個人を超えたもののサイズ
ペイジは個人でナイトは非個人です。ナイトというと「優れた個人」というイメージがあるかもしれませんが、ナイトは個人ではありません。キング、クイーン、ナイト、ペイジの4つの意識から人間が成り立っていると考えたとき、個人はペイジのみで他の3つは非個人です。肉体を持っている以上誰もがペイジでもあるわけですが、どの意識を自分にしているかによって、生き方は大きく変わります。
ペイジは肉体のことで、肉体を持った自分のことです。あらゆることが過去に基づき、経験に裏付けられたものしか見えないし理解できません。なので新鮮な考え方に触れると拒否反応が出て、新しい知恵に対して悪魔の悪知恵としか捉えられず、ペイジという集団性によって抹殺しようとします。ペイジは安全ピンで括られた存在で、決して他を理解しません。ある意味安全です。
集団性と集団感情、集合意識と集合的無意識など、集団とか集合という言葉で表すものがいくつかありますが、ペイジという個人が集まると生まれる集団感情があり、ペイジはこの感情に対して無自覚です。思わされていること、惑わされていることに気がつきません。集合意識によって集団感情が生まれるとも言えるし、この二つは同じようなものかもしれません。そして集合的無意識というと、限られた時間と限られた空間を超えた人類の意識になります。
このように個人を超えた意識にはサイズがあり、誰もがすべてのサイズの意識によって生きているわけです。ですが個人から見れば、個人を超えた意識すべてが脅威にもなり、非個人から見れば、自分が集合意識なので、自分より小さなサイズは内包するものです。非個人の意識サイズも様々です。7層のグラデーションみたいな感じ。
「ナイトになろう」も「個人から非個人へ」も同じことです。
