映画『明け方の若者たち』感想(ネタバレあり)
カツセマサヒコ原作小説の実写化作品。2021年公開したものでクリエイターとして多方面で活躍する松本花奈監督作品である。
物語は大学の飲み会から始まる。
主人公の“僕”は、周囲の騒がしさをよそにどこか退屈そうにその場をやり過ごしている。そんな中、同じように浮いた空気を纏う女子メンバーに目を留める。
彼女の無くした携帯を一緒に探したことをきっかけに、二人は飲み会を抜け出し、公園で飲み直す。夜明け前の静かな街、宴の後の気怠さと静寂。その空気が妙にエモーショナルで、二人の距離は自然に縮まっていく。
そこから始まる恋愛は、いかにも“若者の青春”という輝きに満ちている。
友人たちと笑いながらの引越し作業、朝まで飲み明かす夜、半同棲の日々。フジロックの代わりに出かけたバカンスも含め、まるで世界が二人のためだけにあるような時間が続く。
けれど、その幸福は永遠ではない。
彼女は既婚者であり、海外赴任中の夫が戻るまでの“限られた三年間”だけ自由を与えられていた存在だった。
わかっていながら恋に落ち、終わりが来ると知りながら一緒にいた“僕”。
就職後も希望の仕事には就けず、ぼんやりとした日常を送る中で、彼女との時間だけが唯一現実を忘れられる光のようにも見えた。
だからこそ、別れの後の空虚さが痛いほどリアルだ。
この映画を見ていて感じたのは、青春時代とは、まるでディズニーランドのような時間の連続なのかもしれないということ。
現実離れしていて、その瞬間は永遠みたいに感じるのに、振り返ると一瞬で終わっている。
実際、若い頃に危うい恋愛をしていた人たちも、気づけば堅実な家庭を築き、“ちゃんとした大人”になっていたりする。
人は社会に出た瞬間から現実と向き合わされる。夢だけでは生きられないし、大人になっても「遊び心を忘れるな」と言われる一方で、「地に足をつけろ」とも言われる。
その矛盾の中で、傷つき、転びながら、人は少しずつ大人になっていく。
本作は、そんな若者たちの変遷を、キリンジ、きのこ帝国、RADWIMPS、マカロニえんぴつなど、時代ごとの邦ロックに乗せながら描いていく。
音楽そのものが、まるで“あの頃”の記憶装置のようだった。
最後、“僕”は彼女を完全に忘れたわけではない。
少しの後ろめたさや未練を抱えたまま、それでも前に進み、一つ大人になっていく。
甘酸っぱさと虚しさが同時に残る、まるで自分自身の歴史を重ねるような青春映画で本作を見ていると、どこか『ノルウェイの森』を思い出した。
青春特有の儚さや危うさ、そして後から振り返った時だけ美しく見える懐かしさ。
あの頃は未熟で、不安定で、傷つきながら生きていたはずなのに、時間が経つとその不完全ささえ愛おしく思えてしまう。
『夜明けの若者たち』もまた、そんな“過ぎ去った青春の残り香”を描いた作品だったように思う。
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