『滅国の英雄』断章ー魂の継承者ー ♯2 空の支配者 【連載小説】 創作大賞2026 ファンタジー小説部門
【あらすじ】
人の努力とは、何かを続けるためにあると思っていた。
しかし、「あの方」のように、何かをやめるために全力になる人もいる。
最高の形で、去りたい。
誰にも迷惑をかけず、理想を実現するために‥‥‥
依然として、時折大量の紙束が届いていた。
私が読んでも、その真意はわからない。
でも、その文字から伝わる熱量だけを、ただ信じることにした。
そんな、日々を送っていた。
――数年後、無能な私はリブラリス領の一部を任される領主となっていた。
わたしという、空の神輿が高く担がれるほど、領地は豊かになっていた。
私は、持ち上げやすい。
誉められると、すぐに気分がよくなる。
だが、あまりにも実感のない、実績と名声が積みあがるこの幻想のような世界が怖い。
その怖さは、本当は無能であるということが、周囲に知られるかもしれないというものではないようにも‥‥‥
私の知らないところで、今日も私が活躍している。
人々の感謝の言葉に対して、そのように振舞う。
今日はどんなお題で踊ればいいのだと‥‥‥
私は、来客の知らせを聞くと震える。
◇
執事から父の友人が来ているという知らせを聞き、すぐに向かう。
「‥‥‥誰も部屋に入らぬように、心配はいらない。張り付いていては失礼になる」
いつもは、ともにする者たちに断りをいれ遠ざける。
わたしは恐る恐るゆっくりと扉を開ける。
ーーギギッー。
部屋に入り、目の前の光景を見て、すぐに扉を閉め鍵をかける。
椅子に座って待っているその姿は、まさに領主の風格である。
応接室には、自由を手にした、元上官の「彼」が訪れていた。
かつてのおぞましい面影を重ねながら、話しかける。
「あの‥‥‥お久しぶりです‥‥‥」
目の前にすると、なぜか緊張してしまう。
しかし、いつもの緊張感はここにはない。
むしろ、久しぶりにこの姿を見て、少し安心していた。
私の幸福は「この方」によってつくられたものである。
紙のやり取りでは、これが感じられない。
現実を確認できた安心も束の間、冷静になると元の不安が舞い戻る。
それはいつでも不幸にすることが出来ると、言われているようなもの‥‥‥
私のような人間が考えることは、この程度である。
だから、そのようなことを考えず、ただこの幸福を素直に受け入れることが、もっとも正しいことだと。
あるいは、それすら‥‥‥
その瞳は、何をしても見透かされ、どこを見ているかわからない。
今か過去か、あるいは未来なのか。全く想像できない。
しかし、この方はいつも、私に幸福の道を示してくれた。
私だけではなく、皆を幸せにしてしまう。
「頼みたいことがあってね。新しい公共事業の計画なのだが。リブラリス領の命運を左右するものになると思っている」
月日が流れ、忘れていたあの日々の記憶が蘇る。
また石碑のような、あの大量の書類を渡されるのではないかと。
直接来られたという重みはどこに。
周辺を見渡しても、何も見当たらない。
そして、今度はいったいどのように踊らされるのか‥‥‥
だが、成長した姿を見せたいとも思った。
今できる最大限の抵抗を「この方」にみせようと‥‥‥
「‥‥‥難しいことはできませんよ‥‥‥」
無能である私は、「無能を盾」に逃げようとした。
これこそ、私の「最強の武器」であると。
この方の頼みなど、私ごときが手伝えるわけがない。
これまでの幸福は、私が手を加えず、この方だけで実現してきた。
ならば、私が手伝わないという選択こそ、この場における正解なのだと。
何かを察したかのように、彼はやさしく語りかける。
「そうだな‥‥‥では、これを見てくれないか?」
足音をさせず、幼い少女が全身を覆い守る姿で現れる。
「‥‥‥あの、これは‥‥‥」
◇
――サササッ!スッスッス!‥‥‥
娘と変わらぬ年頃の少女は、屋敷の煙突を熱心に掃除し始めた。
汗を流し、ところどころに黒い煤(すす)をつける姿は、わたしの心にささるものがあった。
少女の姿を眺める私に、彼は問いかける。
「どう見えた?」
塵すら残さない、その丁寧かつ迅速、軽快な仕事っぷりは見事であった。
まるで、あの時の上官がつくっていた「完成」をみせられたように。
私は素直に見て感じたことを伝える。
「美しい‥‥‥素晴らしいとおもいます!これは、街の皆も助かるかと!」
「そうか。それはよかった」
上官だった時には、見たことがない嬉しそうな表情であった。
いや、わたしが見ようとしていなかっただけのようにも。
今、この方とわたしの気持ちは繋がっているように想える。
それは、わが娘を見守るような時に浮かべるやさしさのような‥‥‥
「友人から少しの間、預かっている子だ。だが、この子は、街での仕事がなくてね。生活に困っているのだよ。すまないが、君の知り合いに何人か紹介して、この子を手伝ってやってくれないか?」
あの石板のような、紙の上の難しいことはわからない。
でも、これならば無能な私でも、この少女を助けることが出来る。
手を差し出さない理由はどこにもない。
私は無能だ。だが、愚者ではない。
なによりこの方が、私に手伝ってほしいと言っている。
かつての上官が言っていたことは、これまでずっと正しかった。
つまり、私が手伝うことが、この方の見据える先の幸福につながるのだと。
この選択が唯一の道なのだと‥‥‥
「わかりました。そういうことでしたらお任せください。これを広めないのは愚か者のすることです」
「ありがとう‥‥‥相変わらず、きみは優秀だな」
その感謝の言葉は、素直な気持ちのように感じた。
いつもの言葉と変わらない。
私にはこの言葉の真意がわからない。
でも、嫌味ではないと感じる。
そして、この言葉に偽りがないことは確かなのだ。
この方はご機嫌を取るための、小手先の誉め言葉など絶対に使わない。
◇
――以降、この少女を連れて「おさんぽ」に出かけた。
いつも見ている景色が、明るく感じる。
社交辞令だと思っていた、パーティの出席者リストを手に取り、王国貴族や有力者の邸宅を回る。
「あの無能を隠して参加していたことが、こんなところでいかせるとは‥‥‥まさか、これまで見据えて‥‥‥」
ここでも、実際に活躍しているのは、この少女だ。私ではない。
だが、無能な私が付き添うことで、この少女に仕事が回る。
そう思うと、情けないはずの自分が、ほんの少しだけ救われる気がした。
日に日に広がっていく少女の評判は、空っぽの私に、これまで感じたことのない達成感を与えてくれた。
◇
――新しい公共事業は大成功を収め、街はさらに繁栄はしていた。
以前よりも増して、領民たちの笑顔と活気を感じる。
わたしが、そう思えるようになっただけのようにも。
傍らに立つ彼が、柔らかな笑みを浮かべて囁く。
「素晴らしい手腕でしたね。領主様」
「‥‥‥無能の私にもできることがあるのですね」
この時、私は教えられた。
無駄なことを考え、余計な口を挟み、手を差し出すことを拒んでいたら、救えた者を救えなかっただろう。
今ある領民の笑顔を、奪ってしまう存在になっていたかもしれないと。
私は、この世界で最も役に立つ「無能」である。
これが、わたしの仕事なのだと。
野心もない。誰かを裏切る知恵も勇気も、持ち合わせてはいない。
だからこそ、誰一人傷つけず、誰もが幸福になった。
「無能」な私にも、わかることがある。
活気に満ちた、笑顔あふれるこの街が、私は好きだ。
この光景を、ただ広げていきたい。それだけでいい。
わたしは、独りではない。
「空っぽの器」は今、この穏やかな平和で満たされている。
わたしの幸福は、最初から本物であったのだ。
ーーかくして、稀代の名君、「空の支配者」が誕生したーー
ーーつづく
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