『余白』第三話 見えているもの

   城の流れは、昨日と同じようでいて、同じではなかった。
 
 人の動きは整っている。
 足音も、声も、衣擦れも、すべてが一定の範囲に収まっている。
 
 だが、その整い方に、わずかな偏りがある。
 義継は廊下を歩きながら、それを見ていた。
 
 視線は正面に向けたまま、端だけで拾う。
 
 人の間合い。
 反応の速さ。
 目線の落とし方。
 誰も乱れていない。
 
 だからこそ、目立つ。
 
(揃えすぎている)
 
 昨日と同じ感覚だった。
 違いがあるとすれば、それが広がっていることだ。
 
 個ではない。
 面になり始めている。
 
 義継は立ち止まらない。
 歩き続ける。
 考え込まない。
 
 拾った違和は、後で処理する。
 
 まずは、流れの中に置く。
 廊の角を曲がると、数人の家臣が控えていた。
 書面を抱え、声を抑え、互いに確認を取っている。
 義継の姿を認めると、すぐに道を空けた。
 
 半歩。
 いつも通り。
 だが、その動きが、わずかに早い。
 
 義継は通り過ぎる。
 呼ばれなければ、止まらない。
 呼ばれれば、止まる。
 それだけだ。
 
「義継様」
 
 一人が声をかけた。
 義継は足を止める。
 振り返らない。
 
「何だ」
「境目の件、村同士の争いに、他領の商人が絡んでいるとの報せが」
 
 義継は一拍置いた。
 
「どの筋だ」
「まだ確定ではございませんが、昨日の水路と同じ経路を通っております」
「帳面は」
「照合中にございます」
「遅い」
 
 短く言った。
 声は強くない。
 だが、言葉は止まる。
 
「今、何を見ている」
「……商人の動きと、村の言い分を」
「両方、捨てろ」
 
 その場の空気が、わずかに止まる。
 義継は続ける。
 
「先に通した者を見ろ。誰が通し、どこで止めなかった」
「……関所、でございますか」
「関所だけではない」
 
 義継は視線をわずかに動かした。
 周囲の人の流れをなぞる。
 
「通した後、どこで見落としたか」
 
 短い沈黙。
 
「……承知いたしました」
「急げ」
「はっ」
 
 義継は再び歩き出した。
 後ろで人が動く。
 声は小さい。
 だが、流れが変わる。
 
(遅い)
 
 義継はそう思った。
 だが、それ以上は言わない。
 言えば、乱れる。
 乱れれば、今見ているものが崩れる。
 崩すのは、まだ早い。
 
 義継は廊下を抜け、庭へ出た。
 昼に近い光が落ちている。
 朝よりも音が増えているはずだった。
 だが、やはり整っている。
 整いすぎている。
 
 庭の端に、小者がいた。
 掃き掃除をしている。
 動きは正確だ。
 塵を逃さない。
 
 だが――
 
(見ている)
 
 義継は思った。
 掃いているのではない。
 周囲を見ている。
 
 掃く動きに合わせて、視線を動かしている。
 義継は足を止めない。
 通り過ぎる。
 小者は気づかない。
 あるいは、気づいていないふりをしている。
 どちらでもいい。
 
 義継は縁側へ上がった。
 御屋形様がいた。
 昨日と同じ位置。
 同じ姿勢。
 だが、今日は違う。
 視線が動いている。
 庭の一点ではない。
 人の流れを見ている。
 
「義継」
「はい」
「動いているな」
「はい」
「どこだ」
「まだ、面でございます」
 
 御屋形様はわずかに笑った。
 
「昨日より進んだか」
「はい」
「止めるか」
「まだ」
 
 義継は短く答える。
 
「止めれば、消えます」
「消してはならぬか」
「見えなくなります」
 
 御屋形様は頷いた。
 
「どこまで待つ」
「形になるまで」
「形になれば」
「押さえます」
 
 短い間。
 風が葉を揺らす。
 水面にわずかな波が立つ。
 ほんの一瞬だけ。
 
「義継」
「はい」
「見ているな」
「見ております」
「何をだ」
 
 義継は一瞬だけ考えた。
 そして、答える。
 
「流れを」
 
 御屋形様はそれ以上問わなかった。
 義継も続けない。
 それで足りる。
 
 庭の外で、声が上がった。
 小さな揉め事だ。
 誰かが止めに入る。
 すぐに収まる。
 その一連の動きが、整っている。
 
(作られている)
 
 義継は思った。
 自然ではない。
 だが、不自然とも言い切れない。
 ぎりぎりの線。
 崩すには早い。
 見逃すには遅い。
 義継は立ち上がる。
 
「回します」
「うむ」
 
 御屋形様は頷いた。
 
「義継」
「はい」
「深くなりすぎるな」
 
 義継は少しだけ考える。
 
「はい」
 
 その言葉の意味を、完全には取らない。
 必要な分だけ取る。
 それでいい。
 
 義継は廊下へ戻った。
 人が動く。
 流れが変わる。
 音がわずかに増える。
 だが、まだ整っている。
 
 義継は歩く。
 その中を。
 崩さずに。
 見ながら。
 同じ位置で。
 同じ距離で。

 
 だが――
 見えているものは、少しずつ増えていた。

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