14.ジャブ。
うっすらとした現状否定(自己否定)
これがデフォルトになっていませんか?
「いま」の私はまだダメだ。
まだ何か足りない。
まだ不十分だ。
もっと頑張れば「未来」はずっとよくなる。
もっと努力すれば、もっと一生懸命やれば「理想の未来」が手に入る。
こんな思いがずっと心に巣食っていませんか?
もしかしたらこのマインドが当たり前で、これが『現状否定』や『自己否定』につながっているなんて氣づきもしなかった?
もしそうなら。
思いっきり自我のワナにハマってますよ~。
自我は「いま」にいられない。
だから「未来は明るくて素晴らしいんだよ」と希望を抱かせることで、結果的に「そうなれていない今はまだダメなんだ!」と思わせたいのだ。
逆説的に言うと
現状否定(自己否定)させるために未来に希望を抱かせる。
これがワナだと氣づきにくいのには2つあって。
ひとつは、「未来」をポジティブに捉えているように見える点。
裏を返せば「いま/いまの自分」否定している(これが自我の狙い)。
フィクションの世界では、この『未来を善』とする考え方が前提の社会構造になっているため、その背後に隠れてる現状否定(自己否定)に氣づきにくい(自我ってホントに巧妙!)
そしてもうひとつは、「頑張ることが善」とされている三次元の世界の物の見方。
裏を返せば「何もしないことが悪」だと思い込ませたい(こちらも自我の狙い)。
これがダブルトラップとは氣づかずに三次元の世界では
「頑張り続けること」=「マジメに生きている」=「正しい生き方」
という見方がまかり通っている。
Mr.DXはそれをこんな風に表現される。
常に頑張り続けることなんてできますか?
若いときはできるかもしれない。
でも年齢とともに氣力、体力が落ちてきたとき、若い頃のように努力し続けることはできますか?
そうなったとき「若いころのように頑張れない私」を自己ジャッジの源泉にするんです。
そしてね。
これをやると止まれなくなるんです。
止まることがコワイと感じてしまう。
でもね、止まらないと見えてこないものがある。
止まれる人は、歩くこともできるし、また走り出すこともできるんです。
私たちは幼い頃から「頑張ること」が「正しい生き方」だと当たり前のように教え込まれてきた。
でもこれが『現状否定=自己否定』の源泉になっているとしたら?
“ うっすらとした現状否定(自己否定) ” は、フィクションの世界で生きている人たちの中にはみんなある(氣づいているかどうかは別として)。
「将来何になりたい?」と周囲の大人たちから聞かれ、『未来に夢を持つことが善』という教育を受けてきたし、ドラマや映画、雑誌や本などのメディアでも「頑張れば未来は明るい」という『未来信仰』をもとにフィクションが作られている。
だから当たり前のように「いま」頑張る。
明るい「未来」のために。
これがコワイのは、毎日、無自覚に、少しづつ「いまの私はダメだ」というジャブを自分で自分に打っているという点🥊🥊🥊
氣づいたときには、かなりのダメージを受けている。
いや、もしかしたらダメージを受けて氣づく、というパターンかも。
この真実に氣づかぬまま生涯を終える人も多い。
ここに氣づくことが「正しい」、氣づかないことが「誤り」ではなくて。
「うっすら現状否定(自己否定)しちゃってた! やめなきゃ!」でもなくて。
ポイントは、「いまを悪、未来を善としているのは誰?」という視点。
「自我が、現状否定してるんだね~」
「自我が、それに氣づかなかったんだね~」
この視点。
そんな自我の存在に氣づいてただ見てる。
それが私たちの本質です🍎
