××っ!」」」」」
 アゲハが檄のような叫びを上げると、あちこちからケイセイゾクが飛び出し、それぞれの化粧品得物を掲げて群がり、アレクシアに化粧を施していく。
 その数、ざっと数えただけでも十以上。しかも、アゲハ同様に高揚しているのか、魔力光が溢れていた。
 一見小ぶりなフェアリーやピクシーだが、飛翔するだけで光の尾を引く程、内在魔力が高い。しかも、今は揃いも揃って気合充溢で魔力が噴き出す勢いで漏れ出ている。そんな集団に群がってこられたら、当然魔力の密度は凄いことになるわけであり、
「~~~~~~~っ」
 それに押される形で、アレクシアの意識は、一気に飛んだのだった。

1-6:おめかし完了

「……シア……アレクシアちゃんっ!」
「は、はいっ?」
 呼ばれてアレクシアは跳ね起きた。
「終わったわよ。そして君は、今日、ここで、君の輝きは真の姿を取り戻したのでうぁ~るっ!」
 キョーカは、それはもう、深々と頷いてみせる。アゲハ他、群がっていたケイセイゾク達も同様で、それはもう達成感に満ちた清々しい笑顔であった。
 何故だろう、皆の目から滂沱の感涙が流れているような気がする。魔力酔いの影響が、まだ残っているのだろうか。
「む? 何かねその疑わしげな目は? ならば己が目で確かめるがいいっ!」
 アレクシアの生暖かい視線をどう受け取ったか、キョーカが指をパチリと鳴らし、ケイセイゾク達が姿見を運んできてアレクシアの正面に置いた。
「……ぇ……」
 誰だか分からなかった。
 それが自分だという認識を、受け入れるのに時間がかかった。
 鏡に映っているのが、自分の知る自分自身とは似ても似つかない、美しい娘であったから。
「紛れもなく貴方よ」
 それまでの熱い調子とは打って変わり、キョーカは穏やかにアレクシアの肩を叩く。そしてアレクシアの目の前に、腕を組んだアゲハが、それはもう偉そうな顔を浮かべて、
「×××××、××××××××××──」
 とりあえず、偉そうな説法を語っているのは伝わってくるが、もちろんアレクシアには細かい内容は分からない。
「『私達にしてもアミにしても、を潰すようなやり方はしないわ。あくまでもその人の〝美しさ〟を引き出そうとするの。そういうのって、付け焼刃の飾りつけじゃ絶対に現れないものだから』……と、アゲハは言ってるわ』
 と、キョーカはアゲハの言葉を通訳すると、同意するように深々と頷き、
「ええ、その通りよね。専門家の言うことは、さすがに重みが違うわね。まあ、そういうわけで……鏡に映っているのは、間違いなくアレクシアちゃんよ」
「は、はあ……」
 そんなお墨付きを貰っても、アレクシアは鏡に映っているのが、本当に自分か自信が無い。魔力酔いの幻覚か、アゲハ達の幻術ではないかと疑ってしまう。幻の類は、ピクシーやフェアリーの得意技である。
「×××××、×××××」
 アゲハが、偉そうな顔を引っ込めると、何かを言って頭を下げる。
「『良い仕事をさせてくれて有難う』……だそうよ。化粧の専門家がここまで言ってるんだから、胸を張りなさい。ほら、こんな風に」
 と、キョーカはアレクシアの背後に回り込み、
「わ、ひゃぁあっ?」
 豊かな胸を、揉みしだくのだった。
「ちょ、や……はう……っ」
「ほほう、ここがエエんか~? これがエエんか~?」
 それはもう、手慣れた手つきで、優しく、しかし容赦なく。
 アゲハ達が、何やらキャーキャー言って飛び回っているが、キョーカを止める様子はない。どころか、喜色満面で目を爛々と光らせていた。
「×××××、××××っ」
 吐き捨てるような言い様と共に、キョーカの頭が引っ叩かれた。
「あら、来てたの?」
 引っ叩かれた事など気にしてない──というか、無かったかのように顔を上げるキョーカ。そこには、冷たい目で睨むソーマがいた。
「たった今。つうか、ソロソロ終わるカラ浮揚機を回して荷物を乗せろって連絡寄越したの、アンタダロ」
 ソーマが取り出したのは、手の平大の板。表面は小さな光が規則的な明滅を繰り返し、その上の中空には、文面が幻影のように映し出されていた。陽出語なので分からないが、ソーマが言ったような内容だろう。
「何にしても、丁度良い時に来たわよ~」
 と、キョーカは指を鳴らし、
「括目せよっ! そして慄くがいいっ! アレクシアの真の姿をっ!」
 アレクシアの肩をつかんでソーマの前に押し出した。
「え、え~っと……」
「……」
 ソーマは、目を鋭く細めてアレクシアを上から下まで観察する。それはもう、小さな粗を一つとて見逃さないとばかりの厳しい眼光で検分し、
「……コリャスゴイ。それ以外、言うことナシ……陽出語コッチで言えば、××××××××、×××××」
 何と言ったかは分からないが、歓声を上げて飛び回るアゲハや他のケイセイゾクの様子を見る限り、かなりの高評価らしい。
「良い事言ったわっ!」
 喜色満面のキョーカに背を叩かれ、ソーマは大きく噎せた。恐らく、不意打ちで引っ叩かれた意趣返しも兼ねているのだろう。
「ぜ~っんぜんお洒落にからっきしで無頓着のバカ息子ソーマしては、だけどっ!」
「無頓着なバカ息子で結構ダッテ。最低限、不衛生に見ラレなきゃ良いんダカラさ」
「……今のアレクシアちゃんを見ても、そう思う?」
 キョーカに問われて、ソーマは改めて、アレクシアを上から下まで観察し、
「いや……ここまで化ケるなら、俺もチョット気を遣っテミルかね」
 と、諦めたように肩をすくめた。
 蒼真なりに褒めているのだというのは分かるが、どうにもいちいち棘がある気がしてならない。
「化けたんじゃなくて、これが本来のアレクシアちゃんなのよ。何度も言うけど」
 と、何故かキョーカが偉そうに自慢してきた。
「神聖帝国が誇る四大賢人ハイエレメンツはフローブラン家のご令嬢──つまり、本物の大貴族の〝お嬢様〟なのよ。下地とか素地とかは、充分すぎるでしょ」
「っ!」
 アレクシアは、思わず仰天した面をキョーカに向ける。しかし、キョーカはその時には踵を返して店の出入口を開けていた。
「それではお嬢様、参りましょう~」
「ほれ、アルケ」
 と、背中を小突かれて、アレクシアはアゲハ達の見送りを受けつつ、店を出た。

1-7:異邦人の立場

「ひっ……」
 店を出た瞬間、主に人類の、特に男共の視線が一斉に向けられた。中には、明らかに何かの狙いを定めたような危ない視線もあり、アレクシアは思わず引いてしまった。
「ほら、しっかりしなさい。せっかくのおめかしが台無しよ」
 と、すかさずキョーカがアレクシアの頭を上げさせる。怪しげな視線が、そこかしこから飛んできた。
「アレクシアちゃんが、とっても可愛い証拠よ」
「確かにスゴイけどサ~」
 仕入れた諸々を浮揚機に放り込みながら、ソーマは周囲の視線とアレクシアを見比べ、
「キレイ過ぎるのも考えモノだな。芸能人でもナイし、ここまで注目されたら歩きヅラクなる」
 うんざりするように、ソーマは吐き捨てる。ちなみに、ソーマには刺々しい視線が集中していた。主に人類の、特に男共からの。
「何言ってんのよ。女はキレイになるのに越したことないわ。それに、アレクシアちゃんなら、まだまだ先があるわよ~」
 と、どこか怪し気な笑顔を浮かべて、いまだにアレクシアから目を離さないキョーカ。明らかに、今回だけでは済まない何かを企んでいた。
「でも、それはまた今度……よっぽど大事な時に取っておきましょう」
 キョーカの言う〝大事な時〟というのが何なのか──非常に気になるところだが、キョーカの怪し気な笑みを見てると怖くて聞けない。
「さて、お目当ては済んだけど、このまま帰るのもつまらないわね。せっかくだし何か食べて」
「××××~」
 どこか軽薄な調子の声がかけられ、遮られたキョーカは小さく舌打ちしながらも、そちらを振り返る。
 声音同様、やたら軽薄な笑みで歩み寄ってきたのは、年嵩の男──ただし、その背丈はアレクシアの膝にも届くか否か。
「コビトゾクの一種だ。神聖帝国じゃ〝ホビット〟トカ呼ばれテタカ」
 小声で言いながら、ソーマは前に出る。アレクシアとあのホビットの間を塞ぐように。
「残念だけどお呼ばれしちゃったわ。ソーマ、悪いけど帰りの運転お願い」
「ヘイヘイ……」
 ソーマは面倒そうに頷くと、目線でアレクシアに浮揚機に乗るように促しながら、操舵席に乗り込んだ。
「ソーマも、この乗り物を操れるの?」
「ソレなりの勉強トカ訓練は必要ダケド、誰でも操る事がデキる」
 疑わしげなアレクシアを余所に、ソーマは何ら危なげなく浮揚機を発進させる。
 よく見ると、主な操作は舵輪と足元の踏み板を動かすだけのようだから、確かに難しくは無いようだ。
 商店街を抜けた浮揚機は、緩やかに湾曲した登り坂のトンネルに入った。雑踏や街並みは、規則的に通り過ぎる灯りに変わり、アレクシアはそれを何とはなしになしに目で追っていく。
「ツマラナイって顔ダ」
 ソーマが、冗談めかして言ってきた。
「オフクロが見たら、せっかくのオメカシが台無しダって言うダロウな。生理カ?」
「……違うわよ」
 下品な言い様に、アレクシアは後方確認のための鏡越しにソーマを睨みつける。
「ソレなら、何に引っかカッテる?」
 ソーマは、まるで分かっている・・・・・・かのような目で見返してくる。下手な腹芸など無意味と思い、アレクシアは率直に訊ねた。
「どうして、私がフローブランだと分かったの? 貴方達は、どこまで・・・・知ってるの?」
 キョーカは先ほど、〝フローブラン家のご令嬢〟と言っていた。アレクシア自身の口からは、名前以外は身の上について何も話していないのに。
「ソウダな~」
 ソーマは、勿体ぶるように考えるような素振りを見せ、
「名前は、アレクシア・フローブラン。フローブラン家の次女で三番目ノ子供。フローブラン家は〝四大賢人〟トカイウ、神聖帝国でモットモ力の強い四つの法術貴族のうちのヒトツ。由来は〝劫炎の華〟ダッタカ? で、お前は一族じゃ落ちコボレで、〝出来損ない〟の扱い……と、間違いはアルカ?」
「……いえ」
 訂正など一切無い。
 ソーマが一気に語った内容は、全て正解で正確だった。唖然とするアレクシアに、ソーマは意地の悪い笑みを浮かべ、
「お前が眠っテル五日間に、色々調ベタ」
「調べたって」
「今時、正確ナ顔形の情報がアレバ、スグに調べラレル。大貴族サマの娘なら、尚更ナ」
 どうやって──頭に浮かんだ疑問を、アレクシアはすぐに追いやる。
 たった五日で外国の──敵対国家の人物を特定する方法など、絶対にマトモな手段ではない。聞かない方が良いだろう。
「ちなみに、さっきのコビトゾクだけどな」
「……ええ」
「言うなレバ、そういう仕事・・・・・・をしてるヤツだ。誰かサンの身元を調べたり、事情を探っタリってな。で、オフクロの用事は、ソレ関係の話と、後はお前に関スル経過報告ってトコダナ」
「私の経過報告?」
「……後ろ、コッソリ見ロ」
 そっと振り返り、後ろの窓を覗いてみる。付かず離れずの距離に、黒い浮揚機がついてきていた。
「アレ、お前の監視ダ」
「か、監視?」
「当たり前ダ。今は休戦してるケド、神聖帝国と陽出は敵対シテル。ナノに、必要な手続きも手順も完全にスットバシてやってきた不法入国者で、調べタラ神聖帝国の重鎮のご令嬢、と」
 一息に喋って、ソーマは最後に溜息を一つつき、
「陽出の偉い人タチは、お前ノ扱いに困っテル。今のお前は、トテモ微妙・・な立場だからそのツモリで」
 扱いに困るほど微妙な立場──アレクシアの今後の行動次第では、預かっているキョーカやソーマにも大きな迷惑が掛かるということになる。
 思わず身を固くするアレクシアに、ソーマはさもおかしそうに吹き出し、
「そんなにビビる必要はナイ。街中で大暴れデモしない限りハ、大丈夫。シバラクは、陽出の観光デモすれば良い。例えば、ホレ」
 ソーマを窓の外を示すと、ちょうどトンネルが切れた。急な眩しさに思わず目を閉じ、すぐに明るさに慣れて目を開けると、
「……」
 その光景に、言葉を失った。


1-8:異郷という名の異世界


 それまでの固い道は、無くなっていた。代わりに鈍色の光で象られた薄い帯状の道が伸びており、その上を浮揚機は走っていた。
 地上からは遠く、道を歩く者たちがまさに小粒に見えるほどの、高い場所を。
 そして周りには天楼──高い場所にいるアレクシア達すら悠々と見下ろし、見上げても頂が見えない、まさに天まで届かんばかりの建物。それも、一つや二つではなく群れを成してそびえ立っていた。
「あんなもの、どうやって……」
 神聖帝国で最も大きな建造物と言えば、神の代弁者として帝国を統べる聖帝がおわす、帝都の大聖宮──それを目にして圧倒された記憶は、あっという間に塗り替えられ、上書きされてしまった。
「奇跡じゃなクテ、そういう技術なんダ。専門家ジャナイから、詳しいことは知らナイけど~」
 ふざけた調子で言うソーマの言葉の半分以上は、アレクシアの耳には届いていなかった。
「それに、モット凄いのがアルぞ」
 ソーマが舵輪を回すと、浮揚機は天楼の間を抜け、トンネルを経て海沿いの道に入った。光の帯が、元の固い道に変わる。
「あっ、丁度イイところに来タ……港の方を見ロ」
 ソーマが示した先──海岸に沿って設けられた広大極まりない港には、巨大な船が団を成して停泊している。
 船、なのだろう──アレクシアが知っている船とは似ても似つかない形で、大きさに至っては〝城〟と言っても良いような巨体ばかり。
 その船団の中から三隻、港から出航していく。
「アマカゼ級高速突撃艦──陽出軍の、戦闘飛翔艦の一種ダ。これから海の見回りに行くンダロウ」
「飛翔?」
 その言い回しに引っかかるが、答えはすぐに出た。
 動き出した三隻が、港から充分な距離を取った位置で、海面から離れた・・・ことで。
「ぇ……?」
 文字通り、飛んだ──城のように巨大な船が、である。
 海面を離れた三隻は、前進しながら高度を上げていき、やがて轟音と振動を放ちながら、雲の中へ消えていった。
「……一種、と言ったわね。あんなモノが、他にも種類があるってこと?」
「モチロン。今のは軍艦ダケド、旅客用トカ貨物用トカも色々アル。大きなさダケなら、五百ラーマくらいは普通ダ」
「五百ラーマって……」
 神聖帝国最大を誇る皇衛艦ですら、六十ラーマそこら。
 そもそも、およそ〝船〟と名のつく代物が動き回る場所は水の上であって、空を飛ぶ乗り物など、人類を一人乗せるのがやっとの飛行杖や飛行盤くらいがせいぜいである──神聖帝国においては。
「……どんな奇跡を使ったら、あんなのを作れるのよ。それとも、神や魔王と契約でもしたの?」
「奇跡じゃナイ。知恵、技能、物資、意思……様々な種族が様々なモノを出し合って、補い合って、より良いモノを築イテイく。コレが、陽出の共存共栄ってヤツだ。で、その極め付けが、アレダ」
 次にソーマが示したのは、沖合に浮かぶ島──否、それは島というより、
「……木?」
 一見すれば木──ただし、〝巨木〟とか〝大樹〟と括れるかも怪しくなるほどに、恐ろしく巨大な。街中の高い建物も天を突くばかりだったが、それすらも小さく見える。周囲にいくつもの船が浮いているが、それもまるで玩具だ。
「ソッチノ言葉にすれば、〝海の庭園オルシェス・ガルデニ〟ってトコだな。陽出が国を挙ゲテ作ってイル、海上都市ダ」
「海上都市……じゃあ、あれは元々ある島や木じゃなくて、人類や魔物が作ったっていうの?」
「ソウダ」

*****

 〝海の庭園〟を横目に海沿いの道をしばらく進み、海を一望できる高台にやってきた。
 茜に染まる夕空と海、水平線に沈んでいく太陽──その絶景は、内陸部出身の内陸部育ちで、生まれてこの方海など見たことのないアレクシアの目と心を奪うには、充分すぎる光景である。
 しかも、それを背景にした巨樹が、沖に鎮座しているとあっては。
「ホラヨ」
 と、ソーマがアレクシアの眼前に差し出したのは、果物やら甘味物やらを薄く焼いた何かの生地で巻いた、何かの菓子──と思われる。
「クレープってイッテ……物は試しダ、食エ」
「は、はあ……」
 それはいいが、フォークもナイフも無しにどうやって食べるのかと思っていると、ソーマは、自分のをそのまま大きくかぶりついた。
 恐る恐る口に含んでみると、
「あ……」
 経験したことのない味わいだが、なかなかどうして癖になりそうだ。こんな時でもなければ。
「で、陽出の街をざっと見て回ってイカガでしたか、フローブランのお嬢サマ?」
 ソーマは、行儀悪く自分のクレープをもごもごとやりながら、訊ねてきた。
「どうって……」
 頭が追い付いていない──何もかも違いすぎて。
 魔族との共存共栄──神聖帝国で口にしようものなら、即死刑台送りだ。
 他を食らい滅ぼすだけの存在であり、故に神の敵であり、即ち人類の敵であり──それが神聖帝国における、魔族という存在だから。
 アレクシア自身、そのことに疑問を抱いていなかった。
 ただただ、野蛮な者達が跳梁跋扈する世界だと思っていた。
「何度も言うケド、ここは神聖帝国ジャない。お前の言う〝魔族〟って連中を攻撃するノハ犯罪ダからナ。捕マルからな」
 アレクシアに、ソーマは冗談めかして更に言った。
 神聖帝国ではない──追い付かない頭でも、その事実は改めて理解した。
 否──思い知った。
 馬より早い乗り物を平民が所有し、空飛ぶ船を建造し、海の上に街としての巨樹を生み出し──そんな高度な文明の国なのだと。
 自分が足を踏み入れたのは、異国どころか別世界だと。
 自分が暮らしていた神聖帝国とは、根本的に違うのだと。
「……おい、しっかりシロ」
 と、ソーマが肩をゆすられて、アレクシアは自失するほど愕然としていた事を、ようやく自覚した。
「あと、ほれ……まだ半分以上残ってるのに落とすなよ」
 と、食べかけのクレープを差し出される。それで初めて、自分の手からクレープが消えていることに気づいた。
「え、ああ、うん」
 思い出したようにクレープを口につけるが、味など感じられなくなっていた。


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