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断酒100日 何も変わらない

 ふと煙草が吸いたいと思った。吸わないけど。
 煙草をやめてもうすぐ20年ほどになる。三十代後半、二度目の値上げでやめた。理由は「金がない」からだった。まったく金がない訳ではなかったが、値上げした煙草を好きなだけ買うほどの余裕がない程度の金のなさだった。劇団を維持しながら夜はいんちきなバーで名ばかり店長をして何とか食いつないでいた頃だった。
 煙草なんていつでも簡単にやめられると思っていたが、いざとなると大変だった。ニコチンを欲している感覚はあまりなかったけど習慣への依存が強かったのだと思う。「値上げしたから煙草をやめる」と宣言すると、バーのオーナーが丁寧に一本箱から出してカウンターの上に自分の煙草を置く。そして「俺の煙草はお前の煙草や。いつでも好きなだけ吸っていいぞ」と憎らしく笑う。「ほな1本貰います」と最初のうちは洒落で付き合っていたが、ほどなく無視するようになり、やがて自宅の灰皿に溜まっていた全てのシケモクをフィルターまで吸い切った頃に禁煙が完成した。ストレスの限界を超えた瞬間に脳から天然の何かが溢れてハイになったのだ。なぜだか根拠もなく「よし、これでやめられる」と思い、実際にそれ以来煙草を吸っていない。
 なのにここにきてふと煙草を思い出している自分がいる。酒を飲まなくなった日々の隙間を何かで埋めるかのように。人間は本能的に毒を欲しているのかも知れない。

 断酒100日という数字はある意味で金字塔かも知れないが、案外何てことのない通過点だった。何も変わらない。100という数字の切りの良さがあるぐらいで達成感すらない。
 体は…少しは楽になったかも知れないと思うが、楽になっても辛いものは辛い。以前と比べれば確かに楽だ。しかし相対的に楽になったとしても、まだまだ絶対的に体が辛い。
 離脱症状もあるが、そもそも体は昔から悪かった。酒が原因なのかとどうかは自分では分からない。飲酒もひとつの要因であることは確かだろうけど、今となっては体の悪さをごまかすための飲酒だった気がする。酔ったところで根本的には楽になれないが、気分をまぎらわすことなら出来る。これを対処療法だと言って良いのかどうかは分からないけれど。
 それと最近あらためて思うのだが「断酒」が自分のテーマではないのかも知れない。飲酒も断酒もあくまで不眠症に付随した二次的要因でしかないように思う。だとしたら自分のテーマは「不眠症」だ。眠れないから大量の酒を飲み、それでも眠れないからついに酒さえ飲めなくなってしまったのだ。

 なぜ眠れないのだろう?

 そんなことを考えながら、眠れない夜がまだまだ続いていきそうだ。

 

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