何で、あんなに楽しかったのだろう…?
ちゃんとしてるのがnoteの表舞台だとしたら、ちゃんとしてなくたって、何の話かわからなくたっていいじゃん、というのが路地裏。
私は、ソコに草鞋を脱いでいる。
「 #なんのはなしですか 」という魔法のワードで繋がった路地裏の住人は、今や700人とか。
遂には、4巻から成る電子書籍まで創ることができた奇跡✨
その出版記念パーティだから、路地裏のオフ会だから楽しかったのだろうか?
もちろん、それは大きい。
でも、それだけではないと思うのだ
路地裏以外にも、お互いの記事を読み合い、コメントで交流させていただいている仲間がいる。
路地裏の内か外かは関係なく、私たちは言葉で繋がっている。
言葉を晒すって、とても勇気の要る、恥ずかしいことだったりしませんか?
ある意味、人前でパンツを脱ぐより、恥ずかしいかもしれない。頭の中、心のうちを見せることだから。

ポンさん、ご指導下さい
たとえ綴るのがフィクションであっても、心の位置や人格は透けてしまう。
noteで言葉を綴るというのは、家族にも、家族だからこそ見せない、グロテスクでみっともない裸形を晒すことなのかもしれない。
私も、コメント欄にこぼした涙を、どれだけの優しい手に拭ってもらったかしれない。
皆さんは、人を好きになる時のポイントってどこですか?
私は、私の好きな言葉を持ってる人を好きになります。
だから今、交流させていただいている方々は、素敵な言葉をお持ちの方たちなんです。
路地裏の内とか外とか関係なく。
恥かしい姿で丸腰のままでも、安心していられる。
そういう仲間だから、パーティがあんなに楽しかったかなと思うのです。
アホ丸出しの、イノセントな時間。
私の記事は、金子みすゞについてのガチ硬派なのが多いけれど、実はちょっと変態だとバレ始めている今日この頃。

