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年の瀬の成田山新勝寺にて 去り行く令和七年に想いを馳せる

朝の冷気が頬を撫でる十二月三十日、今年も成田山新勝寺へと向かった。穏やかな冬の陽射しを受けながら、一年の感謝を伝えるための参拝である。世間は新年を迎える準備に忙しく、初詣の賑わいはまだ先のこと。この時期の成田山は、年の瀬ならではの静けさに包まれている。毎年恒例となったこの晦日詣でが、私にとって一年を締めくくる大切な習慣となって久しい。

晦日詣で(お礼参り)という習慣

晦日詣でとは、月の最終日である「晦日」に神社仏閣を参拝し、その月の無事を感謝する日本の伝統的な習慣です。特に一年の最後の日、大晦日の晦日詣では「年末詣」「お礼参り」とも言われ、十二ヶ月の無事と恵みに感謝を捧げる特別な意味を持ちます。

本来は十二月三十一日に行うものですが、近年では二十七日頃から大晦日にかけて、この意図を持って参拝する人もいます。年末の慌ただしさの中、少し早めに訪れることで、ゆったりとした時間を過ごせる利点もあるでしょう。

多くの人が馴染み深いのは、新年の願いを祈願する初詣。新しい年の幸せや目標の達成を祈る初詣に対し、晦日詣では去りゆく年への感謝を主眼とします。願うことと感謝すること、どちらも私たちの生活に欠かせない大切な営みですね。

初詣の華やかな賑わいも良いものですが、静かに一年を振り返り、感謝の念を捧げる晦日詣でもまた、心を整える良い機会となります。どちらか一方ではなく両方を大切にすることで、年の巡りをより深く感じられるような気がします。

年の瀬の成田山の風景

参道に足を踏み入れると、いつもとは違う空気が流れていました。正月三が日には約三百万人もの参拝客で埋め尽くされる成田山も、この日ばかりは人影もまばら。それでも、年末の感謝を伝えに訪れる人々の姿が点々と見られました。皆、それぞれの一年を胸に、静かに歩を進めています。

初詣を控えた参道の商店は、新年を迎える準備を整えながらも、どこか落ち着いた佇まいを見せています。賑やかな喧騒とは無縁の、穏やかな時間が流れているようです。

この閑散とした雰囲気こそが、年の瀬の成田山の魅力。人混みに揉まれることなく、自分のペースでゆっくりと参拝できる贅沢さ。静寂の中だからこそ、自分の内面と向き合い、一年を振り返る余裕が生まれるのです。

境内に入ると、新年を迎える準備が着々と進められていました。清められた境内には、厳かな気配が漂っています。冬の澄んだ空気の中、本堂の屋根が凛として聳え立つ姿は、何度見ても心を打つ。年末ならではの特別な空気感が、参拝するわたしの心を自然と引き締めてくれます。

お札納めと護摩祈祷

まず向かったのは納札所。一年間、我が家を見守ってくれたお札とお守りを手に、感謝の気持ちを込めて納めさせていただきました。お札納めとは、神仏の力が宿ったお札やお守りを、一年の役目を終えた後に神社仏閣へ丁重にお返しする作法。処分するのではなく、感謝とともにお返しすることで、神仏への敬意を表します。

納札所では、古いお札やお守りを納めた人々が、手を合わせて感謝の気持ちを伝えている姿が印象的でした。わたしも静かに手を合わせ、一年の守護に対する感謝の念を心の中で唱えます。些細な日常の安寧も、目に見えない力に支えられているのかもしれない。そんなことを思いながら、納札所を後にしたのです。

そして、本堂へと足を運ぶ。成田山新勝寺といえば、不動明王を本尊とする真言宗智山派の大本山。ちょうど護摩祈祷の時間が近づいていたので、参加させていただくことにしました。本堂内に入ると、すでに何人かの参拝者が静かに座っています。やがて僧侶たちが入堂し、厳かに護摩祈祷が始まりました。

護摩祈祷とは、護摩壇で護摩木を焚き、その炎とともに真言を唱えることで、煩悩を焼き払い、願いを成就させる密教の修法。成田山の護摩祈祷は特に迫力があることで知られています。

炎が勢いよく立ち上り、読経の声が堂内に響き渡る。その荘厳な光景は、何度体験しても圧倒されます。

炎が激しく燃え盛る様子を見つめていると、不思議な感覚に包まれます。まるで御護摩の炎が、自分の中に溜まった一年分の煩悩や迷い、澱のようなものをすべて焼き尽くしてくれているかのよう。心の奥底から、何か重いものが浄化されていくような、清々しい気持ちが湧き上がってくるのです。

護摩祈祷の間、僧侶たちが唱えているのは不動明王の真言です。その冒頭に聞こえてくる「のうまくさんまんだー」の響きは、耳に馴染んだものだ。

正確には「南無三曼多勃駄喃(のうまくさんまんだぼだなん)」といい、「普く一切の仏に帰依したてまつる」という意味を持ちます。すべての仏への帰依を表明する、密教の根本的な真言です。その荘厳な響きに身を委ねながら、私は静かに一年を振り返っていました。

※成田山の護摩祈祷で唱えられる不動明王の真言は正式には 「のうまくさんまんだ ばざらだん せんだまかろしゃだ そわたや うんたらたかんまん」です。

甘味処・三芳家での一服

参拝を終えた後、毎年恒例となっている場所へと向かいました。参道沿いにある甘味処「三芳家」。成田山参拝の後、ここで磯辺もちと焙じ茶をいただくのが、私の年末の習慣となっています。

店内に入ると、温かな空気が迎えてくれます。落ち着いた雰囲気の店内は、参拝の余韻に浸るのにちょうど良い。窓際の席に腰を下ろし、磯辺もちを注文します。

ほどなくして運ばれてきた磯辺もちは、香ばしい醤油の香りが食欲をそそる。焼きたてのもちに海苔が巻かれ、照り照りと艶やかな姿で皿に盛られています。一口頬張ると、もちもちとした食感と醤油の甘辛い味わいが口いっぱいに広がった。添えられた焙じ茶の香ばしい香りが、磯辺もちの味わいを一層引き立てます。

三芳家での一服は、参拝という精神的な営みを、日常へと繋ぎ戻してくれる大切な時間となりました。

令和七年への想い

磯辺焼きを味わいながら、去りゆく令和七年に想いを馳せる。振り返れば、この一年もまた様々な出来事があった。嬉しいこと、辛いこと、予想もしなかった展開、淡々と過ぎていった日常。すべてが混ざり合って、令和七年という一年を形作っているのです。

どんな年であっても、無事に年末を迎えられたこと自体が、実は当たり前ではない奇跡なのかもしれません。日々の小さな幸せも、大きな挑戦も、すべてがこの一年という時間の中で与えられたもの。それらすべてに対して、素直に感謝の気持ちが湧いてきます。

成田山での護摩祈祷、三芳家での一服。この一連の時間が、私に一年の区切りを与えてくれました。心の中の煩悩が焼き払われ、感謝の念で満たされたとき、ようやく新しい年を迎える準備が整ったと感じられるのです。

令和七年、本当にありがとうございました。そんな言葉が、自然と心の中に浮かんできます。

大掃除の後には、晦日詣でを

大掃除やお正月の準備が一段落したら、ぜひ近所のお寺や神社に晦日詣でに出かけてみてはいかがでしょうか。遠くの有名な寺社でなくても構わない。普段から見守ってくださっている地域の神仏に、一年の感謝を伝えに行く。それだけで、心が穏やかに整っていくのを感じられるはずです。

初詣の賑わいもいいものですが、静かな年の瀬の参拝には、また違った味わいがあります。自分のペースで境内を歩き、ゆっくりと手を合わせる。そんな静かな時間の中で、一年を振り返り、感謝を捧げる。これほど贅沢で、心豊かな年末の過ごし方もないのではないでしょうか。

新しい年を清々しい気持ちで迎えるために。 去りゆく年への感謝とともに。

みなさま、よいお年をお迎えください。(千里ふうた)


※本記事は2025年12月30日の成田山新勝寺参拝の体験をもとに執筆しました。

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