自分のパンツは自分で洗え〜10、やっぱり好きな人と結婚したい中学生マインド①
「ちょっと頑張り過ぎちゃったかな?」
問診を終え、ドクターが私にそう言った。
「この結果だとかなりしんどかっただろうね。お薬出しておくから……診断書も持って行くかい?」
「いえ、とりあえず今日は大丈夫です」
「必要になったらすぐ言ってね。無理しないで、まずは自分の心と体を休めることを優先するんだよ」
十年来の付き合いになるかかりつけのドクターが、念を押すように「無理しないでね」と言う。一度心身を壊して以降、日照不足の季節になると冬期欝になりやすい私にとって、なにかあった時に相談しやすい医師がいるのはありがたかった。
診察前に渡された問診票は、現在自分が抱えているストレスなどを心理状態を調べるものだった。結果は抑うつ状態。ド繁忙期の三ヶ月、まともに家に帰れない状態で心身ともに疲弊していた。
後輩や新人が育ち、繁忙期が落ち着いてきたのも相まって、私は出勤前に病院を受診した。抗うつ剤を処方され、それを受け取って出勤する。診察結果のLINEを甲斐さんに送ったのは、上長に話して再び「みんな辛い中頑張っているからあなたも頑張って」と言われるのを防ぐためだ。
6月の繁忙期が終わったら飛んでやる。そう思いながら働いていたが、ある日突然無断欠勤をするのは社会人としてあるまじき行為だ。
まずは専門家である医師のもとに行って診断を受ける。そこでなにかしらの診断が下りたらそれを会社に報告する。休職の診断書があれば会社はそれを拒否することはできないはず。正当な理由で外堀を固めるのも大切なことだ。
件の飲み会の翌日、私は個々に謝罪のメッセージを送った。散々な飲み会になった犬山君は「そんな飲み会もありますから」と大人な対応だったが、Cさんからは「きつく聞こえる言葉を発してすみませんでした」との返信だった。
遅れて出勤しつつ、甲斐さんがどう動いてくれるか様子を伺っていると、事態はまもなく急展開を迎えたのだった。
「……あれだけ何を訴えても無駄だったのに、私が休職の方向で進めようとしたら職場の増員が決まりまして」
ド繁忙期のタイムカードをもとに、経理が残業代の計算をして給料が支払われる。あらためて残業時間が可視化され、それが社内でも問題視されるようになっていたらしい。
エリアマネージャーが個々に面談をするなど水面下で動いていたようだが、スタッフが配属されたのは7月半ばだ。もっと早く動いてさえいれば私もここまで追い詰められることもなかったのだが、結局会社は職員がボロ雑巾になるまで使い続けるものなのだなと思った。
「あと、上長が別の人になりました。若い男性職員に実績を積ませる名目ですが、彼が動いてくれたおかげで勤務時間のシフトが変わったんです。土曜日も昼休憩無しにならないようシフトを変えたので、何も食べないまま夕方まで働くことも減ったし……」
「田丸さんが忙しいところにいるとは知ってたけど、そこまで酷いとは思わなかったわ」
私を助手席に乗せ、小南さんがハンドルを握りながら苦笑する。彼女の運転は法定速度遵守の安全運転だった。
夏の観光シーズンを迎えた富良野地方は、私たち含めレンタカーの利用が多い。ラベンダーが見頃な時期は道路も渋滞するが、今回は時期をずらして8月末に富良野旅行を企画したおかげでのんびりとドライブを楽しめていた。
「今はもう、体調は良くなった? 薬はまだ飲んでるの?」
「抗うつ剤は長く飲むものだから、すぐにはやめれないかな。でも、7月に連休をもらって仕事から離れる時間をもらったし、新しいスタッフが頑張ってくれてるからだいぶ楽になったかも」
甲斐さんが7月に連休をとれるよう動いてくれたが、有給を取得することに元上長から難色を示された。半ば無理矢理もぎとった休みだったが、私の心身の状態を知った彼女からは最終的に『田丸さんに甘えていた』と謝罪の言葉があったのだ。
上長の残業時間は私以上であり、さらにタイムカードに反映されないサービス残業も常態化していた。上長交代は若手職員の成長のため、という名目が設けられたことで彼女もそれを承諾したのだろうが、ワーカーホリックが上に立つと部下もそれを強要され辛い思いをするのだ。繁忙期に無慈悲な事例を出した人事課の課長は『田丸さんならやれると思った』と言っていたが、上長がさらに負担を強いるところまでは想像できなかったのだろう。
一度体調を崩すとそう簡単に回復しない。抗うつ剤は当面飲み続けなければならないだろう。血尿の原因は最後までわからずじまいだったが、最近は過敏性腸症候群や動悸も落ち着き、床ではなく寝室のベッドで眠る生活を取り戻していた。
「富良野旅行、楽しみにしてたんだ。小南さんに会えてうれしいです」
「田丸さんとはなんだかんだ、毎年会ってるもんね」
私は小説家デビューしたあとに医療の業界を離れ、2シーズンほど富良野の観光地で住み込みの仕事をしていたことがある。ラベンダー製品を販売しソフトクリームを巻き続け、最盛期は目が回るほどの忙しさだったが、同じ寮に住んでいたスタッフとは富良野を離れても親しい関係が続いている。
小南さんは本州に住んでいるが、年に何度か北海道を訪れていた。私もその時期に富良野行きを計画し、現地集合で富良野・美瑛観光をしている。逆に私が本州に行くときに連絡することもあり、小南さん以外にも全国各地に友人がいるのだった。
大人になってからできる友人は珍しい。小南さんは私より年上の40代前半、未婚。長いときは半年を同じ寮で過ごしたため、お互いのプライベートな話も知り尽くす仲だ。
「あたしが富良野に来たときも、婚活頑張っていた頃だな。なんかあるよね、猛烈に婚活勘張る時期が」
「そうなんです。今日は運転中の話題に事欠きませんよ」
旅行中の車内では女子トークが盛り上がる。富良野で集合し、向かうは東川町だ。何度訪れても、富良野の雄大な自然には心が洗われる思いだった。
「それで、フリーの仕事はどう?」
「社畜生活のせいで全然……時間を見つけてはこつこつ頑張っているんですが」
小南さんはじめ、富良野で働いたメンバーは私が小説家だということを知らない。が、フリーの仕事をしているのは知っている。私が寮の共有スペースでパソコンを持ち込み原稿を書いている姿を見て「作家さんみたいだね」と言われたこともあり、なにかしら文章の仕事をしていることにも気づいてはいるのだが。
「富良野で働いてた時はフリーの収入があったから不規則な時給でもやっていけたけど、今はもうだめだね。会社員の給料がないと生活できない」
「前に小豆島のオリーブ農園で働いてたとき、ヨガのイントラをやってる人と一緒に働いたよ。農業ヘルパーとイントラといろいろやってるみたいだったけど……」
小南さんはリゾートバイトや農業ヘルパーの経験が長い。富良野のラベンダー畑、四国のミカン農家、小豆島のオリーブ農園など農業関係の仕事か、登別や知床、熱海、大分など観光ホテルの仕事か、リゾートバイトも様々な種類があるのだ。
私も夏は富良野、冬は札幌のコールセンターと派遣を転々としていたが、紆余曲折あり今の会社に再就職した。働き始めてすぐに新型コロナウイルスが流行し、観光地のリゾバ組は仕事が減って大変だったらしい。小南さんは地元で契約社員になり、ほかの友人たちも現在は定職に就く人が多かった。
「農業ヘルパーと掛け持ちとはいえ、生活が不安定にならないってことは、ヨガのイントラで結構稼いでるんですかね?」
「その逆。旦那さんがいるから生活費の心配はいらないんだって」
「やっぱりそのタイプか」
小南さんは各地でそういう情報を仕入れている。彼女自身マッサージの資格や英語の堪能さなどフリーで稼ぐ手段はあるのだが、それで自活できるほどの収入があるわけではない。
個人で仕事をしながら自由に生きる女性に憧れるが、理解あるパートナーがいないと難しい。お互い未婚の身で現実を突きつけられるのもまた、富良野旅行でお決まりのことだった。
