ホットドッグを食べながら考えた「存在」の話
$$
\textbf{ホットドッグを食べながら考えた}
$$
$$
\Huge \textbf{「存在」の話}
$$
昨日は日曜日。
ぽっかり空いた予定と予定のスキマに、映画館へ向かうことにした。
映画館に行く前は、「今日は何を観るべなぁ」とスマホを眺める時間もまた楽しい。
今回選んだのは『名無し』という作品。
理由はシンプルだ。
私が大好きな俳優であり、独特の存在感を放つ佐藤二朗さんが原作に関わっている作品だったから。
ただ、予告編を見た時点で、どうも笑える作品ではなさそうだった。
佐藤二朗さんと言えば、私の中では笑いのイメージが強い。
だからこそ、
「いったいどんな作品なんだ?」
という怖いもの見たさもあった。
そんな軽い気持ちで映画館の席に座った。
そして90分後。
私は心の中でこうつぶやいていた。
「長かった……」
上映時間は90分。
一般的な映画より短いくらいだ。
なのに体感では3時間くらいあった気がする。
決して退屈だったわけではない。
むしろ逆だ。
あまりにも重くて、あまりにも痛々しくて、目を背けたくなる場面が続くのだ。
主人公である「名無し」は不思議な能力を持っている。
右手に持ったものが、他人には見えなくなってしまう。
その能力によって、次々と悲惨な出来事が起きていく。
人が傷つき、血が流れ、命が失われる。
なぜそんな能力を持つようになったのか。
なぜこんな運命になったのか。
最後まで観ても、私にはよく分からなかった。
いや、もしかすると分かる人には分かるのかもしれない。
ただ少なくとも私は、
「え?どういうこと?」
を何度も繰り返しながら観ていた。
正直に言う。
見ていてつらかった。
「早く終わってくれ」と思う場面もあった。
それなのに不思議なもので、私は売店で買ったホットドッグを最後まで食べ切っていた。
画面では血が飛び散っている。
私はホットドッグをムシャムシャ食べている。
我ながら、なかなかシュールな光景である。
人間という生き物は、案外たくましいのかもしれない。
そして何より印象に残ったのは、佐藤二朗さんの演技だった。
私が知っている佐藤二朗さんは、どこか笑わせてくれる人だ。
ところがこの作品では違う。
狂気。
その一言だった。
表情も、声も、目つきも。
笑いを封印した佐藤二朗さんが、そこにいた。
俳優という仕事の奥深さを改めて感じた。
映画を観終わって考えたことがある。
私は血を見るのが苦手だ。
献血にイッた際に、
「血が多いですね」
と言われたことはある。
でも、自分の血は多く持っていても、血を見るのは好きではないらしい。
当たり前のようでいて、映画を観て、”やっぱり!!”と気づいた。
そしてもう一つ。
この映画には「存在」というテーマが流れていたように思う。
見えなくなるもの。
消えてしまうもの。
誰にも認識されなくなるもの。
そんな描写を見ながら、
「いなくてもいい存在なんて、本当は無いんだろうな」
と思った。
会社でも。
家庭でも。
友人関係でも。
本人は自分を小さく見積もりがちだ。
あっしもよくそう思う。
でも、誰かがいなくなれば、その場所には必ず空白ができる。
人は案外、自分が思う以上に誰かの世界を支えている。
『名無し』は決して気軽におすすめできる映画ではない。
むしろ「もう一度観たいか?」と聞かれたら、私は少し考える。
でも、観たあとに何かが心に残る作品だった。
映画館を出たあとも、しばらく頭の中から離れなかったのだから。
$$
\large \textbf{誰かの世界から見えなくなった瞬間、}
$$
$$
\large \textbf{人はその存在の大きさに気づくのかもしれない}
$$
