「個の力不足」という言い訳はもうやめよう!日本代表が33年間繰り返してきたたった一つの弱点
W杯が終わる度にテレビも新聞も判で押したように同じ言葉を使います。
「個の力不足」
本当にそうだろうか?今回のブラジル戦を含めて、過去の主要な敗戦を時系列で並べてみると、全く違う輪郭がみえてきます。
日本代表が33年間ずっと繰り返し繰り返しやられてきたのは「個の力」の問題ではありません。相手が試合の途中でやり方を変えてきた時にこちらだけが変えられないという極めて具体的で、極めて再現性の高い弱点だったのです。

5つの敗戦と同じ脚本
1993年 ドーハの悲劇(対イラク)
W杯初出場に王手をかけた最終予選最終戦です。
2-1とリードしたまま試合終了目前まで迫りながら、ロスタイムにコーナーキックから同点弾を許し、初出場を逃しました。
このピッチに一人の若手選手が立っていました。現・日本代表監督、森保一ア監督です。
2006年 対オーストラリア(W杯グループステージ初戦)
中村俊輔のゴールで先制し、1-0のまま84分まで進めました。しかしそこから終盤にかけて3失点し、1-3の逆転負けでした。ジーコ監督は試合後、リードしている時間帯の試合運びのまずさと、ロングボール攻勢への対応の甘さを認めています。
背景にはもう一段深い意思統一の欠如がありました。ジーコ監督は戦術面を選手の自主的判断に委ねる方針を掲げていたが、相手ボール時の守備ラインの位置について、欧州でプレーする海外組と国内組の間で意見がまとまらなかったという問題点がありました。追加点を狙って前がかりになる前線と、ロングボールを警戒して下がる最終ラインの間には大きなスペースが生まれ、そこを突かれました。「自主性に任せる」という方針が、いざ試合の流れが崩れた瞬間に誰がどう対応するかの合意形成の欠如として牙を剥いた形となりました。
2018年 ロストフの悲劇(対ベルギー)
決勝トーナメント1回戦で2点リードで終盤を迎えながら、ベルギーの猛反撃を受けて2-3の逆転負けになりました。当事者だったDF昌子源は後年、「延長になったら分が悪いという“余力”の差を現場の選手は肌で感じていた」と振り返っています。これは体力やスキルの差というより、終盤の展開をどう捌くかという経験と準備の差となります。
直前に監督に就任した西野監督にはそこまで準備する余裕はなかったと思われます。
この時のコーチングスタッフの一人も森保一でした。
2022年 対クロアチア(ラウンド16)
前半のうちにリードを奪うも後半にクロアチアが明確にギアを変えてきました。試合後、クロアチアの主将モドリッチはこう証言しています。
「後半、僕達はペースを上げて、敵陣でプレーしようとした。プレースタイルを変えて、ロングボールからチャンスを探した」
対する日本はグループステージでは毎試合ハーフタイムに戦術修正を入れていた森保監督が、この試合に限って「うまくいっているから」と交代なし・修正なしで後半に入りました。結果、後半10分に追いつかれて、延長の末にPK戦で敗退しました。
2026年 対ブラジル(ラウンド32)
前半は日本は2人がかりの「ダブルチーム」でヴィニシウスを完全に封じ、佐野海舟のゴールで先制しました。ところがブラジルの指揮官アンチェロッティはハーフタイムに戦術を転換しました。サイドを広く使い、クロス攻勢に切り替えました。日本のダブルチームは逆手に取られ、後半11分に同点に追いついて、そして後半アディショナルタイムに逆転を許しました。
試合後、DF谷口彰悟はNHKの取材にこう吐露しています。
「ダブルチームじゃなくて1対1というか、(ダブルチームを)止めてもいいかなという気持ちはあったが、でもそれって今までやってきてないよねっていう」 「試合中に変えるっていうのがなかなか難しいし、そこに対してトライできるチームの幅が果たしてあったのかな」
ハイドレーションブレイクという“作戦タイム”は与えられていました。
だが森保監督が下した指示はリスクを取って前に出ることではなく、「引いて守り切る」という保守的な選択でした。
改めて時系列で並べると、こうなります。

尚、同じ「大きな敗戦」でもこれとは性質の異なるものもあります。
1998年フランス大会(3戦全敗)は当時の岡田監督自身が「海外でプレーする選手がいないのは日本とサウジだけ」と振り返った通り、経験・レベルの純粋な差が大きかった年です。2010年南アフリカ大会(パラグアイ戦)は120分を無失点で守り切った末のPK負けで、むしろ準備が機能した年に近いのです。2014年ブラジル大会は単発の逆転劇ではなく、大会を通じた組織の機能不全でした。つまり「個の力不足」という総括が本当に当てはまるのはむしろ33年のうちのごく一部に限られるのです。
個の力は本当は足りている
ここで確認しておきたいのはこの5試合全てで、日本は相手をリードするか、互角以上に渡り合っていたという事実です。イラクを追い詰めて、オーストラリア戦は終盤まで完全に勝っていた試合でベルギーを2点リードしており、クロアチアを前半に上回り、ブラジルの絶対的エース・ヴィニシウスを90分間ほぼ封じ込めました。
サッカー史を専門的に分析するJBpressの記事はこう指摘しています。
選手個々の努力によって向上した「個の力」を十分に発揮させる攻撃・守備の組織化ができていないことこそが真の敗因であり、ロストフ後にJFAが掲げた「対応力」というテーマ設定自体、本質的には「個の力論」の焼き直しに過ぎなかったと述べています。
個の力は確かにあります。問題はその個の力を試合の流れが変わった瞬間に誰が・何を根拠に・どう組み替えるかという一段上のレイヤーが、チームとして整備されていないことが問題なのです。
勝ち抜いた国にあって、日本にないもの
イングランド/フランス/アルゼンチン/スペイン強い国はたくさんあります。決勝トーナメントを勝ち上がっていくチームに共通するのは監督の指示を待たずにピッチ上の選手同士が局面ごとに解を出し合う力があります。彼らにとって「相手が変えてきたらこちらも変える」のは特別な準備事項ではなく、日常的に鍛えられた反射神経に近いのです。
日本代表に欠けているのはこの反射神経であり、それを支える文化です。
谷口彰悟選手の言葉を借りれば「今までやってきてないよね」という一言に、全てが集約されています。日本のチームは決められたタスクを高い精度でこなす能力は世界トップクラスです。だがタスクが崩れた時に練習していない選択肢へ試合中に飛び込む「幅」をチームとして持てていないのです。
それは選手個人の判断力の欠如というより、プランが崩れた場合の“プランB”を普段からどれだけ言語化し、練習し、権限委譲してきたかというチーム作りそのものの設計思想の問題なのです。
監督の責任か、それとも構造の欠落か?
「結局は監督のシミュレーション不足では」という見方も当然あります。
実際、個々の局面での判断ミスは間違いなく存在します。西野監督は後年「俺自身が想定できていなかった」と自ら認めているし、森保監督は2022年のグループステージでは毎試合おこなっていたハーフタイムの修正をこの試合に限って見送っています。ジーコ監督の「戦術は選手の自主性に任せる」という方針も結果的に海外組と国内組の意思統一を欠く一因になりました。
だが、ここで見過ごせないのは5つの敗戦を率いていたのが、それぞれ全く違うタイプの指揮官だったという事実です。オランダ人の理論家(オフト)・ブラジルの元スタープレーヤー(ジーコ)・生え抜きの日本人(西野)そしてもう一人の生え抜き日本人(森保)という戦術や思想が全く違う監督がやってきました。国籍も哲学も選手への接し方もバラバラな5人が、33年間、同じ轍を踏み続けているのです。
これは「その時の監督が無能だった」という話では説明がつきません。
むしろ日本サッカー界が代表チームの強化プロセスの中に「相手の変化を想定したシナリオ訓練」を制度として組み込んでこなかったという一段上のレベルの欠落を疑うべきです。監督は毎回その空白を大一番の土壇場で個人の勘だけで埋めようとし、そして失敗してきました。
サッカー版「失われた30年」なのか?
この構図にもう一つ気になる符合があります。Jリーグが開幕したのは1993年です。奇しくもドーハの悲劇と同じ年であり、バブル経済が崩壊し、日本経済が長期停滞に入った、まさにその年でもあります。経済の「失われた30年」と、日本サッカーの苦闘の歴史は同じ年に幕を開けています。
ただしこれをそのまま「サッカーも失われた30年だった」と結論づけるのは正確ではありません。ある分析記事はこの30年間、日本経済が停滞する一方で日本サッカーは着実に力をつけて、W杯出場が当たり前になり、ドイツやスペインといった格上を撃破するまでに成長したと指摘しています。マクロでみればサッカーは「失われて」いません。むしろ経済とは対照的に伸び続けてきた30年なのです。
では何が「失われた」のか?答えは成長の中身を分解するとはっきりします。個々の選手の質と組織的な守備やボール保持力――こうした要素は確かに向上しました。しかし試合の流れが崩れた瞬間に、ッチ上で自律的に修正する力だけは1993年から2026年まで、ほぼ手つかずのまま残っています。
つまり日本サッカーの「失われた30年」とは国全体が横ばいだった経済の物語とは違います。成長曲線の中に一本だけずっと解けない結び目が残り続けている物語です。他のあらゆる指標は右肩上がりに伸びているのに「相手が変えてきた時に自分達も変える」というたった一つの局面だけが、33年前から時計が止まっているのです。
33年間、同じ現象にぶつかり続けている
象徴的なのは森保一という一人の人物が、選手として(ドーハ)そして監督として(クロアチア/ブラジル)この同じ現象を異なる立場で経験し続けていることです。
これは偶然ではありません。日本サッカーが、この「試合中の自己修正力」という一点だけを33年間かけてもまだ解決できていないことの何よりの証拠だと言っていいと思っています。
次に「個の力不足でした」という総括を聞いた時はこう問い直して欲しいのです。
――本当に足りなかったのは個の力だったのか? それとも相手が変えてきたときに、自分達も変えるというたった一つの準備だったのか?
私は代表の選手達や監督を否定したいのではありません。私自身、代表の選手や試合を楽しみにしています。
ただ総括の時にどうしても甘くなりがちな傾向があって、どうにも納得ができないことがあるのです。
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