人前で話すと泣けてくるのは何でだろう?
過去に鬱と不安障害になった経験があるんやけど、そのときから涙腺がぶっ壊れてしまって、あらゆる場面で涙を流すことが多くなった。
子どもを産んでからっていうのも重なってるんやけど、となりのトトロを見ても涙が出てきてしまうぐらい。自分でも驚くほど涙もろい人間になったんよね。
そんな中でわりと困っていることがあって、人前で自分の意見を口にするときにも涙がポロポロ出てくるようになった。もちろん泣きたいとか泣こうと思って泣いてるわけじゃない。ほんまに喋り出すと涙が出てきてしまう。
でも、誰の前でも涙が出てきてしまうわけではなくて、親しくない人の前だけの話。
ただ、昔からそうだったわけではない。私が過去に患った不安障害の影響が少なからずあると思っていて、鬱よりも不安障害の方が症状としては重かったので、もしかしたらそれが関係しているんかも。
私がなったのは社会不安障害といって、人前に出る場面で極度の緊張状態に陥ってしまうという症状があった。
社会不安障害(SAD)は、人前で話す、注目される、評価されるといった場面で強い不安や緊張が生じ、日常生活に支障が出る状態を指す。
単なる“あがりやすさ”ではなく、心と体が過敏に反応してしまうことで、行動を避けたり、頭が真っ白になったりすることがある。本人の努力不足ではなく、脳の仕組みがそう反応してしまうことで起こるもの。
この社会不安障害で、私は人目が気になって一時期外に出ることが一切できなかった。ゴミ捨て場までのわずか10秒ですら、誰かに見られたらどうしようという不安で体が震える。不安を抑える薬を飲まないと行くことが難しかったほど。
それでも時間をかけてゆっくりゆっくりできることを増やしていって、日常生活に支障が出ないぐらいまでには回復したんやけど、親しくない人の前で自分の意思や意見を伝えないといけない場面ではやっぱり緊張状態からなのか、涙が出てくる。
何気ない日常会話レベルなら大丈夫なんやけど、もっと深いところ。例えば小学校の懇談会で、子どものことへの不安を担任に伝えるときとか。今、子どもが学校に対して不安を抱えているため、子の気持ちを代弁して先生に伝えるとき、私はなぜか涙が出てくる。しかも話せば話すほどポロポロと止まらない。
先生はびっくりするやろうし、なんかヤバい母親やなって思われてるとも思う。でも止められない、でも話さないといけない。そう思えば思うほど涙は溢れ出してくる。この涙を止める方法があるなら私は知りたい。
病気になる前はそうではなかった。自分の主張をハッキリ言えるタイプでもなかったし、人前は緊張するタイプやったけど、涙を流すほどではない。
今思うと涙を流す場面っていうのは圧倒的に子どもに関わることが多くて、特に子のネガティブな感情に寄り添うときに涙のダムが崩壊してしまう。たぶん、まるで当事者になったかのように子どもの気持ちに共感するから。
もはや共感というより、気持ちが移ったような感じ。母親やったらみんなそうなのか?

子に対する共感能力みたいなのが異常なぐらい発達してしまったのか、子がつらいと思う状況に耐えられない母心なのか、その両方なのか。何が原因かは分からんけどとにかく涙が出てくる。
ただ、社会不安障害だったときと違うのはこの状況になったとしても「変なふうに思われたかな」っていう気持ちで頭がいっぱいにならなくなったことだ。
実際先生たちは「この母親ヤバい奴やな」って思ってるかもしれない。以前の私だったら、先生との会話を終えたあと、「もう終わった」っていう感情に頭が支配されていたであろう。でも、今は違う。
「この母親ヤバい奴やな」って認定されていたとしても「これが私なんで、すみませんけどご理解くださいね」って心の中で思うようになった。自分のことを責めないようになったのだ。
これは開き直りにも捉えられてしまうかもしれんけど、涙が自分の力で止められない以上、自分でもどうしようもない。どうしようもないことで自分を責めるのはナンセンスじゃないか?それで相手が戸惑ってしまったらごめんなさいやけど、だいたいは「おぉ、なんか泣いてるな」って思われてそうな感じ。
きっと出産と病気を経験して、感極まりやすくなっちゃったんよね。
これは心の弱さが原因なのか?
でもそうじゃない気もする。
ただできることならこの性質を抑え込みたいとは思う。叶うなら涙を抑える薬がほしいぐらい。まぁでもそれは無理な話。無理なら受け入れるしかない。
子に関することでの涙が圧倒的に多いけど、それ以外でも涙が出てきてしまうことはある。そして、涙が出るときの共通点はやっぱり「自分の心の内を話すとき」である。

やけど、「それも私なのよ」って思えるようになった。
一見ネガティブに思えるような自分の性質をきちんと認めてあげられるようになってから、生きづらさが少し解消されたような気がする。もちろん、人前で涙が出てきてしまうという状況に「まったく困りません!」というわけではないので、受け入れたもののやっぱり多少の生きづらさはある。
でもそれでも自分を責めない考え方を手に入れたことで、心はかなり軽くなったし、「感情的な自分もなんか人間らしくていいやん」って思うとちょっとおもろい人ですねって我ながら思う。
生きづらさを感じることでも視点を変えてみたら、ポジティブな意味に変えられることはある。「自分はこういう人間だからダメだ」って思うことは、自分の心を苦しめることになってしまうからやめた。
たとえ周りに変なふうに思われていたとしても、その人に迷惑をかけるわけではないし、どうせすぐに忘れ去られる。ヤバい奴認定されていたとしてもヤバくないときもあるだろって開き直ってる。良いのか悪いのかは分からないけれど。
でもこうして自分の中で心の逃げ道を作ったり、自分の性質を認めてあげることで、気持ちが落ち込んでしまう回数はかなり減った。ほとんどないかも。それって結局のところ生きづらさを生きやすさに変えることができているってことなんじゃないのか。
だとしたら「私、よくやったな」って言ってやりたい。
人目を気にして徒歩10秒のゴミ捨て場にも震えながら行ってた私が、完璧にその性質を手放したわけではないけれど、「これが自分なんだ」と受け入れる体制を整えることができた。
少しずつでもいいから自分の性質を認めていくことが、心を回復させるためには必要なのかもしれない。

こんな私だからこそnoteを書くことに心地よさを感じるんだと思う。
頭の中がゴチャゴチャしてたり、気持ちがモヤモヤしやすいわりに、それを口に出すことはとても苦手。ってか無理。今のこの記事も、「人前で話すと泣けてくるのは何でやろう?」をテーマに話してくださいって言われても
多分、一言もしゃべり出すことができないかもしれない。
何から話せばいいか分からないし、話せと言われると頭のゴチャゴチャがもっと激しくなってしまう。
でもnoteなら自分の思いをめちゃくちゃ語ることができる。言語化が苦手な方やとは思うけど、感情を文章にのせることができるから、いくらでも文字に起こすことができそうだ。
だから向いてるんやろうなって思う。
noteに出会ってそんな自分の一面を知ることができたのは大きな収穫。これからも自分の頭の中をスッキリさせるためにも、読んでくださってるそこのあなたのためにハートフルで心が軽くなるような記事を届けていきたい。
最近ありがたいことに記事へのコメントをいただくことが多く、返信が追いついていません。
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ただコメント返しができない可能性あるということご理解いただけるととても助かります。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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