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読書家人事が読む|経営戦略と人材戦略を連動させる『人材ポートフォリオ・マネジメント戦略』

2026年3月、内閣官房・金融庁・経済産業省から「人的資本可視化指針(改訂版)」が発表されました。2022年の初版では「経営戦略と人材戦略の連動が重要である」という提言にとどまっていたのに対し、今回の改訂版では、あるべき組織・人材の姿を策定し、現状とのギャップを把握し、人的資本投資の優先順位を決めるという具体的なフローに踏み込んでいます。政府の指針が実務寄りに舵を切ったことは、裏を返せば、多くの企業がまだその手前で立ち止まっているということでもあります。

私は数千名規模のIT企業で人事担当者をしています。このような政府の発表が私自身の実務に影響を及ぼすのは少し先の話になるでしょう。経営層が本件を解釈・議論し、その結果が人事責任者に伝えられ、タスクフォースが組まれ、枠組みの構築が開始される。この段階では戦略的な観点が優先されます。実務上の課題を議論するのは、やるべきことが決まった後。「落とし込む」ものとして取り扱われることになります。

実務担当者は戦略策定に関する知識を持つ必要はないのか。私はそうではないと考えています。実務を設計する上では、その実務によって実現したいものが何なのかという目的・ゴールへの理解が欠かせません。戦略への理解の深さが、実務の深さに直結します。外せないポイントはどこにあるのか。妥協しても差し支えない点は何か。戦略を「絵に描いた餅」にしないために運用はどうあるべきか。実務上の論点を適切に主張し、戦略を地に足についた実践に変えるのが、実務担当者の責務となります。その責務を果たすためには、戦略策定の知識が必要です。

人的資本経営において、経営戦略と人材戦略を連動させるための楔の役割を果たすのが「人材ポートフォリオ」です。人材ポートフォリオとは、自社の経営戦略のうち人材戦略の重要性が大きい部分を特定した上で、その実現に向けて、どのようなスキル・能力を持つ人材がどの程度求められるかを特定することを指します。まさに事業と人材を橋渡しする概念です。実務家としては、人材ポートフォリオがどのように構築されるのかが気になります。「人的資本可視化指針(改訂版)」には構築の詳細には踏み込んでいません。そこでおすすめしたいのが『人材ポートフォリオ・マネジメント戦略』という書籍です。

本書は人材ポートフォリオを包括的に捉えた一冊です。人材ポートフォリオが求められる背景、全体像、策定の方法論、大企業での実践事例までを一気通貫して知ることができます。

本書の特長は「分かりやすい図解」にあります。人材ポートフォリオは従来存在していなかった抽象的な概念であり、従来の人材マネジメントとの接続が見えづらい部分があります。本書では人材ポートフォリオ・マネジメントの全体像について「人材ポートフォリオ」「人材マネジメント」「推進基盤(体制・データ)」という3層を用いて、各層がどのように連動することで事業価値を創出することに繋がるかを、分かりやすく示してくれています。人材ポートフォリオがどんな人材がどれだけ必要かを定義し、人材マネジメントがその調達・育成・配置の施策を担い、推進基盤がデータと体制でそれを支える。その全体像を一目で理解できるのが下記の図表です。

『人材ポートフォリオ・マネジメント戦略』 P43より引用

人材ポートフォリオ策定のポイント

人材ポートフォリオはどのように策定されるのでしょうか。「人的資本可視化指針(改訂版)」から読み取れるポイントは以下3点となります。

①あるべき組織・人材の姿の策定
②現状とのギャップを把握し、必要な施策を整理
③優先順位と時間軸を設定

指針を読むことで、人材ポートフォリオを策定するために「何をすべきか」を理解できる一方で、「どうやるか」については疑問が残ります。この点を実務の解像度で補強してくれるのが『人材ポートフォリオ・マネジメント戦略』となります。順を追って見ていきましょう。

①あるべき組織・人材の姿の策定

まずは「①あるべき組織・人材の姿の策定」です。書籍では、「スコープ・軸・粒度」という3つの観点に沿って策定の流れが整理されています。

『人材ポートフォリオ・マネジメント戦略』P53より引用
『人材ポートフォリオ・マネジメント戦略』P53より引用

まず「スコープ」では、全社か注力領域か?という問いを掲げ、全社規模での人材構造転換を目的とするのか、特定の領域・人材に絞って人材タイプを整理するのかというポートフォリオ化の範囲を定義することが示されています。

次に「軸」について。これは人材を分類する「切り口」を表しています。この切り口は人材ポートフォリオを策定する目的によって変わってきます。事業転換を目的とする場合は事業分野×事業成長性、非正規雇用を含めた人材コスト戦略を立てる上では雇用形態×職務特性といった具合に、縦軸と横軸という形で整理されるのが一般的です。他にも職種、階層、役割、志向、スキルといった要素を軸に置きます。

最後に「粒度」。これは人材タイプの解像度を指します。求める人材を概要レベルに留めるのか、特定領域に落とし込むのか。その度合いをどのあたりに置くかを指します。具体例を示すと、「DX人材が必要」という粗い粒度に留まるのか、それをデータサイエンティスト・MLエンジニア・プロジェクトマネージャーといった職種レベルまで分解するのかという具合となります。粒度を細かくするほど具体的な施策に直結しやすくなる一方で、策定と運用の負荷は上がります。自社の目的と体制に合わせて、どこまで細かく定義するかを判断する必要があります。

②現状とのギャップを把握し、必要な施策を整理

あるべき姿が定義できたら、次は「②現状とのギャップを把握し、必要な施策を整理」する段階に移ります。よく「AsIs-ToBeギャップ」と表現されたりします。この段階では、人材の量・質に関するデータの有無が把握の質を左右します。

あるべき姿と現状のギャップ把握の方法は、大きく2つの方法に集約されます。

(a)現有データを基に大まかなギャップを把握する
(b)注力領域について集中的にデータを可視化し、詳細なギャップを把握する

(a)は、人材タイプ(例: セキュリティ人材)を用いて、粗々で人材全体のでっこみ引っ込みを把握するやり方です。この方法が有効に働くのは、グローバル企業で多数の子会社を有する場合にグループ全体で人材を可視化する場合や、経験やスキルといったデータが整備されていない状況下です。ファクトが精緻に揃えられない場合に、人材の抽象度を高めて全体感を把握する方法とも言えるでしょう。

(b)は、精緻なデータに基づき具体的に人材と定義するやり方となります。社員ひとり一人にデータを入力してもらう必要があるため、あらゆる経験やスキルを対象とすると膨大なコストが発生します。そこで重要なスキルや経験に絞ることで、現実的に運用できる状態を作る必要があります。またデータの信頼性を高めるために、本人だけでなく第三者視点を入れることも重要です。

あるべき姿と現状のギャップが把握できたら、そのギャップを埋めるための施策を整理します。採用・配置・育成といった人事機能の出番となります。人材ポートフォリオに基づく施策は未来に向けたものとなりますが、足元では現在のビジネスを成立させるための計画が動いています。従来の計画と、戦略的な要件とのバランスをどのように取るかが腕の見せどころとなるでしょう。

③優先順位と時間軸を設定

最後に優先順位と時間軸の設定です。経営リソースは限られているため、すべての施策を同時に実行することはできません。どんな施策を優先して打つのか、いつまでに投資を回収するのか。これらを設定するにあたっては経営戦略との整合が欠かせません。「人的資本可視化指針(改訂版)」では「依存と影響」というキーワードを用いて優先順位と時間軸を設定すべしと書かれています。

『人的資本可視化指針(改訂版)P10 IFRS S1 付録B 適用ガイダンスB1~B3項(SSB)サステナビリティ開示ユニバーサル基準「サステナビリティ開示基準の適用」BC69 ~71高)を基に金融庁作成』より引用

上図の青色の部分が「依存」、緑色の部分が「影響」を指しています。経営戦略は「高度に専門的な能力」に依存しており、その能力が何なのかを特定し、必要な能力の量・質を確保できているかをモニタリングする必要があります。また、それらの能力を発揮するための環境を把握し、環境の維持・改善のために様々な投資を行うことも必要です。

人材ポートフォリオの観点では、「焦点を定める」上でこのフレームワークを用いることになるでしょう。つまり、様々な切り口でポートフォリオ化したもののうち、何を重点的にモニタリングし、いつまでに人材を充足することを目指すかということです。投資家の関心が多様化していることからも、一貫した企業ストーリーに加え、個々の指標をいつ、どのような形で開示するかについては戦略的な判断が求められます。

おわりに

本記事では『人材ポートフォリオ・マネジメント』を補助線として、政府から出された「人的資本可視化指針(改訂版)」を読むことを試みました。人材ポートフォリオを人事の実務として意識する機会は、今は多くはないかもしれません。しかし、AIの台頭など外部環境が急激に変化する中で企業価値を高め続けるためには、人材の量・質に対して将来像を定義し、現在とのギャップを把握し、優先順位を付けて施策に落とし込むという上流工程が必要になります。足元で運用している人事の仕事の一つひとつが人材ポートフォリオに接続することを求められるようになるかもしれません。書籍『人材ポートフォリオ・マネジメント戦略』を通じて得た知識を活用し、想像力を働かせながら、将来の仕事の変化に備えていきたいものです。

参考文献


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