見出し画像

139.進化のかなめ、「 味わい 」。

【 Ness 】の世界に足を踏み入れたとき


自我によって搾取されてきた三次元の真実を知り、ギョッとしたり、チーーーン。。。となったり。

そして


「 なんでいま、目の前の現実がこんなことになってるのか 」をつきとめたくて


または「 早くラクになりたい! 」という目的を持って自我の構造を学び始める。



人( 自我 )というのは、新たな知識を得ることに期待をよせる。


これを知ったら何か変わるんじゃないか?

これを学べばいまよりもっとよくなるんじゃないか?


そんな思いとともに【 Ness 】の世界で学びをはじめると


最初は、知らなかったことを知る楽しさに夢中になり、学びがどんどん進んでいるように感じる。


特にネオユニバースからのメッセージは、三次元の常識の逆をいく刺激的な内容が多く、それに没入していくこともあるように思う。


その流れにのって


勉強熱心な自我さんたちは、ラベリングはがしをしたり、キーストーンを見つけたり、存在欲求をハズすなど、ワークに集中する時期もある。

が、


ある一定の期間が過ぎると、「 ? 」がやってくる。

「 あれ? こんなに一生懸命やってるのに何も変わってないんじゃない? 」と。


これ【 Ness 】に限らず、どんな学びにおいても「 あるある 」じゃないだろうか。


言ってしまえばこれも「 変わることが善、変わらないことを悪 」とする自我の声なのだけれど、ただここは注意が必要だと思っていて。


この状況をストレートに表現するなら


「 知識の習得 」だけでは「 なにも変わらない 」ということだ。


自我の構造を知ったとて、実生活でそれを生かして「 選択する 」ということを選択しなければ、進化は起きづらい。


それをMr.Dはこう表現する。



人が進化するには3つのフェーズがあって。


まずは「 知る 」。


そして、知ったことを土台に「 氣づく 」。


その上でようやく「 選択 」できるようになるんです。


『 進化のフェーズ 』/【 Ness 】


もっと言うなら


選択することによって現れる「 実体験 」や「 味わい 」 あってこその


【 進化 】だということ。


たとえば


車を運転できるようになりたいとき、教習所で知識を学んだだけでは車に乗れるようにはならないのと同じで。

実際に車に乗ってみる( 乗る実体験が伴う )ことでしか、「 車に乗れなかった状態 」から、「 乗れるようになる 」という進化は起きない。



そして


乗ってみて感じた「 味わい 」はコトバでは語りつくせなくない?


アクセルを踏んだ時の車が動き始める感じ、乗っている最中の浮遊感、ブレーキをふんでキュッと止まる瞬間。。


どれだけ説明を尽くしたところで「 乗った感じ 」をコトバで完璧に表現することなんてムリなはずだ。


だからこそ


「 味わい 」は真実なのだ。



コトバの概念の世界では説明できない( ラベリングできない )からこそ、ホンモノ。


「 味わい 」を別のコトバで表現するなら、「 感じる 」。


自我の構造を知り、その知識をもとに氣づき、
そして次にとる行動を選択する。


それを日々の中で、少しづつ積み重ねていってようやく


「 あぁこういうことかもしれない。。 」

「 たぶんそういうことなのかもな。。 」


をコトバではなく


「 感じ 」として受けとるようになっていく。


もしかすると「 味わい 」を重ねていくことは、「 感じる 」を育てることなのかもしれないなぁと最近思っており。


そしてそして


「 進化 」を定着させるのが。。。


つづきま~す🍎🍎



いいなと思ったら応援しよう!