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クラブ・レインボー⑱


 さとわは九州の片田舎でうまれたひとり娘だった。

 遅くにできた娘を両親はとてもかわいがり、蝶よ花よと育てたそうだ。食べるものにも着るものにも困ったことはなく、何不自由ない生活のまま、彼女はのびのびと育ち高校生になった。

 そこで、はじめての恋人ができた。隣町の大学に通う彼はとても優しく、さとわは彼に処女を捧げた。彼とはデートのたびにセックスをしていたが、会えば身体を求めるのはそれだけ愛されているからだと思っていた。

 恋人は行為の最中に写真を撮るくせがあった。それにさとわは嫌だと言えず、消してほしいと頼んでも適当な返事があるだけだった。

 やがて受験生になり会う頻度が減ると、彼の連絡も途絶えがちになっていったという。それが不安で勉強に身が入らず、模試の結果が下がってしまう悪循環。両親に諭され、さとわは受験が終わるまで勉強に集中したいと、泣く泣く距離を置く旨を伝えたのだった。

 やがて第一志望の大学に合格し、彼に連絡すると電話がつながらなかった。メールを送っても返事はなく、彼が通っているという大学を訊ねてもそれらしい人は見つからなかった。ショックで卒業まで泣き暮らしていたさとわだったが、やがて自身が大学生になると、女子高生を一つのブランドとして連れ歩く男子大学生の習性を知った。

 無知だった自分は彼のステータスのひとつだったと気づくと、次第に恋の傷は癒えていった。親しい友人ができ、大学生活を楽しむうちに新しい恋をするようになっていた。

 しかしある日、友達がインターネットの掲示板でさとわの写真を見たと言った。

 該当のホームページに行くと、それは元彼が行為の最中に撮影したものだった。運営に連絡して削除を要請したが、その噂は瞬く間に広がり、意中の彼にはあからさまに距離を置かれた。同じ大学の男子がさとわを見てにやにやと笑い、削除されるまでの間に多くの人々が写真を我が手に保存したのだと知った。

 噂は大学を飛び出し街を越え、両親の耳にまで届いてしまった。母は泣き崩れ、娘を溺愛していた父は激しく罵倒した。醜聞はご近所にまで伝わり、外を歩くと白い目で見られるようになってしまった。

 さとわは大学を辞め、その身一つで東京に渡った。



「高卒の田舎娘ができる仕事なんて限られているでしょう? 未成年はひとりで部屋を借りることもできなくて、貯金もすぐに底をついちゃってね。私も自暴自棄になってたから、風俗で働こうと思ったの」

 裸の写真はインターネット中に拡散されてしまい、自分の力ではどうすることもできなくなっていた。顔や名前はおろか住んでいる国ですらわからない男性が携帯電話やパソコンに保存し、それで自慰をするのだと思うとおぞましかった。男たちの頭の中で自分は一生犯され続ける。汚れてしまった身体をぞんざいに扱ってもこれ以上減るものはないと思った。

「ソープの面接を受けて、講習を受けるために店長の裸を見た時に、やっぱり駄目だと思って逃げ出しちゃったの。行くあてもなく夜の街をふらふら歩いて、ふと目に留まった店がストリップ劇場だなんてよくできた話でしょう?」

 それが縁で、彼女はストリッパーとしての道を歩み始めたのだった。

「あたしのお母さんは習い事をさせたがる人で、子どものころからバレエとか日舞とかいろいろやっていたの。踊ることは嫌いじゃなかったし、身体がやわらかいからいろんなポーズができてね。ショーで踊るようになって、あたし、はじめて自分の身体を褒めてもらえたの」

 湯船の中で揺らぐ彼女の身体は、手足が長くそれだけで舞台映えしたことだろう。肌に温泉の成分を沁みこませるように、彼女は何度も肌を撫でていた。

「汚いと思っていた身体を、綺麗だと言ってくれる人がいた。それが嬉しくて、お客さんにもっと喜んでもらいたいと思って、それでストリップの世界にのめりこんでいったの」

 昨今のストリップ劇場は女性客が増えたとはいえ、男性客の多くがさとわの身体を性的な目で見ていたはずだ。しかし、インターネットの向こうにいる有象無象の自慰の玩具にされるのと、劇場でポラロイドを撮る男性はさとわにとって別の存在だった。

 地方巡業中、遠征してまで応援してくれるファンができた。なり手の少ない踊り子が増えることを喜ぶ先輩たちがいた。綺麗事ばかりの世界ではなく、夜も眠れぬほど悔しい思いをしたことだって何度もあるが、インターネットに写真が晒されたときの屈辱を思うとすぐに忘れることができた。

「私のショーでリボンを投げてくれる人ができて、ストリップのことをいろいろ教えてもらったの。少し齢は離れていたけど、心からストリップの世界を愛している人で、付き合うようになっても私が舞台で踊ることを応援してくれたんだ」

 ストリップでは踊り子にリボンを投げる人や、音楽に合わせてタンバリンを叩く人がいる。それは劇場の人間ではなく、あくまで一般客であるファンが好意でやっていることだ。劇場によっては長さが十メートルを超えることもあるが、リボンを踊り子の身体に当ててはならないという鉄の掟があった。

 盆の上、裸一貫で勝負する彼女たちに投げられるリボンは、ファンからの深い愛情なのだろう。

「その人は全国の劇場の情報を集めていて、北海道にいた伝説の踊り子の話をしてくれたことがあるの。冬をテーマにした舞台は、まるで盆が流氷のように見えたんだって。特別に撮影した動画が残っていて、あたしはそのビデオを見て演技を継ぎたいと思ったの」

 ショーのダンスは構成を考えるのが難しく、専門の振付師に頼む者もいた。自分で一から考える踊り子もいるが、中には伝説級のストリップ嬢の演目を受け継ぐ文化もあったらしい。

「冬の演目をマスターして、いざ舞台で披露しようとした前日にね。たまたま受けた健康診断で、乳がんって言われたの」

 健康診断は恋人にすすめられたものだった。腫瘍は両胸にあり、左胸は乳房を全摘出せざるを得なかった。さとわは同時再建を強く望んだが、時代は感染症流行の真っ只中。手術の日もなかなか決まらず、再建時に使う医療用シリコンが使用不可となり、乳房だけが切り落とされる結果に終わってしまった。

「入院した時も手術の時も、恋人はあたしの世話をしてくれたの。親とは縁を切っていたから、入院中の保証人にもサインしてくれた。退院してからは腕も上げられないあたしのかわりに家事をしてくれて、もうね、恋人っていうか家族みたいな存在だったの」

 彼女の口から恋人の話を聞いても、嫉妬はない。むしろ、闘病中に彼女を支える存在があったことに安堵した。病におびえる気持ちや手術の恐怖とひとりで戦えるほど、彼女は強い人間ではない。

「手術の傷跡も落ち着いて、久しぶりにそういう雰囲気になってね。服を脱いだ私を見て、彼は……泣いたの」

 私の腕の中、彼女の声がかすかにふるえた。

「覚悟していたつもりだけど、やっぱりだめだったって。乳房がない身体を見ていられない、胸に傷跡のあるあたしはもうストリッパーに戻れないって。その日の夜にね、彼は荷物をまとめて出ていったの」

 その後の話は聞かずとも容易に想像できた。愛する男性に拒絶され、さとわは我が身を呪ったことだろう。二度と舞台に立てない身体になり、いつ病が再発するとも知れない恐怖に枕を濡らす夜をひとりで耐え抜いたのだ。

 治療で貯金もなくなり、お金を稼ごうとしてもストリッパーには戻れず、しかし違う道を選ぶという選択ができないほどに、彼女は我が身の受難に追い詰められていた。

 そしてさとわは、かつて伝説の踊り子がいたという、すすきのの劇場を訪れたのだ。

 いつの間にかお湯がぬるくなっていた。私は蛇口をひねり、温泉をつぎ足す。ふたり分の体積はあっという間に湯船を満たし、溢れる水音が浴室内に響いた。

「あんたってほんと、男運がないのね」

 つとめて明るい口調で、私は言った。

「ハメ撮り野郎とストリップオタクと、たったの二人じゃない。それなのに、自分は一生恋愛ができないって悲劇のヒロイン気取ってたの?」

 蛇口のお湯が直撃し、熱さにたまらず彼女の身体を離す。さとわは腰を上げると、湯船の縁に腰掛けて私を見下ろした。

「まだ二人よ? これから自分を受け入れてくれる人が見つかるかもしれないじゃない。それなのに、人生終わったと思うのは早すぎるんじゃない?」

 その顔は怒りとも驚きともつかない表情をしている。ここまでずけずけ言われると思っていなかったのだろう。私はいつも、彼女のよき理解者であろうとしていたのだから。

「……類にはわからないよ」

 無防備に晒していた傷跡を、さとわは腕で隠す。

「類にはわからない。裸をインターネットに晒されたことも、病気で身体の大切な部分を失ったこともない人に、あたしの気持ちなんてわかるわけがない」

「ええ、わからないわ」

 拒絶を示す腕を、私はためらいなく掴んだ。

「わからないけど、そばにいることはできるわ。流氷に乗りたいっていうからここまで来たじゃない。あんたが死にたいなら私も一緒に死んであげるから」

 どんなに美辞麗句を並べたところで、綺麗事と一蹴されればそれで終わりだ。私には彼女の苦しみすべてを理解することはできない。

 自分にできるのは、ただ、寄り添うことだけ。

「これから海に行って、また、流氷の上を歩こうよ」

 昼間で予行演習は済んでいる。外気温は札幌の夜よりも低いはずだ。あっという間に湯冷めして、低体温症で苦しむことなく逝けるだろう。

「もう一度聞くわね。知床に来てみてどうだった?」

 手を離さぬまま、私は彼女を見上げた。

 さくらんぼのようなツンとした唇が、開いては閉じ、開いては閉じをくりかえす。蛇口からとめどなく流れる湯が、湯船からあふれる水音が静寂を埋める。

 彼女の言葉が出るまで、私は、待った。


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