嘘をついていたドイツ1年目の僕
僕の友達に、日本から留学に来る選手をサポートしている人がいる。僕もよくお世話になっていて、長年いろんな日本人選手を見てきているドイツ人だ。
そのドイツ人とは仲が良いので、よく日本人のことについて話す機会がある。そこで彼がよく言うのが、「日本人は本当のことを言わない」ということだ。
実際には、「日本人は正直に言わない」というのが正しい表現かもしれないし、極端に言えば「嘘つき」とも言えるだろう。
初めの頃はとにかくドイツ語がわからないので、ごまかしたり、我慢したりすることでその場を乗り切ろうとする。僕も1年目はずっとそうだった。
何を言われているか全くわからないけど、とりあえず笑ってわかっているフリをしたり。足は痛いけど、プレーはできそうだし、ドイツ語でそれを伝えるのもめんどくさいからとりあえず我慢してどうにかしようとしたり。
ただ、そんなこともちろんドイツ人にはお見通しだ。
理解していないのに理解したフリをしているのもお見通しだし、体に異変があるのもお見通しなのだ。日本人はごまかせていると思っているけれど、ごまかせていない。
ドイツ語でコミュニケーションが取れるようになった今、そんなことをしていた1年目の自分が恥ずかしくて仕方がない。
そして、また次に来る多くの日本人がこれをやるから、日本人ってそういうやつだとドイツ人に認識される。
たしかにドイツ語が話せないからコミュニケーションがとれないという言い分はあるかもしれない。我慢する方が楽だし、笑っていれば面倒臭いこともひとまずやり過ごすことはできるだろう。
ただ、それは人としてどうなのだろうか。
こういうのは逆の立場になって考えてみるといい。日本に来た日本語の話せない外国人留学生が僕らと同じような反応をしていたらどうだろうかと。
僕らが日本語で話しかけて、1ミリも理解していないのに笑ってごまかそうとしている外国人留学生。怪我を抱えているのに、何も言わず我慢しながらプレーする外国人留学生。
想像するだけで、え?っとなる。
ただ、僕らはそれと同じことをやっているのだ。なんとおかしなことだろうか。
日本はドイツのような移民の国とは違って、海外の人がたくさん住んでいる国ではない。だから、そのおかしさに気付くことができないのだろうか。
そんな1年目の僕を振り返ると、今でも恥ずかしい。
ただ、こういったコミュニケーションって、実は普段気づかずに日本でも行われているのではないだろうか。それも日本人同士の会話で。
上司の誘いに断れない若手。
わからないことを素直にわからないと言えない親。
痛みを抱えながらも評価を気にして我慢しながらプレーする高校生。
昔、本を読んでなるほどなと思ったことがある。
「日本人は言葉よりも空気が優先される。海外では空気よりも言葉が優先される」というものだ。
例えば、今日の「夜ご飯なにが食べたい?」という質問を母が息子にしたとする。母が「ラーメン?」と聞いたときの息子の反応が「うん、、、」となんとも不満げなものだった。このとき、日本ではこの「うん、、、」をNOと判断するのだ。そして、じゃー「オムライス?」と言ったように会話が続いていく。
一方で、海外の場合は、どんな空気であれ「うん、、、」をYESと判断する。そして、ラーメンを作り始めるのだ。
「うん」という言葉はそもそもYESという意味なのに、そこにまとう空気によって意味が逆転するのが日本の文化だ。これは面白い。
このことを僕の友達であるドイツ人は「日本人は本当のことを言わない」「正直に言わない」と表現して僕に伝えているのかなと。
(思えばたしかに、ドイツ人とコミュニケーションをとっている方が、日本語でのコミュニケーションよりも明快ではっきりしていて楽だ。言葉と表情や感情が常に一致しているドイツ人とのコミュニケーションはわかりやすいのだ。)
これは信用問題にも直結する、かなり深刻な話だと捉えている。
とはいえ、僕も日本に帰ったら、そんな空気に飲まれて、顔を伺いながら生きていく人になってしまうのだろうか。いや、そうはなりたくない。
そんなことを考えるきっかけになった、ドイツ人との会話だった。
最後に、ローランドがテレビ番組で言っていた言葉を添えて終わりにする。
「NOを言えない人のYESに価値はない」
次回は、「西野亮廣の228万文字」と題して、自分の文章を向上させるために、キングコング西野さんの文章を分析する。
お楽しみに!
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