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自分のパンツは自分で洗え〜9、婚活をしたことのある者のみが石を投げよ③



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「姉さん、今日はもう大丈夫なので上がってください」

 いつしか私は、後輩から姉さんと呼ばれるようになっていた。

「大丈夫? 診察終了まで残れるよ?」

「昨日もそう言って最後まで残ってくれたじゃないですか。今日は定時で上がってください」

 ド繁忙期でも後輩の指導を続けたおかげで、彼女も頼もしい存在になっていた。新卒も定時退勤とはいえ、私のスパルタ指導を受けても必死に食らいついている。残業続きの毎日、後輩をできるだけ早く帰してあげようと頑張った結果、ある程度余裕のある日はこうして帰るよう促されるまでに育ったのだった。

「じゃあ、お言葉に甘えて帰ろうかな……」

 今ならまだタクシーを使わずに帰れるだろう。退勤の準備を始めていると、上長が焦ったように声をかける。

「田丸さん帰っちゃうの? あの子一人で大丈夫?」

「今日はもう難しい仕事もないので大丈夫だと思います」

「でも、田丸さんがいないと心配……もう少し残れない?」

 上長は経験の浅い職員が残ることを良しとしていない。それが私を職場に縛りつける原因にもなっていた。

「もし困ったことがあっても電話に出れるようにしておきますから」

 そう言って退勤後、上長から電話が多々多々かかってくるのだが。それでも早い時間ーー20時は過ぎるがーーに帰宅できると身体の疲れが違うのだ。私と上長の押し問答に気づき、後輩が慌てたように声をかける。

「上長。姉さん、週末に用事があるんですって。だからその準備のためにも早く帰った方がいいですから」

 週末の飲み会が近づいている。その日は婚活最終日として3組のお見合いを予定していた。後輩には相談所での活動こそ話していないが、私が婚活を頑張っていることは知っているのだ。

 しぶる上長をなだめ、私は後輩にお礼を言いながら退勤する。6月末で新卒の試用期間が終わり、7月からは勤務時間を延長できるようになるはずだ。ひとり立ちにはまだまだ時間がかかるが、簡単な業務なら割り振れるようになるだろう。

   繁忙期終了まであともう少し。そう自分に言い聞かせながら、私はSNSで日課の『まだ帰れない』を呟いた。

 6月の繁忙期が終わったら飛んでやる。

 ……でも、それをすると後輩たちが大変になるんだろうな。

 私は日々その葛藤をくり返していた。

 医療機関は人間関係が泥沼になりがちだが、私のいる部署は人間関係が良い。訪れる患者層も穏やかで、ネチネチとクレームをつけられることも暴言を吐かれることも少ない。数多の医療機関を経験した自分にとって、長時間の残業と仕事の拘束時間の長ささえなければ良い職場だとすら思っていた。

 立つ鳥跡を濁さず。そうして辞めたい職場ではある。

 しかし、身体はもう限界だ。エリアマネージャーと面談しても改善される気配はない。一日の労働時間は休憩込みで14時間、そこに往復の通勤時間を入れると16時間拘束される日もある。家に寝るだけの生活、自分の時間はない。

 小説を書く時間を削られるのがいちばん辛い。

 でも、社会人としてのけじめもある。

 作家としての自分とOLとしての自分が心の中で言い合いをする日々が続いた。



「ご趣味はスポーツとのことですが、具体的にはどんな競技がお好きなんですか?」

「サッカーですね」

「サッカー……って、紳士のスポーツと呼ばれてますよね」

「スポーツはどれも紳士じゃないですか?」

 その棘のある口調に、私は笑顔を浮かべたまま心の中で舌打つ。

   婚活を頑張るうち、何を言われても笑顔を浮かべ続けるスキルに磨きがかかっていた。忙しさで減少していく体重のおかげで多少顔もすっきりしたはずだ。目の下のクマや肌荒れはファンデーションの厚塗りで誤魔化したが、結果的にそれで自分の化粧レベルも上がったように思う。

 お見合い一件目。Mさんは開始早々手元の腕時計に視線をやる態度を見せていた。

 ああ、この人早く帰りたいんだな。そのしぐさで、私が彼の好みではないことを察した。夏らしいショートヘアのかわりに、リボンタイの花柄ワンピースを着てバランスをとっているのだが、婚活の場ではロングヘアのほうが受けがいいのだろうとわかってはいる。婚活期間中は伸ばす方向にしようとしていたのに、先日の美容室でばっさり切られてしまったのだ。

 好きなスポーツはサッカーです。そう言う男性は多い。元彼にもサッカー好きな男がいたが、ルールがわからずワールドカップを楽しめない私に文句を言うばかりだった。今のプレーはどうして? と解説を求めても鬱陶しそうな態度をされ、それで余計サッカーに対する苦手意識がある。

   野球やバスケとは一点の重みが違う競技だ。しかし、その一点が入るまでの試合展開を楽しめるほどの知識がなかった。

『サッカーは紳士のスポーツ』とは、とある整骨院の男性スタッフが教えてくれたことだ。施術を受けながら初心者でもわかりやすく喩えてくれたおかげで、サッカー特有のルールのしくみになるほどと納得したのだが、Mさんとしては意味のわからないことを言う女に見えるのだろう。

 そっちがそういう態度ならもういいか。私はお見合いを消化試合のようにこなしていた。

 仕事の話になれば社畜生活の話題にしかならない。医療業界に関わりのない人はコロナが五類移行になってもその意味がよくわからないらしい。なんで看護師でもないのにそんなに残業するの? と、多忙な相手に対して引いているのが伝わった。共働きだけど家事は女性にやってほしい、そう願う男性にとって社畜状態の私は論外なのだ。

 結婚相談所の活動とは、つくづく条件なのだなと思う。

   お互いがお互い、自分にとって都合の良い相手を探している。私も最初のうちは条件で切り捨てることに罪悪感を抱いていたが、相手側からぞんざいな扱いをされ続けて心が麻痺していた。

 婚活を頑張れば頑張るほど、自分の性格が悪くなっていくのを感じる。ある程度良い年齢で結婚していない男性はやっぱり問題があるんだな、相談所に登録する時点で恋愛経験の少ない男性が多いんだな。ああ、お見合いでこういう失言をするからこの人結婚できないんだな。相手を見下す思考が染み付いている自分が嫌でたまらない。

 今日が終わればやっと退会できる。これ以上自分の生活でストレスを増やしたくない。お見合いで失礼なことを言われても、だからお前結婚できないんだよと心の中で悪態をついても、それが自分に返ってくるブーメランに自分で傷つき自家中毒を起こすこともない。

 上辺だけの適当な会話をし、Mさんとの時間が終わる。今日はお見合いが二件。これが終われば桜田さんに連絡し、そのまま退会手続きに進む予定だった。



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