空海を関西弁で超訳したら、生きづらさも「そのままでええ」と言われた気がした。
空海の言葉を読んでると、
心のなかでふっと関西弁になって響いてくるんです。
生きることや死ぬこと。
人との縁や、迷い、苦しみ、そして希望。
空海はそれを、ものすごく高いところから言うんやのうて、
隣でそっと話しかけてくれてるみたいな気がするんです。
そんな「内なる空海さん」の声を、
今回も関西弁で訳してみました。
過去の翻訳はマガジンにまとめてあります。
やんわりとストーリー調にはしてますが
記事ごとに完結してますので、どこから読み進めても大丈夫です。
ここでの構成は、
【原文】
関西弁超訳
・・・
(僕の感想)
という順に記載しています。
ほな今日も、空海さんの言葉を頼りに、
心の奥をそっと歩いてみましょか。
<81>それ生
それ生は吾が好むにあらず、死はまた人の悪むなり。
生まれてきたんは、誰も自分が「生きたい!」思うて始まったわけやあらへん。
死ぬことも、誰やって嫌がるもんや。
・・・
この言葉には、空海の“生と死を超えた慈悲”が滲んでいるように思います。
誰も望んで生まれたわけでもない。
でも、生まれてしまった以上、生きていかなあかん。
そして、誰もがやがて死ぬ。でも、それを素直に受け入れられる人なんて、そうそうおらへん。
空海は、そこに「苦しむことを恥じなくてええ」というメッセージを込めているように感じました。
生きるのがしんどい、死ぬのが怖い、それで当然。
仏道は、その自然な心を出発点にしてもいいんやで、と語っている気がします。
<82>風燭
風燭滅え易く、 良辰遇い難し。
命っちゅうもんはな、風の前の灯みたいに、すぐ消えてまうほど儚いもんや。
ほんで、ええ時期や運に出会えることなんか、めったにあるもんやないで。
・・・
風の前の灯という儚さを自覚してこそ、謙虚になれる。
「時」や「縁」に出会えたことが、どれほど貴重なことかに気づける。
この世は、努力だけではどうにもならんことも多い。
でも、だからこそ、良き機会と良き人に巡り会えたなら、
それは「授かりもの」として、心から受け取らなあかんのやと思います。
命は小さな灯やけど、
その灯が、誰かと交わることで、ほんの少しでも温かくなるなら、
それが生きる意味なんやと、空海は教えてくれているように思えました。
<83>宝城
仏智を証せんと欲わば局執すべからず。
一歩して即ち憩えば誰か宝城を見ん。
仏さんの智慧を手に入れたい思うんやったら、
狭い考えにとらわれとったらあかん。
一歩踏み出しただけで立ち止まってもうたら、
誰がその先にある宝の城なんか、見れんねん。
・・・
まるで探検家のようです。
「仏の智慧」は、遠くにある宝の城。
けれどその場所は、ただ立ってるだけでは見えてこない。
「とらわれを捨てて、歩き続けること」
それが空海の言う「求道者の姿勢」なんですね。
一歩踏み出して、そこで「しんどいわ」と止まってしまう。
その心のクセこそが、ほんまの宝から自分を遠ざけてしまうんや、と。
私たちに「歩き続ける力」と「広い心」を思い出させてくれます。
<84>纓簪
六塵は能く溺るる海、四徳は帰するところの峯なり。
すでに三界の縛を知る、なんぞ纓簪を去てざらん
この世のあれこれっちゅうんわな、心を欲に溺れさせる海みたいなもんや。
ほんまに目指すべきんは、悟りっちゅう名の高い山の頂やろ。
この現世に縛られとるって気づいたのに、
なんで地位とか名誉とかを求めなあかんねん。
・・・
これは、空海がまだ24歳のときに書いた『三教指帰』からの一節。
若さにまかせた理想論と片づけるには、あまりにも鋭くて、深い言葉です。
現世を「欲に溺れる海」と言い、悟りを「高い山の頂」として描く。
その表現には、若き空海の魂の切実さが、ほとばしっています。
すでにこの頃から、空海は「見えてしまった人」だったのかもしれません。
地位や名誉を追うことの空しさに気づいてしまった者の、
どうしようもない叫びのように聞こえるのです。
その叫びは、今の時代にも、まったく古びることなく突き刺さってきます。
<85>羅刹
五戒の小舟、猛浪に漂い、羅刹の津にさまようのみ。
俺は、「殺さん・盗まん・嘘つかん・不倫せん・酒飲まん」ちゅう最低限のルールを守ろうと思っただけでも、荒れくるう波にさらわれてもうて、鬼が待っとる浜辺に流されてまうねん。
・・・
同じ「三教指帰」からの一節。
空海の若い頃の苦悩が滲んでくるようです。
仏教の基本ルールを守ろうとしただけでも、
この世の荒波は容赦なく襲いかかってくる。
しかも、頑張ったつもりでも、流れ着く先は「鬼が待っとる浜辺」。
仏道の厳しさを体験したのでしょう。
これは空海の内なる絶望でもあり、
それでも「それを見つめる勇気」を手放さなかった証でもあるように思えます。
世の中の濁流のなかで、まっすぐに仏道を生きようとした青年・空海の叫びが、今も生々しく響いてくるようです。
<86>羝羊
凡夫狂酔して吾が非を悟らず。
ただし婬色を念じること彼の羝羊の如し。
迷うとる凡夫は、自分のアホさにも気づかんと、
やらしいことばっかり追いかけてる。ほんま発情した羊みたいやぞ。
・・・
空海は、悟りまでの心の段階を10こに分けます。
この言葉は、その第一段階、「異生羝羊心」を表現したもの。
「異生」とは迷いの凡夫、「羝羊」とは発情した牡羊。
煩悩のままに突っ走る人間のことを、これ以上ないくらい辛辣に描いています。
でもこれ、ただバカにしてるんじゃなくて、
「ここからしか始まらんのやで」というメッセージでもあるんです。
人間は、最初はどうしても欲や快楽に振り回される。
でも、その迷いをまずは自覚すること。
それが悟りへの第一歩になるんですね。
言葉は厳しいけど、その奥に「ちゃんと登って来いよ」という愛があるように思います。
<87>沈萍
言亡慮絶して法界に遍ぜり、
沈萍の一子もっとも哀れむべし。
言葉も考えも超えたとこに、
ほんまの真理は、もうすでに世界じゅうに広がっとる。
けどな、それに気づかんまま、
水草みたいに沈んでいく人がおる。
そういう存在こそ、ほんまに哀れやと思うんや。
・・・
「真理はすでに、そこらじゅうにあんねんで」
この発想がまず、深い安心を与えてくれます。
がんばって頭で理解しようとせんでも、真理はもう「そこにある」。
世界そのものが、仏の法界としてすでに光で満ちている。
けれど、その光に気づけず、もがきながら沈んでいく水草のような人もおる。
空海は、そういう人を「かわいそうや」と、ほんまに心から憐れんでる。
悟りは自分ひとりの静けさじゃなく、
「迷える者にこそ光を」という慈悲の眼差しとつながっていると思う。
<88>発陳
覆えばすなわち長劫に偽獄に沈み、
発陳すれば仏の真容を見る。
自分の過ちを隠し続けたら、
そのぶん長いこと、苦しみの地獄に沈むことになる。
でもな、心の中を正直にさらけ出したら、
そこに仏さんのほんまの姿が見えてくるんや。
・・・
この言葉を読むと、空海が「正直であること」をどれだけ大切にしていたかが伝わってきます。
「隠す」ことは、仏から遠ざかること。
けど「さらけ出す」ことは、仏とつながる第一歩。
どんなに立派な修行をしても、
心の奥で誤魔化していたら、ほんまの仏の姿は見えてこない。
逆に、弱さも過ちも、恥ずかしいと思う気持ちごと差し出したとき、
そこにこそ、仏の光が差してくるんですね。
空海は、「強くあれ」とは言わんかった。
「正直であれ」と言う。
それがこの言葉のあたたかさやと思います。
<89>唯心
知らず自心の天・獄たることを、
あに悟らんや唯心の禍災を除くことを。
天国や地獄っちゅうもんも、ほんまは自分の心が作り出したもんやねん。
それに気づかんままやのに、どうして心の災いや苦しみを取り除ける言うんや?
・・・
同じ出来事でも、明るい心で見たら救いに思えるし、
濁った心で見たら地獄のように感じる。
外にあると思ってた地獄や天国が、
ほんまは「心の中の風景」やとしたら、
私たちが向き合うべきは、外じゃなくて内側やということになります。
でも、ほとんどの人はそこに気づかんまま、
外の状況を変えようとばかりする。
空海は、その「気づかん状態」そのものが災いの始まりやと、
やさしく、鋭く指摘しているんですね。
<90>燈光
雨足多しといえども並にこれ一水なり。
燈光一に非ざれども冥然として同体なり。
雨のしずくがなんぼ多くても、もとはみんな一つの水や。
灯火もなんぼあろうが、どれも暗闇を照らす働きは同じやねん。
見た目はバラバラでも、本質はみんな一緒なんや。
・・・
この言葉を読むと、ほっとするんです。
「見た目がちがっても、ほんまは一緒なんやで」って言われると、
どこか自分も、世界とつながってる気がしてくる。
「見た目にまどわされるなよ」と
語りかけてくれているようにも聞こえます。
私たちはつい、他人との違いや、物事の大小に目を奪われてしまう。
でも、どんなに違って見えても、
雨のしずくも、灯火も、根っこでは同じものから生まれている。
それは、人間関係にもそのまま当てはまる。
性格もちがう、立場もちがう、けれど、
誰もが光を持って、命という水から流れ出てきた存在なんや。
空海は、そういう深いつながりを思い出させてくれました。
まとめ
どんな時代の、どんな悩みにも 「それでええんやで」と、背中をそっと押してくれるような空海の言葉。
今回はとくに、「しんどさのなかにある自然さ」と、 「それでも歩き続ける勇気」について、 いろんな角度から教えてもらった気がします。
誰かと出会えたこと。 自分の弱さに気づけたこと。 ただ歩みを止めずにいること。 そのひとつひとつが、すでに仏の道なのかもしれません。
あなたはどう感じましたか?
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
過去の空海関西弁超訳↓
いいなと思ったら応援しよう!
ここまでお読み頂きありがとうございました。
こちらで頂いたお気持ちは、もっと広く深く楽しく、モノ学びができるように、本の購入などに役立たせて頂いております。
あなたへ素敵なご縁が巡るよう願います。