福智山に抱かれて
福智山は、北九州国定公園で九州低山百選にも名を連なる山です。
標高は901メートル。
その穏やかな姿は、近隣の人々の登山コースとして、また子どもたちの遠足の地として、長く親しまれてきました。
けれど、この山の本当の魅力は、数字では語りきれません。
幾重にも連なる、やわらかな曲線の山並み。
その姿を眺めていると、まるで母の腕に抱かれているような、静かな安らぎに包まれます。







そんな福智山の麓には,古い歴史と物語が、静かに息づいています。
そのひとつが、興国寺です。



この寺の起こりは7世紀後半ともいわれ、幾度も閉寺と再興を繰り返しながら、今日まで時をつないできました。
境内には、ひときわ心を引く場所があります。
”足利尊氏が再起をかけ,身を潜めたとされる「隠れ穴」です。“
南北朝の戦乱のさなか、若き日の尊氏は朝敵とされ、命を狙われる身となりました。
”その絶望の淵で,身を隠し,再び立ち上がることを誓った場所ーー “
それが、この福智山の麓にある興国寺だったと伝えられています。
寺には、いまもその時代を偲ばせるものが残されています。
尊氏が身を隠したとされる隠れ穴。
戦運を占ったという墨染の桜。
守り本尊とされる先手観音像。
馬の蹄の跡が残ると伝わる馬蹄石。
安国寺・尊氏が全国に建立した寺・利生塔の第一位として,興国寺を定めた。
そして、禅宗様式を基調とした本堂や山門が、静かに歴史を語り続けています。
中でも「墨染の桜」の伝説は、どこか胸を打つものがあります。
”敗れてこの地に落ち延びた尊氏は、つぼみをつけた桜の枝を逆さに地に挿し、こう念じたといいます。“
「今宵一夜に咲かば咲け 咲かずば咲くな 世も墨染の桜かな」
その朝、桜は一斉に花開きました。
それを吉兆と受け止めた尊氏は、やがて九州で勢力を盛り返し、ついには京へと攻め上ります。



”そして征夷大将軍となり、室町幕府を開くーー “
ここから始まる大逆転の物語は、まるで一幅の絵馬のようです。
また、私たちが訪れた際に出会った東京大学の先生は、
「この寺は、日本で二番目に古い寺院かもしれない」と、静かに語ってくださいました。
真偽はさておき、その言葉はこの地の奥深さを、いっそう感じさせてくれます。
興国寺(曹洞宗)の屋根には、小笠原家の家紋である「三階菱(さんかいびし)」が寺紋としてあしらわれています。
これは、かつてこの地を治めた小笠原藩(豊前小倉藩)にゆかりがあるためです。
家紋の名称: 三階菱(さんかいびし)
関連する人物・家系: 小笠原家(小倉藩藩主
特徴: 3つの菱形が重なった形状。
興国寺に残された資料や建物、痕跡からも当時の歴史が色濃く残り息づいていました。
福智山はかつて、赤松が生い茂り、松茸が豊富に採れ、焼き物に適した土にも恵まれていました。
小倉藩初代藩主・細川忠興が登り窯を築かせ、茶器を作らせる為開窯を命じたのもこの地、上野焼でした。
時を越えて語り継がれる物語。
自然の恵み、歴史、そして人の物語。
福智山の麓には、静かで豊かな時間が流れています。
山は何も語りません。
けれど、その姿を見上げていると、遠い昔から続く物語を、そっと聞かせてくれているような気がする
福智山は、ただそこに在るだけで、
私たちにそっと語りかけているのかもしれません。
遠い昔の人々の息遣いと、
変わらぬ山のぬくもりを――
静かに、やさしく、今もなお。
