牛めしセンス
大学を卒業してしばらく京都の小劇場で演劇をしていた。
大学の同級生たちと劇団を作ったが、全然うまくいかず、入団したのがS道という男が主宰する劇団だった。
当時、京都の小劇場と言うと、同じ大学の学生劇団の仲間たちで劇団を作り、活動を継続していく。という形が一般的だった。
超有名国公立大学卒のS道は、学生劇団の枠を超えて劇団員を集めて劇団を作る、という考え方で人集めをしていた。精鋭を集める、というような形だ。
なぜか、僕もそのS道の眼鏡にかなった。
元来、人から求められる、請われる、ということが無かった僕は嬉しく思って入団をした。
S道は脚本演出を志す男だったが、小劇場界隈のつまらないプライドに侵されていなかった。
自分の脚本や演出、劇団を売り込んだり、いい舞台で公演をする、ということに本気になれる男だった。
そういう本気ってのがない奴、本気になって結果が明示されるのを避けている奴、面白いことをやっていれば誰かが見つけてくれるはずなのに、見つけてもらえないから文句をぶうたれて恨みがましい目をしている奴、が主だった京都小劇場。S道は稀有な存在だった。
僕はどっちかというと、そういうつまらないプライドに支配されている、京都小劇場側、の人間だった。が、それと同時に「このままではまずい」という恐怖感のある人間だった。
ビビりで、怖がりなのである。
だからこのS道という人間の上昇志向の奔流に巻き込まれて一緒に上っていければいい、という夢を見た。
それならそう決めてS道に忠誠を尽くせばよかったのだが、S道の脚本演出はともかく京都演劇界で評判が悪く、特に、僕が私淑していた「センスのある」演劇の先輩たちからはクソのような扱いを受けていた。
センスがない、と言われ続けていた。
僕はその時に「いや、奴は面白い、センスのある男だ」と強がるべきだった。と今になると思う。
どんなことを言われても「奴はセンスがある」と言い続けるべきだった。
が、その演劇の先輩たちに迎合して「いやあ、僕も辛いんです」「奴はセンスがないですよねえ」と巻き込まれた被害者のような顔をして先輩におもねる、というようなカス中のカス、みたいな態度を取り続けてしまっていた。全く以て後悔しかない。
僕も脚本の補佐に入ったりはしたのだが、力不足である。
S道の頭の良さについていけず、そしてS道は僕の頭の悪さについてこれず、いい創作ができない、と言う感じだった。
たぶんS道と僕は大切にしているものが違った。S道は自分の大切にしていることを言葉にすることができて、いや、できすぎた。僕はそれができなさすぎた。
だから僕は僕の良かれと思うことに自信が持てなかったし、S道も僕の進言を受け入れる理由がない、という関係性だったと思う。
その劇団は公演をするたびに話題にはなるが、決定的な好評、というのを得ることはないままだった。
公演を重ねていくごとに「本当にこれでいいのかなあ」という感じが劇団を覆っていく。
それでもS道はいつもブレイクスルーしようとしていた。
今考えると、なんと前向きな男だろう、と思う。
webドラマを作ったりして、地方局に売り込み、地上波のドラマまで劇団で製作することになった。
そんな劇団は他にはなく、異様な勢いがあるように見えるのだが、評価がどうにも追い付かない。
「京都で若手劇団が制作したドラマが始まる」という情報は評価されるが、作品の内容は評価をされない。
どうにもS道がやっていることに比して、結果が追い付いてない感じがしていた。
それでもS道はブレイクスルーを試みる。
一人の男が入団してきた。
Y西、と言う男である。
Y西は自分で劇団を主宰している男だった。
この劇団は一人芝居の劇団だ。
確か、同志社大学出身喜劇研究会、という名門お笑いサークル出身でNSCも卒業したていた、と思うが、そのY西が脚本演出主演を全てこなすワンマン劇団。
洒落ていて、それでいて笑える一人芝居。
ファンも多かった。
京都学生演劇祭、というイベントで、ほかの劇団が劇団員大挙して出場しているにも関わらず、Y西の劇団はY西の一人舞台で見事大賞を受賞していた。
Y西は、全身から「センスがあります」と四方に発散しているような男だった。
髪型も細身の体格も服装も表情も、飄々とした立ち居振る舞いも。
自分が商品である、という自覚を持っている感じが、京都小劇場界では稀有だった。
肌がきれいだった。とにかく肌が。
透き通る白い肌だった。
スターの香りがする男だった。
僕はセンスがないから、戦国武将で例えるけれど、堀久太郎秀政みたいなイメージの男である。断然名人久太郎。
センスのない、僕の愛してやまない僕側の読者いや、同志諸君ならばわかってくれると思う。
Y西は、どういう気持ちで劇団に入ったのだろうか。
今考えるに、この劇団なら掌握して踏み台にできる、と思ったんじゃないか。
地方局のドラマには出ることができるし、ほかにスターもいないから、Y西が一気にガーンと前に出ることができる。
そして劇団的にもスターさえいれば、トーンと跳ねる可能性はあっただろう。
S道もY西も、お互いに利用価値がある、と踏んだ、と思う。
まあこのY西が、僕の愛してやまない読者諸君に伝わるようにだけ言うと、伊東甲子太郎だったわけである。
すぐにY西のセンスはS道と対立した。
劇団員も僕をはじめとしてS道にすべてを賭ける覚悟がなかった。
なんとなく、劇団に「S道はどうもセンスがないし、面白くない」という空気が強く蔓延していった。こうなると、面白いとか面白くないとかは、弱い。
脚本や演出が面白いと信じる、ということが技術の程度が低い我々が面白いことをするには必要不可欠だったから。
どんどんと劇団はギスギスとしていく。
作品ではなく、人間関係が前景化してくる。
そりゃあ皆でS道の悪口を劇団員皆で言うのは愉快であった。
が、まったく無駄で無為で、有害ですらある時間だ、と今になって思う。
まあ、当時悪口を言うのが本当に楽しかったからS道には悪いけれど。
S道は孤独に奮闘していた。
脚本を書いては劇団員に影でぼろくそに言われていた。
S道にも、自分で一発でセンスがあるものが書けている自信があるわけではない。
面白い演出ができている自信があるわけではないから、改稿は重ねるし、演出の検討も。ドラマの撮影では絵コンテを切り続けていたし、事務作業にも労を割いていた。
肌荒れがちだったS道の顔は寝不足と悪い食生活でどんどん赤ら顔になっていった。
美しい肌のY西とは対照的だった。
僕はY西について、センスがある感じに圧倒されていた。
人生で始めて出会った洗練された人、という感じだろうか。
Y西に面白い、と言われると嬉しい気持ちになる、でも、僕にはセンスがない、という負い目があるから積極的に仲良くなれる感じでもなかった。
また、Y西にしてもそういうつもりではないような。
そういう関係性だった。
僕とY西の間に権力争いは起こらず、なんとなくS道にはセンスがない、という点で見解を一致させていた。
確か演劇の稽古帰りだったか。Y西と牛丼を食べて帰ろう、と言う話になった。
松屋である。
僕はいつものように、牛めし特。だ。当たり前である。つゆだくである。当然。
甘辛いつゆでぶわぶわに膨れためしを食う、パクパクではなく、ざらざらと流し込むように食べる。これこそ牛丼・牛めしのあるべき姿だという確信があるから。
Y西の注文は牛めし並。
そして食券を渡すときY西はこういったのだ「つゆぬき」で。と。
僕は驚いた。
そんな、ことを、言う人間がいるんか、と驚愕をした。
つゆを抜いて、値引きにでもなるならまだしも、そんなことも無いというのに。
しかし、なんとなく、牛めしのつゆを抜く、ということがセンスありげに見えた。
中原中也もセザンヌも、小林賢太郎もジャックデリダもつゆぬきで牛めしを食べる感じがした。
つゆだくが妙にダサいように思えた。あんなに美味しいのに。
その時、なんとなく、S道もつゆだくを食べるんだろうなあ、と思った。
でも、僕はS道と共に牛めしを食わずに、Y西と牛めしを食おうとしている。
今Y西の隣に自分がいることがおかしなことに思えた。
恐らくまた愉快にS道の悪口を言いあうこの席に、僕が。
でも僕はそこにいた。
劇団が終わる感じが強くした。
今考えると、強くも美しくも愚直ですらない当時の自分を恥ずかしく思うばかりだ。
結局、Y西はしばらくして劇団を辞める。
劇団の事務所で行われたS道とY西のその「辞める会談」に僕も同席した。
S道は、Y西が事務所を出た後、まさに泣きじゃくる、と言う感じで泣いていた。ずるずるだくだくに泣いていた。
何で泣いとるんか僕には正直わからなかった。
が、異常に疲れた異常に頭のいい、でもセンスがないと皆から言われ続けた脚本家志望の男、が目の前で寂しそうに泣きじゃくるのを観ているとなんだか僕の方も泣けてきたのを、よく憶えている。
しかし結局僕も1年ほど経った後、S道にはついていけぬ、と当時会社化していた劇団を放り出して逃げ出した。
それから少しづつ劇団は人を減らし、立ち消えになった。
S道は自ら設立した会社で東京へ進出。今もそのまま脚本家や映画監督を生業としている。
監督としてレッドカーペットを歩いたり、皆が知っている俳優が出る映画を手掛けたりしている。売れている。
S道の会社の名前には当時の劇団名がそのまま入っている。
最近S道の作った映画は観ることができていない。
当時の自分の愚かさを思い出すのが嫌だからかもしれない。
Y西も東京に出てきている。
別の勢いのある劇団に移り(ここが伊東甲子太郎と違う、いやS道の作った劇団に土方歳三が居なかった、と言った方がいいのか)上京。
脚本演出役者として名を上げる。
その勢いがある劇団はコロナのあおりを受け解散。
今、Y西は一人で活動を続けている。
今度Ⅴ6の森田剛が出演する舞台の脚本演出をするらしい。売れている。
いつだったか、町田康も選者を務める日本のベストエッセイを集めたアンソロジーにY西のエッセイが載っており、悶絶した覚えがある。悔しさ、によって、だった思う。
僕は講談師になった。
今日、仕事で戸塚に行った。
合間に飯を食おうと思ったのだが、いい感じのうどん屋そば屋が見当たらず、久しぶりに松屋に入った。
つゆだくにしようと思った。
が、近頃健康を気にして減塩生活をしているのでつゆぬき、を頼んでみた。
飯の上に、肉と玉ねぎが載っている。
下部の白飯の色づきはほのかなものである。
急いでいたこともあり、かきこむように食べた。
どうにも物足りない。
やはり牛めしは、できればめしひたひたくらいの汁でずるずる食べたい。
そういう欲求を抑えられない。
紅ショウガも、七味も、全部入れて、なんだったら温泉卵も載せてぐずぐずにして食べたい。
どうやら僕は一生センスとは無縁の生活を送りそうである。
強くも美しくもないままで。
愚直ぐらいにはなりたいものだ。
が、それもなかなか難しい。
Y西はまだつゆぬきなのだろうか。
S道はどうやって牛めしを食べるのだろうか。
おそらく彼らの活躍ぶりから、もう牛めしを食べるということはあまりないんじゃないだろうか。
僕はまだ牛めしにいて、彼らのことを思い出している。
また、それがふさわしいようにも思えるのだ。
