自分のパンツは自分で洗え〜8、婚活で運命とか言われても①
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GW明け、新型コロナウイルスが五類感染症に移行した。
いままで発熱外来で対応していた患者たちが解き放たれ、外来の患者数が激増した。結果、午前の診察が終わらず午後まで食い込む事が増え、一日の診察終了時刻に残りの待ち人数が30人を超えた。
待合室混雑のため車で待機していた患者が、ふと中に入ってきたかと思うと、確認したいことがあると私を呼び止めた。何気ない世間話のあと「今日は喉が痛くって」のひと言を残し、その後コロナ陽性が判明する。常に感染の危険と隣り合わせであり、気が休まらない日々が続く。
21時に診察を終えた患者が「今から薬を処方されたって、もうあとは寝るだけだよ」とぼやく。私たちは夕食をとる時間もなく空腹で働いているのだが。その言葉を飲み込み、お大事にどうぞと声をかけた。
当然、帰宅は22時、23時の毎日が続いている。
ある日の朝。出勤のタイムカードを押すと、エリアマネージャーが職員玄関の扉を開けた。
「……あ、おつかれさまです」
「おつかれさま。これから出勤?」
公共交通機関の数が限られており、シフトより早くに到着せざるを得ない。私は睡眠時間を一分一秒でも長く確保すべく、すっぴんのまま出勤し更衣室で身支度を整えていた。眉毛のない姿を見たマネージャーが、薄い顔を見て怯んだのが伝わる。
「大丈夫? なんか疲れてない?」
「昨日は22時半まで働いていたので」
昨夜は帰宅して間もなく日付が変わった。更衣室で身支度を整え、眉毛を描くため手鏡をのぞくと目の下に深いクマが刻まれていた。コロナ禍になってからマスク着用が常になったため、この色濃いクマも患者には気づかれないものだ。
「先月の残業時間は?」
「過去最高ですね。今月もスタッフの応援を減らされましたし、新卒は残業できないから私が最後まで残るしかないですし」
エリアマネージャーは何のために来たのか、おそらく上長に用事があったのだろう。恨み言の一つや二つや三つや四つ言ってやろうと思っていたが、引き止めることもできず早々に帰っていった。
出勤時刻よりも早く、後輩が私を呼びに来る。コロナの公費も五類移行にあわせて変更になった。質問に答えるべく顔を出すとそのまま勤務になり、昼休憩までトイレに行く時間もないまま働き続けた。
毎日同じ光景を見ている。寝に帰る以外、ずっと職場に拘束されている。自分の時間がない。小説を書く時間もない。初夏に出す予定だった新人賞も諦めざるを得なかった。
なんのために生きているのかわからない。
家賃と生活費を稼ぐための仕事に、ここまでする必要があるのだろうか。昼休みに休憩室で横になりながら、私はそれを延々と考えていた。
外来で待ちくたびれた患者からクレームを受け、ひたすら頭を下げる毎日。いつ何時文句を言われるかと心が休まらず、ふと気持ちが緩んだ瞬間に激しい動悸に襲われた。生理は毎月来るものの、それ以外での不正出血が止まらない。漢方薬を飲み始めたおかげで過敏性腸症候群は和らぎつつあるが、スーパーやコンビニの弁当ばかり食べているせいで逆流性食道炎が悪化していた。
GWに家族が泊まりに来た際、来客用布団を圧縮せずそのままリビングに残した。帰宅してからその上で過ごすと、床で寝落ちする頻度は減ったが寝室のベッドにたどり着くことはない。
なんのための1LDKか。なんのための執筆用デスクか。スマホで漫画を読もうとしてもすぐに寝落ちしてしまい、内容がさっぱり頭に入らなかった。
疲れ切った身体は頭がやけに冴えている。休憩時間に昼寝をしようとしても、なかなか寝付くことができなかった。
「……お疲れ様です」
控えめなノックとともに、年若いスタッフが入ってくる。医療の仕事では様々な職種が同僚になるが、彼女は新卒で入社し社会人のなんたるやを指導した後輩に変わりない。私が身体を起こすと、彼女はテーブルにお弁当を広げた。
「外来、終わった?」
「今日も昼休みはなしですね」
午前の診察が午後まで食い込むのだろう。休憩中に後半が質問しに来ないところを見ると、新卒とふたりで頑張っているらしい。頬杖をついてうとうとする私の前に、スタッフーー山川さんがチョコレートをお供え物のように置いた。
「田丸さん、次の休みはいつですか?」
「日曜日だけ。土曜日も帰る頃には夕方だし、最近ずっと職場にいる気がする」
「わたし、こないだの休みにアプリで会った人と食事に行ったんですけど」
私が結婚相談所で活動していることを彼女は知らない。二十代前半の山川さんは定期的にマッチングアプリを利用していた。人手不足でへろへろになっている私たちと同じく、他職種も上の人たちは疲労困憊の毎日だが、年若い彼女は気を遣って早めに返されているのだ。
5月に入ってから、私はお見合いが成立しなくなっていた。まれに成立したとしても、日曜しか予定の空かない私とは日程調整すら難しいらしい。土日祝休みの週休2日の人たちは土曜日にお見合いの予定を入れ、日曜は婚活をお休みする人が多いようだ。
土曜も働く女性は需要がないのか。結婚後、自分と同じ生活スタイルのパートナーを望むのか。つくづく条件重視の世界だなと思う。
良い機会と休会を申し出たが、桜田さんは仮交際が続いているJさんを理由にそれを良しとしなかった。
Jさんは、私が初回から『好印象』をつけた男性だ。しかし、お見合い後も次の約束ができず、ただ『今日もお仕事お疲れ様でした』『今週もお仕事お疲れ様でした』のやりとりしかない。正直、好印象の気持ちも冷めつつあった。
お見合いが成立しないと精神的に焦る。しかし、予定のない休日を寝て過ごせるというメリットもある。いつぞやか玲ちゃんが『久深ちゃん、話聞いて!』と連絡してきたが、即レスする元気もなく数日後に返事をしたところ、既読スルーのまま関係が切れた。
土曜日の夜に化粧をしたまま力尽き、日曜朝のアンパンマンを見ながらゴワゴワになった顔を洗う。その後もう一度布団に入って昼まで寝て、昼食を食べて再び寝落ちし、ようやく目を覚ました夜から細々と小説を書く。肉体的にも精神的にもギリギリな状態で働く私に気づかず、マイペースな山川さんはマッチングアプリの話を続けた。
「こないだ会ったのは高卒の人だったんですけど、やっぱり自分より学歴の低い人はだめですね。わたしのほうが年収も高いし、自分より下の人間に好かれようとするの、無理」
国家資格を持つ医療従事者は収入も多い。結婚相談所でも、女性のほうが年収が高いことを理由に断る男性の存在を知っているが……彼女の発言は聞いていてヒヤヒヤするものばかりだ。
「GWに約束してた人には、待ち合わせをすっぽかされたんです。直前までメッセージが来てたのに、時間になっても来ないからアプリを確認したらブロックされてたんですよ? 遠くからわたしのことを確認して、タイプじゃないって気づいて逃げたんです」
「アプリはその話よく聞くよね」
結婚相談所とアプリでは入会の審査基準が違う。私たちの世界ではドタキャンすると罰金ものだが、アプリは気軽に登録できるぶん心無い活動をする人も多いのだった。
「学歴はともかく、年収なら年上の人が多いよ。山川さん、歳の近い人とばかり会ってるけど、年上は精神的にも余裕があるから色々好きにさせてくれると思うよ?」
「30代は嫌です」
即答。根っからの年上派の私は、20代より30代の男性のほうか好きだったため、その価値観に驚いてしまう。
「田丸さんの婚活はどうなんです? 今って何歳でしたっけ?」
「34だよ」
「もう行き遅れじゃないですか」
げに恐ろしきは若さなり。しかし、女性の平均初婚年齢が29歳を超えた現代、最近の若者で30代を行き遅れと見下す人も珍しい。彼女もまた、昭和の価値観に囲まれて育ったのかもしれない。
「山川さんもアプリ頑張ってるよね。婚活で疲れることはないの?」
「……こないだ、同期が結婚したんですけど。なんであんな仕事できない子が結婚できて、わたしはできないんだろうと思って」
そういうとこだぞ、山川さん。
「田丸さんはどうなんですか? 去年、婚活パーティーで連絡先交換してたじゃないですか」
昨年のGW。私は山川さんと一緒に婚活パーティーに参加したことがある。アプリで良い人を見つけられない彼女に、何気なくパーティーの話題を出したところ、食い気味に参加したいと言われたのだった。
あれからもう一年か。あの時もまた、私は繁忙期のど真ん中だったはずだ。
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