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自分のパンツは自分で洗え〜9、婚活をしたことのある者のみが石を投げよ②



 たびたび転職をくり返していたのは、何を隠そう私の父だ。

 若くして大工の棟梁に弟子入りした父は、昔気質の職人だった。雪の降る季節は本州に出稼ぎに出ていたため、子どもの頃は父と会えず寂しい思いをしていた記憶がある。

 漁師や農家など個人事業主が当たり前の土地柄だった。不景気のあおりを受け、個人事業主から勤め人になった父だが、田舎は通年雇用の仕事が少なく季節雇用のときもあった。しかし、父は建築系の資格や長年の経験からそれなりの地位を与えられ、父の同僚たちは私に「君のお父さんがいちばん分厚い給料袋を持って帰るんだよ」と言っていた。

 相性の良い会社で5年続いたときもある。しかし、父は気に入らないことがあるとすぐに仕事を辞める人だった。

 入社早々会社での盗難を疑われ、そこで啖呵を切って辞めたと話していたのを覚えている。まっとうな理由があり退職した時もあるのだろうが、せめて一年続けば失業保険が入るのにと嘆く母の姿を間近に見ていた。漁師町特有のけんかっ早さで、思ったことをすぐ口にする性格も人間関係のトラブルを起こしやすいのだろう。

 職人として長年の経験があるため、次の仕事を見つけはする。しかし、そのたびに給料は下がる。給料が安い、給料が安いと文句を言いながら働き、そして仕事や人間関係で気に入らないことがあると辞めてしまう。本人曰く「自分が壊れるくらいなら辞めた方がマシだ」と言うが、お金のかかる子どもがいるのに辛抱するという考えはないようだった。

 母も働きに出ていたが、通年雇用の仕事には就けなかった。私は中学卒業と同時にアルバイトを始め、自分の小遣いや携帯代、部活動で必要なお金をすべて自分で稼いだ。姉は将来の夢を叶えるために大学進学を目指すも、田舎からの進学だと学費のほかにも寮生活や下宿など生活するためのお金が必要になる。渋る両親を説得し、学費の安い国公立のみという条件を出された姉は、猛勉強の末に苦学生として大学に進学した。

 不安定な家計を嘆く母に、私は自分も進学したいとは言えなかった。そのかわり、小説家の夢を叶えようと必死に新人賞に投稿しーーそして今に至る。

 婚活で収入の安定した男性を求めるのは当たり前のことだった。

 Lさんとはご縁がなくて良かったのだろう。自分に言い聞かせ、私は桜田さんとの面談を進める。プロフィールを変えたことでお見合いの成立件数が減った。数値として結果が出ているが、それでも前の紹介文に戻すつもりはない。

「私、相談所に登録する男性たちの条件には当てはまらないんだと思います」

 数々のお見合いを経て、自分でもその結論に達していた。結婚相談所の会員たちが求める姿に自分を合わせることはできない。理想像である家庭的な女性に、小説家の道を諦めきれない自分の葛藤と、物語を書くために必要な好奇心やフットワークの軽さはマイナスポイントにしかならないのだ。

 高いお金を払ってまで結婚相談所での活動を続ける必要はない。婚活の場はここだけではない。

「あと、次の約束もつながらないJさんとの仮交際についてなんですが……」

 仮交際終了の旨を伝えるよりも早く、桜田さんが口を開いた。

「実はJさん、相談所を卒業することになりまして」

 卒業? 意味を噛み砕くのにすこし時間がかかった。

「他の会員さんと成婚退会をされることになりまして」

「……なるほど」

 だからあの淡泊なメッセージだったのか。

 結婚相談所で複数の相手と同時進行するのは当たり前だ。本命の女性がいるのならそちらに気を取られ、私とのメッセージがおざなりになっても仕方ない。

 ……もしかして、先日話していた「実家の親が来る」のは彼女との顔合わせのためか?

 そう勘ぐってしまう自分がいる。本命の人がいたのなら、お疲れ様ですbotになどならず真剣交際に進んでしまえば良いのに。相手の女性とも何かしらの事情があったのだろう。

 これで仮交際の相手もいなくなった。結婚相談所での活動も潮時だ。

「6月の会費を引き落としたばかりなので、いま退会手続きをするのはもったいないです。違約金のこともありますし、6月の契約退会期日ギリギリまで活動してみて、その時に決めるのはいかがですか?」

 E社の場合、結婚相談所での活動は一年半を契約期間として考える。契約期間内に退会する場合は日数に応じた違約金を支払わなければならない。成婚退会する際も成婚料として5万円支払う必要があるのだが、他社の場合30万円だと聞いたことがある。30万はプロポーズして婚約した時までのサポート料であり、E社の成婚の定義は「結婚を見据えた正式なお付き合い」なのだからリーズナブルなのも当然だ。

 33歳と10ヶ月で入会した私は、活動の期限を35歳の誕生日までと決めていた。金額の上下はあれど違約金が発生することなど承知の上だ。桜田さんは引き留めようと必死だが、私の気持ちはすでに決まっていた。

 6月のお見合いスケジュールはほぼ決まっている。退会手続きの期日は、すでに何件かのお見合い予定が入っていた。


     ○


 6月下旬、私はとある飲み会に誘われていた。

 数少ない創作関係の友人から、本州から来る知人を中心にした飲み会を開くと連絡があった。メンバーは知り合いの作家や漫画家、その飲み友達。本州から来るという青年とは面識がないが、創作関係の輪を広げるという席には積極的に参加したい。

 とはいえ、相変わらずの繁忙期。私は仕事終わりにSNSで『まだ帰れない』と呟くのが日課になっていた。運良く21時に退勤できたとしても、家に着くのは22時。相変わらず拘束時間が長すぎる。

『家賃を稼ぐためとはいえ、自分の時間を削ってまで頑張る必要があるのかな』と、悩みを頻繁に吐露するようになった。『何のために生きているのかわからない』と、心身の疲弊を癒す間もなく働いていた。

 血尿騒動については、最寄りの内科で尿検査をしていた。目に見えた鮮血は一度きりで、だらだら続く不正出血とも違う。検査結果でも潜血反応が出たが、膀胱炎なのか不正出血なのか他の原因があるのかはっきりとせず、抗生剤と漢方薬を処方されて終わっていた。

 一週間後に再検査と言われたが、その時期は月経周期とぶつかり潜血反応が出るのが確定していた。生理が終わったころに尿検査をしても異常はなく、原因もわからぬままなあなあになって終わったのだ。

 上長は血尿騒動を知っているが、それでも地獄のようなシフトを改善しようとはしなかった。

「……田丸さん、大丈夫?」

 久し振りに職場を訪れたエリアマネージャーが、仕事に忙殺されている私に声をかける。長時間PCをにらみ続け、どろりと濁った視線で返すと彼が怯んだのが伝わった。

「この間、股から血が出ましたよ。生理じゃない時に」

「…………」

 化粧をする元気もなく、かろうじて眉毛だけ描いている。すっぴんを隠すためにブルーライトカットの眼鏡をかけているが、目の下の落ちくぼんだクマを見た新卒に『田丸さん疲れてるんですね』と言われたことがある。彼女もだいぶ育ってくれてはいるが、いまだ試用期間の身、責任ある仕事を任せるレベルにも達していない。

「あのさ。甲斐さんから、5月の休みを減らされていたって聞いたんだけど」

「そうですね、本部の指示で」

 甲斐さんは異動になった後も、私たちの部署を管理する仕事を与えられていた。GW明け、新型コロナウイルスが五類移行になってから、地獄のような日々が続き後輩も心が折れている。それをLINEで伝えたところ、ようやくエリアマネージャーに伝わったらしい。

「本部がヘルプの頻度を減らせって指示するほど、他の部署も大変なんですか? 私たち以上に残業して帰れてないところあります?」

「いや、あのヘルプ削減はすべての部署に配信したもので、余裕がない部署まで削れっていう意味じゃなかったんだよ」

 つまり、四角四面な上長が本部からの指示を真正面に受け止め、私たちに要らぬ負担を強いたということだ。そんなことだろうと思ったと、私は感情を隠すことなく顔に出す。

「本部も少ない人員をやりくりするために指示を出してくるけど、人事の決定権はエリアマネージャーである俺の方が強いから。今後なにかあったら、上長を飛ばして俺に直接連絡して」

「そもそも、最初の人事で新卒なんてまわすからいけないんですよ」

「それは俺も最初から反対してたんだ。でも、課長が田丸さんならできるってごり押しして……でもここままじゃ、田丸さん辞めちゃうでしょ?」

 それに私は無言で返す。

「まずはヘルプの件含め、いろいろ調整してみるから。あともう少し我慢して」

 エリアマネージャーは甲斐さんの報告をもとに、個々の職員の様子を見に来たらしい。慌ただしく帰って行く姿を見送り、私はこぼすため息も出ずデスクにPCに向き直った。

 あともう少し、もう少し。そう我慢して4月も5月もなにもなかったではないか。

 ーー田丸さん辞めちゃうでしょ。

 ええそうですね、6月いっぱい頑張って7月になったら飛ぶ予定です。

 さすがにそう口に出せなかったが、私の心はすでに決まっていた。




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