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俳優、山村 聰の釣りエッセイはおもしろい

人に何か勧めるときに相手がそれを楽しめれば満点とする。
例えば映画を勧めてもいまいちハマらなければ7点。途中で飽きたなら5点。見なければ0点。
あなたはこれまで何点稼いできたか。この点数は内申書に書かれるべきだと思う。また、点数を上げるための努力は、あなたのコミュニケーション能力を向上させ、人生をもっと豊かにするしれない。釣具は使用することが前提にあるからとりあえず買ってみたり借りたりして使われることが多い。つまり入手困難でない限り5点は確約されている。それ以上の点数になるかどうかは状況や本人の技量による。たとえ自分がある釣具を使ってうまく魚が釣れなくても、他の人が釣れていたら何かしら反省するはずである。または“釣れる時は釣れる”と割り切るかもしれない。それは謙虚な態度であると私は考える。ところが漫画や小説、アニメ、映画などの作品となると5点を取るのが難しい。サブスクで見られる時代になったというのに全く手が伸びない。理由はいくつもあるが、好奇心がなくなったことや普段見るコンテンツが細分化されすぎていてそれ以外を見ることが億劫になってしまったこと、そして勧める側のプレゼンテーションの不備が主な理由である。私の経験から極論を言えば、見るか見ないかは“出会い”にかかっている。

女は遠方にある植物園に出かけた。有給の木曜日。季節は初夏。駅に向かう途中、街路樹の若芽が強い風に煽られて飛んでゆくのを見た。この時期の南風を「青嵐」という。そんなことを古文の授業で聞いたことを思い出す。青空とこの鮮やかな緑の輝きを昔の人も見たのだろうか。(中略) 電車やバスを乗り継ぐたびに人がまばらになっていく。絵に描いたような田園風景に胸が躍る。このバス停から15分ほど歩いた場所に目的地があるようだ。歩き始めてすぐ素晴らしい小径を見つけた。両脇から大きな欅が伸びて濃い影を落としている。ザァと一陣の風が突き抜け、鳥の声が聞こえた。この時久しぶりに鳥の声を聞いた気がした。それが何だか可笑しかった。しばらく歩くと手入れの行き届いた茶の木の生垣が見えてきた。この先に入り口があるはずだ。しかし妙な寂しさを感じる。目玉の展示物もSNS人気もない田舎の私設植物園とはいえ静かすぎやしないか。そしてたどり着いた門には「私用により休園」と書かれたプリント用紙がセロテープで貼られていた。一瞬、天を仰いだ。次のバスが来るのは56分後である。でも不思議と嫌な気持ちはしなかった。というかできなかったのである。同じ目に遭った人が罵詈雑言をSNSに書いていた。それがきっかけで私はこの園を知り、エアリプ気味に「でもそれも楽しいかも」と文学少女を気取って投稿していたのだ。ミイラ取りがミイラになるとはこのことだろうか。ともかく私は文学少女を演じ続けねばならなかったのである。途方に暮れていると同じような境遇の男がいた。カメラをぶら下げているから撮影しながらゆっくりきたのだろう。そういえばバスでも赤い帽子が目立っていた。

・・・・・・これが“出会い”である。当然、この女と男は関係を持つ。
いくら自分と同じ趣味でも、年齢が近くても、案外おもしろいやつでも、ナンパのような押し付けでは、現代人は他人のおすすめを受け入れない。出会い方が良くなければ作品を見ようと思わないしハマらない。逆に、それさえ良ければ赤い帽子の男が結果的にクソヒモ男でもDV男でも、都心からナンパ目的でストーキングしてきた異常者でもハマってしまう可能性があるのである。

そんなわけで本題に入る。いくら勧めても読まれないことを理解しつつ、それでも勧めたいのが山村聰の釣りのエッセイである。
私が読んだことのある釣りに関わる文章のうちおもしろいと感じたのは1/5程度である。他のジャンルでもその程度だし誰でもそんなものだろう。たとえ井伏鱒二でも開高健でもつまらないものはつまらない。上振れと下振れがある。共感の有無は関係ない。作品として読む意味が感じられないものが多いのだ。おもしろいものはきちんと読み物として書かれたものであり風景描写や心理描写、構成が美しい。あるいは記録的価値が高い。対してつまらないものは思い出語りである。単に「こんなことがあったんだよね~」と言われても、それが相当ぶっ飛んでない限りは「ふ~ん」しかない。何の変哲もないことでも、それを凝視すれば圧倒的な情報が溢れてくる。また狂気の眼を持っていればいくらでも現実は変容可能である。そういうことをしないまま釣りに行った経験を書かれてもつまらないに決まっている。つまり書き手に驕りがあるのだ。釣り人しか読まない文章だからいいだろう、と。当たり前だが開高健が小説として発表したものと釣行記とでは質が全く異なる。『裸の王様』(1958)には少年が泥まみれになって魚を捕まえる描写があるが見事としか言いようがない。その片鱗が見える釣りの文章もあればないものもある。まぁ結局は好き好きかもしれないが・・。井伏鱒二にしても小説がすごいのは言うまでもない。テーマからして違う。でも釣りは身近な体験記だからてきとーにーみたいな態度は私の好むところではない。それで言えば井伏の『白髪』は“釣り文学”の頂点と言っても過言ではない。てか“釣り文学”って言葉は何なのか。いまいちピンとこない。そういう言葉があるとすれば釣り文学未満もあるのだろうか。少なくとも山村聰は自分の文章を文学だとは考えなかったと想像する。

山村聰について

1910年生まれの山村 聰(やまむら そう)は、明治期の内務官僚の祖父をもつ非常に厳格な家庭で没個性的に育てられた。東京帝国大学文学部卒業後、劇団に入り、戦前の舞台活動を経て戦後から「東京物語」(小津安二郎監督)などの映画に出演した人気俳優である。
仕事の息抜きにへら釣りに熱中し、晩年は竹竿の職人に弟子入りするほどの入れ込み用だった。彼が巨ベラを釣り上げた相模湖のポイントは今でも「聰さんワンド」と呼ばれるらしい。
私はこのブログを書き始めてから“釣り文学”なるものを意識的に読み始めたが、山村氏のものは当たり外れなく読み応えがある。大学で文学を学んだせいもあるだろうが、何より俳優という彼の仕事が文章に強く影響している気がする。
冒頭に書いた通り、彼には個性がない。映像を見てもミフネのようにピンとこないし、本人も旧制高校入学直後の思い出としてこんなことを書いている。

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最初のクラス会で、愕然としたものだ。級友の殆どが、ある者は、芸術論を展開し、ある者はマルクス論を説き、颯爽と自己紹介をした。私には、主張する何者もなかった。何か、いっぱし、しゃれたことを言いたかったのであろう。
 「僕は、何もしないで、漫然としているのが好きです」
 とやって、一座の失笑を買った悔しさが忘れられない。一時、マンゼニストの綽名をもらった。

 仲間で、文芸同人雑誌をつくり、私も短編小説を書いた。仲間の批評に曰く、
「これは、小説以上でもなければ、以下でもない」
 私には、何のことか、まるで分からなかった。

『釣りひとり』序にかえて

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ちなみにマンゼニストとは漫然istという意味である。学友の頭の良さが感じられる。
私は”いい俳優“は二種類いると思っている。一方は強烈な個性を発揮して全ての役を自分に塗り替える俳優。もう一方は空っぽで降霊術の依代のように役になりきる俳優である。あいつアホなのに結構いい演技するよな~という俳優があなたの中にも想像されるだろう。それが後者というわけだ。ちなみに、アホではないがどちらのパターンなのかわかりにくいのは「戦場のメリークリスマス」のデヴィッド・ボウイである。象徴的だが個性的といえるだろうか。
山村氏は、自分が後者であるということを良く理解されていたと感じる。基本的にインテリで真面目。文学に対するリスペクトもある。だからこそ、俳優の仕事をしている自分が、名人でもない釣り師が、文章を書くなんぞおこがましいという謙虚さが、徹底的に客観的な文章を書かせている。それと同時に、釣りの文章なら書いてもいいか..という徹しきれない人間味もあるのも良い。前に述べた通りただの思い出語りはつまらない。山村氏は基本的に自分がつまらない人間だと認識しているからこそ、それ以上の何かが文章として表れている。
また彼は釣りを釣りだと感じていない。あくまで余暇であり癒しや学びを与えるものとして享受している節がある。それは昔から熱中している釣り人と違って大人になって釣りを再発見したからかもしれないし、戦争を経た人間の一種のペシミズムなのかもしれない。
そんな彼の文章や人柄に惹かれた人が山村氏の家族に許可をとり、絶版の著作『釣りひとり』の文字を全て打ち込んだブログを作っている。https://tsurihitori.com

山村氏の文章との出会い

ある日、出先の妻から連絡があった。古本市で見つけた『日本の釣り文学』シリーズのうち欲しいものがあれば買って帰るという。

作品社『日本の釣り文学』シリーズ

私は背表紙だけを見て興味があるものを伝え、あとは目次を読んだ彼女の感覚で選んでもらうことにした。全部欲しい気持ちもあるがとても頼める量ではなかった。妻は読書好きで私の趣味をよく知っている。女性視点の文章が読みたいと以前から思っていたが見事にそれが掲載された2冊を選び取ってきた。

『釣りと人生』
『釣り師のこころ』1/2
『釣り師のこころ』2/2

目次には海辺や岸辺に非常に関わりのある著作を持つ英美子や渡辺喜恵子、そして幸田文、室生朝子がいた。うち2名は言わずと知れた文豪の娘である。この中で言えば英(はなぶさ)氏の『春鮒日記』が圧倒的におもしろかった。東京から空襲を逃れ息子と二人でリヤカーを押して牛久沼のほとりに向かい、水辺の荒屋で暮らした記録である。長野に良い条件の疎開先があったが釣りキチの息子が嫌がり茨城に決まった。息子は釣りのために牛久沼を選んだのだ。憲兵に取られる前に目一杯好きなことをやりたいと。なお、同じ戦時下の話としては西園寺公一“公爵”の『空襲下の黒鯛釣り』が、あるがこれは全く・・。

さて、この本を持ち帰った妻とまずやったのはタイトルだけをみておもしろいものを予想することだった。その中で上位に食い込んだのが山村氏の『釣りの店「ポイント」の顛末』(https://tsurihitori.com/post-74)だったのである。なお九州を拠点にする釣具チェーン店の「ポイント」とは多分関係がない。

著者の名前に既視感があったが何の人だか思い出せず調べてみると「東京物語のあの息子ね!」と盛り上がった。我が家では時折、小津映画の登場人物になりきって会話する。

「だっておまえ、◯◯じゃあないか」

「いやだわそんなこといったてあなた~~じゃないの。しっかりしてくださいまし」

一方、肝心の文章については著者の人となりがわかると興味が半減した。何度も書いているように、特に個性が感じられないからである。それでも重い腰を上げて読んでみると、ところどころに狂気が垣間見えた。まずコーヒーと釣具(ヘラブナ商品が主となる)の店を銀座の一等地に開くということがすごい(経緯もすごい)のだが、そのコーヒーに藤岡弘、ばりのこだわりがあった。焙煎の深い真っ黒な豆で淹れた苦くて濃いコーヒーが主流の時代に、浅煎りの豆をふんだんに使ってサッと淹れるコーヒーを出したのである。当然後者の方が上質である。しかしその味を理解できるものは少なかった。客には材料をケチっていると思われたらしい。ではどの程度薄かったのか。

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「ポイント」の珈琲は、色あくまでも透明な琥珀色で、ミルクも砂糖も要らなかった。

『釣りの店「ポイント」の顛末』

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想像するに、紅茶のような感じだろうか。現代でもコーヒーの名店で出されない限りは需要はかなり限られる。それを、一応スペースが分かれているとはいえ、釣具店で出すのである。しかも働いているのは地方の高校を卒業した男2人と中学を出たばかりの女2人の若造である。山村氏はその4人を自宅に住まわせ、家から通わせることにした。

・・・・・・若い男女4人を住まわせる?????

その顛末は先にあげたリンクから是非とも読んでいただきたいのだが、穏やかで驕りのない文章全体に何ともし難い不協和音が響いている気がする。ちょっとした小骨が刺さってずっと取れない感じである。

問題作『父と釣り』

先のブログサイトに載っていない文章が『父と釣り』である。出どころもよくわからない。タイトルだけ見ると私が最も興味のない類であるから少しの間読まずに放置していた。読むきっかけになったのは小さな違和感だった。

“父との釣り”ではなく“父と釣り”なのだな…

山村氏の父親は実に腹のわからない男で、結婚が決まった際は周囲に「あの変人が!?」と驚かれたと書かれている。現在でいう東大を卒業し、あらゆる栄達の道があるにもかかわらず極端な非社交性のため一生を中学教師で終えることとなった。そんな父親との接触は叱られることだけだったという。釣りに連れて行かれた日も一言も口を聞かず父親が釣るのを見ているだけ。楽しい思い出ではなかったようだ。

ところどころ妙な部分はあるが、こんな感じで父と釣りのエピソードが並べられるだけのそっけない文章で終わるかに思えた。しかし、さすがは山村氏である。
父が亡くなり書斎を整理する際の赤裸々な記録に唖然とした。

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ひときわ大きな木箱があり、ずっしりと重い、その箱の蓋の隙間から、ひらりと一枚、舞い落ちたものがある。何気なく拾って、私は、どきんとした。真正面からうつした、女陰のクローズアップである。好奇心にかられて蓋を除いてみると、ふくらんだ、大きな茶封筒がいくつもあり、中は、全部写真であった。

『父と釣り』

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そしてこの強烈な人間味によって初めて父を愛することを知ったのだと綴り、まとめに入る。

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私は、長らく、誰にもこのことを喋ったことはなかった。父のためにも、私のためにも、不名誉なことだと思ったからだが、今では却って、父の、たしかな、美しい想い出となった。

『父と釣り』

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私はこの文章に出会えて本当に良かったと思う。妻も喜んでいた。でも厳格なはずの山村一族は良かったのだろうか。

そんな素晴らしい想い出の写真群は戦災で焼けてしまったらしい。人は失われたものを美化する。山村氏は「ニュー・シネマ・パラダイス」の主人公のように、裁断されたキスシーンを見て涙するような感傷に浸っていたのかもしれない。でもちょっと違う。いや、全然違う。やっぱり山村聰も変わっているといわざるを得ない。取り繕えず滲み出るもの。それを人は、個性と呼ぶ。

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