書評:エルヴェ・ル・テリエ『異常【アノマリー】』⋯正常とは何かを問う思考実験
◯議題と前置き
ぽこどうで話題になった小説、エルヴェ・ル・テリエ『異常【アノマリー】』(ハヤカワepi文庫)について、総括会を行った。以下にその内容を踏まえたレビューを記載する。
感想会の性質上、すべての感想をまとめることは困難であるし、また、感想を一つにまとめること自体正しいとも思われない。したがって、感想会を踏まえた個人のレビューと捉えていただけると幸いである。当然、文責は私にある。
以下ネタバレを含むため、未見の方は注意されたい。
◯あらすじ(ネタバレあり)
物語は、2021年3月にパリ発ニューヨーク行きの航空機「エールフランス006便」に乗った乗客たちを軸に展開する。飛行機は激しい乱気流に巻き込まれるが、無事にニューヨークに到着。乗客たちはそれぞれの日常へ戻っていく。しかし、3か月後の6月、同じフライト「エールフランス006便」が、3月と全く同じ乗客を乗せて大西洋上に出現する。
アメリカ軍は異常事態を察知し、6月の便を秘密裏に確保。政府や科学者たちはこの現象を説明しようとするが、既存の物理法則では説明がつかない。3月に降り立ったオリジナルの乗客たちは、自分とまったく同じ記憶と肉体を持つ「コピー」と対面することになる。
ある者は恐れ、ある者は惑い、ある者は存在の意味に苦しむ。同時に、政府はこの事態に対応するため、コピーたちをどう扱うかの決定を迫られる。
さらに、世界は一つの問いかけを受ける。つまり、この世の中は実は誰かの「シミュレーション」に過ぎないのではないか?
物語はこのように、個人の観点、社会の観点、世界の根幹に関わる原則の観点の3つからこの「異常」な事態を捉える。
同時に、メタフィクション的な構造を取り、この「異常」は単なる偶然か、それとも世界の根幹に関わる何かの兆候なのか?を読者にも問いかける。
◯物語の構造
まず、「異常(アノマリー)」の構造について検討したい。
この物語は、飛行機と乗客の「分裂」という事象を軸に、
・それぞれの人物の掘り下げを群像劇的に行う前半パート、
・事件を軸として政府の対応を検討が行われる中盤パート、
・それぞれの人物が「自分」と対面し、社会へと帰っていく後半パート
に分かれる。
全編を通じて人物描写は非常に丁寧で、各人の環境・思想が細密に描かれる。一般的にこういった群像劇では、それぞれの人物が登場した後、物語の中で相互に関与しあい、その影響の中で落着することが多い。
しかし、この物語では、それぞれの人生は個別的に扱われ、最初からグループだった場合を除き、ほとんど他の乗客と関わることはない。
このため、個々人のエピソードが散文的に始まり、独立して進み、散文的に終わる印象を受ける。さらに、この物語の中心的イベントである「異常」、つまり飛行機の分裂そのものについても最後までほとんど解明されない。
以上のような理由により、純粋にストーリーを追った場合、群像劇としてみてもSFとしてみても消化不良となり、「結局何が言いたかったのだ?」という印象を受けるのは否めない。
しかし、むしろこれは本作の特徴であり、意図的なものと考えられる。
以上のような点から、この物語はストーリー展開そのものを楽しむものと捉えるよりも、「異常とはなにか?」を考える、ある種の思考実験と捉えるほうがより楽しめそうだ。
◯物語の主題…正常とは?
この物語のタイトルは「異常」である。
なるほど、飛行機と乗客が2つに増殖するというのは間違いなく異常事態であり、「異常な事柄が発生したときに我々個人はどう振る舞うか?」という点は物語の軸の一つだ。
一方で、なにかが「異常」だと考えることは、前提として「正常」な状態を観念しているということでもある。その意味で、この物語は異常な事態を通じて、正常とはなにか、我々はいかに正常という固定観念に縛られているかについて語る物語でもある。
さて、物語で起きた事象は極論すれば
「同一の人間(と飛行機)が二人に増えた」
という点に尽きる。
もちろん、それぞれの人間にとって、自分が二人に増えるというのは大変なことだ。財産や恋人・子どもは一人分しかないのだから当然だ。
この点、この物語は詳細に各人の帰結を語る。
人生が好転する少女のソフィアに、殺されてしまうアドリアナ。
恋人リュシーとの別れを受け入れる建築家アンドレ、自分自身を受け入れるスリムボーイ、変わらない結末を迎える機長のデイヴィッド…。
同じ事例からの物語の結末は様々だ。
今回の事件は、ある人には悲劇であり、ある人には喜劇である。それは、それぞれの人生がそうであるのと変わらない。
◯社会はなぜ揺らいだのか?
一方で、もう少し引いた社会・世界の視点で事件を見てみるとどうだろうか?
この事件の客観的な影響は、せいぜい数百人から千人程度。誰かが死んだわけでも、消えてしまったわけでもない。ただ「増えただけ」だ。
疫病で人口の何割かを失ったり、火山噴火で地域ごと全滅したりといった出来事を経験してきた人類全体からすれば、実に取るに足らない事象である。にもかかわらず、この件は世界をひっくり返す大騒ぎとなる。
作中では、世界観を揺らがせるものとして「シミュレーション仮説」が主に取り上げられる。簡単に言えば、この世は誰かのシミュレーターの中にあり、我々はその中で動くプログラムに過ぎない、という仮説である。たしかに、世界がシミュレーターであるとすれば、今回の異常事件は難なく説明できるだろう。
ただし、「シミュレーション仮説を用いたほうが世界が説明しやすくなる」ということと、「今回の件がシミュレーション仮説を積極的に支持する証拠となる」ことの間には隔たりがある。
さらに、仮にこの世界が誰かのシミュレーションだったとして、我々にとって何か影響があるだろうか?
作中では、ある登場人物が「シミュレーションの試験に『合格』しなければ、我々は滅ぼされてしまうかもしれない」と発言する。これは一見もっともらしく聞こえるが、そもそも我々に「合格」を目指すことが可能なのだろうか?
もちろん、我々が動物実験を行うときのように、不出来なラットは処分されると考えることはできる。しかし、実験者の顔色をうかがって空気を読むラットが出てきたら、それこそ実験は失敗かもしれない。
シミュレーションを行っている存在の意図を把握することができない以上、何が正解で何が失敗か、我々には知る術がない。つまり、我々にできることなど何もないのだ。
その意味で、物語の終盤で哲学者が述べるように、「この世がシミュレーションであろうとなかろうと、我々の生き方は変わらない」というのは本質を突いた指摘である。
では、何が我々の社会をここまで揺るがすのだろうか?
結局のところ、この事件によって社会が動揺した原因は、「人が増えたこと」でも、「新しい世界の真実が発見されたこと」でもない。
我々が無邪気に信じている「世の中は正常に続いていく」という根拠なき観念が揺らいだこと、つまり「正常とは我々の幻想にすぎない」という事実への気づきこそが、社会を揺るがせたのである。
◯結語…異常なのはなにか?
異常とは、池に投げ込まれた小石のようなものだ。
本来自由な水の分子を、池よりも遥かに小さい石が、ある指向性をもって振動させるように、この物語でも一つの「ささいな」異常が世界全体を振動させる。
本書においては、異常にぶつかって直接ゆらいだ個人と、異常によって振動した世界の2つが描かれている。
この物語の結末で非常に興味深いのは、前者の個人は紆余曲折を経つつ、落ち着くべきところに落ち着くのに対して、取るに足らない事件と切り捨ててよいはずの社会・世界は、最後の最後までこの件を落ち着かせることができない、という対比である。
見方を変えれば、今回の事件以上に、そのことが異常ともいえるだろう。
以上のように、この物語は全体を通じて、
・正常や異常とはなにか?
・我々は何に依拠して生きているのか?
ということを様々なアスペクトで問いかける。
冒頭に述べたように、ストーリー展開やSF的発想を楽しむ作品ではないため、それを期待する読者には推薦しづらい。しかし、非常にユニークかつ深い考察に値する物語であることは間違いない。
通常のSF作品のように安易なカタルシスを提供するのではなく、読者の思考を揺さぶること自体がこの作品の目的なのだとすれば、ある意味で本作自体が、読者にとっての「異常(アノマリー)」である、ということもできよう。
