斯くて少女は、新たな一歩を踏み出す 終章
終章 ~新たな世界へ~
E-1:新生活
「今日からこちらでお世話になります、アレクシ……いえ、高桐詩愛、です」
本名を口にしかけて、アレクシアは慌てて言い直す。集まっているのは、手の平大の小人から見上げるような巨人まで、これまた様々な種族達。
「至らぬ点も多いですが、よろしくお願いいたします」
だいぶ流暢になった陽出語で挨拶し、行儀よく頭を下げた瞬間、
「よろしくぅっ!」
「まさかのカワイコちゃんだなっ!」
「魔力……じゃなくて法力持ちだな? 陽出じゃ珍しいな」
「高桐ってことは、もしかして鏡華さんとこの?」
「まさかあの、枯れた若造についに嫁が来たのか!?」
人類含む様々な種族たちに群がられた。中には、何ともよく分かっている事を仰る輩もいる。
「おいテメェらっ! 新顔の紹介はそこまでだ!」
騒ぎ声を一気に吹き飛ばす大喝を放ったのは、豊かな口髭を蓄えた地精族の男。神聖帝国で言えば、ドワーフというところか。
「さっさと仕事につけ! 詮索するなら、体動かしながらやれ!」
名をゼル──〝親方〟と呼ばれるここの長であり、体躯はアレクシアの半分にも満たないのだが、貫録は間違いなく確かなものらしい。ゼルが次々に飛ばすと、アレクシアに群がっていた連中が一斉に持ち場へと散っていく。
「さて、新入りよ」
ポツンと残されたアレクシアに、ゼルは思い出したように話しかけた。
「高桐の奥さんの話じゃ結構なモノを持ってるようだが、それが日の目を見るのはまだ先だ……おい、エリィ!」
「は~い」
と、光の尾を引きながら、蛍精族の娘が飛んできた。
「しばらくは、お前んとこで世話してやれ。使えねえようなら、さっさと切り捨てろ」
「分かりました~」
間延びした返事をしながら、エリィと呼ばれた蛍精族の娘はアレクシアの前にやって来る。蛍精族としては大柄だが、どこか気の抜けたような顔が印象的だ。
「……それじゃ、え~っと詩愛ちゃんだっけ? しばらくはよろしく~」
「は、はい」
「声が小せえっ! 気合入れねえと潰されっぞっ!」
「わ、分かりましたぁ、親方っ! よろしくお願いします、エリィ先輩!」
「はいは~い。それじゃ私についてきてね~」
忍び笑いを漏らしながら飛んでいくエリィに、アレクシアを慌ててついていった。
*****
ここは、〝匠の荘〟と呼ばれる工房──様々な分野で使われる、精密部品を製造して卸すのが、主な仕事であった。
工房主であるゼルは、陽出において指折りの職人であり、その下に集うのも腕の良い者達ばかり。規模こそ小さいが、陽出における随一の工房であった。
アレクシアが働くことになったのは、そういう場所だった。
「高桐詩亜、ねぇ……」
わき目も振らずに駆け回るアレクシアを睨みつけながら、ゼルは懐から小指の先ほどの小石を取り出す。
「アンタや皇龍様のお墨付きだから、何かあるとは思っちゃいたがよ~」
それをしばらく眺めると、ゼルは疑念に満ちた目で後ろを振り返った。
「蓋を開けりゃ、こんなモノをホイホイ出すようなバケモノときたもんだもんなぁ」
こんなモノ──それは小粒ながら、面接の際にアレクシアが複製して見せた緋日金だった。やはり本物には及ばないものの、燐耀や蒼真達の前で初めて複製した物に比べると、格段に品質も強度も向上していた。
「そんな奴を、どこでどうやって拾って、何だってこんな場末の工房に連れてきたのやら……聞きたい事は山ほどあるが、聞かない方が良いのかい?」
「まあ、いずれはお話しします」
ゼルの横に並びながら、鏡華は言った。
「あまり大っぴらには出来ないけど、かと言って隠し通せることじゃありませんからね……それで」
鏡華は、忙しなく駆け回るアレクシアに目を向け、
「実際働かせてみてどうですか、あの子は?」
「どうですかって言われてもなぁ……挨拶して半日も経たねえ内に、何が分かるってんだ?」
「名工ゼルは、さすがにお目が高いことで。ニセモノとは言え、緋日金の錬成じゃご不満かしら?」
「能力だけなら、こんなちっぽけな工房に収まる器じゃねえさ。間違いなく、な。けど」
「ちょっと~これじゃないのよね~何やってんかな~?」
「すみませんすみませんっ!」
間延びした顔で、ネチネチと吐きつけるエリィに、アレクシアは何度も頭を下げる。そしてまた、戸惑いながらも駆け回る。
「……見ての通り、能力に見合うだけの〝実〟が伴ってねえ。まあ、こればかりは、化けることを期待するしかねえな」
「甘やかせとは言わないけど、あんまり虐めないであげて」
鏡華の苦笑に、ゼルは鼻を鳴らし、
「それも、あの娘次第だな。まあ、今日一日で潰れない事を祈るぜ」
「それは大丈夫です。今のあの子は、三日ぐらいは余裕でぶっ通せますから」
鏡華は、自信満々に告げた。
「それに、もし潰れるようなら、あの娘はそこまでの器だった……そういうことでしょう、親方風に言えば」
「よく分かってるじゃねえか」
と、ゼルは獰猛に笑い、
「なら、こっちも遠慮はしねえぜ」
E-2:仕事は終了。しかし、私事はこれから
気合を入れないと潰される──ゼルの言葉が、決して冗談でないことは、すぐに証明された。
ゼルの指示を受け、エリィの下で働き始めた瞬間、怒号や罵声が次々に降りかかってきた。その内容を細かく挙げたらキリは無く、仕事を覚える以前に、考える暇も無い。
「ちょっと~遅いわよ~」
「あ~これじゃないわよ~」
「私はどんくさいけど~、詩愛ちゃんはもっとどんくさいわよ~」
特に、その場を仕切っているエリィなど、間延びしていながらも厳しく言ってきた。
それはもう、ネチネチと。
それでも──それをすんなり受け入れられるのは、それが納得出来るからだ。
彼らの行動に悪意や害意は欠片も無く、全ては〝より良いモノ〟をという、矜持や理念が元になっている。
神聖帝国で受け続けてきた〝愛の鞭〟だの〝試練〟だのと称して与えられてきた悪意の仕打ちが、どれだけ無為の行為だったと思えるほどに。
そんな無為を、言われるがまま甘んじて黙って受け続けていた自分も、どうしようもない〝出来損ない〟だったのだろう。
そんな〝出来損ない〟が、そんな考えをするようになるあたり、数ヶ月そこらで自分も随分と変わった。
否──遠くに来てしまった、というべきか。
「ちょっと~? 何アホ面して突っ立ってんの~? アレはどうしたのかしら~?」
「は、はい~っ!」
感傷という名の現実逃避で一息つく時間は終わってしまった。
エリィのじっとりとした重苦しい怒りに、アレクシアは弾かれた様に動き出し、工房の中を駆け回っていく。
それはもう、脇目を振る暇も無かった。
*****
ともあれ──アレクシアは勤務初日は無事に乗り切った。
作業自体は簡単な雑務や手伝いばかりだったし、この三ヶ月に比べればどうということはない。
『明日からはみっちりがっつりやるわよ~』
三ヶ月前──アレクシアの決意に対する鏡華の素敵な笑みと、蒼真や燐耀の同情的な視線を深く考えなかったことを、アレクシアはすぐに後悔した。
みっちりがっつり──その言葉を、鏡華は容赦なく実行した。
丸一日机に向かって鏡華の付きっきりの勉強で、それをある程度進めると、免許だの資格だのを得るための講習会への通学が加わり、それらの実技の中には体力勝負も多々あり、帰って来れば鏡華の厳しい講義が待ち受け──この三ヶ月は、アレクシアにとって最も思い出したくない〝三ヶ月〟となった。
とはいえ、その成果は充分すぎるほどあった。まともな陽出語の会話が自然に出来るようになったのと、伝手で就職先を紹介してくれたことには感謝しかない。
「よ~し、今日の仕事はここまでだ。テメェら、後始末までちゃんと終わってるな。だったら五分以内に帰れよ。でないと、今夜一晩誰もいない作業場でカンヅメになるからな~」
ゼルは冗談めかして言ってるが、他の工員達が言うには、半分は冗談ではないとのこと。
防犯対策として、ここの出入口や窓は、設定した時間内は外からも中からも明けることが出来なくなってしまう仕掛けが施されている。なので、よほど重要だとゼルが認めた仕事でもない限り、もたもたしてると本当に閉じ込められてしまい、翌朝はゼルの怒号と拳骨で仕事を始めなければならないという。
「お疲れ~」
「明日もよろしく~」
工員達の挨拶や労いを受けつつ、アレクシアは出退勤表に記入し、手早く帰り支度して工房から出た。夕日がやけに眩しくなるくらい疲労感も酷いが、しかし倒れるほどでないのは、〝地獄の三ヶ月〟の賜物だろうか。
「何だ新入り、まだいたのか。まあ、丁度良い。今の内に言っておくぜ」
工房から出て来たゼルが、アレクシアに気づいて荒っぽく声をかけた。
「お前が何を抱えて、どんな身の上なのかは知らねえし、詮索する気も無え。けどな、何か引っ掛かってる事があるなら、小さい内にしっかり解決しとけ。そういうのはな、放っておくとどんどんデカくなって、いずれ取り返しがつかなくなっちまうって、相場が決まってるからよ」
「……は、はい」
伊達に職人工房で親方をやっているわけではないらしい。詳しいことは知らされていないはずなのだが、他者をよく見ているようだ。
「よし、いい返事だ……返事だけはな」
と、ゼルは鼻を鳴らして視線を工房来客用の駐機場に向ける。
そこに止められた、黒い自動浮揚機を目にして、アレクシアは疲労感を緊張感で押し込めた。
向こうも気付いたのか、黒い服に身を包んだ人間が四人、浮揚機から整然とした動きで降りてきた。
「細かいことはその時に説明するが、明日から仕事の段階をどんどん上げてくぞ。モタモタしてる暇も、余計な事に気を遣ってる場合も無えから、せいぜい覚悟しとけよ。じゃあな」
ゼルは、黒服に目線で会釈をして見せながら立ち去り、入れ替わりで黒服の一人がアレクシアに歩み寄り、
「アレクシア・フローブランさん、ですね」
「はい」
「では、後はお任せします」
アレクシアの本名での誰何は、同時に合言葉でもあった。黒服は頷くと、アレクシアと浮揚機を残して、音も無く立ち去る。
その浮揚機の運転席に、アレクシアは乗り込み、用意されていた免許取り立てであることを示す緑の徽章を窓に張り付け、座席と周囲確認用の画面を調整。
一般市民が扱う浮揚機よりも高級な代物のためか座席の感触も明らかに上質だ──などと、どうでも良いことを思っていると、
『……』
後方視認用の鏡越しに、後席の娘と目が合った。
『少し痩せたかしら、エリッサ~?』
と、些かワザとらしい砕けた調子の神聖帝国語で話しかけてみる。すると、
『……黙れ……っ』
殺意を乗せた怨嗟が返ってきた。
E-3:あの後の三ヶ月、それぞれの三ヶ月
エリッサは、座席越しでもわかるほどの怨嗟に満ちた目をアレクシアに向け、
『よく、おめおめと私の前にっ!』
今にも法術を展開するなり、座席越しに首を絞めかかりそうな勢いであった。とはいえ、実際にそうなった場合の対策として、この浮揚機には法力を封じる結界が張られているし、前席と後席の間には、頑丈な格子組まれている。窓は、人力では破るどころか傷をつけることも不可能であり、扉の鍵も前の席から操作しないと開ける事も出来ないから、逃げだすことも無理だろう。
エリッサも、移動する際に何度も説明されているはずだから、無駄に暴れるようなことはしない。
(──だと良いんだけど)
今のエリッサでは、それこそ何をするか分からない。ましてや、完全な逆恨みと自業自得とは言え、自らの失墜の原因となったアレクシアを前にして、果たして大人しくしていられるかも怪しい。
それを何度も忠告された上で、それでもアレクシアは最後の護送を願い出た。
これが最後──エリッサと二人だけで話せる機会は、これが本当に最後だから。
『……それじゃ、出発するわよ』
エリッサの殺意を受けつつ、アレクシアは浮揚機を発進させる。
教習所に通い始めた時ほどではないにせよ、公道を一人で走る事には、まだ少しばかりの緊張がある──とはいえ、覚えてしまえば操作は難しくは無いし、運転しながらお喋りする程度の技量も余裕も、アレクシアにはあった。
『……話は聞いてると思うけど』
浮揚機の速度が乗ったところで、アレクシアは、まずは真面目な話から始めた。
『貴方は国外退去、そして強制送還よ。これから非公式の渡航船に乗って』
『うるさい……』
『まあ、ちょっと形は悪いけど、貴方は帰れるわ』
『うるさい、黙れ……っ』
エリッサは呻くように吐き捨て、アレクシアの話を遮った。
『国外退去? 強制送還? 下民共が、ふざけるなっ!』
『まだそんなこと言ってるの? 貴方のしたことは、盗んで、傷つけて、無理やり奪い取って……貴方は、この国じゃれっきとした犯罪者なのよ。法に則った判決だし、船で送ってらえるだけでも、破格の待遇だと』
『黙れと言っているんだ出来損ないがっ! 大体、何が〝方に則った〟だっ! 何が〝判決〟だっ! 法とは、神の御名の元に定められた神聖なる意思っ! それを、穢れた者共が行使しようなどと、許されない冒涜だっ!』
『……』
アレクシアの言葉をまたも遮って、エリッサは次々に喚きたてる。アレクシアも、一度話を中断し、運転に集中することにした。
その間にも、エリッサの喚き声は続く。
『大体貴様も貴様だ! 〝出来損ない〟とはいえ、法術師の矜持も神聖帝国貴族の誇りも忘れたかっ! こんな得体の知れない〝箱〟まで操ってっ! なるほど、すっかり野蛮な世界に染まってしまったようだなっ! 〝出来損ない〟も、ここまで堕ちたか……っ!』
大声で怒鳴り続けて、さすがに息切れしたらしい。エリッサの喚き声はそこでようやく途切れ、荒い呼吸に変わる。
『おかげさまでね。ついでに言えば、ああいうのも動かせるわ』
アレクシアは隣を走る、旅客用の大型浮揚機を示す。
『どうせなら、この機会に色々取っちゃいましょう!』
と、アレクシア本人よりも乗り気な鏡華によって、様々な訓練教習所に申し込まれてしまった。後で知ったのだが、取得するには様々な制限があるのだが、鏡華がごり押しで通したとのこと。
それだけの権限や影響力を持つ鏡華が何者なのかはさておき──そのおかげもあり、アレクシアは様々な乗り物を公的に操れるようになった。
鏡華の〝みっちりがっつり〟の地獄の三ヶ月で最大の成果と言ったら、やはり浮揚機を始めとする各種乗用機械や作業用大型重機などの運転免許を得たことだろう。
『まあ、持ってるのはあくまでも運転の資格免許だけだし、この乗り物は無理を言って借りただけなんだけど』
ちなみに──新品の浮揚機の平均的な価格は、工房勤めの給料一年分をつぎ込んでも足りない。分割払いという手もあるが、いずれにせよ、自分の浮揚機の購入はまだまだ先の話であった。
それでも──時間と資金さえあれば、アレクシアでも手に入るということだ。
神聖帝国ならば、皇族や高位貴族でもなければ、お目にかけることもない乗り物だ。平民の手に届く日が来るとすれば、それこそ百年以上は先になるだろう。
つまり──神聖帝国は、陽出よりも百年以上は遅れているということだった。
『それにしても……野蛮な世界、ね』
エリッサの散々な言い様に、今更アレクシアは腹も立たない。むしろ、思ったよりは元気であることに安心した。
そして、かつて恐怖の象徴だった相手がどれ程の者かも、今はよく見えていた──嫌という程に。
だから──アレクシアは、容赦しなかった。
『野蛮、下民──そんな下等種族が相手だと思ったから、平気で色々と盗んだのね。しかも、野盗みたいに襲い掛かって傷つけて』
『野蛮で下劣な者から取り上げて何が悪いっ! あんな奴らが使うよりも、私が有効活用して』
『……ねえ、エリッサ』
息を吹き返したのか、エリッサは再び怒鳴り散らすが、アレクシアはそれを遮った──今度はアレクシアが、冷たく遮った。
『この三ヶ月、貴方はそんなことしか考えてなかったの?』
だとしたら、呆れる他は無い。
拘束されていると言っても、エリッサは三ヶ月もの間に何もしていなかったわけではない。幾度となく尋問は行われ、その流れで外部の情報は多少なりとも伝えられていた。
尋問にしても、拷問などは一切行われない事務的な内容。更に、健康を損なわないよう食事にも気を遣われ、定期的な診断が行われていた。
〝規則正しい〟という意味では、神聖帝国の貴族よりも良い暮らしで、それが事実だということは、エリッサの今の様子を見れば明らかだ。むしろ三ヶ月前に会った時よりも、健康的で美しくなっているように見えるのは、気のせいではないだろう
見た目の美しさ、だけなら。
『貴方の言う〝野蛮な世界〟の中で三ヶ月も過ごして、貴方は何を見ていたの? それとも、ただただ憎んで恨んでいじけて不貞腐れてただけだったの?』
『だ、黙れっ!』
冷えていくアレクシアの熱を奪うように、エリッサの熱は上がっていく。
『〝出来損ない〟が偉そうに説教など吐きつけるなっ!』
『それもそうね。いちいち説教されるよりも、その目で見た方が早いわ』
アレクシアは手元の操作盤に指を走らせ、後席の窓を開けた。
E-4:憎悪、嫉妬、羨望……その根底
すでに浮揚機は町中を抜け、光の道──正しくは、〝空中光帯道路〟と呼ばれる道に入り、周りは摩天楼と並走する浮揚機だけの景色に変わっていた。夕空の光が、摩天楼の街並みを茜色に染めている。
逃走防止のため、窓は出来るだけ開けるなと言われていたが、既に地上は目も眩むほど遠く、速度もかなり出ている。今飛び出せば、術を封じられているエリッサに命は無い。
『この町が、まさか見えてないわけじゃないわよね?』
『……冒涜の象徴など見たくもない』
エリッサは、目を背ける。入ってくる風も、煩わしそうにして。
『天は神の領域。そこへ届かせようなど、冒涜以外の何物でもない。ましてや、下等種族の作り出したモノなど、所詮見かけ倒しだ。神聖帝国が総力を挙げれば、枯れ木同然に』
『壊すだけなら、総力なんて必要ないわよ。貴方なら、上手くやれば半日で二つ三つくらいは瓦礫に出来るはず』
冗談ではなく、エリッサの法術なら、それくらいは出来る。
壊すだけならば。
『でも、同じモノを神聖帝国に作ることが出来るかしら? 見かけ倒しだとしても、神聖帝国の全てを出し尽くしたとして』
『今の話を聞いていなかったのか? 神の領域に届かせる建物など神への冒涜だと』
『建物ぐらいで冒涜なら、それ以上のモノはどうなるのかしらね?』
『……どういうことだ?』
『すぐに分かるわよ』
アレクシアは機内に備え付けられた時計に目を向け、舵輪を切って光の道から抜ける路線に入った。
*****
しばしの無言の走行を経て、やって来たのはアレクシアが前に来た海を一望できる高台。あの時と同じで、雲一つない夕空が広がっている。こんな時でなければ気分よくクレープでも食べられたのだが、今日は屋台は出ていないようだ。
『ちょっと早すぎたみたいね。でも丁度良いわ。さっきの話を続けましょう』
さっきの話──エリッサが散々喚いたおかげで話が逸れていたが、エリッサの強制送還の話には続きがある。
『私も昨夜聞かされたんだけど、貴方のこれから……神聖帝国に帰ってからの事も話しておくわね』
強制送還を始めとするエリッサの今後については、鏡華から聞かされた。何でも、〝みっちりがっつり〟でアレクシアが駆け回っている間に、どうやったのか、ディマンディから報せられたらしい。
結論から言えば、
『とりあえず、完全に無罪ってわけにはいかないけど、限りなく減刑されるみたい』
大まかな筋書きとしては、次の通り──。
〝混沌の東地〟における諜報や調査活動を行う予定だったエリッサだが、その成功を確実にするために禁術に手を出した。その実験台としてアレクシアに使ったが、失敗してしまった。
これらの事情が発覚したものの、既にエリッサは現地に赴いた後。なので、任務の成功と帰還という功績でもって相殺し、罪を限りなく軽くする。
──とのことらしい。
『こうなった以上は、帝室法術師候補の話は無かったことになるけど、極刑よりはずっと良いでしょ』
『貴様……っ』
『色々と思惑はあるんだろうけど、貴方のお父様……シュトロア公もだいぶ奔走したそうよ。帰ったら、しっかり感謝して』
『貴様が言うなっ!』
エリッサが、憎悪を込めた目で怒声を放った。
『誰のせいで……誰のせいでこうなったと』
『貴方自身のせいよ、エリッサ』
筋違いの憎悪と罵声を、アレクシアは冷たく突っぱねる。
『貴方が今、こんな風になっているのは、軽々しく禁術なんかに手を出したからよ。禁術が、どうして〝禁術〟なんて呼ばれて封じられているのか……その意味も、よく考えもしないでね』
『ち、違……っ』
否定しかけたものの、しかしエリッサは逃げるように目を逸らした。
それが、何よりの答えだった。
『だから貴方は』
言いかけて、アレクシアはふと言葉を止める。そして、自嘲するように鼻で笑った。
『そうね、貴方の言う通りよ。私には、偉そうに貴方に説教する資格なんて無いわ。だって私は』
それを思い出して、沸き上がってきたのは怒り。
『私が一番憧れていたのは、そんな貴方──エリザヴェータ・シュトロアだったんだもの』
自分自身の弱さや不甲斐なさに対する、痛みを伴う怒りだった。
*****
名家に生まれ、才能に恵まれ、嫉妬も羨望も名声も欲しいまま、将来を約束され──誰の目から見ても全てを持ち得たエリッサの事を、アレクシアは誰よりも妬み、誰よりも羨んでいた。
数えきれないほど罵られ、嘲られ、痛めつけられ、終いには濡れ衣を着せられ──そんな暴虐を平然と与えてくるエリッサの事を、アレクシアは誰よりも憎み、誰よりも恨んでいた。
だからこそ──自分と真逆なエリッサの事を、アレクシアは誰よりも憧れていた。
だからこそ──自分では叶えられない夢を、アレクシアはエリッサに求めていた。
全てが覆った失望と幻滅は、酷い痛みをアレクシアに与えた。
ほんの僅かでも嘲笑う気になれない程、どうしようもなく哀しかった。
アレクシアにとって、エリザヴェータ・シュトロアとは、それほどまでに大きな存在であった。
弱さ、不甲斐なさ──自分の醜さを覆う隠れ蓑にするほどに。
だから、
『私は、〝出来損ない〟に……悲劇の少女に甘えてしまってたって、今なら分かるわ』
だから父に見放された。
だから母に諦められた。
だから兄に唾棄された。
だから姉に安堵された。
だから教師や同級生らから、同情と侮蔑の嘲笑を投げられた。
だから──アレクシアの周りには、誰もいなかった。
『そんな自分を変えるためにも、私はここに残ることにしたのよ。それで……と、来たわよ』
遠来のような轟音が響き、アレクシアは話を止めてそちらを示した。
『〝天に届く建物〟以上の、神への冒涜が』
E-5:そして、最後の決着と決別へ
轟音と共に頭上を過ったのは、五つの巨影。
スサノオ級大型戦艦を旗艦とした空飛ぶ艦隊──否、空の牙城群。
小振りであるというアマカゼ級を一隻目にしただけで、アレクシアは言葉を失ったのだ。それ以上の大きな船が、いくつも並んで頭上を通り過ぎていくのを目にしたエリッサはといえば、
『……』
口を半開きにしたまま凍り付いていた。
『もちろん、あれで全部じゃないわ。軍隊だから細かい数字は公表されてないけど、少なくとも十や二十じゃ利かないことは確かね』
『……な、に?』
『それと、〝大地の障壁〟よりもずっと高い場所を飛べるし、地平や水平の彼方から正確に届かせて当てられる武器もたくさん積んでる』
『……』
『貴方が言うところの、〝穢れた種族の野蛮な世界〟っていうのは、そういうのが当たり前にあって当たり前に作れる国なのよ。そんな国を相手に、神の御名の元に滅して~なんて手を出したらどうなると思う? 逆に、何かの気まぐれで神聖帝国を侵略しようなんてことになったら?』
『もう、いい……』
よろめくエリッサの体を、アレクシアはすかさず支える。さすがに言い過ぎたと内心反省しつつ、更に続けた。
『でも、陽出はそんなことはしない。自分から侵略しようなんて意思は無いわ』
もちろん、やられたらその分だけやり返すだろう──十二年前、大軍勢で侵攻してきた神聖帝国軍を、完膚なきまでに叩き潰したように。
『……何故、そう言い切れる?』
『あれを見て』
沖に浮かぶ、山のような巨木──〝海の庭園〟を、アレクシアは示した。
『陽出は、神聖帝国や大陸じゃなくて、もっと〝外〟──誰にも踏み入られていない、〝未開の地〟を目指してる』
誰かが切り開いた誰かの場所を奪い取るのではなく、自ら切り開いていく道を進むために。
そして、アレクシアもその道に進むことを選んだ。
〝船乗り少年の冒険〟で、未知の世界を憧れ、そのために行動し続けた、あの少年のように。
知らない事が、まだまだたくさんあることに気付いたから。
知るべき事が、まだまだあることに気づいてしまったから。
だから、
『腐れきった国に構ってる暇なんても無いってことよ』
改めて、かつての祖国と決別した。
『腐り切った、だと……っ?』
エリッサの目に、強い怒りが帯びる。アレクシアに支えられていることに気付いて、それを乱暴に振り払い、
『神の加護を受けた神聖帝国が、腐っているだとっ?』
『答えない神に加護に縋って停滞する……これが腐ってるんじゃなくて、何だというの?』
かつてのアレクシアもそうだった──エリッサに痛めつけられ、親兄弟から見放され、救いを求めて神に祈ったことは何度もあった。その全てが聞き入れられず、同じ数だけ絶望し、神に恨みを吐きつけた。
見たことも無い上にいるかどうかも分からない存在──それが今のアレクシアの中にある、〝神〟に対する印象だった。
『捕まっている間、貴方はどうだった? 神に祈って、一つでも聞き届けられた? 一度でも答えてもらえたかしら?』
『……っ』
エリッサの答えは無い──当然である。
エリッサの願いが、一度でも聞き届けられたなら、そもそも彼女はこんな場所にいない。
『……そろそろ行きましょう』
アレクシアは浮揚機を再起動し、発進させた。
それからは一切言葉を交わすことは無かった。
*****
指定された港の埠頭までやって来ると、工房で別れた黒服が待っていた。
「申し訳ありません。遅れてしまって」
と、アレクシアは社交辞令で謝罪するが、どこで何していたかなど、彼らには筒抜けだろう。エリッサと二人きりだったように見えるが、実際には護衛や監視が張り付いていた。
「お疲れ様です。では、後はこちらで」
黒服は短く返すと、エリッサを引き取り、
「あ~そこの神聖帝国人っ、ちょっと待つが良いっ!」
停泊している船へ連れて行こうとしたところで、呼び止められた。直後、見覚えのある──どころか、毎日目にしている浮揚機が、その場に滑り込むような勢いで停車した。
「うむ、間に合ってよかったぞ……そなた達、そう警戒するでない」
助手席から銀髪をなびかせて、燐耀が降りてきた。身構えていた黒服達が警戒を解く中、燐耀の魔力に当てられたか、エリッサが総毛だったまま凍り付く。
「さすがお姫様。〝顔〟が通行証になってら」
運転席から降りてきた蒼真が、その様子を見てさも感心したように口笛を吹く。
「貴方たち、どうして」
「お袋の頼まれたんだよ……お届け物しろってな」
と、蒼真は足早に浮揚機の後部に回り込み、荷物入れから横長な造りの箱を引っ張り出した。それを、エリッサの前で下ろし、
「そんじゃ……『確認ヨロシク~』」
神聖帝国に切り替えて言うと、箱の蓋を開ける。
『! 〝祓魔の嵐〟だとっ?』
納められていたのが、家宝の聖剣であることを確かめて、エリッサは目を剥いた。
『貴様のような下民が何故それをっ?』
『俺の母親ガ、拾ったラシイ。ウチの裏山で』
怒声で喚くエリッサに、蒼真は淡々と答えた。
確かに、あの裏山は高桐の敷地だし、ドンパチの最中に取り落としたなら、あそこに置き去りになっていて当然である。
『まあ、アンタの手元に戻るノハ、向こうに着いてカラだろうケド』
蒼真は面倒そうに言いながら蓋を閉じると、箱を黒服の一人に渡した。
「引き留めてスイマセンです。こっちの用事は終わりましたんで~」
ヘコヘコとわざとらしく頭を下げる蒼真に対して、黒服は無表情で頷くと、エリッサを船へと連れていく。乗り込むのは、国境警備を主とする哨戒艦で、速度重視のためか小振りである。もっとも、それは先ほど見た戦艦に比べればの話であって、神聖帝国では大型船に分類されるだろう。ここでもまた、互いの圧倒的な差は明白になった。
『……ねえエリッサっ』
昇降用の階段を上り、船の中へ入ろうとしたエリッサの背中に、アレクシアは声を張り上げた。
『貴方の言う通り、私はこの陽出という世界に染まってるのかもしれない。だから──馬鹿にされても虐められても見放されても、我慢して泣いてれば良かったあの頃とは違うわ』
恨み、憎しみ、羨み、憧れ──エリッサに対する僅かに残った蟠りを、全てぶつけるつもりで。
『貴方はどうなのよ、エリザヴェータ・シュトロアっ? このまま可哀想な〝悲劇の娘〟で終わるつもり? 〝出来損ない〟に出来て、〝稀代の天才〟に出来ないなんて、まさか言わないわよねっ?』
答えはなく、振り返ることもせず、エリッサは船の中に消えていった。
どこまで届いたか、そもそも聞こえていたのかも怪しい。
けれど、それでもいい──もう、エリッサに対してするべき事は無い。
彼女の心情など分かるはずもないし、分かろうとも思わなかった。
「……お疲れさん」
蒼真に肩を叩かれ、アレクシアは我に返った。
E-6:新たな世界を目指して
「まあ、何じゃ、とにかく乗るがよい。話はそれからじゃて」
燐耀は、半ば押し込むようにアレクシアを浮揚機の後席に乗せ、
「ほれ何しとる蒼真。早う出さんか」
「へいへい~」
既に運転席に乗り込んでいた蒼真は、後席の扉が閉じるのも待たずに浮揚機を発進させた。
「まあ、お前の事だから察してるとは思うがな」
言われなくても、アレクシアの物問いたげな視線で察したらしい。蒼真は、さも面倒そうに答えた。
「聖剣の配達なんざ口実……つうか、〝次いで〟に決まってんだろ。気が抜けてボーっとした誰かさんが事故に会う前に迎えに行ってやれっつう、お袋のお節介だ」
「とか言いつつ、今朝は用意よく浮揚機で登校してきたようじゃがの」
アレクシアの隣で、燐耀がすかさず茶々を入れた。すると、蒼真は不機嫌そうに鼻を鳴らし、
「とか言ってるお前は、終業の鐘が鳴った途端、窓から飛びだしてたみたいだがな。何かと思ってたら、他人んちの浮揚機に勝手に忍び込みやがって」
どうやら、学校が終わってそのままこちらに来たらしい。その証拠に、前席の二人は制服姿のままであった。
「皇龍の力を見縊るでないわ」
「威張れることじゃねえし、どう見ても無駄遣いだろ。警察と天凰様に通報されなかっただけ、有難く思えっての」
そんな蒼真と燐耀のいつもの漫談に、アレクシアは思わず吹き出し、
「ありがとう、二人とも。私は、もう大丈夫」
そして、この場にいない鏡華にも、心の中で感謝した。
そう、大丈夫だ──一気に吐き出した事で、気の抜けるような疲労感はあるが、それで無様を晒すことを、アレクシアはしない。
そうでなくても、鏡華や燐耀には、ずいぶんと無理をしてもらってこれだけのお膳立てをしてくれた。何より、エリッサに対しても、あそこまで豪語した矢先である。
みっともない姿を見せるほど、根性無しではない──そのつもりだったが、鏡華はおろか、燐耀はもちろん、蒼真にまで気を遣われていたようだ。
「何の事かよう分からんが、無理をしとるのでなければ良い」
と、燐耀は白々しくとぼけて見せるものだから、アレクシアは必死に笑いをかみ殺した。
実際、自分でも思ったいた程、気持ちに重さや淀みは無く、むしろ今までに無い清々しさがあった。
「ふむ。出港のようじゃな」
燐耀が後ろの窓を振り返る。エリッサを乗せた哨戒艦が、警笛を鳴らしながら埠頭から離れていき、沖へ目がけて徐々に加速していく。
「しかしあの娘、これからが大変じゃろうのう」
「そう、ね……」
燐耀の同情に頷きながら、アレクシアもエリッサのこれからを考える。
罪が限りなく軽くなったとはいえ、事実が消えるわけではない。これからエリッサは、とても肩身の狭い、ともすれば茨の道と言っていいような日々を送ることになる。
「こっちでくたばった方が、案外楽だったかもな~」
「これっ」
それはもう悪い顔で茶化す蒼真の頭を、燐耀は後席からすかさず引っぱたいた。それで舵輪を切り違えることは無いのだから、蒼真の腕が良いのか燐耀が加減が上手がなのか。
ともあれ、
「蒼真の言う通りかもしれない」
二人の絶妙な掛け合いに感心しつつ、アレクシアは言った。
エリッサの今までの華々しさを考えれば、最初から〝出来損ない〟だったアレクシアよりも、悲惨なことになるかもしれない。
それこそ、エリッサの事を知る者が誰一人いない異郷で果てた方がマシだったと思えるくらいに。
けれど、
「エリッサなら大丈夫よ。元々、凄い才能を持ってるから、たとえ一人になってもやっていける筈」
だから──神聖帝国に帰ったエリッサがどうなろうと、もうアレクシアの知ったことではない。
「なるほど……確かに大丈夫そうじゃな」
「だから言ったろ。意外としぶといって」
安心するように肩をすくめる燐耀に、蒼真は当然だとばかり鼻で笑うと、話を変えた。
「……で、これからどうするよ? どっかに寄ってくか?」
「何を言うておる。アレクシアを拾ったら真っ直ぐ帰るよう、鏡華から言われとるじゃろうに」
「燐耀に賛成」
と、アレクシアも話に加わる。
「私もお腹空いた。それに、今夜は山牛肉の煮込みシチューだって言ってたし」
「何じゃと? それは真かっ!」
燐耀の金色の目がギラリと輝いた。
「ならば、こんなところで悠長に油を売っとる場合ではないではないか。これ蒼真、もっと飛ばさんかっ!」
「専用道路にも入ってないってのに、無茶言うな。つうか、当たり前のようにたかって来るんじゃねえっての」
「そんなに慌てなくても、大丈夫だと思う」
アレクシアは、笑いをかみ殺しながら言った。
「鏡華なら、燐耀が来ることも予想して、ちょっと多めに用意してるはずだから」
「なれば断るなどかえって無礼千万じゃな……というわけで蒼真よ、飛ばすが良い! さあ飛ばすがよい! さあ! さあ! さあ!」
「お、おま……余計なことを言いやがってっ……おい揺らすなバカっ!」
急かす燐耀が蒼真の座る運転席を揺らすものだから、浮揚機まで派手に揺れた。
アレクシアは、備え付けの手すりに掴まって揺れをやり過ごす。そのおかげか、海の方から届いた遠雷のような轟音を、この騒ぎの中ではっきりと捉えることができた。
あの音は、艦船が加速上昇する際に発する音だ。どうやら、出航した哨戒艦が海面から飛び立ったらしい。
しかし、アレクシアがそちらを見ることは無い。もう、振り返ることは無かった。
(……さようなら、エリッサ)
アレクシアは、しかしそれを見届けることは無く、心の中で別れだけ告げた。
(……さようなら、アレクシア・フローブラン)
そして、一かけらほど残っていた、最後の未練も断ち切った。
新たな自分として、新たな道へ踏み出すために。
