「顧客の声を聞いた」のに、なぜ事業は外れ続けるのか
新規事業の失敗談を聞くと、たいていこう続く。「ちゃんとヒアリングはしたんですけどね」。その言葉に、うっすら覚えがある人は少なくないはずだ。
声を集めた。分析した。でも、何かがズレていた。そのズレが、数千万円の開発費を溶かす。あるいは、半年後のピボットを招く。問題は「聞いたかどうか」ではなく、「誰に、何を、どう聞いたか」という設計の問題だ。そしてもう一歩踏み込めば、「聞いた内容を、どう判断材料に変換したか」という思考の問題でもある。
ヒアリングが「作業」になる瞬間
ヒアリングが形骸化するのは、担当者が怠けているからではない。設計が先に壊れているからだ。
多くの新規事業チームは、ヒアリングの相手を「アクセスしやすい人」から選ぶ。既存の取引先、社内の知人、業界団体の名簿。それ自体は合理的な判断に見える。だが、第一生命保険のイノベーション推進部が実際の調査で直面したのは、まさにその罠だった。「取引先バイアスなしで、フェアな意見をスピーディーに収集できた」という言葉が示すのは裏返して読むべきで、取引先に聞いていると、フェアな意見は出てこないのが現実だということだ。
なぜそうなるか。取引先はすでに関係性の中にいる。言葉を選ぶ。角を立てない。「いいと思います」と言いながら、導入する気は1ミリもない——そういう会話が、丁寧に記録されてデータになる。この問題は担当者個人の意識の話ではなく、日本の商慣行に深く根差した構造的な現象だ。取引関係の維持と正直なフィードバックは、多くの場合、同時に成立しない。
インタビュー相手の属性設計を誤ると、得られる言葉の「方向」自体がズレる。三菱電機のケースでは、インタビュー相手を「製造業の現場で業務改善やシステム導入に関与する実務担当者・責任者」に限定した。富士通のケースでは「消費財メーカーで製品開発や意思決定に関与するプロダクトオーナー等」と定義し、属性・役割別に多数のインタビューを実施した。曖昧に「業界関係者」と設定しなかった点が、そのまま調査精度の差になって出てくる。
「ニーズがある」と「買う」の間にある深い溝
「ニーズはある」という判断と「実際に購買が起きる」という事実の間には、数字で測れないギャップが存在する。ここを混同したまま事業化に進んだプロジェクトの数は、中小企業庁の調査でも確認できる構造だ。新規事業の失敗理由の上位に「市場ニーズの見誤り」が入り続けるのは、ニーズの存在と購買意欲の混同がいかに常態化しているかを示している。
NTTデータのアセットベースドサービス推進室が取り組んだのは、この溝に数字を置くことだった。「市場ニーズと価格妥当性を、定量的に見極めたい」という課題設定が象徴している。インフルエンサーマーケティングの意思決定者に対し、成果報酬型モデルの受容性と「支払ってもよいと考える金額とその理由」を直接聞いた。この最後の一行が重要だ。「いくらなら買うか」「なぜその金額か」を聞けるのは、利害関係のない第三者だけだ。
一方、ソフトバンクのAI映像解析サービス部が直面した問題は別の形をしていた。ニーズの存在は見えていた。しかし、社内承認を得るための「客観的なニーズ根拠」が不足していた。これは日本の大企業特有の構造で、事業化の意思決定が「現場の感触」ではなく「稟議書の説得力」で動く。ヒアリングは検証のためだけでなく、組織内の合意形成ツールとしても機能する。小売・外食・施設運営分野の意思決定権限者に絞ってアンケートを実施し、レポート化した結果が「社内説明にそのまま使えるレベル」と評価された。情報収集と意思決定支援が、一つの設計で両立した事例だ。
「聞き方」が変えるもの、変えられないもの
リコーの未来デザインセンターが採用した手法は、一見すると地味だ。複数の属性の人に同一設問でインタビューし、課題の共通点と差分を整理した。構想期と初期検証期に段階的に活用している。この設計の何が効いているか。
同じ質問を、違う属性の人に繰り返す。そうすると、「全員が困っていること」と「この属性だけが困っていること」が分離できる。前者が事業のコアになれるか、後者は特定セグメントへの訴求に使えるか、という判断軸が生まれる。これは一度の大規模アンケートでは見えてこない。数ではなく、構造の問題だ。
富士フイルムビジネスイノベーションのケースでは、アンケート調査の「自由記述が丁寧で、回答者が真剣に考えていることが伝わってきた」という感想が残っている。これは技法の話ではなく、相手の選び方の話だ。デジタルマーケティング業務を実務で担い、ツール選定に関与している担当者は、SaaS機能の追加について「当事者として」考える動機を持っている。的外れな相手に聞けば、回答は表面的になる。当事者に聞けば、自由記述でも深くなる。質問設計より先に、相手設計が問われる。
聞き方の工夫には限界がある。設計の前提が壊れていれば、どれだけ質問を磨いても、出てくる答えの方向が変わるだけだ。ここに一つの逆説がある——うまく聞けば聞くほど、自分が聞きたかった答えが集まりやすくなる。
仮説検証は「確認」ではなく「壊す」ために行う
7社の事例を通じて見えてくる共通点は、一つの態度に収束する。ヒアリングを「仮説の確認作業」として位置づけていないことだ。
「本当にニーズはあるのか」「この仮説は正しいのか」——その問いを立てること自体は正しい。しかし多くの場合、「正しいことを証明したい」という力学が、設計段階から調査全体を歪める。インタビュー相手の選定、質問の順序、プローブの深さ、最終的な解釈——すべての工程に、仮説への愛着が染み込んでいく。
三菱電機が「定量+定性の組み合わせで解像度を上げる」という手順を採ったのは、どちらか一方では認知の偏りを補正できないからだ。アンケートで傾向を把握してからインタビューで背景を深掘りする、あるいはその逆——順序の設計自体が、仮説への先入観を制御するための装置として機能する。
仮説は壊すために立てる。使えない仮説を早期に破棄することが、後工程の開発コストを守る。日本の製品開発の失敗事例で繰り返し確認されるパターンは「開発後半での方向転換」だ。前工程でのヒアリング設計への投資と後工程の手戻りコストは、ほぼ反比例する。この構造は感覚論ではなく、新規事業開発の実務で何度も観測されてきた事実だ。
問題は「聞いたかどうか」ではない。「何を壊すつもりで聞いたか」だ。そして、壊れなかった仮説だけを信頼する、という態度を持てるかどうか。これはスキルの話ではない。自分の判断に対して、どこまで懐疑的でいられるか、という思考の姿勢の問題だ。答えを急ぐほど、その姿勢は失われていく。
FAQ
Q. 想定顧客ヒアリングとは何ですか? A. まだ顧客になっていない人に対し、課題・行動・意思決定の実態を直接聞くことで、事業仮説の妥当性を検証する調査です。既存顧客へのサポート対応とは目的が異なり、事業の前提そのものを問い直すために行います。
Q. 社内の知人に聞くのではなぜいけないのですか? A. 関係性のある相手は、角を立てない回答を選ぶ傾向があります。特に日本の取引関係では、否定的な意見を直接伝えることがコスト高とみなされるため、実態と乖離した肯定的回答が集まりやすくなります。
Q. 定量調査と定性調査はどちらが先ですか? A. 目的次第ですが、三菱電機のように「アンケートで傾向把握→インタビューで背景深掘り」の順が多く採用されます。仮説がまだ固まっていない初期フェーズでは、まず少数の定性インタビューで課題の構造を掴んでから定量化する逆順も有効です。
Q. ヒアリングの結果を社内承認に使えますか? A. 使えます。ソフトバンクのケースのように、意思決定権限者に限定したアンケート調査をレポート化し、稟議・承認資料として直接活用した事例があります。設計段階から「社内説明に使う」という用途を意識すると、収集すべき情報の粒度と形式が変わります。
Q. アーリーアダプターと一般顧客はなぜ分けて考えるのですか? A. 購買意欲・課題感の強さ・意思決定速度が大きく異なるためです。富士通のケースでは、顧客セグメントごとに「課題の強さ」と「意思決定への影響度」で比較し、最初に攻めるべき顧客像を特定しています。全員に売ろうとすると、誰にも刺さらないという結果になります。
出典・参考文献
ビザスク「厳選7社の新規事業事例集——だれに・なにを聞いた?大企業が実践する想定顧客ヒアリング」(2025年)
中小企業庁「中小企業白書」(各年版)https://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/
経済産業省「新規事業創出に関する調査研究」https://www.meti.go.jp/
