斯くて少女は、新たな一歩を踏み出す 五章
五章 ~そして、決意~
5-1:勝利。しかし決着はまだ
「……」
「何よ薄い反応ね~」
じっとりとした目で見るアレクシアに、鏡華はつまらなそうにむくれる。
実際、アレクシアはさほど驚いていなかった。というのも、
「心臓と脈の動きを少しの間ダケ止メル技がアルって、蒼真が言ってタ」
半信半疑ではあったが、どうやら本当だったらしい。詳しくは知らないが、簡単な技能でないことは分かるが、鏡華なら出来ても不思議ではない──いや、それ以前に、
「鏡華は、トテモ強い。トテモ、頑丈。簡単に死ぬ人ジャナイ」
「……褒められてる気はしないけど、まあ良いわ」
と、鏡華は膝をついたアレクシアの腕を取って引き起こすと、気を失ったエリッサに目を向ける。
「こっちも良い感じに落としたみたいだし、起きる前に封じてしまいましょ」
鏡華は、小脇に抱えていた塊を広げる。
「それっテ」
それを目にしたアレクシアは、鏡華が無事だった事よりも驚いた。
法術師用拘束衣の一揃え──その名の通り、それを着た者は手足の自由はもちろん、法力を封じ込めれてしまう。アレクシアも神聖帝国で捕まった時には、これを着せられた。
つまり──神聖帝国の法具であり、陽出においては、あるだけでもおかしい代物である。
だというのに、鏡華は慣れた手つきでエリッサに着せていき、終えるまでに一分とかからなかった。
「どうシテ、そんな、モノが?」
「知り合いから借りたのよ……と、お目覚めのようね」
『っ?』
エリッサの目がゆっくりと開かれ、アレクシアや鏡華を見た瞬間、跳ね起き、
『これは……どうなってっ、ぐっ?』
しかし、手足も法力も封じられていては、のたうち回るだけであった。
「丁度良いわ、色々と話もあったし、このまま連れて帰りましょう……よっこらせ」
鏡華は軽々とエリッサを肩に担ぎ、重さなど感じさせない動きで、軽快に下り坂を下っていく。アレクシアが、疲れ切った体に鞭打って早足にさせられるほどに。
『は、離せっ! 汚らわしい野蛮人如きが、私に触れるなっ!』
『離せって……そんな芋虫みたいな状態で放り出せって言うの? そうでなくても、体も法力もだいぶ消耗してるのに?』
神聖帝国語に切り替えた鏡華の言い様は、軽い調子ながらとても乾いていた。
『ねえ貴方、まさか忘れてないでしょうね? 自分が今いるこの場所が、神聖帝国で言うところの、汚らわしい野蛮人と凶暴な魔族共が跋扈する〝混沌の東地〟の真っ只中だってことを』
乾いた声で脅すように鏡華は言うが、陽出の治安は神聖帝国よりも遥かに良く、人類も魔族も程度の差こそあれど、気性の穏やかな者ばかり。
よほど運が無いか、エリッサ自身がよほどの下手を打たない限り、酷い扱いを受けるということはないだろう。
とはいえ、そんなことをエリッサが知る由もなく、
『……っ』
『お利口なことで結構よ~』
悔しげに黙り込んだエリッサに、鏡華はさも鷹揚に頷いて見せた。
明らかにエリッサの無知を弄って遊んでいた。
「悪イ人……」
エリッサに悟られないよう、陽出語で呟くアレクシア。鏡華は、アレクシアだけに見えるように小さく舌を突き出し、
『安心しなさい。仮にも四大賢人はシュトロアのご令嬢様で、神聖帝国が誇る天才法術師様だもの。そうやってお行儀よくしていれば、悪い様にはならないわ』
『……そうだ、私はシュトロアに連なる者だ……』
鏡華への肯定というより、自分に言い聞かせるような呟きが、エリッサの口から洩れる。それで少しだけ余裕を取り戻したらしい。
エリッサは、引き攣った笑みを浮かべて睨みつけてきた。
『例え私がここで果てようと、我が一族は決して黙っていないっ! 神の御名の元、必ずや貴様らには断罪が下されるだろうっ!』
『別に、貴方は果てはしないわよ』
エリッサの自棄くそじみた笑い声に、鏡華は淡々と返した。
『細かい手続きとか色々あるだろうけど、いずれ貴方はおウチに帰れるわ』
『小賢しい善行か、恩を売っているつもりか知らんが……このような屈辱を決して忘れることはないぞっ! 私を今殺さなかったことを、貴様らは必ず後悔するだろうっ! それまでせいぜい思い上がっているがいいっ! あはははははっ!』
エリッサの哄笑は、もはや、ただただ耳障りでしかない。ただでさえ減退していたアレクシアの気力は、更に落ち込んでいく。
とはいえ、さすがに見過ごせない。
『……エリッサ、もういい加減にしなさい』
出来るだけ刺激しないように、とても穏やかに──幼い聞かん坊でも相手にするかのようなアレクシアの言い様は、今のエリッサには逆効果だった。
『貴様が言うなっ!』
エリッサは、顔を上げてアレクシアを睨む。魔眼の類なら、それだけで射殺さんばかりの殺意を乗せて。
『そうだ……貴様のせいだ……貴様のような出来損ないのせいでっ!』
『そんなのっ』
エリッサの身勝手極まりない言い様に言い返そうとしたアレクシアだったが、
『何言ってんのよ。元は自分の撒いた種でしょうに』
鏡華が呆れるように言って割り込んできた──アレクシアの方には、黙ってろと言いたげに口元に指を立てながら。
『大体の事情は聞いてるけど、どう考えても貴方の自業自得だわ。いらない欲を出して、使っちゃいけない禁術を使ったりしたのが、そもそもの原因じゃないのよ』
『私は法術師だっ! より大きな法術に挑んで何が悪いっ!』
『貪欲な向上心や探求心を持つのは、それは良いことよ。若い内なら特にね……でもね』
冷たい侮蔑──そうとしか思えない鏡華の笑みに、アレクシアは思わず震え上がった。
『それでお友達を犠牲にしてるようじゃ、ねぇ……?』
『違うっ! その出来損ないに使ったんだっ! なのに』
『アレクシアちゃんじゃなくて、何故かお友達に術がかかった……私は法術の事はよく分からないけど、術を使ったのが貴方なら、失敗したのも貴方でしょ』
『違う違う違うっ! 全てそいつのせいだっ! 出来損ないの分際で術にかからずさっさと死ななかったそいつが、何もかも悪いんだっ! 悪いのは私じゃないっ!』
だいぶ錯乱しているとはいえ、本人を前にしてこの言い草──アレクシアは文句の一つも言いたくなるのを、嘆息に変換して我慢した。
というのも、
『う~ん……何だかねぇ~』
考える素振りを見せる鏡華の目は、明らかに話の内容とは別の考えを含ませていた。
『さっきから貴方の話を聞いてると、二言目には、アレクシアちゃんのせいだ~出来損ないのせいだ~が出て来るわね。そうなると、それっぽい大義名分はあくまで口実で、貴方個人で言えば〝口封じ〟ってことになるわよ?』
『何がおかしいっ? そんな出来損ないのクズ、泥を被る以外に何の役に立つっ! 仮にも貴族の端くれなら、役に立って死んでいける分、ただ捨てるよりよっぽど良いだろうっ! そんなモノが私の経歴に傷をつけようなど、ふざけるなっ!』
『……よ~く分かったわ』
大きく息を吐き出す鏡華の顔から、表情が消える。
『それじゃ、お喋りはもういいわね。しばらく黙ってて』
『ぐむっ?』
鏡華はポケットから轡を取り出すと、エリッサの口に押し込む。次いで、鏡華は胸元のポケットからケータイを取り出し、
『ということだそうだけど、聞こえた?』
『ああ。しっかり聞かせてもらったよ』
通話状態のケータイから聞こえてきたのは、よく知った声──それで、アレクシアは鏡華の意図を理解した。
そして──燻っていたいくつかの疑問が、一気に氷解した。
5-2:大人たちの悪巧み
『お~戻って来たね~。お疲れさ~ん』
山を下りて高桐邸の庭に回ると、労いがかけられた。縁側に座って茶をすすっているのは、アレクシアの予想通りの人物だった。
『お久しぶりってほどでもないか。二週間そこらだしな~』
この軽薄な笑み──紛れもなく、アレクシアの師だった。
名をディマンディ・アイアグラン。
四大賢人が一柱──〝剛鋼の輝石〟のアイアグラン家の血族であり、法具師として名を馳せた異端にして異才の女傑であり、悪戯好きなアレクシアの母方の叔母である。
『お会いできて嬉しい、と言いたいところですけど……』
アレクシアは、刺すような目でディマンディを睨みつけた。
『グルだったんですね。鏡華も、お師匠様も』
そもそもにして、転移術式が陽出の一般家庭に設けられている時点でおかしな話であるし、更には法術師用の拘束衣である。後は、これまでの状況も含めて考えれば、行き着く結論はそれしか無い。
『グルって程じゃないさね』
アレクシアの恨みがましい目に、ディマンディはどこ吹く風だった。
『何かあったらお互い面倒を見てやるっていう、昔の口約束を果たしてただけさね。その証として、当時はまだ考案の段階だった転移術を池に仕込ませてもらってたのさ。池の底だし、それだけならただの変わった模様だからね~』
『なるほど……それで、お師匠様はどこまで知ってるんですか?』
それは問いではなく確認──ディマンディは、策士としても優秀だ。事の全容を理解していてもおかしくはない。今こうしている事だって、筋書の内だろう。
『そうさなぁ……』
ディマンディは、蒼真や燐耀にも引けを取らない悪い笑みを浮かべながら腰を上げ、
『そこのシュトロアの秘蔵っ子が、禁術を使って取り巻き連中をボロボロにした挙句、それを全部アレクシアに擦り付けようとした』
歩みを進めながら、一つ一つ確かめるようにゆっくりと告げていき、
『……そんな推測であれこれ動いて、やっと確証を得たのがついさっきってところかね』
エリッサの傍まで歩み寄ったところで、ディマンディは鏡華に視線を向ける。
『あ~はいはい』
ディマンディの意図を理解した鏡華はケータイを取り出し、表面に指を走らせる。
すると、
『大体の事情は聞いてるけど、どう考えても貴方の自業自得だわ。いらない欲を出して、使っちゃいけない禁術を使ったりしたのが、そもそもの原因じゃないのよ』
『私は法術師だっ! より大きな法術に挑んで何が悪いっ!』
聞こえてきたのは、山を下りる途中で交わされた、鏡華とエリッサの会話だった。ケータイの機能で、しっかりと録音していたらしい。なかなかどうして、鮮明な音質だ。
『う~ん……何だかねぇ~……さっきから貴方の話を聞いてると、二言目には、アレクシアちゃんのせいだ~出来損ないのせいだ~が出て来るわね。そうなると、それっぽい大義名分はあくまで口実で、貴方個人で言えば〝口封じ〟ってことになるわよ?』
『何がおかしいっ? そんな出来損ないのクズ、泥を被る以外に何の役に立つっ! 仮にも貴族の端くれなら、役に立って死んでいける分、ただ捨てるよりよっぽど──』
鏡華は、そこで音声を止めた。うんざりしたような空気になる中、エリッサだけが青い顔をしている。声だけとはいえ、自分の醜態を客観視したのだから当然かもしれない。
『……つまり』
うんざりした気分も込めて、アレクシアは詰問をディマンディにぶつけた。
『ほぼ最初から当たりを付けてたってことですね』
『……そりゃそうさね。大体にしてね、話が最初から腑に落ちないことばっかりじゃないか』
ディマンディも気分を悪くしたのか、深々と溜息を吐き出しながら答えた。
『禁術を盗み出すなんて簡単に言うけどさ~、そんな簡単に破れるようなヤワな封印じゃないからね。そもそも、あのアレクシアに〝禁を犯す〟なんて肝っ玉があるわけないしね。となると』
ディマンディは、足元に目を向ける。
『次に怪しくなってくるのは、〝一次目撃者〟で〝通報者〟で、〝稀代の才覚〟を持った天才法術師様さね』
言い逃れしようのない証拠を晒されたためか、エリッサの顔色は真っ青になっていた。
『でも、仮にもお父上は四大賢人の一人で、本人もそれなりに知恵は働く。絶対横槍を入れられただろうし、余計に警戒されるだろうからね』
『だから、徹底的に遠ざけるために、アレクシアちゃんを餌にしたわけね』
『もちろん、陽出の情報収集もしっかりやってもらうつもりだったがね。期待の天才法術師の見識を広めることも兼ねて……だったんだけどねぇ』
『……っ』
ディマンディの皮肉めいた視線に、エリッサは呻きながら目を逸らす。
その結果、アレクシアと視線が合ってしまった。声が出せない代わりなのか、強烈な怨嗟を込めて睨まれるが、アレクシアの心は毛ほども動かなかった。
そんなエリッサに、ディマンディは鼻を鳴らし、
『この様子じゃ、任務も課題もそっちのけで、すっかりアレクシアに気を取られてたみたいだね。全く、困ったもんだよ』
それが狙いだったくせに何と白々しい言い草だと思う。けれど、ディマンディがこういう性格だというのは分かっているので、アレクシアには今更とやかく言う気は無い。
それよりも、
『それで、神聖帝国の方で何か分かりましたか?』
『おかげ様でね。例えば……あの一件で巻き添え食ったそいつのお友達なんだがね~』
と、ディマンディは勿体ぶったように言いながら、エリッサに目を向ける。それを追う形で、アレクシアも横目で窺えば、エリッサはやけに苦い顔をしていた。
『よくよく調べてみれば、あら不思議、致命傷になったのは禁術による精神汚染じゃなくて、誰かさんがぶっ放した風雷系法術だったっていうじゃないか』
『……え……』
誰かさんの風雷系法術──あの場で、複数人の法術師を一度に吹き飛ばせるほどの攻撃法術を瞬時に行使できるものなど、一人しかいなかった。
『でさ、歩けなくはなっても、まともなお話が出来る奴が一人だけいただろ』
アレクシアの記憶では、エリッサの取り巻きの中で最も強い法力を持っていたはずだ。
エリッサの法術に耐えられる程度には。
『そいつに網を張ってみれば、見事に引っかかったよ……毒を盛りに来たっていう暇人(・・)がね』
アレクシアだけなく、取り巻きまで。
寄り添い続いてきた、近しい者まで。
口を封じて、切り捨てようとしたのだ。
己の保身のために、平気で。
『最初こそ、〝四大賢人の娘〟ってのにビビりまくって、ダンマリだったけどね、自分も殺されかけてるって話をしたら、あっさりとゲロったよ……もちろん、身の安全と引き換えに、だけどね』
ディマンディのエリッサに向ける皮肉めいた目が、むしろ感心のそれに変わった
『凄いもんだったよ。禁術だけじゃなく、稽古って名目で手下をけしかけて攻撃法術の的にしたとか、男どもに犯させて小遣い稼ぎしようとしたとか』
『それ、は……っ』
これには、アレクシアの方が呻いた。
男子学生数人に手足を押さえつけられ、その背後でエリッサと取り巻きが、嘲笑を浮かべながら拘束の法術をかけてきた。
警邏が通りかかったから未遂で終わったが、後で思えば、偶然ではなくエリッサの計算の内だったのだろう。
あっという間に──それこそ半日足らずで噂は広がり、〝未遂〟が〝事後〟という事になってしまった。
多少は同情は有ったのだろうが、大半が侮蔑と奇異の目だった。家柄が一、二を争う名家だというのも、醜聞に拍車をかけた。
さすがにアレクシアも否定したが、誰も信じなかった──エリッサの影響力はもちろん、真偽がどうこうより醜聞を面白おかしく囁く方が大事だったのだろう。親兄弟からも、余計に厄介者扱いされた。
『で、こいつのお友達はめでたく〝お友達〟を辞めて、その後は簡単だったよ。アレクシアを犯そうとした当の本人達はもちろん、そうでない連中からも色々聞き出せた。〝手の平を返す〟ってのは、ああいうのを言うんだって勢いだったよ。天才法術師ドノは、〝期待〟はされても、〝人望〟や〝信頼〟は無かったみたいだね』
「~~~~っ、……っ!」
言いたい放題のディマンディに、エリッサは何かを訴えているが、轡のせいで呻き声にしかならなかった。
5-3:歴史の真相
『さて、私らはそろそろお暇するよ』
と、ディマンディは足元のエリッサを肩に担いだ。
『さんざん面倒をかけたが、こいつの事も含めて、後の始末はこっちできっちりやっておくさね』
『……それなんだけど』
鏡華は、何やら渋面を浮かべ、
『貴方やアレクシアちゃんはともかく、そのエリッサって娘だけ(・・)は、簡単にハイサヨナラってわけにはいかないのよね』
『エリッサだけが? そりゃまたどういうことさね?』
『さっき連絡があったのよ。窃盗と強盗で逮捕状が出てるから、出来るだけ抑えておけって』
『『……はぁっ?』』
あまりにも分かり易くて、あまりにも意外な理由に、アレクシアはおろかディマンディすら絶句した。
『ちょい待て……いや、本当にちょい待て……』
ディマンディは、珍しく混乱を隠せずに訊ねた。
『そりゃまた、どういうことさね? 窃盗だの強盗だのって、どういう意味さね?』
『どうもこうも、文字通りの意味よ。残念だけど』
念を押して訊ねるディマンディに、鏡華は渋面のまま、念を押して答えた。本当に残念そうに。しかし、どこか楽しそうに。
『アレクシアちゃんは覚えてるんじゃない? 昨日の報道番組で言ってたこと』
報道番組──ここ最近続いているという、あの物騒な事件。
『それじゃ、空き巣とかひったくりとか強盗って』
『そういうこと。しかも〝強盗〟だからね。ケガさせただの、物を壊しただのも、結構あるらしいわ』
『エリッサ、貴方……っ』
ディマンディに担がれたエリッサを、アレクシアは愕然とした目を向ける。
モノも言えなくなるほどの呆れとは、こういうことなのだろう。落ちぶれる時はここまで落ちるのかと、半ば現実逃避のように思った。
『……わかった、うん、よくわかったよ……』
『ぐぇっ!』
疲れ切った嘆息と共に、ディマンディは吐き捨て、肩のエリッサをゴミ同然に投げ捨てた。もう面倒くさいとばかりに。
『神聖帝国のお偉方には私から伝えておくから、そいつの事はあんたらに任せた』
底の知れないディマンディだが、今の気持ちに限っては、アレクシアにはとても理解できた。
『アレクシアも、それで良いな?』
『あ、はい……お願いします』
アレクシアには諦めるしかなかった。ディマンディすら匙を投げたのでは、もはや自分の手には負えない。
『分かったわ……そういうわけですので、後はそちらにお願いします』
振り返った鏡華の視線を追えば、そこには黒い服の男が二人、いつの間にか立っていた。
人類のようだが、目の前にいるというのに存在感そのものすら希薄である。明らかに、何らかの暗部に身を置いている者達だろう。
二人は黙って頷くと、小さなもの音すらさせないまま軽々とエリッサを持ちあげ、静かに運んで行く。文字通りの、荷物として。
『まあ、でも……あの娘のしたことで、それほど酷い被害は出ていないそうよ』
エリッサを運ぶ黒服達が門の向こうに消えると、鏡華は話を続ける。
『派手にドンパチした裏山もウチの敷地だし、私も大事にするつもりもないわ。貴方の時と違って、時間はそれなりにかかると思うけど、あの娘が帰れないってことは、まず無いわよ……というか、嫌でも帰ってもらうことになるでしょうね』
『そりゃ結構……にしても、呆気ないというか締まらない幕切れさね』
ディマンディはつまらなそうな吐き捨てると、アレクシアの方を向き直り、
『そんじゃ、私らもそろそろ帰ろうかね。帰りは転移法具を使うから』
『その前に』
アレクシアは燻っていたもう一つの疑問を投げかけた。
『キョーカのさっき言ってた〝貴方の時〟とはどういうことですか? キョーカとお師匠様は、どういう関係で?』
『まあ、色々あったのさ。生きてりゃ妙な縁を結んじまう、てね』
などと、ディマンディは無駄に気取って言うが、明らかにはぐらかしていた。以前ならそれを鵜呑みにして退いたが、今は違う。
『色々……それって、お師匠様が参戦したっていう十二年前の〝東洋戦役〟のことですか?』
『まあ、そういうことだね』
『それじゃ……神聖帝国で語られている歴史は、どこまでが真実なんですか?』
直球で投げつけてきた質問に、ディマンディは一瞬戸惑うように言葉を詰まらせ、ふと何かに気づいたように鏡華を睨み、
『……おい、こいつに何を吹き込んだ?』
『読み書き練習を兼ねて陽出社会の一般常識ってところね~』
そのくらいと言いつつも、鏡華の態度は、明らかに何かを含ませるようなそれ。
『それと、こっちからも逆に訊くけど……神聖帝国では若者に何を教えているんですか?』
それっきり、鏡華は黙りこんだ。後はディマンディの役目とばかりに。
ディマンディは、諦めたように肩を竦め、
『……結論から言えば、真実はほんの一部しか無いね』
アレクシアの問いに、真面目に答えた。
*****
過去、幾度となく衝突を繰り返してきた神聖帝国と陽出乃国。
近年における大規模な戦争といえば、十二年前の〝東洋戦役〟である。
大規模戦力で海を渡ってきた陽出の軍勢に対し、神聖帝国軍は多くの犠牲を出しながらも撃退した──これが、神聖帝国で語られている十二年前の、そしてその前から幾度となく起こってきた戦争の英雄譚であった。
神聖帝国においては。
『神聖帝国はね、百隻超の大船団とウン万人の大兵団による遠征軍で陽出に侵攻したのさ』
『侵攻……帝国の方から、攻め込んだんですか?』
『そうさ。陽出の講和交渉をアタマっから跳ね除けてね。その半日後には自慢の大兵団は海の底に沈み、更にその二日後には、報復と制裁と警告を兼ねて、陽出の軍が大陸の東部沿岸の軍事拠点を徹底的に叩き潰した……と、大体こんな感じだね』
一気に喋り切ったディマンディは、小さく息を整え、
『要するに、先に喧嘩を押し売りして、あっさり返り討ちにされたっていう〝間抜け話〟が真相さ。神聖帝国じゃ、さも都合よく英雄譚とか被害者ぶった話とかで語ってるがね』
何故そんなことを──そんなのは、愚問だろう。
それだけの兵力を用意して海を渡ったのに、一矢報いることすら出来ないまま手酷く返り討ちにされたなどと、神聖帝国にとってはこの上ない屈辱だろう。ましてや、それが魔族だの蛮族だのが相手とあっては。
『法具工兵として参加してた私は、運が良いのか悪いのか、ドンパチの最中に海に投げ出されちまってね。そのまま陽出に流れ着いたところを拾われて、匿ってもらって、密航用の船まで用意して貰ったのさ。ここの旦那にね』
『とまあ、ディマンディは簡単に言ってくれるけどね』
鏡華が、忌々しそうに割り込んできた。
『当時はまだ〝戦時中〟だったからね。色々と大変だったのよね、特にウチの旦那がね』
『本当に世話になったよ、ここの旦那にはね』
『そうそう、うちの旦那にね』
物凄い火花が、二人の間で弾けた──ような気がした。
いったい何が──などという質問を、アレクシアは呑み込む。突っ込んではいけないと、本能が警告してきた。
『正直、私はディマンディとの口約束なんて忘れかけてたわ』
当時の事を思い出したのか、鏡華は遠い目をしながら縁を見上げる。そこに飾られているのは、蒼真の父親の遺影。
『私じゃなくて、旦那との約束だったからね。池がいきなり光って、ボロボロのアレクシアちゃんが現れた時はびっくりしたけど、それでようやく思い出したのよね』
『忘れてたとか言いつつ、しっかりアレクシアの面倒見てやる辺り、旦那同様の世話焼きなのは相変わらずさね』
『私はこれでも義理堅いの。忘れかけてた約束だろうとね』
『白々しい……とまあ、そういう関係さね。だから、旦那には改めて礼を言いたかったんだけどね~』
ディマンディの目も、いつの間にか〝旦那〟の遺影に向いていた。いつになく、どこか寂しげな色を浮かべて。
『けどまあ……もう一人の顔を見れただけでも良しとするよ』
振り返ったディマンディの視線を追えば、門の潜り戸から蒼真が入ってきた。
5-4:〝出来損ない〟からの決別
『まあ、当たり前だけど、デカくなったもんだね、ムッツリボウズ』
『まあ、アタリ前だろうケド、アンタこそ老けたな、包帯ミノムシ姉ちゃん……いや、オバサンて言った方がイイカ?』
お互い顔を見るなり、獰猛な笑みで不穏な挨拶を交わす二人だった。
『……えっと』
『あの頃のディマンディには、匿うついでにまだ小さかった蒼真の遊び相手をしてもらってたのよ。そのおかげで、蒼真は神聖帝国語を覚えたんだけどね』
二人のやり取りをどう捉えるべきか迷っていると、鏡華がボソボソと事情を語ってきた。
『早速じゃれあってるみたいで結構なことだわ』
と、鏡華は頷いて見せるが、果たしてこれをじゃれあうと言って良いのかは、アレクシアには分からない。
その間にも、二人は旧交を温める素敵な会話を続けていた。
『そういう場合は、せめて〝貫禄がついた〟と言うところさね。まあ、しっかりこっちの言葉でお喋りが出来るんだから、教えを無駄にしなかったことは誉めてやろうか?』
『アンタの中じゃ、〝教える〟と書いて〝いじめ〟と読むのカ? ナルホド、いいベンキョーになったワ~』
『背丈と一緒に口の減らなさも伸びたもんだわね……この辺、お母様はどう思われますか?』
『本当、悩ましいくらいに頼もしい限りなのよ……龍のお姫様はどう思われます?』
『以下同文、と言いたいところなのじゃが……』
蒼真に続いてやってきた燐耀は、物凄く微妙な顔になり、
『諸君、本気で想像してみるがよい……この男が、逆に本当に紳士的になったら』
想像してみる──アレクシアはもちろん、鏡華もディマンディも、物凄く悩ましげな顔になった。そんな皆のこの上ない答えに、当の蒼真は、物凄く何とも言えない顔になる。
『とまれ、その極めて難しい悩みはひとまず置いておこう』
と、燐耀は居住まいを正しながらディマンディの前に立ち、
『この身は、皇龍が長──天凰が娘、燐耀と申す。かの〝鬼才〟の御高名は、度々聞かせて戴いておる。お会いできて光栄じゃ、ディマンディ・アイアグラン殿』
『こちらこそ……皇龍のお耳にまで届いているとは、光栄の極み。改めまして、ディマンディ・アイアグランと申します』
互いに頭を下げ、どちらからともなく手を握り合う。略式ではあるが、少しも礼法を違えていない。礼儀を弁えないどこかの小僧に、手本を見せつけるかのように。
『今後のためにも、是非とも親交を深めたいのじゃが』
『願ってもない……と、申し上げたいところだけど、そろそろお暇しなければなりません。そうでなくても、立場を弁えないで長居をしてしまった故に』
『それは残念じゃ。とはいえ、そちらにも都合を考えずに引き留めては無礼の極み。いずれ、またの機会に』
『その時は、是非にも』
礼儀正しく、しかし見え透いたお世辞とも言える気張った応酬を済ませ、二人は手を離した。
『さて……それじゃ、今度こそ本当に帰るよ、アレクシア』
『……』
促してくるディマンディに、アレクシアはすぐには答えなかった。
最後に、もう一度──改めて、考え直す。
『? どうしたんだい、アレクシア?』
『……お師匠様』
考え直して──結局、同じ答えに行き着いた。
『私は、神聖帝国に帰りません』
*****
神聖手国に帰れる──鏡華にその話を持ち掛けられた時、二つ返事で乗るべき選択を、しかしアレクシアは躊躇った。
色々なことがあり過ぎてすっかり忘れていた。
あるいは、目を背けて先延ばしにしていただけだったかもしれない。
答えなど、とっくに出ていた。
躊躇っていたのは──新たな歩みを始めることへの不安だった。
けれど──今なら決心できる。
そして──歩み出すなら、今しかない。
『私は、陽出で生きていきますで生きていきます』
その答えに対する他の四人の反応は大きく二つ──よほど意外だったのか目を丸くする若者二人と、最初から分かっていたかのような年配二人。
『……そりゃまた、どういうことだい?』
年配の一人──ディマンディが訊ねる。まるで、何かを試すように。
『お前の無実は、証明されたんだよ。帰ったらそのまま死刑台に直行──なんて事は、もう無いさね』
『そしてまた、〝出来損ない〟に逆戻り──それじゃ、今までと何も変わらないってことでしょう』
帰ってどうなるのか──それは、ずっとアレクシアの中で引っかかっていた。
無実が証明され、汚名が無くなり──しかし、結局はそれだけだ。
消えるのは〝無実の罪〟であって、〝出来損ない〟の烙印まで消えたわけではない。
アレクシアを痛めつけてきたエリッサはいなくなったが、ただそれだけのこと──遠からず、別の誰かがそこに収まり、また同じことが起こる。
神聖帝国にアレクシアの居場所など、最初から無いのだから。
『それに……私は、ただ甘えていただけでした』
そう──甘えていただけ。
何も知らなかっただけ。
何もしていなかっただけ。
出来なかったのではなく、やらなかっただけ。
〝出来損ない〟を、言い訳にして。
『私はまだ、〝出来損ない〟から何も変わっていません』
これまでは、それで良かったかもしれない。その方が、楽だったかもしれない。苦痛に耐えていれば、それだけで済んでいたのだから。
けれど、
『私は変わりたい……変わらなきゃいけないんです』
知るべき事を知ってしまったから。
知るべき事が、まだまだあることに気づいてしまったから。
〝出来損ない〟という言い訳の隠れ蓑は、もう通らないから。
だから、
『私は、神聖帝国には帰れません。私が、〝出来損ない〟から変わるためにも』
ディマンディを真っ向から見据えて、はっきりと告げた。
『お師匠……いえ、ディマンディ・アイアグラン。無理にでも私を連れていくなら』
アレクシアは足元に法力を送り込み、錬成を開始──庭の土が盛り上がり、瞬く間に鋭利な剣が出来上がった。それを握り締めると、切っ先をディマンディに向けた。
『私は、貴方を』
『ああ、もう良いもう良い、もう、腹いっぱいだよっ』
ディマンディは、降参とばかりに両手を挙げ、
『……全くもう、何だろうね~』
ディマンディは楽しそうに、しかしどこか寂しそうに笑った。そんなディマンディに、鏡華はしてやったりとばかりに笑い、
『だから言ったでしょ。アレクシアちゃんを見たら、きっとびっくりするって』
『まったくだよ。あの、気弱で意気地なしの代表みたいな小娘が、たった二週間でよくもまあ~』
酷い言われようである。事実だが。
『若者の時間は早いんだもの。二週間なんて、充分すぎるわよ』
『……それを肌身で感じるあたり、私ももう歳ってことかねぇ』
鏡華と一緒に、ディマンディは重たい溜息を吐き出す。
「……何か急に、老け込みやがったぞ」
「馬鹿もん! このような場合は〝貫禄が付いた〟というのじゃ!」
置いてきぼりにされた若者二人が、思い出したように陽出語で漫才を始めたものだから、アレクシアは思わず吹き出した。
5-5:そして、アレクシアの決意
『お前のお父上には、娘は異郷の果てでくたばったと伝えといてやるよ。強力な法術で、跡形も残らなかった、ともね』
池の縁に立ったディマンディは、懐から法具を取り出した。アレクシアの転移に使ったモノに似ているが、術式が少し違う。
『それじゃ、せいぜいしっかりやりな』
言いながらアレクシアの肩を叩いたディマンディは、術式を起動──池の転移法陣が起動し、神聖帝国への道を作り出し、
『次会う時は……いや、まあそんなことはもうないとは思うけどね、もしそういうことがあったら、みっともない姿見せるんじゃないよ』
捨て台詞とも激励とも取れる言葉を残して、光の向こうに消えていった。
「で、具体的にはどうするの?」
ディマンディの転移を確かめると、鏡華が陽出語で問いかけてきた。
「〝出来損ない〟から変わるためにも……そのために、貴方はどうするつもり?」
鏡華は、静かにアレクシアを見据える。静かだが、決して隙の無い──アレクシアの迷いやいい加減な気持ちを、欠片も見逃さないとばかりに。
燐耀のような射抜くような眼光ではなく、むしろ飲み込まんばかりの深い眼に、しかしアレクシアは大きく息を吐きだして、はっきりと答えた。
「〝海の庭園〟に乗ル」
「おいおいおいおい」
アレクシアの短い答えに、蒼真が吹き出しながら割り込んだ。
「アレは、大金積めば乗れるような豪華客船じゃないんだぜ?」
「うむ。家柄も血筋も種族も無意味、問われるのは実力と実績……幾重もの選抜試験を潜り抜けられるのは、千人に一人とも言われておる」
蒼真に続いて、燐耀も釘を刺してきた。
「妾のような〝お姫様〟とて、その例外にはなれんじゃろうの」
「知って、ル」
言われなくても、知っている──勉強の一環で、〝情報の海〟や雑誌などに目を通して、アレクシアなりに調べていた。
〝海の庭園〟とは、言うなれば〝海上を移動する都市〟である。その主な目的は、未開の地を発見し、未知の領域に挑むこと。そのために必要な技術、知識、資材、設備、それらを操る人類や亜人──いくらあっても足りないそれらを乗せて運ぶには、〝船〟などいくらあっても足りないのだった。
現在における、そしてこれからも最新の技術が導入され続けており、それは、人類も魔族も例外ではなく、並外れた実力や実績が必要だった。
「乗るノハ、トテモ難しい。神聖帝国で言エバ、平民が貴族の助ケも無しに、帝室法術師になるヨリモ、難しい」
実力主義とされている帝室法術師だが、やはり皇帝の直属である以上は、それ相応の家柄が求められる。家柄も実力のうちだと言わんばかりに。
生まれも育ちも平民で、何の後ろ盾も無い者が帝室法術師になることは無い。その機会に与ることすら、まずあり得ない。
たとえ四大賢人にも匹敵するような法術の才覚があったとしても。
「でしょうね」
と、鏡華も頷き、
「それでも、貴方は〝海の庭園〟を目指すの?」
「ハイ」
だからこそ──アレクシアは、即答した。
「ソレを潜り抜けラレタなら、誰にも文句は言われナイ、言わせナイ」
上等──そんな言葉を満面に張り付けた笑みを浮かべて見せた。
「……そう」
と、鏡華は満足そうな笑みで頷いて見せ、ふと意地の悪さを滲ませ、
「でも、実力実績以前に、自分で生活することすらままならない今の貴方じゃ間違っても無理ね。〝海の庭園〟に乗るどころか、選抜試験を受けることすら、夢のまた夢だわ」
「分かっテル。だから今日から」
「さすがに今日はやめときなさい。その代わり、明日からはみっちりがっつりやるわよ~」
息巻くアレクシアに、鏡華は、それはもう、素敵な笑みで浮かべて言った。
それを目にして、蒼真はおろか燐耀ですら青ざめ、
「頑張れよ~」
「幸運を……」
それはもう、同情的な応援を送ってきた。
アレクシアがその意味を思い知るのは、翌日の事だった。
