僕にとって『カマタマーレ讃岐』とは
サッカー人生の始まり
僕がサッカーと出会ったのは小学1年生の頃、友達の誘いもあってカマタマーレ讃岐のサッカースクールに通い、そこから僕のサッカー人生は始まりました。この年はカマタマーレ讃岐がJリーグに参入して盛り上がっていましたが、当時の僕は試合観戦に全く興味が無かったです。小学生の頃はなんとなくで週一のスクールに通い、純粋にサッカーを楽しむだけでした。
小学校時代
こうしてサッカー人生を始めることになりますが、僕の場合はサッカースクールだったので公式戦など試合をする機会はありませんでした。スクールで最後にゲームをするんですけど、当時僕は周りよも体が大きくて正直無双してました。一度、コーチからセレクションを受けるスペシャルクラスを勧められましたが、当時の僕は断りました。今の僕だったら絶対受けてます。もし、あの時受けていたら今頃または将来Jリーグでプレーしているかもしれませんね笑。
また、年1ぐらいのペースでトップチームの選手と交流する機会があり、当時は現在カマタマーレ讃岐のGKコーチの清水健太さんなどの選手たちに来ていただきました。小学生の僕からすると、めちゃくちゃ大きいなと思いました。一緒にボールを触る時も軽くやってるけど、1つ1つのプレーは上手かったですね。この6年間はチャンスもあり、プロの選手と触れ合うなど貴重な体験をしました。
初観戦
初めてカマタマーレ讃岐の試合を観たのは2022年シーズンでDAZNでの視聴でした。この時は全部を追いかけるというよりかは、『今日試合あるやん』っていう感じで観てました。このシーズンは松本孝平選手が好調で、たくさんゴールが見れて楽しかったです。
そこから2024年シーズンまで徐々に試合数を増やしながらDAZNで観戦してました。この期間は高校生で、何度かボールパーソンを担当させていただき、ピッチサイドで選手のプレーする姿やサポーターの声援、試合を円滑に進めるための仕事など貴重な経験になりました。サポーターとして現地に行ったのは屋島初開催と1万人祭りでした。敗戦と雷雨での中止と、初めての現地観戦は悔しい結果で終わってしまいました。2024年シーズンは5連勝などもあって、より現地で観たいなと思いました。
ホーム全試合現地観戦
2025年シーズンは、ボールパーソンを担当させていただいた試合もありますが、ホーム全試合を現地で観戦する事が出来ました。本格的にサポーターとして観戦した最初のシーズンに買ったユニフォームはエドゥアルド選手でした。

このシーズン開幕前に欲しかった吉田 源太郎選手が移籍した関係で、同じ11番を背負うエドゥアルド選手にしました。また、3rdユニフォームも買いました。

僕が高校生の時にプレーモデルにしていた大野選手です。26/27シーズンから9番に変更したので、この22番は貴重ですね。
シーズン途中の監督交代や残留争いで、本当に毎週緊張していましたし、1つの勝利・1つの敗戦で一喜一憂してました。とにかく『降格して欲しくない』、『Jリーグに残さないといけない』という気持ちでしたね。もちろん、降格するとは1ミリも思っていませんでしたが、しんどかったですね。残留は出来ましたが、地元にJクラブがあるのは当たり前ではないし、感謝すべき事だと改めて感じました。このクラブはこんな位置に居ていいクラブではないですし、もっと上にいけると思います。
百年構想リーグ
このシーズンは近県クラブとの対戦が増えたので、ホームだけでなく、アウェイにもたくさん行きました。2025年シーズンは1度だけバスツアーで鳥取に行きましたが、この試合は負けてしまいました。このままアウェイに行かなくなると、絶対に後悔すると思ったので、この近県が多い時にスケジュールが合うなら全てのバスツアーに参加しようと決めました。それぞれのスタジアムに特徴があって、すごく楽しかったです。
また、百年構想リーグの途中からこのnoteを使って試合のプレビューやレビューを通して、カマタマーレ讃岐について発進する活動を始めました。
小学1年生で初めて袖を通したユニフォームも、初めて胸につけたエンブレムも、カマタマーレ讃岐でした。そこから始まったサッカー人生は、選手を引退した今も形を変えて続いています。応援し、発信し、クラブとともに歩む。そのすべての始まりが、カマタマーレ讃岐です。
だから僕にとってカマタマーレ讃岐とは、「原点」です。サッカースクールでの出会いが、僕のサッカー人生の始まりであり、今の自分をつくる出発点になりました。
これからも、カマタマーレ讃岐とともに成長し、このクラブへの感謝と情熱を持ち続けていきたいと思います!
