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クラブ・レインボー⑫

 
 夜遅くまで練習しようとするキャストたちを追い返し、私はクラブのシャッターを下ろした。

 あぐりはタクシーに乗せて帰らせた。店の合鍵を持っているのは彼女に信頼されている証だ。昼間でも氷点下の気温が当たり前の季節だが、今晩はテレビで水道管凍結の注意が流れるほどの凍れようとなっていた。

 さとわの体調は良くなっただろうか。スマートフォンを取り出し、すぐにポケットに戻した。もうすぐ日付が変わる。下手に連絡すると起こしてしまいそうだ。

 マフラーをしっかりと結び、私は繁華街の大きな道路を渡った。昼間は工事現場の喧騒が店の中まで響くが、夜に看板を灯すクラブの営業を妨害することはない。白いフェンスの隙間を見つけ、私はコートを引っかけないよう慎重にくぐった。

 解体が終わった現場は新しいビルが建つという話だが、いまは基礎工事の段階のようだ。発電機が照明を灯し、鼻先を冷やす空気からかすかに灯油のにおいがする。

 降りしきる粉雪が視界を染めるなか、高く積み上げた氷の前に琉生の姿があった。

「おつかれさま、今日は寒いわね」

 声をかけると、振り向いた琉生は顔の半分をネックウォーマーで覆っていた。ニット帽を目深にかぶるが、溶けた雪で前髪が濡れてしまっている。防寒を考えれば目出し帽のほうが暖かいだろうが、その出で立ちでチェーンソーを扱っては警察を呼ばれかねない。

「ずっと作業してたの? あたたかい飲み物でも飲まない?」

「ありがとうございます、いただきます」

 ネックウォーマーを外す琉生の顔が、吐いた息でびっしょりと濡れている。彼は工事現場のプレハブを開けると、慣れた手つきで灯油ストーブのスイッチを入れた。

 あぐりが土地の持ち主と話をつけ、工事会社から照明とプレハブを借りたらしい。作業員たちが使う休憩所は冷え切っており、ストーブの小窓から漏れる炎の色が床を照らしている。ビールケースを椅子代わりに座り、琉生は暖をとりながら鼻をすすった。

「予報通りの気温でよかったです。しばらく寒いみたいだし、雪まつりまで氷像も保ちますよ」

「それより、風邪ひかないように気をつけてよね。本番に熱を出したら目も当てられないわ」

 水筒を開けると白い湯気が上がった。クラブで淹れた紅茶はまだ熱く、紙コップを渡すと彼は両手でそれを包み込む。身体はダウンジャケットなど防寒に徹しているが、手元は装備が軽かった。

「もっと良い手袋したら? そんな状態でチェーンソーなんて持ったら危ないじゃない」

「さっきまで下書きをしてたんです。明日も仕事だし、今日はここまでにしようかな」

 コンテスト本番の氷彫刻製作は夜通しかけて行われる。大型の作品は氷の切り出しから始まり、それを幾重にも積み上げて氷像の土台にするのだ。土台に下絵を描いたあと、不要な氷をチェーンソーで切り落とし、ノミや彫刻刀を使って細部を彫り上げていく。琉生は本番当日に休みをとっているため、試作は仕事の合間を縫って進めていくらしい。

「この時間ならまだ地下鉄も間に合うわね」

「今日はタクシーにします。以前、チェーンソーを持ったまま地下鉄に乗って騒ぎになりかけたことがあるので」

 苦笑交じりに彼は紅茶をすする。ニット帽に積もった雪が暖房の熱で緩んでいた。このままでは頭が濡れてしまうと、私は帽子を外してストーブに干す。

「下絵はうまく描けましたが、あとはイメージ通りに彫れるかどうか。小さい氷でも練習したんですけど、人物像はやっぱり難しくて」

 プレハブの窓の外、照明を浴びた氷の塊には赤いインクで線が引かれていた。それは大まかな枠線であり、細部は彼の頭の中にのみ存在する。気温の変化に左右される氷彫刻は、細かな装飾を入れれば入れるほど脆くなり、とくに人物の表情は一度の失敗で取り返しが付かなくなることもあるのだった。

「作業が終わったなら、いいものがあるわよ」

 私は鞄からウイスキーの瓶を取り出す。あぐりの秘蔵っ子だが、酔い潰れた彼女は飲み干してしまっても気づかないだろう。彼もそのラベルの高価さを知っているのか、驚きながらもしずしずと紙コップを差しだした。

 紅茶にウイスキーを注ぎ、二人で乾杯する。寒い夜に飲むアルコールは身体の隅々まで染み渡るようだ。琉生も末端にあたたかい血が届いたのか、指先を握っては開くを繰り返していた。

「さとわとは順調なの?」

 私の直球か、それともウイスキーのせいか、琉生がごほごほと咳き込む。

「昨日の夜、メールで食事に誘ってみました。雪まつりが終わったら一緒に行きませんかって」

「よしよし、頑張ってるわね」

「……でも、返事が来ません」

 それは彼女が体調不良で寝込んでいるからだ。私がそれを伝えると、彼は安堵のため息をついた。

「狼狽えてばかりで恥ずかしいです。僕、あまり恋愛の経験がなくて」

 言わずとも、彼の言動からそれが容易に読み取れる。さとわに恋をする彼は、まるで中学生のように些細なことで一喜一憂していた。

「いままで彼女がいたこともないの?」

「あるような、ないような……」

 誤魔化すあたり、やはり童貞だろう。

「以前、僕、さとわさんを男性だと勘違いしていたじゃないですか。実は高校生の時にも、ちょっと、いろいろあって……」

「いいわ、お姉さんが聞いてあげるわよ」

 あぐりとの酒でエンジンがかかっていた私は、ウイスキー入りの紅茶を一気にあおる。恋の話ほど酒のつまみに最適なものはない。

「美術部でひとり、仲の良い男子がいたんです。同級生だけどクラスは違っていて、でも趣味が同じだから部活でもよく喋っていたんです。そいつは美大の進学を目指して人一倍頑張っていて、人形みたいな綺麗な顔をしてるのに、作品は男らしい荒々しいものが多くてそのギャップが面白いやつでした」

 琉生が学生時代に美大を視野に入れていたことは聞いていた。部活では油絵専門だったというが、その同級生は彫刻が得意だったらしい。

「ある日、学校でそいつがホモだっていう噂が流れたんです」

 噂の出所はわからないが、その噂はクラスに留まらず学校中に広がってしまったらしい。やがてデッサンで男性像を描くことをからかわれ、いきすぎた男子に備品の石膏像を割られる事件まで起きてしまったそうだ。

「その現場には僕もいて、先生の呼び出しにはふたりで行ったんです。先生も誰が悪いかわかっていて、僕らが怒られることはなかったし、噂について聞いてくることもありませんでした。でも……」

「でも?」

「あいつ、自分の噂のこと、否定しなかったんです」

 紅茶を飲み干し、琉生は言った。

「それで僕、本当なんだなって思って。でも、そういうので差別するのは良くないって思ってたのに、いつのまにか距離を置くようになっていて……向こうはいつもどおり話しかけてくれたのに、僕は顔を合わせるのを避けて、そのうち部活にも行かなくなってしまったんです」

「それは、自分も同類だと思われたくなかったから?」

 同性愛者だと噂される男子の側にいれば、自分も同じからかいを受ける可能性がある。思春期の高校生なら、それを気にして人間関係が崩れてしまうのも致し方ない。

「……僕、きっと、あいつのことが好きだったんです」

 白状し、琉生はまぶたを伏せた。

「だから僕、さとわさんに一目惚れしたとき、やっぱり自分はそうなんだなって思ったんです。でも、本物の女性だって知ってとても安心して……そうしたら、あいつに対しての気持ちがまたわからなくなって、それで……」

 飲み干した紙コップを握りつぶす。その手が小さく震え、彼は混乱混じりにかぶりを振った。

「さとわさんはとても素敵だと思います。でも、彼女と話すたびあいつの顔が浮かぶんです。学生時代、自分が感じていた気持ちは同じものだったはずなのに、どうしてあのときの僕はそれを閉じ込めてしまったんだろう。どうしてさとわさんのことは素直に好きだと言えるのに、あいつへの気持ちを言葉にできなかったんだろうって」

「……若い頃はみんな、自分もまわりと一緒じゃないといけないって思うものだからね」

 学校というひとつの集団に身を置き、協調性という名の同調圧力に足並みを揃えて生活をする。好みの女性のタイプ、流行りのアイドル、クラスで一番かわいい女子は誰か、そんな会話に馴染めないとあっという間に異端のレッテルを貼られてしまう。世にLGBTQという言葉が一般化したとしても、レズビアンやゲイの同性愛者を嫌悪する人は一定数おり、私たちトランスジェンダーもいまだテレビの向こうの側にいる存在だと思われている。

「私も昔は、大人になった自分が女の恰好をするなんて想像もしてなかったしね」

「マチルダさんはどうしてこの道を選んだんですか?」

 新しい紙コップを取り出し、私はそれに紅茶を注ぐ。琉生はそれに酒ではなくたっぷりの砂糖を加えた。

「どうして自分の身体にはおちんちんがついてるんだろうと思って」

 なぜ自分は男にうまれたのか。それは二次成長期を迎えた頃からことあるごとに顔を出す仄暗い気持ちだった。

「どうして自分の身体にはおっぱいがないんだろう、どうして男の身体にうまれてしまったんだろうって、ずっと思っていたの。それなのに恋愛対象は女の子で、男の人に勃起した事なんて一度もないのよ」

「自分が女性になりたいわけじゃないんですか?」

「最初はそうかと思ったのよね。女の身体になっても女性が好きな人もいるじゃない? だからその世界について教えてもらおうと思って、それであの店で働き始めたのよ」

 クラブ・レインボーの扉を開く人は様々な事情を抱えている。家族にも友達にも悩みを相談できぬまま少年時代を過ごし、自分を知る人のいない街ではじめてスカートを履いた人。仕事のストレス発散ではじめた女装にはまってしまい、それが原因で離婚に至ったサラリーマン。私は男の姿のままクラブの扉を開き、そして今も男と女の姿を行き来している。

「あぐりにドラァグマザーになってもらって、この世界のことを一から教えてもらった。マチルダと命名された時には、身も心も女性になろうと思っていたの。ホルモン治療をして、胸にもシリコンを入れて、性別適合手術のお金を貯めていた。睾丸を摘出する手術も予定していたのよ」

「でも、マチルダさんは……」

「結局なにもしなかったし、これからも手術はしないと思うわ」

 女の身体へと変わることに、違和感を覚えた自分に自分が一番驚いた。

 クラブで働くキャストは日増しに女性らしくなっていく。週に一度の女性ホルモン注射は副作用で情緒不安定になりやすく、店で突然泣き出す子も少なくなかった。胸に入れたシリコンは日に何度も手入れしないと硬くなってしまい、痛みに歯を食いしばりながらマッサージしていた子を知っている。性別適合手術でタイに渡り元気に帰ってきた子もいれば、傷の治りが遅く寝込んでしまい、キャストが交代で看病に通ったこともあった。

 晴れて女性の身体を手に入れたキャストは店を去り、社会的にも女性として暮らしていくことを望んだ。そんな彼女たちを何人も見送り、中途半端な自分に悩む私に、あぐりが朝まで付き合ってくれたことが数え切れないほど、ある。

 なぜ自分は男としてうまれたのか。

 なぜ自分は女性になりたいと思わないのか。

「私は、自分が男としてうまれた理由を知りたいの」

 酒の力を借りて、私は告白した。

「理由……ですか?」

「理由なんてあるわけないわよね。琉生だって、好きになった人の性別に悩んだことはあっても、自分の性別について悩んだことはないでしょう? でもね、私は知りたいの。自分の運命を」

 運命という言葉はスピリチュアルじみて好きではない。あぐりですら、私のこの発言を聞いた時は苦々しい顔をしていた。

 琉生も同じ反応をすると思っていたが、彼は表情を変えずに紅茶をすすっていた。

「マチルダさんはかっこいいですよ」

「素顔は男前でしょ」

「そうじゃなくて。男とか女とか関係なく、その生き方がかっこいいと思いますよ」

 琉生は酒がすぐ顔に出るタイプだ。目のまわりが狸のように赤く染まっている。潤んだ瞳で見上げるまなざしには、庇護欲を掻き立てる何かが潜んでいるような気がした。

「ステージの上で歌うマチルダさんは堂々としていて、ドレス姿が艶っぽくて見とれてしまうんです。いま、僕の前にいる類さんは男性の姿をしているのに、格好良い大人の男のはずなのに、一緒に話しているだけで美しいと思ってしまう何かがあるんです」

 ごつごつと骨張った身体。脂肪よりも筋肉が目立つ手足。化粧でもごまかせない彫りの深い顔立ち。それが私、町田類の身体だった。

 マチルダになってもそれは変わらない。どれだけ化粧でごまかそうとも、何の手も加えていない身体はただ男であり続ける。店では美人だともてはやされても、一歩外を歩けば化け物を見るような目で見られ、すれ違うたびにひそひそと陰口をたたかれる。

 そんな私を、琉生は美しいと言った。

「僕はさとわさんが好きですが、あいつのことも好きでした。あのとき、僕がその気持ちにちゃんと向き合っていたら、自分の気持ちを伝えることができていたら、今頃きっと違う人生を歩んでいたでしょうね」

 彼が同級生への気持ちに真正面に向き合っていたら、そして美術部を辞めることが無ければ、彼は今頃パティシエの道を選んでいなかったのかもしれない。雪まつりの氷彫刻コンテストに参加することはおろか、私たちクラブ・レインボーの扉をくぐることもなかったのだ。

「マチルダさんの言葉を借りれば、僕が今ここにいるのも何かしらの運命なんでしょうね」

 私が自嘲した運命を、彼もまた口にした。

「あの店にいるみなさんはとても輝いています。男とか女とかそういうのを吹き飛ばして、異性愛とか同性愛とかバイセクシャルとか、そういうのも全部全部受け入れてくれる場所だと思います。あぐりさんにもさとわさんにも、マチ……類さんに会えて本当に良かった」

「なによ、明日にも死んじゃうみたいに」

 茶化す声が震えてしまう。類はそれに優しい笑みで返した。

「見ていてください。僕、最高の氷彫刻を作りますから。今年こそ絶対、大賞をとってやりますよ」

 その瞳には力強い意志がこもっている。差し出された手を、私はうなずきとともに強く握り返した。



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