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イーロン・マスクの敬礼はナチス式なのか?~我々は今でもナチスの幻影を見ている~ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男(Fuhrer und Verfuhrer 総統と煽動者)/ ヨアヒム・A・ラング監督(2024)


1.僕がゲッベルスを知ったのは、学生時代の1980年代前半だった。

ナチス・ドイツの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスという存在を知ったのは、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『地獄に堕ちた勇者ども(The Damned)』や、リリアーナ・カヴァーニ監督による『愛の嵐(The Night Porter)』といった映画がきっかけだった。どちらもナチスの影が色濃く投影された作品で、特にその退廃的なムードや、ハーケンクロイツの旗、腕章、親衛隊(SS)や突撃隊(SA)のスタイリッシュな制服、ナチ式敬礼など、その「美学」に強く惹かれた記憶がある。

「地獄に落ちた勇者ども」乱痴気騒ぎをするナチス親衛隊
「地獄に落ちた勇者ども」ナチスに入党するヘルムート・バーガー

さらに、レニ・リーフェンシュタールが手がけたベルリン・オリンピックの記録映画『オリンピア』や、ナチス党大会を描いた『意志の勝利』では、「力の美学」が極限まで昇華されていた

「オリンピア」
レ二・リーフェンシュタール


970年代後半、ヨーロッパでは労働者階級の政治への不満が極右政党へと吸い寄せられ、イギリスではナショナル・フロント、ドイツではネオ・ナチが若者を取り込んでいった。その不満のエネルギーはやがてパンク・ロックとして噴き出し、そのファッションにはナチスの痕跡が見られた。シド・ヴィシャスはハーケンクロイツのTシャツを着ていたし、クラッシュのミック・ジョーンズがいたバンドは「ロンドンSS」という名だった。彼の母親がユダヤ人であることを思えば、単なる「暴力的なかっこよさ」に引かれていたのかもしれない。。

Sid Vicious


Der KFC (German New Wave)

2.広告の源流としての宣伝~プロパガンダ

ナチスが統一感あるスタイリッシュなイメージを作り上げるために用いたのが、ゲッベルスによる徹底した宣伝でした。僕が彼に強く興味を持ち、読んだのが『絶対の宣伝』という書籍た。これは『宣伝的人間の研究 ゲッベルス』『宣伝的人間の研究 ヒトラー』『煽動の方法』『文化の利用』の4部作で構成されており、ナチスのプロパガンダ技法を詳細に解説していました。
当時に人気を博し始めていた映画、そしてもちろんラジオなどのマスメディアや芸能人の利用そしてコピーラィティング。宣伝=プロパガンダという戦時下に民衆を煽動する手法は、広告の源流と言われています。

「絶対の宣伝」4部作

そして1980年代、日本ではセゾングループやサントリーに代表される広告全盛の時代。糸井重里らコピーライターやCMプロデューサーがまるでスターのようにもてはやされ、高額な制作費を投じたアート志向のCMが次々と登場していた。僕は広告とプロパガンダの共通点に強い関心を持っていました。

3.映画『ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男』

我々が今日目にするナチスに関する写真や映像のほとんどは、実はゲッベルスによって統制・演出されたものだといいます。その事実だけでも驚きですが、僕が特に期待していたのは、先に挙げた映画に登場するような“ナチスのカッコよさ”や“甘美なイメージ”が、どのように生まれたのかという部分だった。そして、それによってドイツ国民がどのように精神的に煽動され、最終的にユダヤ人大量虐殺という歴史的悲劇に加担していったのか、そのプロセスを知りたかった。

しかし、ヨアヒム・A・ラング監督の意図は、もう少し別のところにあったようです。彼は、未公開の残虐な写真を含む記録映像を織り交ぜながら、ゲッベルスとヒトラーの関係を綿密なリサーチに基づいて再現することに力を注いでいるようでした。特に印象的だったのは、ナチスの首謀者たちが「何を話し、どう考え、どのように人々を扇動したのか」が精緻に描かれていた点だ。
つまりこの映画は、「なぜ人々が騙されたのか」ではなく、「どのようにして騙されたのか」、そして「それが今も繰り返されているのではないか」という問いを、観る者に突きつけてきます。

4.ナチズム的なものの台頭とテクノロジー

ゲッベルスの手法は、決して過去の遺物ではないと思います。
アメリカの分断、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによるガザ攻撃、ヨーロッパでの極右勢力の台頭という状況は酷にしています。
そして、アメリカ・トランプ新大統領の就任を祝うイベントで、ナチス式の敬礼をしたなどとして、実業家のイーロン・マスク氏の行為が物議を醸しています。

2020年代に入りSNSが政治に与える影響は無視できないものになっており、政治的停滞を感じられていた日本においても、東京都知事選や兵庫県知事選では、SNSでの発信力が選挙結果に直結するような構図すら見え始めている。
ここで注目したいのが、「嘘つきメディア(Lügenpresse)」という言葉。この表現を最初に効果的に使ったのもゲッベルスだそうです。
「マスコミは嘘をついている」と大衆の不満を焚きつけ、敵をつくることで支持を集める戦略。それは今、アルゴリズムによって強化され、瞬時に数百万に拡散される。プロパガンダは、より鋭利な武器となって戻ってきたといえます。

演説するゲッベルス

5.この映画が伝えるもの

ゲッベルスが編み出した手法は、現代の政治・広告・SNS戦略にまで深く浸透しているだろし、それをお手本にしているのではないかと感じることもあります。

僕たちは、プロパガンダの「美しさ」や「カッコよさ」に無自覚なまま引き込まれてしまっているかもしれません。
かつてのナチスも、民衆が目を奪われたのは“暴力”ではなく、“ビジュアルと演出”だった。問題は、そこに「仕掛けられた意図」があることに気づけるかどうかだと思います。。

今、誰もが「発信者」になれる一方で、誰もが「煽動される側」にもなりうるのが、SNSの時代ということなのでしょう。


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