一所懸命働いても「自分らしくいきる」ことに繋がらないと気づいた
50歳になって気づいたこと
6年前に50歳を迎え、それ以降、いろいろな閉塞感や自分の思い通りにいかない事など、どちらかというとモヤモヤした日々を過ごすことが多くなっている気がします。
特に生活環境が大きく変わったわけでなく、そう感じる事が増えています。
目の前の一日一日を一所懸命に仕事をして、生きている。
でもそんな感情が拭えない。
それは何故なんだろう・・・・
これからの後半人生をどう生きるのか?
せっかく親から授けていただいた命をしっかり生き抜くにはどうしたらいいのか?
そんなことを考える時間が増えている気がします。
それは、50歳になった時、
「あー、人生100年と言いながら健康寿命は長くて70代ぐらいまでか、、、、、そうすると、あと20~30年。今まで生きてきた時間より短いな・・・」
と漠然と考え、不安を抱えるようになっていたのかもしれません。
同世代はそれぞれ何かしらの悩みを抱えていたと気づく
ここ数年、高校の同窓会やら、大学の仲間との再会、リクルート同期との定期的な飲み会(同期はすでに全員リクルートを退職し、それぞれの道を歩んでいる)が急に増えていますが、そこで会う仲間たちが、飲みながら笑顔で他愛もない話をしている腹の底では、一様にそれぞれ悩みを抱えていることがわかってきました。
仕事の事、老後の事、親の事、夫婦の事、子どもの事・・・
人それぞれです。
それを聞くにつれ、自分だけじゃなく、50代ってそんな時期なのかと思ってしまいます。
ボヤっと感じながら、悶々としている中で将来を考えていると…
このままではいかん!何とか自分を変えないと!
という強い危機感が募ってきました。
そして、これまでの僕の人生は果たして、「自分らしく」生きていたのであろうかと。
また、これからをどう「自分らしく」生きていくべきか…
棚卸の意味も込めて、これまでの人生を振り返ってみました。
小学生〜大学時代
▪️気づけば競争社会の一員だった
1969年生まれの酉年世代は、188万9,815人(厚生労働省「人口動態統計」より)。団塊ジュニアの手前とはいえ、たくさん産まれた世代です。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suikei16/dl/2016toukeihyou.pdf
小学生のころは、児童数が多く、1クラス40~50名と大人数、また、教室が足りず、グラウンドに急遽増設したプレハブ校舎で授業を受けたこともあります。
そして、中学生ごろから、偏差値教育の影響で、「どこの高校に行くのか?はたまた、どこの大学に進学するのがいいのか?」を考えるようになり、当然、周囲の期待がプレッシャーとなってきた時期でした。
僕は長男であることもあって、「周りの期待にこたなきゃ」と無意識に感じていたような気がします。(昭和は家父長制の名残が残っていたんです…)
▪️井の中の蛙だとわかった高校時代
僕は、世間的に言われている普通の人です。
それを感じたのは高校時代です。
当時進学校と言われる学校へ入学しました。(その時は少しは勉強ができる、ちょっとは頭が良い奴と自分を買い被っていましたが、そうでないことは入学後すぐにわかり、思いあがっちゃダメだ!普通の人だと認めて生きようと思いましたw)
高校入学後に出会った人の中に、今まで出会ったことのない人たちと出会い、驚きを隠せませんでした。
例えば、
授業はほとんど聞かない人が定期テストで満点。(彼は東京大学しか受験せず現役合格したのでした。。。。汗)
あ、、こういう奴が天才なんだな。。。
また、高校入学直後から大学入試に向けて休み時間も参考書を開いてコツコツと勉強している人。彼は外交官になりたいので東京大学にいきたいという夢があったのです。
あ、、こういう奴は秀才なんだなと。。
彼らを見て、僕はちょっとした挫折を味わいました。
僕にはできないと・・・・・(やりたくなかったのかもしれませんが…w)
その時から僕は、自分自身は普通の人。
それをわきまえないといかん!と誓ったのでした。
▪️浪人から第一志望校へ…運も味方!
その反目、高校時代はバスケにのめり込み、勉強は全くやらず、そうすると成績もビリから5番まで下がるという屈辱も味わい、当時、「一浪人並み」という都合のいい言葉を真に受け(笑)、もれなく浪人したのでした。
ただ、浪人時代は1日12時間×365日(人生最初で最後w?)の猛勉強をこなし、当時の私大文系倍率30倍という高確率を運よく、潜り抜けて、一浪ののち何とか大学生になりました。
何故、運が良かったかというと、入学式後のオリエンテーションで入った教室の席が足りずに、学生が席を詰めて座っていると、担任教授から
合格後の併願他校流出数を読み違えて、合格点を1点低くしたら入学者数が予想以上になってしまいました。窮屈な席ですみません。。。
との話があり、その時、「あ、自分はその1点で拾われた!」と直感的に思ったのでした。
なぜなら、偏差値が同程度の大学、更にはそれより低い大学は軒並み不合格で、滑り止めの大学と、この大学しか受かりませんでした。
▪️バブル崩壊直後の就職活動で何とか就職が決まる
運よく第一志望校に入学したものの、就職活動では思わぬ苦戦となります。
当時はバブル最盛期~終盤…
1992年の大学3年の時、現役で入った高校同期は4年生。就職活動は超売り手市場。いくつもの内定をもらい、更に引き留めに、海外旅行やら、高級料理店での接待(?)やら、かなり羽振りが良かったそうです。
しかし、一浪組は急転。
そのころからバブル崩壊が顕在化し、一気に冷え込んだ就職活動になりました。
また、当時は、バスケに没頭していている学生生活で週7日のバスケ漬け。
就職活動に対しての危機感もなく、気持ちの赴くままに活動していましたが、これも当時の採用担当者の方とご縁で、リクルートフロムエー(現リクルート)に入社することができました。
学生時代は「自分らしく」生きてきたような気がします。
挫折も味わいながら、その中で自分の実力やポジションも何となくわかった気になっていました。そこで、背伸びをしながら自分で選択した日々だったと思えます。
ただ、その選択は「周囲への期待に応える」という中での「自分らしく」であり、本当の「自分らしさ」ではなかったのかも。
でも、社会的な責任を負う必要がない学生は、それでよかったと思っています。
そして、社会人になるとさらに「自分らしさ」からは遠い生活を送ることに。。。。
社会人になる
リクルートで自分らしさがわからず、不安になる
▪️何も考えずがむしゃらに仕事した新人時代…燃え尽き症候群になる
当時のリクルートは営業会社。
求人事業がメインで「フロムエー」「B-ing」「とらばーゆ」「ガテン」などの求人広告をクライアントに営業して取ってくる仕事でした。
(本質的には、顧客の人事戦略に沿った採用戦略の実現を担う、コンサルティング営業でしたが、入社当時の僕には全く理解できていませんでした。)
ひたすら「経営目標」という売り上げノルマを追う日々が始まりました。
僕は、求人媒体の広告営業担当でしたが、求人広告は週刊サイクルのため、売り上げ目標は、週間、月間、Q、そして新規顧客売り上げ目標の様々な指標とそれを達成した際のインセンティブを目の前にぶら下げられて、ひたすら走り続けました。
とにかく1番になろう!と思い、がむしゃらに飛び込み、電話営業をした結果、1年目で1番になることができました。
しかし、1番になることが目標だったため、その後、
自分が何をすればいいのか本当にわからなくなり、1か月営業をさぼって、上司に大目玉を食らったこともあります。
結局、結果で1番になることが「自分らしく」なかったのでしょう。
自分を見失った1年目でした。
▪️自分らしさに蓋をして、目の前の仕事にのめり込んだ30代前半
また当時のリクルートは圧倒的な当事者意識を標榜し、ことあるごとに、周囲から
お前はどうしたい?どうなりたい?
と職場フロアー、飲み会の場と絶えず突きつけられていました。
当時のリクルートは終身雇用という概念がなく、30歳を過ぎると経営幹部候補もしくは圧倒的なプロフェッショナル以外はリクルートを離れる事を考えて、どんどん転職や独立していっていました。それが当たり前でした。
しかし、自分の中では明確にこうしたい!という思いがなく、周りの先輩、後輩が次々に辞めて独立したり、転職してキャリアアップしていく姿を漠然と眺めていました。
そして、30歳を過ぎたころからそれを見るにつけ、自分への不安へと繋がっていったのでした。

「自ら機会創り出し、機会よって自らを変えよ」
江副さんの言葉ですが、
理解できても実践するのは難しいですね。。。。
リクルートには35歳まで11年在籍していましたが、
仕事自体は楽しく没頭し、深夜まで残業して一杯飲んでタクシーで帰り、休日出勤も厭わない生活に全く不満はなかったのです。
ただ、「自分らしさ」という点では、何かしっくりこない。行き当たりばったりな感じ。でも30代の若さゆえ、目の前の楽しい仕事に忙殺されていました。
初めての転職
自分らしさを求めてベンチャー企業へ
▪️青い鳥症候群の転職…自分らしくからどんどん乖離していく
35歳の時、以前リクルートで上司だった方から声を掛けていただき、ベンチャー企業へ転職。
ただ、当時は、明確に事業を興したい!というより、今の環境のままではこの先息詰まる。何とか環境を変えたいという危機感の方が強かったかもしれません。
自分の意志で転職を決意しましたが、それは流れの中での受動的な選択だったかもしれません。
従業員7名の会社で事業部長。当時は役職なども憧れがあり、リクルートではなれなかった事業部長をここで名乗れることにちょっとした優越感もあったかもしれません(ちなみに、今は全く意識はないです)。
その後、取締役に就任するも、自らの意志で事業を興したいという強い思いが描けず、行き詰り、3年後に退任。
ここでは大きな挫折を味わいます。
流れに任せて責任ある立場に就くと、自分だけでなく、家族を始め周囲へも迷惑をかけることになりました。
結局、声を掛けていただいた方やメンバーを残しての退任。
自分がやりたいことが曖昧な中、自分のポジションを確立できませんでした。
その後、「自分らしく」生きることへの明確な答えがないまま、次の会社に就くも、まったく業界が異なるWEBコンサル業界へ。
職種もリクルート時代に経験した営業や企画ではなく、初めての管理部門責任者へ。
高校の同期が取締役で、彼から採用や人事を中心に手伝ってほしいという要望を受けての転職でした。
▪️どんどん自分らしさから遠ざかっていく
その会社がM&Aで物流会社へ統合となり、そこでは、流れ流れて物流営業やアスクル代理店としてアスクル顧客開拓営業責任者へ。
どんどん違う方向に流されている感覚が強まり、
「何かが違う。自分のやりたいことじゃない。」
と思いながらも、主体的なアクションを取らず、流れに任せて仕事をしていました。
ちょうどこの頃、次男が産まれ、住宅ローンを組んで自宅も購入し、簡単に動けない事情もありました。
それでも一所懸命、やっている自負があり、何とかなるんじゃないかと思っていました。
しかし、その会社がリーマンショックの影響を受けて、経営が傾いたとき、当時の役員から言われたひと言で、自分の置かれている立場に気づかされました。
『会社はこの業績だと将来は厳しい。これからは創業時のプロパーメンバーで縮小して事業を継続する。M&Aで後から参加した人達を、申し訳ないが抱えていくことができない。どうか転職活動をしてもらえないか』
僕は、どんな環境であれ、その場で一所懸命仕事する、生きることが大事なんだと思って生きてきました。
しかし、その結果がこの言葉でした。
決して誰かが悪いのではないです。
それまで、どちらかというと受動的な選択で生きてきた自分へのしっぺ返しだったと気づかされました。。
そして、ここまで流されると、さすがに自分でも気づきました。
まずいぞ。
その時、40歳。
このタイミングで、残された時間の仕事は、初心に帰って『人材業界』に戻って仕事をしたい!と強く思ったのを鮮明に覚えています。
初めて具体的な意思表示だったかもしれません。
社会人になって18年目。
遅すぎる気づきでしたが、今からでもやり直せる!
覚悟を決めた転職
会社は成長するも、自分は置いていかれる焦燥感
▪️主体的に会社を選ぶ
リクルートの同期が代表で創業したツナグ・ソリューションズに転職。
当時は3年目で従業員50名程度の規模。
同期の縁で転職し、かつ、自分から主体的に選んだ『人材業界』での仕事。
それは没頭して仕事をしました。その時、
圧倒的な量は質を凌駕する
という自分で考えた勝手な言葉wを胸に、
誰よりも早く、そして誰よりも遅く、休日出勤もいとわず、仕事に没頭。
会社はぐんぐん成長し、当時の東証マザーズ上場、そして、一部上場へと成長していきました。
ここまで書くと、ようやく「自分らしく」いきているようになったのか?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ここにも大きな落とし穴がありました。
それは自分自身の成長を疎かにしてしまった。
ということです。
▪️自分自身が成長していない事に気づく
その結果、失われた10年を過ごすことになりました。
どういうことかというと、会社の成長に胡坐をかき、自分の今後のキャリアは安泰と勝手に思い込み、自己投資=インプットを積極的にしなくなっていました。
・本を読む
・映画を見る
・人と会う
・旅行に行く
and so on・・・・
仕事に没頭しているから時間がないと言い訳をして、生きていくうえで必要なインプットをしなくなっていました。
40代までは、
仕事に没頭する=人生そのもの=自分らしさ
という感覚でその時は充実した日々を送っていたと思い込んでいました。
しかし、残念ながらそれは自分らしさではなかったのです…
なんとなく光が差した今
明日に向けて前を向いて行くと腹を括る
▪️50歳にして新たな気づき
しかし、50歳を迎えた時、グループ会社へ出向し新規事業の立ち上げ責任者となったとき、はっと気づいたいのです。
自分はこの新しい環境で何が出来る?
今までの経験をどう活かせる?
そして、自分はどう生きていきたい?
と問いかけた時、この10年間、空っぽな、空白の時間だったと。。。。
つまり、この10年間、業界の知識、専門性、人脈に加えて、人としての徳、生き様、懐の広さなど、アップデートされていない…(もちろん少しはありましたが、10年間でこれ…?と言う感覚です)
さすがに焦りました。
このまま行ったら、ぶら下がりの人間に落ちぶれると。
自分がやりたいことも出来ず、会社の言いなりで仕事をするしかできない、使えない人間に。
▪️54歳の時に決めたこと
翌年、四捨五入で60歳となるこの年に、目標を決めました。
60歳以降は「自分らしい」自分のやりたい仕事をする。
この6年間はその準備期間にする。
具体的には何をしたいか・・・はなかったのですが、この閉塞感を打破するためにとりあえず目標を決めて動こうと決めたんです。
そう、もがけば何か見えるかも。。。。と思っていました。
まず行動したのは
プライベート携帯とプライベートPCを買いました。
(え、、今更と思われると思います)
これまでは携帯もPCも社用のみでした。
プライベートも仕事の延長線上だったのです。
その意識を変え、プライベートと仕事の線引きを明確にしました。
次に、ONOFFの時間をしっかり分けて、OFFには自分のやりたいことを目いっぱいやる!と自分に誓いました。
スポーツ観戦、旅行にいく、映画をみる。。。
少しでも興味があれば行動する。
最初の2年は動きもがきましたが、気持ち、感情、意志に明確な変化はなく、なんとくこれかなと頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え、明確に「自分らしさ」はこれだといえるものはなかったです。
そして今もその状態です。
▪️明日に向けて動き、もがき続ける日々
でも動くことで少しずつ見えてきたものもあります。
まず、NOTEを3か月前に始め、いまだに継続できていること。
飽きっぽい性格ではある僕が、ここまで続けられているのは何か「自分らしさ」に繋がっていくのかなと期待を感じます。
そして、仕事の面でも自分がやりたい事の輪郭がボヤっと見えてきました。
まだ具体的ではないので、それは後日・・・・・
動くことで、もがくことで、「自分らしさ」に近づいている感覚。。。。
それ自体が今回の発見でした。
「わからないから動かない。」ではなく、「動く・もがくことでわかってくることがある。」をわかりかけています。
また、もう一つ、生きて行く中で、自分を見失わない意識が芽生えました。
「流れても流されるな」
と言う意識です。
僕たちひとり一人はちっぽけな存在です。
ひとりでは何も出来ません。
それ故に、社会の大きな流れに抗うことは出来ません。自分の力ではなんともしがたく、変えることが出来ない事はたくさんある。
そのような大きな流れには身を任せて流れていくしかない。
しかし、自分を絶えず見失わず、自分らしく生きていくための指針をしっかり持って、自分の流れが来る時を待っている。
それまでは準備期間として自分の軸で生きて、流れが来た時にちゃんと乗れるようにしておく。
決して、大きな流れに「流される」ことなく、自分の軸を持ち続けながら「流れていく」ことが大事なんだと身をもってわかってきた。
56歳を迎え、少しずつ、少しずつ、わかってきた…
あと3年ちょっと。。。。
自ら立てた目標をクリアーでき「自分らしく」生きるスタートラインに立てるのか。
今後も、動き、もがき続けます。
ここまで読んでいただいた皆さま、長文を読んでいただきましてありがとうございました。
最後まで読んでいただけるということは、ご自身の境遇と照らし合わせて、何かしらの興味を持っていただけたのでないかと推察いたします。
そうであっても、なくても、、、
もしよろしければ、どんな些細の事でもいいです。
感想でも批評でも叱咤激励でも一言いただけると幸いです。
今の自分にとって皆さんとの交流が明日の一歩への刺激になると信じ、また、僕から皆さんへ何かしらの刺激を提供できたら、この上なく嬉しいです。
引き続きよろしくお願いいたします。
また、自己紹介も併せてお読みいただけると幸いです。
