【シロクマ文芸部】自由帳
自由帳はクローゼットの奥から見つけることができた。自由帳の表紙には、「六年二組、田中秀斗」と書かれている。自由帳をぱらぱらとめくる。秀斗は改めて、自分が今日ここに来て良かったと確信した。
◇
田中秀斗24歳。日本社会の中じゃまだまだ子供扱いだが、この世界での秀斗は崖っ淵だった。この世界とは、芸能の世界のことだ。事務所からは「次がラストチャンス」と言われていた。事務所から言われずとも秀斗自身がそのことを深く理解していた。同期の青樹がデビューし、後輩達も次々とデビューしていく。焦りを通り越して諦めの気持ちさえ湧いてきてしまう日もあった。そんな鬱々とした気持ちを前向きな方向に持っていくだけでも苦労した。
そんな中で舞い込んできた新人アイドルグループ発掘オーディション番組への出演依頼。この番組は視聴者投票によって上位七名がデビューできる視聴者参加型のオーディション番組だった。
秀斗はここでチャンスを掴んだ。
ここまで積み上げてきた確かなダンススキルと天性の歌声を武器にオールラウンダーとして視聴者の人気を獲得した。
他の練習生への紳士的な振る舞いや練習に熱心に取り組む姿も映し出されて、人々の心を掴んだ。
最終審査前の順位は三位。このままいけばデビュー確実だった。
◇
最終審査まであと五日となり、秀斗たち練習生に久しぶりに半日の自由行動が与えられた。
「秀斗、ご飯食べにいこうよ」
六つ年の離れた歩夢が誘ってきた。歩夢は順位一位でデビュー確実な好青年だ。
「悪い、ちょっと実家で用事あるからそれ終わっていけそうだったこっちから誘う」
秀斗はそう言って歩夢の誘いを保留にした。順位一位の歩夢とプライベートでも仲が良いと知れることは秀斗にとって大きな利点だった。歩夢と仲が良い秀斗のことも絶対デビューさせなきゃと歩夢のファン達が後押ししてくれるからだ。それにそんな事抜きにしても久しぶりの休みに誰かとご飯に行くのは気晴らしになる。
そうと分かってはいたが秀斗は実家でどうしても確認しておかなければいけないことがあったのだ。
◇
そして秀斗は神奈川県横浜市にある実家に帰ってきた。母はこんな忙しい時にわざわざ顔を見せにきてくれた息子を大歓迎した。
「秀斗、観てるわよ、凄いわね、もう少しだね」
「今日は何時までいられるの?ご飯一緒に食べる?」
秀斗は心ここに在らずな様子で、
「ああそうする、ただちょっと自分の部屋に行ってきて良いかな」
と母に尋ねた。母はもちろん承諾した。
◇
自分の部屋に入るや否や秀斗はクローゼットを開き、自分の背より高い位置にある棚に置いてあるお菓子の缶を手元に下ろした。缶には
「絶対に開けるな!!」
と生意気な文字で書かれている。秀斗が書いたものだ。
秀斗は少し緊張した様子でそのお菓子の缶を開けた。
中には、秀斗が子供の頃大切にしていた玩具と「六年二組田中秀人」と表紙に書かれた自由帳が入っていた。
「やっぱり入れてたか」
この前宿舎で歩夢たちと自由帳の話になった。自由帳に何を描いていたかってので盛り上がった。
歩夢が、
「俺の自由帳は年上の女性の裸ばっかり。だからこのオーディション決まった時、即燃やした」
と言ってて意外だった。他の奴らなら隠しておくようなことを飄々と話す。この裏表のない性格が皆の心を不思議と惹きつけるのだろう。
そう感心する一方で秀斗は自由帳に何を描いたのか思い出せなかった。ただ確か実家のお菓子の缶に入れていたのだけは薄らと覚えていたのだ。
「もし俺も歩夢みたいに変なの描いてたんならバレないように処分しなくては」
そう思い今に至るのだ。本当に何を描いたのか覚えていない。緊張して手に汗が出てくる。意を決して自由帳を開く。
一ページ目に描かれていたのは
犬だった。
二ページ目は、ハムスターや牛、三ページ目は当時好きだったゲームのキャラクターが描かれていた。
「良かった、変なもの描いてない」
そう思って四ページ目を開いた。
そこには文字が書いてあった。
「世界一のアイドルになりたい」
そう書いてあった。そこから後のページは当時好きだったボーイズグループの絵ばかり。
秀斗は自由帳を閉じた。今日ここに来て良かったと確信した。
「小六の俺よ。もうすぐ夢への第一歩踏み出せそうだ」
実家にいるはずなのに満員のステージに立ってスポットライトを浴びているようだった。
◇
その後、秀斗は九位となりデビューを果たせなかった。実家に帰ったあの日、家を出たところでたまたま幼馴染の飛鳥にあって少し話をした。
その時の写真が何故か出回った。何故か飛鳥と付き合っていることになっていて、何故か飛鳥と一夜を共にしたことになっていた。
何故か歩夢との約束を勝手に断って裏では飛鳥と会っていることになっていた。
秀斗は「違うんです」と言い続けたが信じてくれる人より、信じてくれない人の声が大きくて広かった。
◇
秀斗は今崖っ淵にいる。
ひとり暮らしのアパートに置いてきた自由帳の四ページ目「世界一のアイドルになりたい」の文字は、上から赤いマジックで大きくバツ印が加えられている。
これまで何度オーディションに落ちてもどうにか気持ちを切り替えてきたのに、今回は衝動的にバツ印を描いてしまった。
描いてしまったらもう秀斗の目にはバツ印しか映らなかった。
バツばかりの世界では息がしにくくて苦しい。
だから秀斗は今崖っ淵に立っている。
終
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