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#はじめてのお金 | 終わらない物語。祖父から娘へ、わたしが受け取ったお金の本当の価値

こちらに参加したく書いたnoteです。

何がいいだろうなぁと思っていた矢先、後ろの方で娘が、

「お母さーん、お金ちょうだーい」

と聞こえてきた。

あっ。これだと思い、サクサクnoteを書いています。

それではよろしくお願いします。

はじめて受け取ったお金の不思議な力


「これ、お手伝いしてくれたからありがとう」


みなさんも幼いときこのような言葉をかけられたことはありませんか。

初めて受け取った10円玉。100円玉。

価値はよく分からなかったけれど、なぜか湧き出るワクワクした感情、あの純粋な喜びの感覚を覚えていますか?

お金欲しいですか?

おそらくこの世の中にお金をほしくないという人は、かなり少ないのではないでしょうか。(てかいる?)

少なからずわたしは、お金はいくらあっても困りませんし、余裕で豊かのある生活を送るためにはお金は欠かせないものだと考えています。

しかし、よーく考えて見ると、果たしてそうなのでしょうか。

お金のことで夫婦喧嘩になったり、こんなに働いているのに給与が上がらないと嘆いたり、はたまた副業で収入の柱を!と意気込んだところで、なかなかうまくいかなかったり。

実は、お金は我々の生活や心を豊かにしてくれる一方で、不満やネガティブな感情、もっと怖いことをいうと詐欺といった犯罪に関わるところまで繋がってしまうこともあります。

そんな複雑なお金の本質を考えるために、一度原点に立ち返ってみませんか?

わたしは自分が初めてお金を受け取った瞬間を鮮明に覚えています。

そして親となったわたしは、自分の娘におこづかいを渡すという立場に。

そしてさらに思いがけず、娘からお金を初めてもらうという、人生で一度しか味わえない「初めての瞬間」も経験しました。

これから書いていくのは、わたしが初めてお金を受け取ったその瞬間の話から始まります。

そこから現在、わたしの7歳の娘に初めておこづかいを渡したとき、そして初めて娘からお金を受け取ったときの話から、お金の本当の価値について書いていきたいと思います。

祖父のお好み焼き屋で、はじめてもらった100円玉



小学校低学年だった頃。うちの祖父はお好み焼き屋をやっていました。

祖父の地元では割と有名なお店でテレビや雑誌の取材も頻繁に来ていて、芸能人のサインなどもお店にたくさん飾ってあるほどの繁盛店。

幼いころのわたしは夏休みが楽しみで仕方ありませんでした。

それは祖父のお好み焼き屋にいっておいしいお好み焼きが食べられるから。

それに加えてお店のお手伝いをするのも楽しみになっていました。

「いらっしゃいませー!」と威勢のいい声を出し、お客さんの目の前で、お好み焼きを焼く祖父の姿は、幼いわたしにとってかっこいい存在でした。

最初はお店の中でちょこちょこ動き回り、お皿を運んだり、お水を運んだり、年齢があがっていくにつれて、卓上のセットやソースなどの補充、さらにはオーダーをとったりすることもありました。

次第に

「いらっしゃいませ!」

と元気よく声を出すことも意識していて、最初は恥ずかしくて小さな声でしたが、祖父に

「もっと元気よく!お好み焼きは元気が命やで!」

と言われ、徐々に大きな声が出せるようになりました。

お店で一番好きだった仕事は、祖父が焼き上げたお好み焼きに、ソースと青のりとかつお節をかける「仕上げ」の手伝い。

緊張しながらも、お客さんから「おいしい!」と言ってもらえると、心からうれしかったのを覚えています。

そんなある日、閉店後に祖父はおこづかいとして100円玉をくれました。

「よう頑張った。これはお前のもんや。自分で働いて得たもんやから、大事にせぇよ」

祖父から言われたその言葉とともに渡された100円玉は、幼いわたしの心にも特別な重みがありました。

お好み焼きの匂いがついた手で受け取ったその100円玉は、

今でも鮮明に覚えています。

次の日、その100円で、父とコンビニに行き、チョコレートを買いました。口の中でとろけるチョコレートの味は、「自分で稼いだお金で買った」という誇らしさとともに、今でも舌の記憶に残っています。

祖父はよく言っていました。


「お金は自分で稼ぐもんや。でもそのお金で何を買うか、誰のために使うかで、お金の価値は変わるんや」

当時は深く考えませんでしたが、今になってその言葉の意味がじわじわと胸に沁みてきます。

祖父のお店の手伝いは、わたしの原点です。

そこで学んだのは、単にお金を稼ぐことではなく、

「人に喜んでもらう仕事」の素晴らしさでした。

お好み焼きを食べて笑顔になるお客さん。その笑顔のために祖父は手間を惜しまず、最高の一枚を焼き上げていました。

お金を得るためだけの「仕事」ではなく、誰かの笑顔のための「腕を振るう」という姿勢。

それが祖父から受け継いだ、目には見えない大切な財産だったのかもしれません。

親になってはじめて経験する、お金を渡す喜び


ぴかぴかの10円玉見つけたらテンション上がりませんか?

そんな経験を持つわたしが、今度は親として娘に初めてのおこづかいを渡す日がやってきました。

娘に10円玉を渡そうとしたとき、ふと祖父の言葉が蘇りました。

「お金は自分で稼ぐもんや。でもそのお金で何を買うか、誰のために使うかで、お金の価値は変わるんや」

祖父からわたし、そして娘へと、お金の本当の価値を伝えていきたい。そんな思いを胸に秘めながら、私は娘に最初のおこづかいを渡すことにしました。


4年前、娘がまだ3歳だったころ。

初めて10円玉を渡したあの日。

「ありがとう!これ、お手伝いしてくれたからお礼」

そう言って差し出した10円玉を、娘は驚いたような、嬉しいような、不思議な表情で見つめました。

娘にとって初めてのお手伝いは、洗濯物をたたんでタンスに片付けるお仕事。

妻の様子をとなりでじーっと見つめていて、わたしもやりたい!と意気揚々にとなりにちょこんと座り、見よう見まねで自分のハンカチをたたんでいました。

とても上手とはいえなかったけれど、娘は大満足。

それを見ていた妻も

「上手だねーありがとねー」

とご満悦(この時の妻の笑顔は最高にうつくしかった…)

それを見ていたわたしはついつい、小銭入れの中にぴかぴかの10円玉があったので、

「ゆなちゃんすごいねー。ありがとう!これ、お手伝いしてくれたお礼」


そして娘は、その10円玉を片手で手で受け取ると、まるで珍しいものを見るかのように何度も何度もながめていました。

「ぴかぴか!やったー!」

その目はキラキラと輝き、満面の笑みを浮かべる姿に、思わず笑みがこぼれました。

大人からすれば「たった10円」

しかし、その姿はまるで魔法のコインを手に入れたかのような表情。

「どきんちゃんポーチいれる!」

そう言って、娘は大事そうにどきんちゃんのポーチに10円玉入れると、何度も確認するようにポーチを開けては10円玉を眺め、また閉じる…そしてポーチを振り回すという動作を繰り返していました。

その姿を見て、なんか知らんけど、胸がじーんとあたたかくなりました。

娘にとって、この10円玉は単なるお金ではなく、「頑張ったごほうび」という特別な宝物だったんです。

その姿を見て、自分が初めておこづかいをもらった時の気持ちを思い出しました。あの時の祖父の笑顔と、今の娘の笑顔が重なって、不思議な感覚に包まれました。

「あぁ、これが世代をつなぐお金の循環なんだ」

祖父からもらった100円玉と、娘への初めての10円玉。金額は違えど、そこに込められた「頑張ったね」という気持ちは同じなのだと実感した瞬間でした。

3歳の娘と10円玉。はじめてのお金との出会い


3、4歳の子どもって「お金」という概念をあまりよく理解していません。

おままごとでおもちゃのお金でやりとりすることはありますが、もうほぼ物々交換の世界。

娘にとって、我々からすると喉から手が出るほどほしいお金という存在は、ただピカピカしている丸い物体。

それを手に入れて、なんとなく嬉しい、そんな状態です。

「これでなに買うの?」と聞くと、娘は首をかしげて

「うーん、わかんない!でもピカピカ!」

と答えます。

まだお金でものが買えるという概念を理解していません。当然のことですが。

我が家のおこづかいは、そんな娘とのはじめての

「お金を通じたコミュニケーション」でした。

おこづかいをあげるという、単なる「お金をもらう」ための仕組みではなく、家族の一員として役割を果たす意味を持っていました。


お手伝いに明確なルールがあったわけではありませんが、


「お母さんの足を5分マッサージしてくれたら10円」
「お父さんのハンカチをとってきてくれたら10円」
「お皿を運ぶのを手伝ってくれたら10円」

これまでは感謝の言葉だけでした。


「ありがとう」
「すごい」
「助かるよ」


という声かけに、子どもながらに「役に立てた」という満足感でいっぱいの笑顔を見せてくれていました。

そこに小さなおこづかいという「形」が加わったとき、娘の目の輝きはさらに増したようでした。
※ただしピカピカの10円玉じゃないと納得してもらえませんでした…笑

お手伝いが終わると、両手を前に出して

「できたよ!」

と誇らしげに報告する姿が、今でも目に焼き付いています。

いつもの「お手伝いタイム」が、突然「特別なミッション」に変わったかのように。

まるで小さな冒険家が宝探しをするように、家事を手伝ってくれるようになりました。

「靴下どこ?10円もらえるんでしょ?」
「お皿持っていくよ!」

その真剣な眼差しと一生懸命な姿に、何度も微笑ましい気持ちになったことか。

10円玉の魔法が消えていくとき。変わるお金の価値観


ところが、それから4年後、徐々に変化が訪れています。

小学生になった娘は、10円では満足しなくなりました。

あるとき、お皿を運ぶお手伝いをした後、いつものように10円を渡すと、彼女は少し不満そうな顔をしました。

「ともだちは100円もらってるよ」
「これだけやったのに10円?」

その言葉を聞いたとき、正直なところ、ショックでした。

あの輝く目はどこへ行ってしまったんだ…。

いつしか、お手伝いの喜びよりも娘は

「いくらもらえるか」

に意識が向くようになっていったのです。

そして、驚いたことに、どうすれば「楽して」多くのお金がもらえるかを考えるようになりました。


「これとこれ一緒にやったら、100円になる?」
「大きいお皿も小さいお皿も同じ10円なら、小さいお皿だけ運ぶ方がお得だよね」

そんな計算をする姿を見て、本当に悲しくなりました。あの純粋な喜びは、いつの間にか消えてしまったのでしょうか。
※てかそんなことどこで覚えたんだろう。ずる賢いところは誰に似たんだ…。

でも思い返せば、わたしだって祖父のお好み焼き屋の手伝いを続けていくうちに、最初の100円の高揚感とは違う感覚になっていったような気がします。

「この仕事をしたら100円」という計算が芽生え始めていたように。

しかし、それは成長の証でもあるのでしょう。

そしてそれは、同時に、娘の中で「お金の価値」が分かり始めたことも意味していました。ある日、突然娘はこう宣言したのです。

「ほしいゲーム、お金ためて自分で買うわ」

そう言った彼女の目には、新しい決意が輝いていました。

昔なら「買って買って!」とねだるところを、自分で計画を立てて貯金を始めたのです。

父と母を説得するのは難しいと悟ったのかもしれません。

彼女の部屋には、マイメロちゃんの「貯金箱」が登場しました。

「あと何回お手伝いしたら買えるかな」と指で数えながら計算する姿に、成長を感じずにはいられませんでした。

大人になって忘れかけていたこと


考えてみれば、私たち大人も似たようなものかもしれません。

あなたは覚えていますか?初めてアルバイト代をもらったとき、最初の給料を手にしたときの気持ちを。

わたしは今でも鮮明に覚えています。

大学生のとき、初めてのコンビニのアルバイト先から給料が振り込まれたあの瞬間を。

通帳に記帳するのが楽しみで、毎月銀行へ行くのが楽しくて楽しくて。

「なんか、働くって、いいなぁ」

最初の給料をもらったときの喜びや感動は忘れられません。

まだアルバイトでしたが、大人としての第一歩を踏み出したというあの誇らしさ。

「自分の力で稼いだお金」という特別な感覚。


「これで彼女に何かプレゼントしよう」
「頑張った自分へのご褒美に、欲しかったあの靴を買おう」

でも、いつしかその喜びは薄れ、

「もっと稼ぎたい」
「あの人より給料が低い」

という比較や不満に変わっていきました。


あなたも仕事の意義や人とのつながりより、数字だけを追いかけるようになっていませんか?

「この仕事、給料が低いから辞めようかな」
「残業代が出ないなら、そこまで頑張る必要ない」

ふと立ち止まって考えると、子どもの頃に感じていた「お金の純粋な喜び」とは、随分と遠くに来てしまったような気がします。

お金は誰かのために使うと価値が膨らむ


ときはまた遡り、いまから2年前、娘が5歳になった父の日のこと。
その日、仕事から帰るとなんだか娘がソワソワしていました。

「お父さん、目を閉じて!…はい!開けて!」

目を開けると、そこには小さな包みを両手で差し出す娘の笑顔がありました。

「プレゼント!自分のお金で買ったんだよ!」

包みを開けると、中には靴下が入っていました。柄も派手で、正直なところ、どこに履いて行こうか…。

「これ、お父さんにあげる!いつもお仕事ありがとう!」

その期待に満ちた表情を見て、胸がいっぱいになりました。

自分のためではなくわたしのために選んだものだと思うと、涙が出そうになりました。

「ありがとう。すごく嬉しいよ。大切に履くね」

その言葉を聞いて、娘は満面の笑みを浮かべました。

「よかった!おこづかい全部使っちゃったけど、パパが喜んでくれたからいいの!」

その靴下は、しばらく履いていましたが、やがて穴が開き、履けなくなりました。でも捨てることができず、今でも大切にタンスにしまってあります。時々引き出しを開けて見るたびに、あの日の娘の笑顔を思い出します。

子どもにとって、数千円の買い物は大金です。その大金を自分のおもちゃやお菓子ではなく、わたしのために使ってくれたこと。その選択に、子どもなりの「愛情」を感じました。

このときわたしは、ふと祖父の言葉を思い出しました。

「そのお金で何を買うか、誰のために使うかで、お金の価値は変わるんや」

娘は無意識のうちに、この真理を実践していたのです。

娘からはじめて受け取ったお金


そして娘が5歳のとき、わたしは娘から初めてお金をもらうという、思いがけない「初めて」を経験しました。

ある日、娘が私に小さな紙きれを差し出しました。

「はい、これ!」

それは娘が手作りした1000円札でした。丁寧に描かれた「1000」の文字と、周りに散りばめられたハートマーク。

「お父さんの好きなジュース、買ってね」
※ちなみに娘の言うお父さんのジュース=ビールのこと。

その言葉と共に手渡された1000円札は、わたしにとって特別な「初めてのお金」でした。祖父からもらった100円玉やアルバイトの給料とはまた違う、心がじんわりと温かくなる感覚。

私はそれを捨てることができず、今でも財布に入れて大切に持ち歩いています。

この出来事の少し前、娘の中にある変化を感じるようになっていました。

ある日、お手伝いの後に100円を渡そうとすると、娘が不思議そうな顔をしました。

「今日はいらないよ」 「え?どうして?」 「だって、今日はパパが疲れてたから、元気になってほしくてお手伝いしたの」

その言葉に、思わず泣きそうになりました。(いや、泣いたかもしれない)

3つの「はじめてのお金」が教えてくれた本当の価値


お金は持っているだけでは単なる数字にすぎません。

誰かのために使う、誰かと分かち合う、誰かを喜ばせるために使う。

そうするとその価値は何倍にも膨らむのではないでしょうか。

娘が初めて買ってくれたの靴下が、私にとっては何にも代えがたい宝物になったように。

初めて祖父からもらったお手伝いの100円玉、娘がわたしから初めて10円玉を受け取った時の輝く目、そして彼女が初めて自分のお金で買ってくれたプレゼント。

祖父のお好み焼き屋から始まったお金の物語。

それは単なる「通貨」の話ではなく、愛情や感謝、そして人と人とのつながりの物語だったのだと思います。

祖父がお好み焼きを焼きながら見せてくれた笑顔。

その笑顔のために、わたしも娘にとっての「いい顔」をしたい。

お金を渡す時も、受け取る時も。

祖父がわたしに教えてくれたように、わたしも娘に伝えていきたい。

「お金は単なる紙や金属じゃないよ。その向こう側にある、人の気持ちが大切なんだよ」と。

わたしたち大人も、お金を稼ぐことばかりに気を取られず、時には立ち止まって考えてみませんか?

あなたにとって、お金の向こう側にある本当に大切なものは何ですか?

最初に受け取ったお金に目を輝かせた子どものような、純粋な喜びを感じられることこそ、実は本当の意味での「お金持ち」なのかもしれません。

初めて受け取ったお金から、初めて子どもにあげたお金、そして初めて子どもからもらったお金。

それらの経験が教えてくれた、お金の本当の価値。それは、お金そのものではなく、お金を通じて生まれる「つながり」と「感謝」だったのです。

祖父のお好み焼き屋。そこで受け取った初めての100円玉。 娘に初めて渡した10円玉。 娘から初めてもらった手作りの1000円札。

この三つの「お金」は、金額の大小に関わらず、わたしの人生を豊かに彩る宝物です。

たった10円の価値は、人によって、使い方によって、愛情の深さによって、無限に広がるのかもしれません。

この記事を読んでくださったあなたに「初めて受け取ったお金」の記憶を思い出していただければ幸いです。

そして、その記憶とともに、その時の誰かの笑顔も一緒に思い出していただけたら、それこそが「お金の本当の価値」なのかもしれませんね。


たまゆな。

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