言葉の森
2026年。新しい年が明けた。
『天国の夕焼け』に書いた事情もあって一応SNSでの新年のご挨拶は控えさせて頂いているけど、個人的にはあまりそういうことは気にしないタイプだったりする。喪中の相手には配慮しなければとは思っているけれど。
昨年は色んなことがあった。
と言うかそもそも人間はいつだって誰だって色んなことがあるものだ。
話は一昨年の秋頃まで遡る。このことはSNSでは具体的に公開してないのだけど私生活でちょっと大きな出来事があって24年秋~25年春頃までライブ活動を休止していた。ライブ休止についてはSNSでも伝えていたけど。
それから日々あれこれと追われ、仕事や生活も慌ただしく変化した。だけどライブがないとそれなりに空いた時間が出来る。
それで、
「じゃあ、たまには本でも読んでみようか」
と思った。
僕には全くと言っていいぐらい本を読む習慣がない。仕事で読む必要のある書籍や小説は読む。でもこれは読書というよりリサーチや研究だ。仕事だから資料に目を通すという感覚である。しかし同じような理由で映画を観ても気づけば夢中になって”お客さん”になってしまうことがあるように、時として本に夢中になって純粋な読者になってしまうこともある。それはそれでいいと思っている。
それで昨年の2月頃、とりあえず近所の本屋さんに行ってみた。ネットで買わずに本屋さんに行きたかったのだ。お目当ての小説は又吉直樹著『火花』とビートたけし著『浅草キッド』だった。しかし近所の小さな本屋さんには二冊とも置いてなかった。在庫の確認や取り寄せをするべきだったとその時点で思ったけど別にかまわない。そもそも気まぐれな行動なのだ。買い物というより散歩だ。暫く店内を物色していると平積みにされている文庫本に目が止った。それは村上春樹著『ノルウェイの森』だった。
村上春樹という名前は何となく知っているし『ノルウェイの森』というタイトルの小説があることも何となく知っていた。そして何となくだが自分とは縁がない世界のように感じていた。ほんと何となくだけど。
だけどその時なぜか自然に手が伸びた。気づけば『ノルウェイの森』上下巻を持ってほぼ自動的にレジに足が向かっていた。何か大切な物を見つけた気分だった。
読書の習慣がない僕は文字を読むスピードがやたらと遅い。子供の頃からそうだった。多分それで面倒臭く感じて活字が苦手になっていったのだと思う。少年ジャンプなどの漫画にもかなりの時間を要した。しかしこの場合はとことん味わっていたのだと思う。文字も含め絵の隅々まで舐めるように楽しんでいた。そんな感じだから小説も数行読んでは一旦停止を繰り返す。場合によれば数行戻って反芻する。5~6ページも読めば満足してその日の読書は終了なんてこともある。なので文庫本一冊読むのに数ヶ月以上掛かったりする。
『ノルウェイの森』を読み始めて最初の数行で「やっぱり無理かも」と思った。だけど当時は時間がたっぷりあったので、いつもより少し我慢をして読み続けてみた。
すると、
自分でもびっくりするぐらい『ノルウェイの森』にはまってしまったのだった。『村上春樹の森』に迷い込んだのかも知れない。途中で森から出ることはもう出来ない。夢中になって読み込んだ。
僕は単純な人間なのですぐに「小説を書いてみたい」と思うようになった。ほんと単純。単純すぎて単純という言葉では言い表せないほど単純だ。勿論そんな簡単に小説なんて書けないことは分かっている。そんな甘いもんじゃない。芝居の台本だってそうだし歌詞だってそうだ。でも書きたいと思うなら書けばいい。なぜなら書きたいからだ。
それから密かに執筆を開始した。
吐き出すように書き殴った。
書きながら「これは小説じゃないな」と思った。
じゃあ何なのか?
それが分からない。とりあえず作文だ。
やがて夏が終わる頃にノンフィクションの文章が出来上がっていた。
その文章を昨年末から読み返して改訂作業をしている。
年末に色々あって、ちょっと人生観が変わったというか、何とも言えない心境の中で過去を振り返りながら今とこれからを模索している。
お正月、もう少しだけ自由時間があるので、ゆっくり読み返しながら書き直しをしたいと思っている。
