斯くて少女は、新たな一歩を踏み出す 三章
三章 ~静寂にして不穏な一夜~
3-1:望まぬ再会と、かつての再現
暗闇の中から街灯の光の下に姿を現したのは、輝かんばかりの美しい娘。
異性はおろか、同性も見惚れずにはいられない美しさは、忘れようにも忘れられない。
『相変わらず、出涸らしの出来損ないのようだ。下らない』
特に──嫌悪と侮蔑に満ちた歪な美貌は、記憶そのままだった。
『エリッサ……どうして、貴方が……』
『どうして、だと?』
ようやく絞り出したアレクシアの問いかけに、エリッサと呼ばれた娘は嘲笑で答えた。
『禁忌を犯した愚かな大罪人の処刑に決まっているだろう』
侮蔑はそのまま、嘆かわしいため息が深々と吐き出される。
『そんな当然のことも分からんとはな。頭まで悪くなっていたようだ』
『ふ、ふざけないでよっ!』
禁忌を犯した──その言葉に、アレクシアの頭は一瞬で沸騰した。
『それは、エリッサでしょうっ! 禁庫に入ったのも、禁術を使ったのも、私を実験台にしたのも、貴方の友達を死なせたのも、全部、全』
『黙れ』
『っ!』
いくつもの稲妻が放たれ、アレクシアはそれに弾き飛ばされた。
『出来損ないの分際で、一丁前に喚くな』
『っ、この……っ』
すでにエリッサは次を術のための法力を集めている。アレクシアは、地面を転げながらも、どうにか法力を集め、形成した火球を撃ち出す──その筈が、現実に現れたのは、小指の先もあるかどうかの小さな灯火が、力無く漂うだけだった。
〝火球〟や〝撃ち出された〟などと、お世辞にも言えない無様な術だった。
当の術者であるアレクシアですら、呆れるあまり脱力する程の。
『かの〝劫火のフローブラン家〟に生まれながら、この体たらくとは』
エリッサは、憐れみすらこめて吐き捨て、
『系統が違う私ですら、このくらいは出来るというのに』
術を展開──瞬く間に巨大な火球が現れ、勢いよく撃ち出される。それは、儚い小火などあっさり飲み込んで、アレクシアへと向かい、
『爆ぜろ』
眼前で爆発──その衝撃が、再びアレクシアを弾き飛ばした。今度は頭を打ってしまったためか、すぐには置き上がれなかった。
『そもそも、だ』
『がっ?』
倒れたアレクシアを、エリッサは蹴り飛ばす。
『貴様如きが気安く〝エリッサ〟と呼ぶなっ!』
何度も、何度も。
『貴様のような、出来損ないが、おぞましいっ!』
最後にアレクシアの頭を踏みつけて地面にめり込ませると、エリッサは大きく息を吐き出し、
『たった二週間では、変わるべくもないとは思っていたが……いや、察しが悪くなったことも含めれば、より酷くなってしまったか。まあ、こんな汚物の掃き溜めに浸かっていては、それも無理ないか。愚行の前例という意味では、役に立ったと認めてやろう』
『……っ、……』
アレクシアは言い返そうとするが、激痛に加え顔を押し付けられているため、呻き声にしかならなかった。
一方のエリッサは、好き放題に言って満足したのか、清々しい顔で懐から短剣を取り出し、
『出来損ないとして生まれて来たことを、神と全ての人々に詫びて──っ?』
エリッサの罵声が不意に途切れ、甲高い音を立てて短剣が零れ落ちた。
*****
たじろいだエリッサの足が離れたため、アレクシアはようやく顔を上げる。
『……何だ、貴様は?』
最初に目についたのは、不快に顔を歪めるエリッサ。その視線の先には、面倒そうな顔で、拾った小石を手の内で回す蒼真がいた。
『いや、そもそもどうやって入ってきた? 法力を持たない野蛮人に破れるような結界では』
「何言ってるか分かんねえが、とりあえずすっこんでろ」
と、気の無い返事を口にしつつ、蒼真は小石を次々に弾き飛ばした。
『っ!』
握っていた小石を指で弾いただけと思いきや、鋭い音を立てて矢のようにエリッサに飛来する。ただの一つも狙いを違わずに。
それよりも先に、エリッサが飛び退いたために空を切ってしまうが、結果としてアレクシアから大きく離れることになった。
その隙に、駆け寄った蒼真は、倒れたアレクシアを見るなり、さもおかしそうに吹き出し、
「こんなとこで寝てんなや。お袋が見たら、お行儀悪いって怒られるぞ」
「蒼真、ダメ。あの人、トテモ強い。逃ゲテっ!」
「へいへ~いっと」
警告を聞き流しながら、軽々とアレクシアを肩に担いで、さっさと歩きだした。
エリッサの事など、気にも留めず──というか、まるでそこにいないかのように。
『貴様っ』
当然ながら、そんな態度は火に油。エリッサの放った稲妻が、蒼真の鼻先を掠めて足元に落ちた。それでようやく、蒼真の足は止まる──仕方なし、と言いたげに。
『今すぐその娘を置いて立ち去りなさい、下民』
少々引き攣ってはいるが、慈しみを含んだ笑みでエリッサは言った。初心な少年はもちろん、初心な少女も簡単に騙されるだろう。実際、アレクシアも何度も引っかかった。
『さすれば、その無礼を許してやらなくも』
『……ワタシ~ワッカリマセ~ン』
と、語彙も発音も酷く拙い神聖帝国語で、蒼真はエリッサの言葉を遮った。
『ダッテ~……エット~、野蛮人~、ワタシ~? デシュカラ~?』
そのくせ、〝野蛮人〟の部分だけは、やたら流暢な発音であった。拙い言い草も、見るからにわざとらしいから、完全におちょくっていた。傍で聞いてるだけでも苛つかされるのだから、向けられた当の本人など、
『下劣が……』
慈しみは完全に消え、怒気に満ち満ちていた。
『よほど死にたいようだなっ!』
怒気はあっという間に殺意に変換され、それに法力が呼応する。
膨大な法力が瞬時に集まり、あっという間に術が展開される──それこそ瞬く間に、いくつもの稲妻が形成されていく。
術の規模や強弱だけでなく、どれだけ早く展開できるかも、法術を扱う上で重要な要素である。その意味でも、エリッサの才覚は抜きん出ていた。
しかし──アレクシアが愕然となったのは、その類稀な技能ではなく、
『その不遜、後悔するが──何っ?』
強固なはずの結界を外側から強引に引き裂きながら飛び込んできた、その存在だった。
3-2:龍の姫
その姿に、何よりその圧倒的な存在感に当てられ、アレクシアは一瞬でも気が遠くなりかけた。
長大な巨体を強固な鱗で覆い、頭には猛々しい双角がそびえ、口には岩も噛み砕きそうな牙がずらりと並び、強靭な四肢には鉄も切り裂きそうな爪が伸び──そんな禍々しい威容ながら、壮麗な優美さを感じさせ、しかしそこにいるだけで押し潰されそうな威圧は、相手が雲上の存在であり、自身が矮小な存在であることを、問答無用で思いしらせてくる。
理屈ではなく、本能が。
そこにいるだけで他を圧倒する存在感ゆえに、〝魔王〟と同格、あるいは同義に恐れられ、ある者は神の化身として崇めるとも言われる。
その存在の名は、
『龍だとっ?』
エリッサも、さすがに驚愕を隠せなかったらしい。悲鳴じみた問いかけには、畏怖が溢れ出ていた。
『何故こんな場所に……っ?』
『何を驚いておる?』
頭に響いてきたのは、覚えのある女の声──魔力を介した思念でもって、ドゥラグニは意志を伝えてきた。
『この地は、そなたらの言うところの〝混沌の東地〟じゃろう。あらゆる種族が共存共生する場において、龍だけが例外ということはあるまいて』
その威容とは似ても似つかない、軽い調子の態度──そのおかげで、アレクシアは我に返ると同時に、正体に気づいた。
『……リンヨウ?』
『さすがに姿を変えただけでは、そなたの目は誤魔化せぬようじゃな。ともあれ、話は後じゃて』
静かに降りてきた龍──もとい、皇龍の姿をした燐耀は、その巨大な右手でもって、アレクシアと蒼真を諸共摘み上げ、左手は自転車と背嚢を器用に抱えた。
『お、おのれっ!』
結果的に、その場の全員に放ったらかしにされたエリッサは、思い出したように法力を集める。それらは、いくつもの稲妻となって燐耀に放たれ、
『……様子見にしてもなっとらんな』
呆れた思念と共に、稲妻は儚く消えた。燐耀に触れることすらなく。
『雷とはこう使うのじゃ』
轟音──燐耀がこじ開けた法術結界の穴からエリッサの傍に降り注いだのは、天から墜ちる本物の雷。
「──っ」
術によって作られた稲妻もどきなどとは、比較にもならない。
直撃などせずとも、落ちた地面にはすり鉢の様な穴を穿ち、その衝撃と閃光は、エリッサを木の葉のように吹き飛ばした。
幼体でも強靭な肉体と生命力を誇り、成体ともなれば高い知性まで兼ね備えると言われる龍。例え大軍を擁しても屠ることは困難を極め、中には有り余る魔力によって天変地異をも引き起こすという伝説もある。
ただの伝説だと、思っていた──真実を目の当たりにするまでは。
『せいぜい精進するがよい……いや、もう聞こえとらんか』
土煙の中で昏倒するエリッサに向かって告げると、燐耀はさっさと夜天へ舞い上がった。
*****
禍々しくも壮麗な皇龍──その巨大な腕に抱かれて空を駆けるなど、恐らく二度と経験できないだろう、貴重な経験だ。
そんな貴重な時間は、すぐに終わった。空を一直線に飛んできたおかげで、高桐邸まではあっという間だった。
『ほれ、着いたぞえ』
「協力感謝。それと荷物持ちご苦労さん。今度食堂の一号定食奢ってやるよ」
『その言葉、忘れるでないぞ』
蒼真の馴れ馴れしい礼に、燐耀は思念伝いで返しながら、アレクシア達と荷物をその場に降ろす。
『て、しっかりせい……おい、聞こえとらんのか? ほれほれ~』
「……あ……」
皇龍の巨大な手が眼前で振られ、アレクシアは我に返る──それでようやく、自分が尻餅をついていることに気付いた。立ち上がろうにも、足に力が入らない。
「こりゃ重症だな……まあ、当然か」
蒼真は面倒そうにアレクシアを引き起こすと、ふと頭上の巨大な龍を見上げ、
「皇龍サマの無駄にデカい図体と、強烈な魔力に当てられりゃな」
『む……それもそうじゃの』
燐耀の巨躯が淡い光に包まれ、その姿が徐々に縮んでいき、壮麗な亜人の姿に変じた。
「ふむ。これで良いじゃろう」
滲み出る魔力や存在感は、本来の姿の時に比べると、だいぶ小さい。どうやら、〝亜人の姿〟でいることそのものが、強大な力を抑えるための一環なのだろう。
「ところが、良いわけないのよね~」
玄関から顔だけ出した鏡華が、呆れたように嘆息した。
「事情は知らないけど、おかげで結構な騒ぎになってるのよね」
言われてはじめて気づいたが、家の門の前からいくつもの声が聞こえてきた。
「お~い、高桐さんっ? 何があったんだいっ?」
「さっきの、皇龍サマんとこのお姫様よねっ」
「何々!? 何かヤバイことでもなってんの?」
「とりあえず警察呼んだからっ!」
どうやら、龍の姿で住宅街の上を飛び抜けたことが大騒ぎになっているらしい。
「……燐耀ちゃん、さっきからケータイ鳴ってるわよ」
「分かっておる、分かっておるんじゃが……ふ~む」
呼び出し音を鳴らすケータイを握ったまま、燐耀は何かを考え、
「妾は外の騒ぎを納めねばならぬでな。済まぬが、こちらは鏡華の頼む」
と、燐耀はケータイを鏡華に放ると、さっさと門に集まっているご近所方の方へと向かう。
「仕方ないわね……そういうわけよ、二人とも。蒼真はアレクシアちゃんの手当てをしてあげて……はい、もしもし~」
早口に言うと、鏡華はケータイを操作して通話に出た。
「え? 私です私~、高桐鏡華ですってば……ええ、お久しぶりです宗主サマ~……ええ、お嬢様はちょっと出られないんで~、とりあえず今は私が~」
だいぶ馴れ馴れしい態度だが、チラリと見えたケータイ画面の名前には、〝父上〟と出ている。
燐耀の父──つまり、皇龍の王を相手である。
鏡華の肝の太さは知っているが、ケータイ越しとはいえ、ああも馴れ馴れしい態度でいられるとは。
「……つうわけだ、とっとと手当てをやっちまうぞ」
唖然とするアレクシアに、蒼真は、面倒そうに中に入るよう促した。
3-3:〝出来損ない〟のアレクシア
「つまりだ……飛べるからってむやみやたらに空飛んじゃいけません、飛ぶならちゃんと決められた〝道〟を通りましょうって法律があるのさ。ましてや、皇龍サマなんつうデカくて強力なのが飛び回ったら、大騒ぎになるってわけで……さて、こんなもんか」
アレクシアに施した手当に満足そうに頷くと、蒼真はアレクシアの肩を引っぱたいた──患部を。
「~~~~~~~~っ!」
激しい痛みに、アレクシアはのたうち回りながら、蒼真を恨みがましく睨むが、
「ほれ、全然元気じゃねえか」
蒼真は、どこ吹く風で鼻を鳴らす。
「戯けがっ!」
そんな蒼真の頭を、いつの間にかやってきた燐耀がひっぱたいた。乾いた小気味よい音は、結構な威力をあったと思うのだが、蒼真は鬱陶しそうに燐耀を睨み、
「けど、俺の言った通りじゃねえか。大した傷じゃねえ、心配することなんざ無えって」
「そこではない。そなたの女子に対する扱いの酷さを指摘しているのであって」
「説教なら後にしろ……お前だって、天凰様にドヤされたばかりなんだろ」
「……まあのぅ……」
それを思い出したのか、気の抜けたような溜息を吐き出す燐耀。
外に集まってきたご近所方と警察に説明して帰ってもらった後で、再び父に連絡を入れたらしいのだが、ケータイ越しに怒鳴りつけられたらしい。
龍の姫君も龍の皇には、頭が上がらないようだ。
「……で、天凰様は何だって? 大目玉食らうついでに、色々話したんだろ?」
「うむ……じゃが、大きく動くのはしばらく見送りじゃな」
「? どういうこった?」
「その前に」
燐耀は、アレクシアに視線を向ける。燐耀が蒼真をひっぱたいてからすっかり置いてきぼりだったため、急に話を振られたアレクシアの胸は、大きく跳ねた。
「アレクシアよ。確かに大した怪我でないことは何よりじゃが、色々と話を聞かせてもらおうかの」
〝色々〟というのが何なのかは、いちいち問い返すまでもなく分かり切ったこと。しかし、
「ソレハ……」
アレクシアは、思わず口ごもる。脳裏によぎるのは、お世辞にも〝良い〟などとは言えない、神聖帝国での日々。
「もうダンマリ出来る状況じゃねえだろ」
そんなアレクシアに、蒼真は厳しく言った。
「蒼真よ、そう急かすでない……まあ、言っておることに嘘は無いがの」
割り込んだ燐耀は、蒼真を諌めつつも同意した。
「無論、我らとしても手助けは吝かではない。しかし、こうも何も知らぬ分からぬでは、助けようがないぞ……何やかやと面倒がって後回しにしてしまった、そなた達の怠慢ぶりも大概じゃがの」
と、燐耀が横目で蒼真を睨むと、蒼真はさり気なく視線を明後日に向けた。
言われなくても、状況は誰より理解しているつもりだった。思いだすのが辛い、などと言っている場合でないことも。
「……ワカッタ」
自分一人だけの問題──などと強がって、そのくせ一人でどうにかなるような問題でないことも。
アレクシアは、大きく息を吐きだし、
「あの人ハ、エリッサ……エリザヴェート・シュトロア。シュトロアは、神聖帝国の、とてもエライ家の……イチバン偉いヒトの、コドモで、ワタシと同じ、えっと教室ノ」
「ああ、待て待て」
と、燐耀はアレクシアの言葉を遮り、
『色々と難しい単語もあるだろうからな。神聖帝国語で話そう』
神聖帝国語に切り替えた。ただでさえ、幼児並みに拙いアレクシアの陽出語では、説明は極めて難しいだろう。
アレクシアは、久々に使う、しかし使い慣れた神聖帝国後で語り始めた。
*****
四大賢人──神聖帝国初代皇帝より秘法術を授かり、皇族に次いで強大な法術師とされる大貴族の四家。
その一柱である〝劫炎の華〟──フローブラン家の末子として生まれたアレクシアは、皇室の落胤ではと噂されるほどの内在法力量を秘めていた。
あくまで、内在量だけだった。
膨大な内在法力量の代償とばかりに、それを一度に放出する量があまりにも小さすぎた。例えるなら、大海の水を小さな蛇口一つで、無理矢理捻り出そうとするものだった。
法力量に見合うだけの上位法術が使えない──周囲の大きな期待が、大きな失望へと覆り、侮蔑へ変換されるまではあっという間で、気づけば〝出来損ない〟と呼ばれるようになった。
末子とはいえ、フローブランという名家の血族であることや、内在法力量が桁外れという点も、悪目立ちする形になった。
教師や学友はおろか、親兄弟達にすら罵倒され、見限られ、完全に孤立した。
そして孤立した爪弾き者を、逆に放っておかない輩が出てくる。
その最もたるが、四大賢人が一柱である〝大嵐の咆〟──シュトロア家の長女にして、稀代の天才と称されたエリザヴェータ・シュトロアだった。
もともと自信家であり、〝エリッサ〟という愛称で呼ぶ事を許すなどと高慢な言動ではあったが、アレクシアとはそれなりに仲は良かった。
なのに、アレクシアが〝出来損ない〟と見なされた途端、やはり彼女も手の平を返した──というより、最初からそれを狙っていたのだと、後で気づいた。
アレクシアのフローブラン家と、エリッサのシュトロア家は、四大賢人の中でも〝双璧〟と並び称される程の優れた法術の家系であり、それ故に長年に渡って反目する間であったから。
エリッサは、表向きは優等生を演じていたが、裏ではアレクシアを徹底的に痛めつけ、辱めた。
皆の前で、出来ないと分かっている術をやらせて笑いものにするのは当たり前。稽古と称して、攻撃法術の的にされることもあった。
そんなエリッサの悪意や蛮行は、しかし誰も信じなかった──出来損ないの被害妄想だと、皆が鼻で笑った。
そして──あの事件が起こった。
3-4:あの夜の出来事
あの夜──エリッサの取り巻きたちに、半ば攫われる形で連れてこられた廃屋に、エリッサはいた。禁術を用意をして。
家名に恥じぬ天才的な法術師としての才能を早くから開花させ、様々な上位法術を体得していたエリッサは、既存の法術では満足できなくなっていたらしい。禁固から禁術書を勝手に持ち出して、それをアレクシアで試そうとしたのだった。
結果──術は失敗した。
エリッサの使った禁術は、いわゆる精神汚染──受けた者の理性を侵食し、崩壊させ、狂わせる術であった。発動すると、その場にいる全員の精神どころか、肉体にまで影響を与えかねないほど、恐ろしく強力な。
エリッサにとって誤算だったのは、崩壊したのが、アレクシアではなく取り巻きたちの方だったこと。
無事だったのは、術者であるエリッサと、膨大な法力量が結果として強固な防壁となったアレクシアのみ。
合わせて五人の取り巻き達は──その姿を歪に変貌させ、狂った魔物と化してしまった。
アレクシアがはっきりと覚えているのは、エリッサが強力な攻撃法術を使ったことまでで、次に目を覚ました時には、全てが終わっていた。
曰く、
『アレクシアが功を焦るあまり禁術を盗み出した』
『エリッサがそれを止めようとするも、禁術は発動してしまった』
『五人のうち三人が天に召され、一人は廃人、生き残った一人も二度とまともに歩けない体になってしまった』
『実はアレクシアは、この五人に影で虐げられており、復讐も兼ねていた』
などという筋書で、アレクシアは大罪人の烙印を押され、死刑宣告を受けた。
父は見放し、母は諦め、兄は唾棄し、姉は安堵し、教師や同級生らは、同情と侮蔑の嘲笑を投げた。
非の打ちどころのない神童と、神童になり損なった出来損ない──アレクシアに味方する者など、誰一人いなかった。
*****
長い話し終えたアレクシアは、大きく息を吐き出した──吐き出してから、自分が深呼吸したことに気づいた。
時計を見れば、小一時間は経っている。長い話をしたつもりはなかったのに。
『……念のために訊くが』
燐耀は不快を我慢するように訊ねた。
『そのエリッサとやらは、そなたや取り巻きを贄にして、何を得たのじゃ?』
『〝帝室法術師〟の候補になったみたい』
帝室法術師──皇帝直属にして、神聖帝国の最高峰とされる法術師達の最精鋭。
その実力は一騎当千──帝室法術師一人に対し、並の術者が束になっても適わないとされ、候補に挙がるだけでも相応の実力を持つ術者の証明となり、大きな栄誉とされる。
元々候補入りも確実と言われていたエリッサだが、事件を鎮め、犯人をその手で捕らえた功績が認められ、予定が繰り上がったのだった。
その話は、他ならぬエリッサが持ってきた。
本来なら他人に見せるべきでないはずの辞令の文書まで持ち出して自慢してきた。
拷問でボロボロになったアレクシアを、格子越しに嘲笑しつつ。
「まあ、その何だ……大変だったな」
蒼真は、ただ淡々と陽出語で言った。どうやら、神聖帝国語では上手い言葉が見つからないらしい。
「もう少し気の利いた気遣いが出来んのか。いらんことは、滝のように吐き出すというのに」
「今の胸糞な話で何言えってんだ。俺はそこまで悟ってねえんだ。リン子、手本見せてくれや」
「だからリン子ではないと言っとろうがっ!」
「何だよ、お前もだいぶカリカリしてるじゃねえか」
噛みつく燐耀に、蒼真は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「帰ったら、天凰様の雷がもう一発落ちるんだぜ。今のうちに、少しくらいは頭冷やした方が良いんじゃね?」
「ほほ~ぅ……?」
暗い笑みを浮かべる燐耀の角が、乾いた音を立てながら稲光を帯びる。
「その雷を落とされる原因となる無茶をやらせた身で、面白い言を吐くではないか~? ならば景気づけに、今、この場で、特大の雷でも落としてやろうか? んん~?」
「だから後で奢ってやるって言ってんだろ。こんな部屋ん中でぶっ放すなや」
蒼真は、さすがに危機を感じたらしく、今更のように諌めにかかるが、燐耀は暗い笑みのを更に深くし、
「心配するな。その辺りは充分に調整や加減をしよう」
雷の動きが、激しさを増していく。
「どこが調整だの加減だってんだ……ああ、悪かったっ! 悪かったからマジでやめろっ! ウチが吹っ飛んじまうってのっ!」
蒼真が、さすがに悲鳴交じりにその場で土下座した。
冗談でも何でもなく──燐耀から溢れ出した魔力の量と密度は、仮に雷に変換したら、蒼真やアレクシアはもちろん、この部屋どころか家ごと吹き飛ばしかねない。
「……良いじゃろう。あの蒼真の素直な詫びなど、数年に一度あるかないかじゃ。それに免じて、この場は納めてやろう」
燐耀が大きく息を吐き出すと、濃密な魔力は一瞬にして消える。
「……ったく面倒くせえお姫様だ……」
伏せたまま、ポツリと悪態をつく蒼真。それを聞きつけたらしい燐耀の眉が跳ね上がり、
「ほら貴方達。じゃれ合うのはそこまでよ」
と、手を叩きながら割り込んできたのは、障子の間から顔を出した鏡華だった。
「そろそろゴハンにするわよ。続きは後にしなさい……リン子ちゃんも食べてくでしょ」
「鏡華、そなたもか。妾は、リン子ではなく燐耀じゃと何度言えば」
「あらごめんなさい……で、どうするの?」
「……もちろん、ありがたく馳走になるつもりじゃ」
激昂を押さえるように息を吐き出しながら、燐耀は頷いた。
神聖帝国のそれとは違うが、鏡華の料理は絶品である。アレクシアも、食事はここに来てから楽しみとなっていたが、まさか龍の舌をも虜にしていたとは。
「んじゃ、今度の一号定食を奢るのはチャラってことで」
「それはまた別の話じゃ」
と、どさくさ紛れに言う蒼真に、すかさず振り返った燐耀は誰もが見惚れる素敵な笑顔で却下した。
「どさくさ紛れの誤魔化しなど、妾に通用すると思うたか? 戯けが」
「ったく、面倒な上にせこいお姫様もいたもんだ」
蒼真は、今度は隠そうともせず忌々しげに吐き捨てた。
3-5:決めるのは自分自身
燐耀も唸らせ、楽しみの一つとなっているはずの鏡華の絶品料理──なのに、今夜の夕食は、何故か味が分からなかった。体は正直なので、味は分からなくても、しっかり平らげていたが。
「さて」
食後の茶を半分ばかりすすったところで、鏡華は言った。
「それじゃ、これからの話よ」
「だな」
「うむ」
蒼真と燐耀が頷く一方、アレクシアは首をかしげた。
「これカラ?」
「当たり前だろ。あの、エロスだかエレベータだっけ? 見るからに執念深くて陰険でしつこそうな奴だぜ」
明らかに無理やり名前を呼び間違えている上に、言い放題の蒼真。
「あの程度で諦めるわけねえだろ」
そして、全くもってその通りであった。
エリッサは、決して引き下がることは無い。見下している相手なら、尚更。
「……根本的な話なんだけど」
返す言葉を探して口ごもっていると、鏡華が静かにこちらを見据えていた。
「アレクシアちゃん。貴方はどうしたいの?」
「どうしタイって」
「神聖帝国で色々あったんだろうけど、今の貴方はもう、宙ぶらりんな状態よ。つまり、貴方自身でどうにでもできる……というか、どうにかしなきゃいけない。自分で決めなきゃいけない」
笑みはなく、しかし真面目と言うには柔らかく、しかし無表情というには温かみがあり──そんな表情は、アレクシアは見たことが無かった。
「ワタシは……」
蒼真と燐耀に縋るような目を向けるが、蒼真はあっさりと目を逸らし、
「これじゃ話が全然進まねえな」
と、つまらなそうに吐き捨てると、さっさと席を立って居間を出ていってしまった。
「先ほども言ったが、協力や手助けは吝かではない。同情も、いくらでもしよう」
そして燐耀は、穏やかに、しかし厳しく言った。
「じゃが、まずそなたが決めて動かぬようでは、どうしようもないのう」
言い残して、燐耀も席を立って出て行った。
「じっくり考えなさい……と言いたいけど、そう時間も無いわ。どうするにせよ、急いだ方が良いわよ」
そして、鏡華も食事の後片付けを始め、その場には残ったのはアレクシアだけ。
いつまでもそうしてるわけもいかないので、アレクシアも自分の部屋に戻った。卓に向かい、今日の復習と明日の予習もそっちのけであれこれ考えて──結局、頭の中がまとまらないまま堂々巡りを繰り返し、小一時間が過ぎた。
『自分で決めなきゃいけない』
鏡華の言うように、これはアレクシア自身の問題。言われなくても分かっているのに。
「……は」
思わず笑いが漏れる。
エリザヴェータ・シュトロア──若くして帝室法術師の地位を約束された稀代の天才法術師。その才覚は、紛れも無く本物である。
〝出来損ない〟如きにどうにかできる相手ではない。比べることすら無意味。それが紛れも無い事実であることは、ついさっき証明された。怪我だけ(・・・・)で済んだのは、蒼真の機転と皇龍という埒外の存在のおかげだった。
「あはは……はぁ……」
無理に笑って、しかしすぐ虚しくなり、笑いはため息に変わる。吐き出した勢いで視線が動き、
「あ……」
視界に入ったのは、一冊の絵本。陽出語の読み書きを学ぶ一環で、鏡華が貸してくれたのだった。
アレクシアは、何となしに手を伸ばしてそれを開いた。
*****
最初に目を通したときは、言葉の拙さもあって読み進めるのがやっとだった。今なら物語の内容もすんなり頭に入ってくる。
題名は〝船乗り少年の冒険〟──分かりやすい名前の通りの内容だった。
貧しい漁師の少年が、ある外国から来た船乗りとの出会いをきっかけに、海に、そしてその向こうにある未知の世界にあこがれを抱き、そこを目指すことを決心する。
それは決して簡単ではなかったが、少年は不屈の精神でもって工夫を凝らし、完成させた自作の船で、冒険の航海へと旅立っていった。
よくある物語である。似たような絵本や冒険譚は、神聖帝国にもいくらでもある。絵本ということもあり、今のアレクシアなら読み終わるまでに十分とかからなかった。
その筈が、
「……」
そんな場合でもないのに、アレクシアは、それを何度も読み返す。
何度も。
何度も。
「……やはり、そうでしたか……」
「っ!」
障子の向こうから聞こえてきた燐耀の声に、アレクシアはやっと現実に立ち戻る。本を閉じて障子を開けると、燐耀が庭先でケータイを片手に何かを喋っていた。
「そのことですが……いえ、実行はもうしばらくお待ちを……申し訳ないが、細かいところはお任せいたします……ああ、妾は今夜は高桐の屋敷に厄介になりますゆえ……では」
燐耀はケータイの通話を切ると、こちらを振り返り、
「盗み聞きとは、そなたも悪よのう?」
「……っ」
アレクシアは、思わず息を呑む。
制服ではなく浴衣に着替え、髪を結い上げたおかげで晒されたうなじに、風呂上がりの湿り気──更に際立った艶めきに、視線を逸らせない。
人だ魔だ男だ女だ──無意味な括りである。
〝極致の美〟──アレクシアの知る言葉で表すなら、そんなところか。
「む? 何じゃ?」
「イエ、何でもナイ……燐耀は、帰っタンじゃ」
「そのつもりじゃったが、何やら面白いことになりそうじゃからの」
「とか何とか言ってるが、親父さんが怖くて帰りづらいってのが、一番だろうがな」
茶請けを手にやってきた蒼真が茶化すように言うと、燐耀は睨むのは一瞬、憐れみの目を向け、
「何を他人事のように言うておる。いずれそなたにも、父上からご下問があるぞ。遅くても、明日中にはのう」
「……だよなぁ~」
それまでのふざけた調子はどこへやら──蒼真は、疲れたように肩を落としつつ、その勢いで茶請けを降ろし、急須を傾けて碗に茶を注いで皆に配る。
受け取ったそれを啜ると、程よい温かみと深い味わいがジワリと全身に伝い、面倒な事や嫌なことを一瞬でも忘れかける。
「さて……そろそろ、あの娘と迎え撃つ算段を立てようかの」
が、燐耀によって、すぐに現実に引き戻された。
3-6:頼れる後押し
「その様子では、だいぶ迷走しておるようじゃが、先に申し添えておくぞ」
燐耀は、自分の茶を一口すすり、
「皇龍をアテするというのは、最初から除外せい」
厳格に突き放されて、アレクシアは言葉に詰まる。
皇龍ならば──それは、多少なりとも期待していたことだった。
燐耀は、アレクシアの分かりやすい反応に肩をすくめ、
「鏡華も言っておったじゃろうに。これはそなたが解決するべき問題……いや、乗り越えるべき試練じゃからの」
「それは……マダ戦うかドウカも」
「まだそこかよ……」
もごもごと言うと、蒼真は呆れるように鼻を鳴らした。
「急いで決めろってのは、具体的にどうするかってことまでだ。戦うにしても逃げるにしてもな」
燐耀も蒼真も、正論を言っている。そもそも、自分がここでこうしていることからして、充分助けられている。この期に及んで、手を差し伸べられないことに落胆するなど、筋違いである。
それは、分かっているのだ。
「それは……デモ」
「そんなデモデモダッテで考えるフリしていじけてたって、奴は来るぜ。自分に都合の悪いことを、何もかもお前に押し付けるためにな」
苛立ちを隠さず、蒼真は吐き捨てた。
「で、お前をぶっ殺して、その首を持ち帰って確かに討ち取りましたって声高に叫んで、のうのうとふんぞり返って腹を抱えて大笑い、と……お前、よくあんなのとお友達やってたな?」
「友達、チガウ」
冗談じゃない。間違っても、〝友達〟であって堪るか。
「まあ、友か否かはともかくとして……あの済ました面での大笑いか~」
それを想像したのか、燐耀はさもおかしそうに吹き出した。
「そういえば、最近流行りのあにめ番組に、そのような悪女が登場しておったのう。それが現実に拝めるとあらば、それはそれで面白そうじゃ」
〝あにめ番組〟がどういうモノかはよく分からないが、あのエリッサなら確実にそうするであろうという予想が、半ば確信に近い形でアレクシアにはあった。
あのエリッサなら、と。
「……」
エリッサのそんな姿を想像してみたら──腹の内で、何やらグラグラと沸くような感触が生まれた。
「見ている分には面白そうじゃが……嘲られる道化役はそなたじゃぞ、アレクシアよ」
燐耀の笑みは、とても優しい──小さな子供を諭すかのごとく、慈愛に満ちていた。
「己の実力も弁えなかった愚か者、追い詰められて自棄になった憐れなクズ、まああの出来損ないにはふさわしい最期……」
あるいは──憐れむように。
「そなたは、死んでからも笑い者じゃろうな。その大笑いする第一人者だか代表格だかは、誰じゃろうな?」
誰──その顔が思い浮かべた瞬間、腹の内で沸くものが何なのか、自覚した。
恐怖ではない。
怒りだ。
「本当にそれで良いのか?」
「……イイエ」
呻くように絞り出される否の言葉が、気づけば吐き出されていた。
「絶対に、イイエ」
「なれば良し」
と、燐耀は鷹揚に頷いて見せると、再度茶をすすり、
「では、改めて策を講じるとしようかの。頭数を揃えれば、多少なりとも良い方向に転がるだろうて」
頭数を揃えれば──それは、
「……私ヲ、手伝ウ?」
そなたが解決するべき問題──と、ついさっき突き放していたのに?
「そなたが決すべき事案ではあることは、間違いない」
燐耀は、何やら偉そうな顔で頷きながら言うと、不意に不敵な笑みを浮かべ、
「が、タダで高みの見物を決め込むほど、厚顔無恥なつもりもない。手は貸せぬが、知恵を授けるくらいはさせてもらおう……まあ、不要ならば無理にとは言わぬが」
「そんなことは、トテモ、無い」
考えがまとまらない今、知恵を貸してもらえるだけでも、とてもありがたい。
「話はまとまったな」
と、蒼真は立ち上がり、
「そんじゃ頑張れよ~」
「何を他人事のように言うておる? 待たんか」
さっさと出て行こうとする蒼真の襟元を、すかさず燐耀が捕まえた。
*****
「ここまで首を突っ込んでしまった以上、そなたにもしっかり働いてもらわねばな」
「えぇ~?」
「まあ、あれじゃ。タダとは言わぬぞ、ほれほれ~」
蒼真を振り向かせた燐耀は、ふと何かを考えると、自分の浴衣の襟元を大きく開いて見せた。
「今なら、妙齢の美女が漏れなく付いておるぞえ。それも二人もの~」
なかなかどうして大きく実っている上に、形もお見事──それがはっきり見せるのに、肝心の部分は決して見せない、絶妙な線引き。
見えそうで見えない──それは、かえって扇情的な雰囲気であった。
なのに、
「あ~はいはいそうだったそうでした~」
蒼真は、鬱陶しげに燐耀の手を振り払うと、さも仕方なしとばかりに二人に目を向けてやり、
「え~何だって~? 妙~齢~の~ビジョ~? むしゃぶりつきたくなりますね~夜這いしたいね~襲いたくなりますね~がおがお~」
それはもう、わざとらしく、両手で瞼を大きく広げて、見たくもないのに仕方なく見てやってるんだと言わんばかりに。そして、大きく開かれた眼には何も映していなかった。
「……」
別に、自分の容姿が優れているとは思わないが、かといって特別劣っているとも思わない。なので、何だか物凄く釈然としなかった。特に女としての矜持とか誇りとか自尊心とか。
「……心中、察して余りあるぞ」
何とも言えない表情を浮かべるアレクシアの肩に、燐耀が優しく手を置いた。アレクシアと同じような、何とも言えない表情を浮かべて。
「鏡華も案じておったし、妾も前から思っておるが……そなたは本当に年頃の男子か? 年頃の女子の閨に足を踏み入れるなど、泣いて喜ぶものじゃろうに」
「あ~はいはい涙が出るほど嬉しいね~」
と、泣き真似などして見せる蒼真。
燐耀は諦めたように深々と溜息をつき、
「蒼真よ。そなたには女の魅了より、もっと直接的で分かりやすい手段の方が良さそうじゃの?」
いつの間に用意したのか、その手には荒縄が握られていた。
3-7:若者たちの悪巧み
「さて、ずれた話を戻すとしようか」
着崩した浴衣を整えると、燐耀は表情を引き締めて話を進めた。
「では、まずは手札の確認じゃな。そなたは何が出来るのじゃ?」
「おい」
「……私ハ、法術は」
「法術と言っても、様々あろうて。どんな小さなことでも良い、何が出来るのじゃ?」
あるにはある──というか、今思いつくのはそれしかない。
「おいって」
「錬成ナラ……」
言ってるうちに、萎んでいく。羞恥心が、アレクシアの声を抑えつけていた。
「錬成……ふ~む……」
「おいっつってんだろうがぁ!」
低い位置から響いたのは、蒼真の怒声。見れば、荒縄で縛り上げられた蒼真が転がっていた。
「何なんだよこの扱いはっ?」
「そもそもの日ごろの行いと言動をしかと考えた上で、己の胸に聞いてみるがよい」
「ぐぇっ?」
燐耀は蒼真を蹴りつけて喚き声を黙らせる。何故だろう。同情すべき姿なのに、それが蒼真というだけで小気味よかった。
「さて、話を戻すが……まずは、これを」
と、燐耀が差し出した手には、小指の先もあるかどうかの小さな石。それを手に取ると、強い魔力を内側から感じた。どうやら、〝魔石〟と呼ばれる魔力を帯びた石のようだ。
「これの複製は出来るかの?」
「複製って……お前、そいつは」
「出来るのじゃろう?」
目を剥いた蒼真を気にも留めず、燐耀はアレクシアを促す。
蒼真の態度は気になるが、アレクシアは魔石を持つ手を握りしめ、法力を送り込む。法力を受けた石の魔力が内側で干渉し、強く反発する。小さい上に、燐耀の魔力に隠れて気づかなかったが、かなり強力で高純度の魔石らしい。
アレクシアは、魔力の強烈な反発を無理に押さえつけるようなことをせず、少しずつ、しかし確実に自身の法力と馴染ませつつ、そこから石の構造や材質を読み取り、同じモノを頭の中に浮かべ、それを法力でもって再現、空いている右手の中に構築する。
時間にして数分を経て、アレクシアが右手を開くと、大きさ、形、重さ──左手のそれと全く同じ魔石が乗せられていた。
「ふむ……」
燐耀は、複製した方の魔石を手に取り、魔力を送り込む。それに反応したのか、複製魔石は赤い光を放つ。送り込む量が大きくなると、比例して放つ光も大きくなっていき、
「!」
音を立てて無数の亀裂が走り、石は砕けてしまった。燐耀が砕けた破片を摘まむと、さらに細かい砂になって零れ落ちる。
「純度や強度は真に及ばずも特性は同じ、か」
「いやいやいやいやっ!」
蒼真は驚愕の文字を張りつけたような顔で跳ね起きた──ほどかれた縄がバラバラと落ちた。何をどうやったのか、縄をほどいたらしい。
「特性が同じってのがあり得ねえだろっ! 緋日金だぞ緋日金っ!」
蒼真の口ぶりを見る限りでは、かなり価値の高いモノらしいが、聞いたことのない魔石では、今一つピンと来ない──と、思っていたら、
「希少価値としては、オリハルコンにも相当するじゃろうの」
「……ぇ……」
燐耀の言葉に、アレクシアは間抜けな吐息を漏らした。
魔力を帯びる魔石に対し、法力を帯びる〝神造鉱〟──そんな稀少鉱石の中でも、オリハルコンは最高級とされており、別名〝神の血〟とも言われる。
「いや……正直、全~然期待してなかったけどさ、こりゃ思った以上にイケるか」
これまでのやる気の無さが嘘のように笑った。
「……いや、イケるぞ」
アレクシアの背中に悪寒が走るくらいの、恐ろしく悪い笑みで。
「こりゃ蒼真、アレクシアを怯えさせるでない」
と、呆れたように諌める燐耀だが、浮かべているのはそれはもう、悪い笑み。ただでさえ強大な存在がそんな顔をするものだから、アレクシアは危うく気を失いしかけた。
*****
その圧が、良くも悪くも後押しになったらしい。
緋日金に始まり、手あたり次第を追い立てられるように複製した。そこから錬成を組み合わせ、更に細工を施しつつ、それを元にあれやこれやと策を考えながら細かい調整を重ね──気づけば夜空が白み始めていた。
「……少々不安は残るが、さすがに時間切れかの」
燐耀は肩をすくめながら、あれこれ書き連ねた手帳を閉じ、
「それに、これ以上手を加えるのも、かえって逆効果じゃろうて」
「や~れやれ、徹夜なんて初めてだぜ~」
蒼真は体を伸ばし、思い出したように大きな欠伸などする。今の今まで、絵に描いたような悪人ぶりだったというのに、そんな気配は一瞬で消え去っていた。
「ぼやくでないわ、阿呆が」
と、燐耀は蒼真の頭を軽くひっぱたく。さすがなもので、全く疲労を感じさせない艶めいた顔のまま。
「そなたは、普段は人一倍の怠け者。なればこそ、そなたは人の三倍は働いて丁度良いのじゃ」
思えば、驚くべき光景である。普段から今一つやる気を見せず、寝つきの良さは赤ん坊並。夕食を食べた後は、起きていても仕方ないとばかりにさっさと眠ってしまうのが、高桐蒼真という男である。
そんな男が〝徹夜〟などと、冗談どころか奇跡である。
「あ~そうですかそうですね~……にしてもさ~」
蒼真は、部屋の隅に寝ぼけた目を向ける。アレクシアの力で複製された魔鉱石が、山積みにされていた。
「ここまでやれる奴が何で〝出来損ない〟になっちまうんだ?」
「そなた、話を聞いておらんかったか? 一度に放出できる分が極めて少ない故に」
「だから、そこなんだよな~」
と、寝ぼけた目でアレクシアを見やり、
「放出が少ないってことは、法力の密度や強弱を、細かく調整が出来るってこったろ。時間が無いから今は大雑把にやっちまったが、もっと高度で精密な細工や錬成もできるぜ。そんな奴が、どうして濡れ衣を簡単に着せられるような〝出来損ない〟になるんだっつう話さ」
寝ぼけた目のまま、鋭く指摘した。
「……錬成や細工の法術ハ、トテモ低級で低俗と呼ばれテル。才能に恵まれなかった術者が目指す系統ダッテ」
故に、それを得意とするのは、決して誇れることではない。どころか、錬成系の適性は、〝無才非才の証明〟とまで言われていた。
それこそ──オリハルコンのような神造鉱を扱えでもしない限り。
「地精族や単眼鬼族の連中には、とても聞かせらんねえな。じゃあ、高貴で上級な系統は何でございますかね?」
「決まっておろう」
皮肉を込めた蒼真の問いには、燐耀が答えた。
「戦闘攻撃法術じゃ」
皮肉を込めて、冷たい声で。
「神聖帝国の歴史は、突き詰めてしまえば〝戦争〟じゃからの」
3-8:〝神聖帝国〟という国
神聖帝国が、〝今の形〟になったのは、百年ほど前の事。
それまでは、数々の国や部族が群雄割拠する戦乱の時代であり、敵は魔の物だけでなかった。
戦いに次ぐ戦いが続き、求められるのはより大きな力。研鑽研究も戦争目的が前提となり、力を入れられるのは、派手で明確な〝結果〟をもたらす攻撃法術の発展研究で、錬成細工のように〝戦争向き〟ではない類に対する関心は、自然と遠のいていった。
始皇帝と四大賢人が、その強大な力を以て大陸南部統一したことで戦乱を平定したものの、その風潮や価値観は、百年たった今でも薄れることは無い。
「かくして、錬成系統の術は〝不要ではないが後回しでも良い〟とされ、今や〝出世街道から零れ落ちた者の最後の滑り止め〟などと称されるような蔑視の対象となった……と、ここまでで訂正はあるかの?」
横目で確かめる燐耀に、アレクシアは黙って首を横に振る。燐耀の話に、一切の間違いは無かった。
「笑えねえくらい勿体ねえことしてるもんだな」
黙って聞いていた蒼真は、口にするのも馬鹿らしいとばかりに吐き捨てる。
「それとも神聖帝国っつうのは、見る目の無い連中の集まりなのか?」
「勿体ないという点は同意出来るが」
燐耀は苦笑交じりに頷いて見せ、
「その認識は、陽出乃国の目線に過ぎんじゃろう。〝原生文化保護の精神〟は、そなたも知っておるじゃろうて」
「何? その、原生文化ほひょ……エット」
言葉を噛んでしまい、耳ざとく聞きつけた蒼真が堪らず吹き出し、
「〝原生文化保護の精神〟だ。しっかりしろいで!?」
「そなたは少し黙っておれ」
そんな蒼真を、燐耀はすかさず引っぱたいて、話を戻す。
「そうじゃな……アレクシアよ、陽出で暮らし始めた頃のそなたはどうじゃった? どのような心情じゃった?」
「……驚イた、トテモ」
よく思い返してみても、それ以外に言い様が無い。魔物どころか、燐耀のような魔王と称しても良いような強大な種族との共存を始めとする文化、文明、思想、価値観──一つ一つ挙げたら、キリがないだろう。何かを目の当たりにするたびに、大なり小なり衝撃を受けていたのだから。
「そなたのように、個人の単位──一人や二人だけなら良かろう。じゃが、これが国家規模となったら、どうなる?」
想像もつかない──〝想像もつかない〟ような大混乱になることは、間違いないだろう。決して、大げさな話ではなく。
そこまで考えが進めば、話も見えてくる。
「……その国や土地ノ文化や、伝統ヲ大切にスルっていう、考え?」
「凄ぇ簡単に……というか、好意的に捉えればそんなところだな。実際は、いらない面倒をしょい込むから手を出したくないってのが本音だろうがな」
皮肉めいた蒼真の言い様だが、恐らくはそれも真実だ。好き好んで面倒事に手を出そうなど、ただの狂気だ。
だとすれば、
「じゃあ……陽出が神聖帝国に侵略シタって話は、嘘なの?」
「はぁっ?」
「ほう……」
図書館で歴史の本に目を通した時から抱えていた疑問を投げると、蒼真と燐耀は驚いた顔を見合わせ、しかしすぐに理解するような色に変わった。
「そんな図式は寡聞にして聞いたことはないのう。その逆であれば、いくらでも聞かされておるが」
燐耀は、遠回しながら実に分かり易い答えを返し、
「仮に、じゃが」
次いで、皮肉も込めて問いかける。
「陽出が神聖帝国を侵略して、その労力に見合うだけの得があるかえ?」
戦争というものは、多大な負担が掛かる。ましてや〝侵略〟となれば、その負担は〝防衛〟の数倍とも言われる。
つまり──そんな負担や労力見合う〝価値〟が侵略相手に無ければ、極めて多大で無駄な浪費となってしまう。さらに言えば、およそ〝戦争〟というものは、戦時中よりも戦後の方が、処理に困る案件が圧倒的に多い。
これらを踏まえ、双方の国力や文明の差異、そして先ほどの〝原生文化保護の精神〟の話も合わせて考えると、
「……無イ」
アレクシアが断言で答えると、燐耀は頷き、
「そうじゃ。神聖帝国を侵略しても、陽出にとっては無意味且つ多大な徒労でしかない」
「もっとも、お前の国じゃ、陽出はどこまでも〝悪の野蛮人〟てされてるようだがな」
意地悪く割り込みながら、蒼真は急須に手にとって茶碗に傾ける。
「〝正義の名の元に悪を討つ〟なんて大義名分で戦うのは、そりゃ気分の良いだろうな……て、ありゃ?」
蒼真の皮肉交じりの笑みが、急に曇る。
碗に注がれたのは茶ではなく、茶渋塗れで冷めきった、濃い緑を通り越してどす黒くなった液体。死にはしないだろうが、見るからに不味そう。
「……飲むか?」
茶を差し出す蒼真の態度は、念のために訊ねてみただけと言いたげ。
「イタダキマス」
「あ?」
アレクシアが少しも迷わず茶碗を受け取って一気に煽ったものだから、蒼真は止める暇も無かった。
「~~~~っ」
苦味なのか辛味なのか、あるいは甘味なのか──〝不味い〟という表現も形容も通り越した、〝味〟と呼んで良いのかも怪しい感触に、アレクシアは激しく噎せ返った。
そんなアレクシアに、蒼真はむしろ呆れるような目を向け、
「……こんなの間に受けるなよ」
「だ、大丈夫……」
笑いをかみ殺す燐耀から差し出された布巾で口元を拭い、アレクシアは苦い息を大きく吐きだしながら笑って見せた。
「毒ミタイな薬、飲まさレタコともアル」
「毒みたいな薬、のう……」
燐耀の笑みが、ふっと消える。
「それも、あのシュトロアの娘の仕業か?」
「チガウ。父や兄」
強力な薬で、しかも原液に近いモノだった。もっとも、その効果は〝法力強化〟であり、法力量が元より常人離れしていたアレクシアには全く効果は無く、そのくせ副作用はしっかりと働いて、一週間絶対安静となった。
「法術を至上とする文化や価値観というのは、まあ理解は示そう。だが……やはり、共感は出来ん。それで才覚を潰すようでは、尚更な」
燐耀は、嫌悪感を隠さずに吐き捨てた。
「……と、もうこんな時間か」
燐耀は、明るさが増した外と時計を確かめて、腰を上げる。
「これでは一眠りもできんな……これ、しっかりせいっ」
半目でウトウトする蒼真を、燐耀はひっぱたいた。
「明るくなったなら丁度良い。用意したあれこれを、さっさと裏山に運びこむのじゃ」
