誕生日に絶望を綴ってみる
「死にたい」って言うと、なぜ「駄目」と言われちゃうのだろう。
どうして誰も「いいよ」と言ってくれないのだろう。
死にたい人間にとって「生きて」と言われるのは、死ぬより辛いことなのに。
「死んでいいよ。でもとりあえず明日にしてみようか。で、今日はあたしに付き合ってくれない?」ぐらいのLightな返しだと、すごく助かるのにね。
去年、「実は死のうと思ってた」と告ったら、全方位から止めにかかられた…もとい止めてくれた。
ありがとうね。
でも、やめたから話したんだよ。
死のうとしてる最中だったら話せないって。
生きるとは、絶望に耐えること
『ショーシャンクの空に』という映画ではないけれど、「頑張って生きるか、頑張って死ぬか」の二択だ。
自死を遂げた金子みすゞに、こんな詩がある。


彼女は、考えてもどうしようもないことを考えてしまうのをやめたかったのではないかな。
「どこに目ぇ付けてんだ?!」という詩人だったから、見え過ぎて辛かったろうと思う。
気付かずにいられれば、鈍感になれれば、どんなに楽か知れない。
命日も、誕生日も、命の日
誕生日にできた詩を、私に贈ります。

谷崎ではないけれど、暗いの礼讃
来月、寺山修司の朗読会を演るにあたって、作品を読み漁って救われたのは、暗くていいんだと思えたこと。

世の中、精神まで健康志向で、明るく、楽しく、爽やかに、希望がないのは、救いがないのはいけません!という風潮で。
でも寺山は、暗く、救いのない絶望を、そのまま提示している。
世界とはそういうものだと。
