【アルジェリア】要塞都市オラン、支配のかたち
ベイ宮殿
オランの旧市街・シディ・エル・ウアリ地区には、「ベイ宮殿(パレ・デュ・ベイ)」という建物があります。もともとは、1509年からオランを支配したスペインが築いた要塞の跡地で、1792年にスペインが去ると、今度はオスマン帝国から派遣された統治者「ベイ」の住まいとなったのに由来します。


そして1831年、フランスがオランを占領すると、今度は軍の本部として使われたそう。1865年にフランス皇帝ナポレオン3世がこの宮殿を訪れることになった際、歓迎のために壁や天井の装飾が新しく作り直されました。そのとき天井に書かれていたコーラン(イスラム教の聖典)の一部が消され、代わりにナポレオン3世をたたえる文章へと書き換えられたといいます。その文字は、今も宮殿に残っているそう。

要塞、統治者の住まい、軍の本部-支配者が変わるたびに役割を変えながら、この建物はオランの歴史を生き残ってきました。
丘の上のサンタクルス要塞
ベイ宮殿から少し離れた山の上には、サンタクルス要塞があります。
標高約400メートルのムルジャジョ山の頂上に築かれたこの要塞は、1577年から1604年にかけてスペインが建設したものだ。ここからなら、港も街も遠くの海まで一望できます。

そもそも、なぜスペインは北アフリカのオランを支配していたのだろう?
当時のスペインは、イベリア半島からイスラム勢力を追い出したばかりで、その勢い(レコンキスタ)のまま北アフリカにも進出しようとしていました。しかしこの海には海賊が多く、その対策として海沿いの大事な港だったオランを押さえることにしたのです。
1509年、スペインの枢機卿が率いる軍がオランを占領しました。この征服では、住民の3分の1が虐殺され、街の書物や記録も燃やされたといいます。スペインの征服後すぐに、モスクを教会に建て替え、病院を作り、宗教と医療は最初にセットで持ち込むことで、支配を進めていきました。
この支配をオスマン帝国等の勢力から守るために築かれ、兵士たちはここから海や街を見張っていました。一方で、現地の人たちの抵抗はやまず、1708年には一度、この要塞が陥落したこともありました。
要塞の麓には礼拝堂もあります。1849年に街を伝染病のコレラが襲った時には、もともとあった病院はすぐにいっぱいになってしまい、対応に追われたフランス軍の司令官が教会に助けを求めました。「聖母マリアの像を掲げて祈ってほしい」と頼んだところ、その後雨が降ってコレラが収まり、人々は「聖母マリアが守ってくれた」と信じたそうです。こんな言い伝えが今も残っています。この礼拝堂には、イスラム教徒が多いこの土地に、キリスト教の存在を示すという意味もあったようです。
そして時代が下ると、オランは軍事の街から、文化や芸術の街としても知られるようになっていきます。

宮殿も要塞も、この街を治めた人たちが、それぞれの目的のために真っ先に手をつけた場所だった。時代が下ると、この街にはもっと違う顔も出てくる。次回は、闘牛場と、ここで生まれ育った世界的なデザイナーのお家を訪れます。
参考
https://imaneo-data.inha.fr/en/project/3137/(仏国立美術史研究所INHAのアーカイブ)
https://www.lematindz.net/news/23320-une-ville-une-histoire-fort-et-chapelle-de-santa-cruz-doran.html(現地紙Le Matin d'Algérie)
https://www.elmoudjahid.dz/fr/culture/oran-et-mers-el-kebir-il-y-a-230-ans-l-occupation-espagnole-prenait-fin-179140(現地紙El Moudjahid、1790-92年の包囲戦)
