妄想図書館 〜まだ恋をしてもいいですか? 4冊
第四章 また来ても、いいですか
その日から、
私は少しずつ、夜の過ごし方を変えるようになった。
帰り道に、
あの裏道を選ぶ日が増えた。
用もないのに、
少し遠回りして。
妄想図書館の前を通るたび、
ガラス越しに見える、
あの静かな灯りを。
ちょっとだけ、
確かめるように眺める。
今日は、入ってもいいだろうか。
今日は、やめておいた方がいいだろうか。
そんなふうに迷う自分が、
ちょっとだけ、
かわいく思えた。
だから、
私は、
あの場所に行くときだけ、
少しだけ、口紅を塗る。
誰に見せるわけでもないのに。
誰かと会う約束があるわけでもないのに。
それでも、
鏡の中の自分が、
ほんの少し、
やわらかい顔になるのを、
私はちゃんと知っていた。
ドアを開けると、
あの静かな空気と、
甘い匂いが、
また私を包む。
「こんばんは。」
誰にともなく、
そうつぶやく。
あの本は、
いつもの同じ棚の、
同じ場所にあった。
私は、
それを手に取って、
同じ椅子に座る。
ページを開くと、
あの夕暮れの海が、
すぐに広がった。
そして、
彼は、
いつも、少しだけ先に来ていて、
私を待っている。
「今日も、来てくれたんですね。」
それだけで、
胸の奥が、
じんわりとあたたかくなる。
私は、
少しずつ、
彼に話すことが増えた。
仕事の愚痴。
最近見たドラマの話。
若い頃、好きだった歌。
どうでもいい話ばかりなのに、
彼は、ちゃんと聞いてくれる。
「それ、いいですね。」
「あなたらしいです。」
嬉しそうな笑顔と共に、
そんな言葉を、
まっすぐに受け取るたび、
私は、
自分の中の何かが、
少しずつほどけていくのを感じた。
現実の世界では、
もう誰も、
私の『らしさ』なんて、
気に留めていないと思っていた。
でも、
ここでは、
私は、ちゃんと『わたし』でいられる。
帰り際、
私は、いつも、
少しだけ、胸が苦しくなる。
「あの、…また来ても、いいですか?」
ある日、
私は、思い切ってそう聞いた。
彼は、
少し驚いた顔をしてから、
やさしく笑った。
「ええ、
あなたが来たいと思うときに、
いつでも、来てください。」
その言葉に、
胸の奥が、
じんと熱くなった。
私は、
本を閉じる前に、
少しだけ、
彼の横顔を見つめる。
この人は、
本当に、ここにいるんだろうか。
それとも、
私の心が、
見せているだけの存在なんだろうか。
そんな疑問が、
ふっと浮かぶ。
でも、
その答え。
今は、
どうでもよかった。
私はただ、
この時間が、
好きになってしまった。
そして、
自分の中で、
小さな恋の芽が、
そっと、
芽吹いていることに、
気づいてしまった。
