自分のパンツは自分で洗え〜9、婚活をしたことのある者のみが石を投げよ④
二人目のNさんとの間に、私はカフェで原稿と戦っていた。
6月は本命の新人賞の〆切がある。今年はド繁忙期が確定した時点で見送らざるを得なく、それでも今後のスケジュールのためにこつこつと執筆を進めていた。
5作目の出版以降、次の予定が決まっていない。プロットを見てくれる担当編集者も減り、出版社との縁が首の皮一枚で繋がっている状態だ。5作目に海外翻訳のオファーがあり、それが出るまでは作家と名乗れるだろうかと自問自答する毎日が続いている。
原稿を預けている会社はあるにはあるが、色よい返事はない。長編を書き上げて提出しても、出版が決まるまで何年もかかると言われ、作家の友人には「それって遠回しに断られてるんじゃない?」と指摘されていた。
新人賞に挑戦しても、そう簡単に受賞できるような世界ではない。それでも一縷の望みをかけて物語を書き続ける。流行の物語を書いたほうがいいのはわかっているが、社畜生活で家に寝に帰るだけの生活が続くと、パソコンを前に紡ぐのは自分がずっとあたためていた物語ばかりだった。
次のお見合いまでの一時間ですら惜しい。書けるのがわずか数行でも、物語と向き合う時間に心が救われる。時間ギリギリまでカフェで粘り、化粧室でメイクを直すと大急ぎで次のお見合いに向かった。
Nさんは四十路が迫る年齢の30代だった。相談所の新米会員だった頃は40代とばかりお見合いをしていたが、最近は年齢の近い30代と話すほうが多い。Nさんは写真の印象も良く会えるのを楽しみにしていたのだが、プロフィールを見てひとつ気になっていたことがあった。
「お仕事にあった『食品衛生管理事業』ってなんですか?」
調理師だろうか? しかし、他の会員はみなちゃんと職種を明記していた。わざわざ違う表現をするということは、飲食店を経営しているとか、なにか違う事業なのだろうか?
「調理の仕事をしています」
「なにかご自分でお店を持たれているとか?」
「いえ、普通にホテルの雇われ調理師です」
「…………」
じゃあ最初からそう書けば良かったのでは?
なんでわざわざ難しい書き方をするの?
プロフィールで選ぶ言葉ひとつで、相手から得られる情報がある。私は深くつっこまず、Nさんとの会話を続けた。
調理師の仕事について。不定期な休日の過ごし方、趣味について。お見合いで鉄板のトークを選びながら、私は居心地悪くコーヒーを飲んだ。
Nさん、すごい、見てくる。
上目遣いといえば可愛く聞こえるが、相手を凝視する視線が露骨すぎる。漫画ならば『ジロジロ』という効果音がぴったりなほど、彼はずっと私を見つめていた。
話すときは相手の目を見ると良いはずだが、しかし、彼の視線は顔全体をなめ回すように見ている。私はおかしな化粧でもしていただろうか? いや、メイク直しで顔の武装は完璧だった。
会話をしながらNさんの視線が動く。露骨に胸もとに視線が行き、ぞっとした。
メニューに視線を落としたまま顔を上げようとしない人もいたが、ずっとこちらを見てくる人に出会ったのも初めてだ。
「……そろそろ時間なので行きましょうか」
お見合いが始まって30分、私は自らそう告げていた。
相談所のルールで、お話をする時間は30分から1時間と決まっている。大半のお見合いは一時間話すか少しオーバーするかだ。30分で切り上げたいと思うほど、私はNさんとのお見合いが苦痛だった。
会話で嫌なことがあったわけではない。ただ、視線が恐ろしかった。
本人に自覚はないのだろう、早めに切り上げたことに落ち込んでいる。上目遣いで微笑みを浮かべながら話す、それは相手に好印象を与えるはずの仕草だが、彼の視線はあまりに圧が強すぎたのだ。
地下歩行空間で解散し、私は次の待ち合わせ先に向かう。最後のお見合いは16時、待ち合わせは札幌駅。それが終われば18時からの楽しい飲み会が待っている。
今日は立て続けに散々なお見合いが続いている。最後の一人もうまくいかなかったら、潔く退会を申し出よう。
次の待ち合わせ時間まで、私は近くのカフェで原稿を進めることにした。
3人目のOさんはひとつ年上だった。
プロフィール写真を見たとき、少しふっくらした人だなと思った。しかし顔立ちは優しそうであり、紹介文の印象も悪くない。桜田さんからの紹介=暗黙ルールで成立するお見合いのため、私はOさんのことが印象に残らず、直前になってプロフィールを読み返していた。
近くのカフェに行き、お互いマスクを外す。そこであらためてお互いの表情を確認した。
……写真よりむっちりしている。
数々のお見合いを経て、私は肥満体型の人が好ましくないと気づいた。しかし、それでいちいち断っていては婚活も上手くいくまい。本人の健康意識が何より大切、これは会話の中で探っていくしかないだろう。
……髪型、もっと短くした方が清潔感があると思うんだけどな。
相談所にいる男性は交際経験が少ない人が多く、相手に好印象を与えるための服装をコーディネートするオプションがある。ジャケット姿のOさんは、あまりお洒落を意識しないタイプかもしれないと思った。
……どうしよう、好みじゃない。
これがお見合いで多くぶち当たる壁だった。
年齢があまりに離れていると上司と話しているような気分になってしまう。ビール腹が突き出ているとどんなに年齢が若くてもおじさんという印象を持ってしまう。
Oさんの顔の作りが問題なわけではない、むしろプロフィール写真では悪い印象を持っていなかったのだ。
好みじゃない。それを具体的に言語化することができなかった。
結婚相談所も今日で退会だな。正直そう思った。3人目のOさんと今後があるとは思えない。本日3杯目のコーヒーを飲みながら、私は消化試合のつもりで会話をした。
「Oさんのお仕事って、システムエンジニアで合ってますか?」
結婚相談所の活動で、数多く出会った職種がSEだった。多忙な彼らは出会いが少ないらしく、仕事内容も多岐にわたる。私はお見合いのたびにSEという仕事について質問している。ネットワークの世界を建築として喩えてくれた人もいたが、仕事内容を聞いてもいまいちピンとこないのが正直なところだ。
「前に読んだ漫画で、SEさんがデスマーチって言葉を使ってたんですけど」
「……それはあまり聞きたくない言葉ですね」
その苦笑に、壮絶な状況だったのだろうと思う。SE=深夜までパソコンにかじりついている男性という、私のイメージ通りの生活を彼は送っているようだった。
忙しさ故に、ストレスで食欲が暴走してしまうとOさんは言った。それがド繁忙期の自分の姿に重なる。忙しすぎて身なりをかまえないのも、そう、厚化粧で誤魔化している私と一緒だ。
自然と、私は彼に繁忙期の仕事について話しはじめていた。
無茶な人事を組まれ、家に寝に帰るだけの生活が続いていること。
自分の時間がとれず、やりたいことができず悩んでいること。
コロナ禍の不況で仕事を辞めるリスクについて。
しかし今の生活を続けるのも辛いこと。
「……忙しい毎日が続くと、気持ちの余裕がなくなっちゃいますよね」
Oさんの言葉に、ふと、心が緩むのを感じた。
わかりますよと、彼は私に共感した。今までのお見合いでは、仕事が忙しいという話をしても、家庭的な女性という理想から外されて終わりだった。
彼の同調は、今まで出会った男性の中ではじめての対応だった。
